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桜の木の向こうから君の着替えを覗く(中)

 柏葉さんが自殺をしてから、早1週間が経とうとしていた。

 僕は、悲報の直後に寝込んだ一日を除けば、いつもどおり生活をし、春休みが明けてからは普通に授業を受けている。



 とはいえ、僕の「柏葉さんロス」が終わったわけではない。

 彼女が生きていた頃同様、彼女の存在は僕の頭の中を占め続けている。


 むしろ、生前より、彼女のことを考える時間は長くなったかもしれない。

 


 柏葉さんはどうして首を吊ろうと考えたのかーー



 この答えの見つからない問いが頭の中をグルグル回っているのである。



 もしかすると、彼女は、僕に着替えを覗かれてることに気付いていて、そのショックから自殺してしまったのかもしれない。そうだとすれば、僕はなんてヒドイことをしてしまったのだろうか。なんて取り返しのつかないことをしてしまっただろうか。


 ただ、おそらくは、それは僕の単なる「思い上がり」で、僕は彼女の人生にも、死にも、これっぽちも関係していない、というのが実際の現実だろう。


 彼女の世界線と僕の世界線はどこまでも交わることなく、彼女は僕の知らない世界で、僕の知らない悩みを抱き、そして死を決意したのだ。



 桜の木の向こう側とこちら側とでは、完全に違う世界なのだ。


 この間かろうじて学校には行けているとはいえ、顔色は悪く、口数も極端に少ないことの自覚はある。鈍感な親友も、さすがにそのことには気付いていたはずである。



 しかし、悟は、布団で寝込んでいる僕を叩き起こしに来たあの日以来、僕に対して、柏葉さんの話は一切しなかった。


 もしかすると、ようやく「気遣い」というものを身に付けたのかもしれない。それとも、彼にとって関心のないことをすっかりと忘れてしまっただけかもしれない。



 このまま、僕も柏葉さんのことを忘れれば良いのだ。


 僕の切ない片想いを記憶から葬るのだ。





「なあ、光」


 放課後、悟は僕の部屋のカーペットに涅槃のような格好で寝そべり、そのままの格好でポテトチップスを摘んでいた。

 カーペットが汚れることは確実だろうから、彼が帰ってすぐに掃除機をかける必要があるな、とぼんやり思う。



「どうした?」


 僕は座椅子に座り、スマホでネット小説を読んでいた。ゲームの世界に主人公が転生するファンタジーモノである。



「これから少し出掛けないか?」


「ええ、なんで?」


「そんな嫌そうな反応するなよ。近場だから」


「コンビニとか?」


「もっと近い。この建物の上の階だ」


「……え?」


 この建物とは、今、僕と悟がいる寮のことだから、上の階というのは、屋上か、もしくは、他の学生の部屋ということだろう。

 桜の旬も終わったこの季節に、まさか男2人で屋上で過ごすこともないだろうし、交友関係の狭い2人なので、共通の友人が寮にいるわけでもない。

 悟の思惑が分からなかった。



「寮の上の階に行って何するんだ?」


「会いに行くんだよ」


「誰に?」


「花盗人に」



 その言葉を聞いたのは久しぶりな気がする。

 ここ1週間、柏葉さんの話をしなくなった親友は、当然、「花盗人」について言及することもなかったのである。


 寮と寮の間に生えている桜の木の枝が、何者かによって切り取られていたことは事実である。

 そんなことをする人は普通いないであろうから、それは一種の「ミステリー」だとは思う。


 ただ、どうしても解き明かさなければいけない「ミステリー」なのかと言えば、僕は決してそうは思わない。


 端的に言うと、「どうでもいいこと」なのである。



 もっとも、親友は、それに関心を抱き続けていただけでなく、知らぬ間に「花盗人」の正体まで突き止めていたということなのか。





「ねえ、やっぱりやめておこうよ」


