187話 デート。(後編)
本日もよろしくお願いいたします。
「うぷ……!?」
店をでてすぐ、喉の奥から酸っぱいものがこみあげてきて、あわてて口もとをおさえる。
もうケーキは、っていうか、甘いものはしばらくいいや、ってくらいにネヤにすすめられるままにたくさん食べすぎてしまった。
……正直たぶん、今日は夕食もいらないと思う。
「ごめんなさい……。にいさま……。つい、だれにも気がねなく、にいさまに甘えられるのがうれしくなってしまって……。にいさまのお気持ちも考えずに……」
店をでて冷静になったのか、僕のとなりを歩くネヤはあからさまにしゅん、とうなだれていた。
……本当にそういうところは、いくつになってもぜんぜん変わらないね。
そんなネヤの頭にポン、とやさしく手を置く。
「そんな顔しなくていいよ。ネヤ。ただ僕が食べすぎて、ちょっと苦しいだけなんだからさ」
「でも、それはわたしが……」
「うん。だからいいんだ。ただ僕が可愛い【妹】のおねだりに、ちょっと無理してでも応えたくなっただけなんだから」
「にいさま……っ!」
そういって微笑むと、ネヤはぎゅうっと体ごと僕へと抱きついてきた。
「……にいさま。食後の運動もかねて、少し歩きませんか? 花、景色のいい場所を知っているんです」
しばらくのあいだ、そのまま動かずに僕に抱きついていたネヤは、やがて体を離すと、そういって微笑んだ。
――【黒の花】にふさわしい洗練された仕草で。
「ふふ。前に来たときにも思いましたけど、ここは本当に風が気持ちいいですね……」
夕日に染められた王都の高台。
濡羽のように艶めく髪をなびかせながら、ネヤは黒曜石のような瞳を細めた。
――絵になる。
そう。まるで一枚の絵画のようなその光景。その洗練された仕草は、一挙手一投足にいたるまで美しくあるように幼いころからたたきこまれた、まさしく【真花】そのものだった。
「にいさま。今日は本当にありがとうございます。おかげで最高に楽しい時間を過ごすことができました」
――ネヤが、夕日に染められた僕の【妹】が微笑んでいた。
「ふふ。すでにお気づきだったかもしれませんが、今日のデートコースは、前ににいさまのお仲間の方々に教えていただいたものなんですよ」
――鈴の鳴るような声で、心を通わせあったはずの【輝く月】の仲間を他人行儀に、呼ぶ。
「短いあいだでしたが、にいさまのお元気そうな姿、そして、外の世界でご自分の居場所を見つけられたことに、本当に安心しました」
――そこで、その黒曜石のような瞳をすっと一度閉じてから開くと、ネヤは思わず息を飲むような美しい表情で微笑んだ。
「だから、花もそろそろ自分の居場所に帰ろうと思います。ふふ。にいさま。ネヤも大人になったでしょう?」
――紅を塗った唇がゆっくりと動く。別れが、告げられようとしていた。
「それでは、にいさま。どうかお元気で。……お幸せに。ネヤは、いつまでもにいさまのことを心から愛して、」
――ただだだ美しいだけの、心を動かされることもない、はりつけた無機質な笑顔のままで。
「ネヤっ!」
「あ……!?」
――だから、僕は抱きしめた。【花】でも【妹】でもないネヤ・レイスというただのひとりの女の子を。
「だ、だめです……! にいさま……! 離して……!」
「いや、離さない……! ネヤが本心から帰りたいのなら、僕には止められないよ……! でも、そうじゃないだろ……!? ネヤ! なにがあったの? なんで急に、こんな……!」
「だ、だめ……だめなんです……!」
必死に体を離そうとするネヤをさらに強く強く抱きしめた。
「だって、にいさまだけには、幸せに……!」
『あちゃあ。やっぱりあかんかったようやね? ネヤさまぁ』
――ぞわりと耳もとから侵入ってくる強烈な悪寒。僕は瞬時に体を離すと、うしろ手にネヤをかばった。
「あはぁ。そんなに警戒せんくてもぉ」
「これは……【隠形】……!? お前は……!? 【左刀】のスライ……!?」
僕の視線の先。いまのいままでだれもいなかったはずの場所に、黒い影のようなものがぶわりと現れ、ひとのかたちをつくる。
「どうもおひさしぶりですぅ。次代当主候補、ノエルさまぁ」
ひらひらと片手を振るその狐のように目の細い男は、口もとをニイイッと粘つく裂けたような笑みにつり上げた。
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ということで、遭遇しました。
次回「いびつで、醜悪なかたち」
いよいよ1章終盤です。では、また明日。