「どうしてだ? せっかく『花盗人』の玄関ドアの前まで来たのに、引き返そうというのか」


「ああ」


怖気付(おじけづ)いたのか?」


「そうじゃなくて、考えてみたら、迷惑だなって」


 考えてみなくても分かる。完全な迷惑行為である。


 僕と悟は、「花盗人」の話で盛り上がっていたが、それはまさしく内輪の話であって、他の人からすれば、「花盗人」と聞いても一体何のことか分からないだろう。


 それが「花盗人」ーーなんらかの事情で桜の木の枝を取った張本人だとしても。



 だから、その人の部屋を突然訪れて、「あなたは花盗人ですか?」などと訊くことは、失礼極まりない。


 加えて、実際のところ、玄関ドアの前まで来てみて怖気付いた、というのも事実である。


 なぜなら、悟が僕を引き連れて向かった先は、僕らの高校でも屈指の有名人の部屋だったからである。



 前山田(まえやまだ)崇人(たかひと)ーー野球部のエースピッチャーの部屋である。



「悟、そもそも、前山田先輩が部屋にいるかも分からないだろ。放課後は毎日野球部の練習があるだろうし」


「野球部の練習は今日は休みだよ。そのことはちゃんと事前に確認済みさ」


 そう言うと、悟は躊躇することなく、前山田先輩の部屋のインターホンを押した。

 なんて度胸だろうか。思うに、度胸というものは、無神経さと表裏一体なのだろう。




 程なくして、外開きのドアが開き、前山田先輩が出てきた。


 僕と悟よりも学年が1つ上の、野球部のエースの3年生。

 小学生の頃から将来を嘱望され、プロ野球球団も熱視線を送ってるとか送っていないとか。存在と名前は知っていたが、顔を見るのは初めてだった。


 なんというか、オーラがある。

 それはしっかりと鍛えられた体躯にもよるだろうし、俳優のように端正な顔立ちにもよるだろう。

 同じ高校に通っていて、年齢も1つしか違わないのに、完全に人種が違うな、と思った。


 要するに、僕と悟が気安く会って話しかけて良い相手ではないのである。



 高身長の前山田先輩は、背の低い2人を見下ろしながら、怪訝そうな顔をしている。当然である。僕も前山田先輩の立場だったら、「お前ら誰だ」と思う。僕らの来訪目的を知れば、怒って追い返すに違いない。



 さて、悟はこの状況をどのように切り抜けるのだろうか。どのように来訪目的を隠しつつ、前山田先輩との話し合いに持ち込むだろうか、と事態を見守ってると、悟は、一言、



「柏葉由伊乃さんの件です」


と告げた。



 僕は唖然とする。悟がなぜそんなことを言ったのか、彼が一体何を考えているのか、僕には皆目見当がつかなかった。



 しかし、前山田先輩は、一瞬戸惑うような表情を見せたものの、すぐにニッコリと笑い、「どうぞ」と僕らを自らの部屋の中に案内した。



 軒先で追い払われるか、せいぜい頑張っても玄関口での立ち話だと考えていた僕は、まったくもって展開についていけていなかった。


 しかし、自分たちで訪問しておきながら、接待を拒否するのも妙であるし、悟はさっさと靴を脱いで部屋に上がっていたので、それに倣うしかなかった。

 僕はしゃがんで靴を脱ぎ、悟の靴とともに自分の靴を玄関に丁寧に並べると、悟の後に続いた。



 当然だが、同じ寮なので、前山田先輩の部屋の間取りと、僕の部屋の間取りは一緒である。


 もっとも、間取りが一緒だとすら思えないくらいに、部屋の雰囲気は全くといっていいほど違っていた。


 前山田先輩の部屋は、「栄光の足跡」で溢れている。


 棚の中には、小学校、中学校、高校の各カテゴリーにおいて、彼が獲得したトロフィーや賞状がいくつも並んでおり、入りきらない分は、びっしりと字が詰まった寄せ書きとともに、棚の上にも並んでいた。



 もちろん、彼の部屋にあるのは「足跡」だけではない。トロフィーの対面の壁には、野球ボールやバッドやシューズ、ユニフォームなど、これからさらなる「栄光」を作っていくための道具が置かれていた。



 対して、僕の部屋は何もない。漫画本がビシッと並べられた本棚を除けば。


 人生の充実度合いの差が、そのまま部屋の違いとして表れているのだろう。



「部屋が散らかっててごめん。あまりスペースはないかもしれないけど、適当なところに座ってくれ」



 そうは言われても、僕は座ることを躊躇した。


 前山田先輩がクローゼットを開け、フローリングに敷く座布団を用意し始めたのであるから、なおさらである。


 そして、悟はといえば、彼も座らずにずっと立っていた。


 彼は、前山田先輩に背を向けて、何かを見ている。トロフィーや賞状ではない。


 彼の視線の先にあるのは、前山田先輩の部屋の窓なのである。



「遠慮しないでいいよ。君たちは客人なんだから。さあ、座って座って」


 2枚の座布団を敷き終わると、前山田先輩が柔和な声で誘う。


 僕は悟の動向を見ていたのだが、僕にしか聞こえない小さな声で「正解だ」と言った後、前山田先輩の方に向き直り、座布団に尻を沈めた。

 僕もそれに倣う。



「お茶もいるかい?」


「いいえ、大丈夫です。そんなに長居するつもりはないので」


「了解」


 前山田先輩は、フローリングの床に直接あぐらをかいた。座って目線の高さがほぼ同じになったとはいえ、体格の差によるものか、やはり威圧感のような覚えてしまう。



「ところで、君たちは下級生だよね」


「そうです。この春で2年生です。僕の名前は由良悟、僕の隣の彼の名前は梶本光です」


「先ほど由伊乃の名前を言ってたけど、もしかして由伊乃と同じクラスだったのかい?」


「いいえ。違います。柏葉さんはF組で、僕はD組、梶本はA組なので」


「……そうか。とはいえ、同じ学年の子が自殺する、というのはショックなことだよね」


「それはそうですね。ただ、柏葉さんと付き合っていた前山田先輩ほどではないです」


「……まあ、そうだな」



 僕は大きな衝撃を受けた。


 知らなかったのである。


 生前の柏葉さんと前山田先輩が付き合っていたことを。


 僕は、柏葉さんに彼氏がいることさえ知らなかった。もっというと、その可能性を考えすらしなかった。


 それでいながら、ひたすら柏葉さんに想いを寄せていたのである。



 なんて独りよがりで、なんて滑稽な僕の「青春」。



「このたびは本当にご愁傷様です。柏葉さんのことを思い出すのは辛いかもしれませんが、いくつか僕らに教えてもらえませんか?」


 前山田先輩は、しばらく俯いて考えた後、「ああ。少しなら」と悟の頼みを了承した。



「ありがとうございます。柏葉さんが亡くなる前、何か柏葉さんに変わった様子はありませんですか?」


「……なかったな。由伊乃はいつもどおりだった」


「いつもどおり、と言うと?」


「……文字どおりだよ。なんというか、そもそも由伊乃は普段からそこまで明るい性格ではなかった。暗い、というほどではないんだが、元々口数は多くない。あと、身体も弱く病気がちだった。ただ、それが彼女の『いつもどおり』なんだよ」


「なるほど……」


 僕が知らない「いつもどおり」の柏葉さん。それを知れるのが恋人の特権ということか。



 僕は、ただこの場にいたくない、という気持ちに支配された。早く自分の部屋に戻って、ネット小説の中の世界に没入したい。「この世界」にはこれ以上いたくない。



 それなのに、悟は、柏葉さんについての質問をやめなかった。



「とすると、前山田先輩は、柏葉さんがなぜ死んでしまったのか、ということには一切心当たりはないということですか?」


「……そういうことになるな。情けない話だが……」


 うっ、と、前山田先輩の声が突然詰まる。



「……由伊乃は、俺が守ってあげなければならなかった。それなのに、俺は何も……何も……」


 前山田先輩が、目頭を押さえる。

 急に取り乱し始めたことに僕は驚いたが、よくよく考えると恋人の自殺からまだ半月も経っていないのである。むしろ今まで気丈さを保っていたことの方がすごいのだ。


 


「直近、何か悩みを打ち明けられたことは?」


「……特には」


「彼氏であるあなたと喧嘩したとか?」


「もちろんそんなことは一切ないよ。過去を遡っても一度も」


「仲が良かったんですね」


「……そうだな。良好な関係だった……それなのに、うぅ……」


 柏葉さんと良好な関係。羨ましい限りである。



 ところで、悟は一体何のために生前の柏葉さんについて訊いているのだろうか。


 今の前山田先輩は、決して恋人との思い出話をしたい気分ではないだろうし、僕だって、片想い相手の知りたくない真実を知らされて傷付いている。


 悟がしていることは、ただの迷惑行為ではないだろうか。


 もしかすると、彼は、柏葉さんが自殺した原因を明らかにしようとしているのかもしれないが、それを知ったところで、柏葉さんが蘇るわけでもなければ、誰かが得するわけでもない。


 傍迷惑なだけの「探偵ごっこ」であれば、即刻やめてもらいたい。



 そんな僕の気持ちが通じたのかどうかは分からないが、悟は、「色々と教えてくださりありがとうございます」と軽くお辞儀をすると、「光、もう帰ろう」と言って、僕の手を引っ張った。



「……ごめんな。うまく話せる状況じゃなくて」


「大丈夫です。僕が知りたかったことは十分知れたので」


「……そうか」


 前山田先輩は、Tシャツの袖を伸ばして、涙を拭いている。本当に申し訳ないことをした。



「君たちに一つお願いがあるんだが」


「前山田先輩、なんですか?」


「由伊乃がなぜ自らの命を絶ったのかは分からない。ただ、そこには、おそらく、秘められた事情があったんだと思う。もしその事情が誰かに言える性質のものだったら、恋人である俺にまず言ってるはずなんだ」


「要するに、柏葉さんには、知られたくない秘密があったということですか?」


「……そういうことだと思う。それを知られることは、おそらく由伊乃にとって、死ぬよりも辛いことだったんだと思う」


 だから、と前山田先輩は言葉を継ぐ。



「どうか由伊乃のことをそっとしておいてやってくれないか」


 前山田先輩の言うとおりだ、と僕は思った。


 柏葉さんは、誰にも知られたくない秘密を墓場まで持って行ったのだ。生者がその墓場を掘り起こすことを、絶対に柏葉さんは望まないだろう。


 当然、悟も納得するだろうと思っていた。

 彼の感性は独特だが、決して良心がないわけではない。



 しかし、彼は頷くことも、返事をすることもなかった。ただ、前山田先輩の顔を見返すだけだったのである。



 そんな無粋な親友を隣にしていたたまれなかった僕は、「分かりました。そうします」と悟に代わって答えると、そそくさと立ち上がり、親友のシャツの首根っこを掴んだ。



「前山田先輩、歓待していただきありがとうございました。僕らはもう帰ります。それから、柏葉さんのことももう忘れます」




…………




 生前、柏葉さんは前山田先輩と付き合っていた。


 前山田先輩は、将来のプロ入りが噂される天才ピッチャーであり、学校の人気者である。たしか「ファンクラブ」たるものも学内にあると聞いたことがある。

 おそらくバレンタインデーには、抱えきれないほどのチョコレートを女の子たちからもらっている。


 その上で、前山田先輩は、柏葉さんの心までもゲットしていたのである。


 あまりにも不公平である。神は前山田先輩に何もかも与え過ぎだ。



 前山田先輩はイケメンであり、背が高く、スポーツ万能で、人格者で、美男美女カップルとして柏葉さんとお似合いだ。


 前山田先輩と比べて、僕が勝ってるところなんて一つもない。


 その上、前山田先輩は、柏葉さんと交際し、僕が知らない柏葉さんのアレコレを知っている。

 柏葉さんの下着姿にとどまらず、さらにその先の、その先だって知ってるに違いない。なんて不公平なのか。



 とはいえ、前山田先輩への不平不満を抱いていても仕方がないことである。問題はそれ以前のことなのだ。


 仮に柏葉さんの彼氏がヘナチョコのクズ男だったとしても、そもそも彼氏がいなかったとしても、僕が柏葉さんと付き合える可能性はゼロなのである。


 僕と柏葉さんは、面識すらない。僕は「知人B」にまですら辿り着いていなかったのである。


 それどころか、彼女にとって、僕は、絶対的に嫌われる対象の「覗き魔」でしかないのだ。




 ブランコに乗っていた僕は、蹴る足を一旦止め、靴底の摩擦でブランコを静止させた。


 そして、空を見上げる。晴天の、何もない空を。



 僕ができることはただ一つ。


 それは、昨日前山田先輩に宣言したとおり、「柏葉さんを忘れること」。



 しかし、僕の頭から柏葉さんが消え去る気配は一向になかった。どうすれば良いのか。


 どうすればこの胸の痛みから逃れられるのだろうか。



「どうすれば忘れられるんだろう……?」


 僕は上空に問いかける。


 もちろん、答えは返って来ない。


 僕の問いかけは、透き通った空のどこかへと消えていった。



「おい、光」


「わっ!」


 誰もいないはずの公園で、突然声をかけられて驚いた僕は、その拍子で、ブランコから落ちた。


 幸い、高さのない子ども用のブランコだったので大事には至らなかったが、背中を打ってしまった。



「いててて」


「大丈夫か?」


 仰向けで倒れた僕を見下ろしていたのは、制服姿の親友だった。



「……悟、なんでここにいるんだ?」


「それはこっちの台詞だよ。まだ4限目の時間なんだから、公園にいたらマズイだろ」


「……体調が悪いんだ」


「だったら公園でブランコを漕いでる場合じゃない。君の体調不良はいつも眉唾だね」


 悟に指摘されるまでもなく、ただの仮病であり、ズル休みというやつである。

 3限の国語の授業の途中に「保健室に行く」と行って、学校の近くの児童遊園に逃げてきたのだ。

 おそらく悟は、3限あとの休み時間に僕のクラスの教室に来て、僕の不在を知り、4限の授業中に僕を探してこの公園に来たのだ。


 要するに、彼もまたズル休みをしているのである。



 僕はブレザーに付いた砂を払いながら起き上がると、先ほど落ちてしまったブランコに再度座った。


 悟は、隣のブランコに腰かけた。



「光、頭は打たなかったか?」


「打ってない。背中だけ」


「それは残念だったな」


「……は?」


「だって、柏葉さんのことを忘れたいんだろう? 頭を打てば忘れられたかもしれないじゃないか」


 どうやら独り言を聞かれていたようだ。恥ずかしい……いや、待てよ。僕は『どうしたら忘れられるんだろう?』とはぼやいたが、柏葉さんの名前は出していないはずだ。


 とはいえ、そんなことを指摘しても仕方がない。

 むしろ、僕には、柏葉さんに関連して、悟に訊きたいことがあるのだ。スムーズに話題が柏葉さんに移るのは好都合である。



「柏葉さんといえば、悟、どうして昨日、前山田先輩の部屋に行ったんだ?」


 昨日の悟の行動はまさに「奇行」そのものであった。


 本当は前山田先輩の部屋を出てすぐに「どうして」を訊きたかったのだが、昨日は部屋を出てすぐに別れることを僕から提案した。

 当時は、今以上に、一人になりたい気分だったのである。



「前山田先輩の部屋に行った理由? 僕と前山田先輩との会話を聞いてて分からなかったのかい? 無論、柏葉さんの死の真相を探るためさ」


 悟は、あっけらかんと答えた。



「どうして? どうしてそんなことをする必要があるんだ? 死んだ人のプライバシーを明かすことになんの意味があるんだ? 悪趣味だ」


「悪趣味?」


「ああ」


「それは、柏葉さんが自殺したんじゃなく、()()()()()()()()()()()()()んだとしてもかな?」


「……え?」



 柏葉さんは、自殺したのではなく、誰かに殺された。


 そんな発想、これまでの僕には微塵もなかった。



 ゆえに、僕の口から咄嗟に出た言葉は、


「そんなのありえない」


だった。



「ありえない? なんでそんなことが言えるんだ?」


「……だって、そんなこと誰も言ってないじゃないか。学校も『自殺』だって説明してた」


「『自殺の()()()()()()』と言ってただけだよ。断言してない。それに、学校は、警察が言ってたことをそのまま垂れ流してるだけさ」


「警察……そう、警察が『自殺の可能性が高い』って判断したんだろう? 警察が間違ってるわけない」


「警察の最終判断はこれからだよ。実はもう警察は、『自殺の可能性が高い』という当初の見立てを覆す、他殺を疑わせる証拠をいくつも掴んでるんだ」


「……他殺を疑わせる証拠?」


「たとえば、防御創。柏葉さんの遺体には、鎖骨のあたりと、左の二の腕に、死の直前にできたと思われる傷があった。もちろん、このような傷は、自ら首を吊った場合にはできない」


 それだけじゃない、と悟は続ける。



「索条痕もだ。自分で首を吊った場合と、他人に首を絞められた場合だと、首への力の加わり方が違う。柏葉さんの首には、他人に首を絞められた場合につくような索条痕が残ってたんだ」


「ちょっと待ってくれ。悟はどうしてそんなことを知ってるんだ? それって、警察の内部情報じゃないのか?」


「父親が、法医学者で、警察にもよく協力してるんだ。光にその話はしたことなかったっけ?」


「……聞いた覚えはない」


 もしかしたら、中学生時代に聞いたことがあるのかもしれない。ただ、「法医学者」が一体何をする仕事なのか、当時は見当もつかなかった。今もよくは分からないのだが、話の文脈からすると、おそらく司法解剖をやる仕事ということなのだろう。


 それはそうとしてーー



「もしも悟の情報が正しいならば、どうして警察は一旦は『自殺の可能性が高い』と考えたんだ? その、防御創とかいうやつと索条痕というやつからすれば、柏葉さんの死は完全に他殺じゃないか……」


「もちろん、警察にも警察なりの事情がある。自殺を強く裏付ける『とある事情』があったんだ」


「とある事情? 何それ?」


()()だよ。柏葉さんの遺体が発見された時、玄関ドアの鍵は閉まっていて、部屋は密室だったんだ」



 密室ーー鍵のかかった部屋。


 自殺なのだとすれば、部屋が密室であることは不思議なことではない。


 しかし、他殺なのだとすれば、それは大きな「矛盾」となる。柏葉さんの首を絞めた「犯人」は、一体どうやって密室から抜け出たというのだろうか。まさか幽霊のように、ドアをすり抜けたとでもいうのだろうか。



「ハッキリ言うと、僕は、柏葉さんは、自殺に見せかけて誰かに殺されたんだと思ってる。もっとハッキリ言おう。僕は、柏葉さんは、前山田先輩に殺されたんだと思ってる」


「えっ!? 前山田先輩が!?」


「しーっ、声が大きい。誰もいないとはいえ、屋外なんだからもう少し静かに……」


「……ごめん」


 とはいえ、極めて驚くべきことではないか。

 学校のスターである前山田先輩が、学校のマドンナである柏葉さんを殺害しただなんて。



「仮に柏葉さんが殺されたのだとして、犯人が前山田先輩だと決めつける根拠は何かあるのか?」


「……もちろん。ただ、それは客観的証拠じゃなくて主観的証拠に過ぎない」


「主観的証拠?」


「まず、前山田先輩には柏葉さんを殺す動機がある。それから、昨日光と部屋を訪問した時、前山田先輩は、僕らに嘘をついていた」


「え? 全然分からないんだけど、どういうこと?」


「まだ現段階では話せない。密室の謎が解けていない現段階ではね。前山田先輩がいかに「犯人臭い」としても、密室の謎が明らかにならない限りは、柏葉さんの死は『自殺』のままなんだ」



 悟はブランコから立ち上がると、僕に向かって、握手を求めるようにして手を差し伸べた。



「だから、光、君の協力が必要なんだ。密室の謎を解く『鍵』は、君なんだよ」


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