23.サハランドを出発
先日予定時刻に遅れそうで二年ぶり位に走ったんですよ。そしたら今日、筋肉痛で碌に動けなかったんですよね。朝起きた時なんて膝の上あたりの筋肉をツって痛みで跳ね起きたくらいですからね。
アスト王国の王城。その屋根の上に座りながら月を見上げる男が一人。
男の手には拳ほどの大きさの石が握られており、男がそれに魔力を送る。
「これは、ひとつ荒れそうだな……」
『ふふふ、今回の嵐は近年稀に見る大きなものだね。面白くなりそう』
男が一人呟くように言った言葉に反応してか、男の握る石から女性の声が聞こえてくる。
「我はできるだけイレギュラーを起こして欲しくないのですが」
『そんな固い事言わないでよ。確かにイレギュラーは作戦に支障が出る可能性があるから、本当に必要な時以外は潰すけどさ』
「必要な事、ですか。どうせあの小娘の事でしょうけど」
『ここらで少し経験を積ませてもいいかなって思って。それに、例の件もあるから、アスト王国にあの子を誘導しておきたいの』
「もう見つけたのですか。二十年はかかると予想していましたが」
石から聞こえてくる声に驚くように応える男。
『私にかかればこんなものよ。褒めてもいいのよ?』
「流石、期待を裏切りませんね。少し残念なところなど特に」
『そうでしょうそうでしょう……残念!?』
石から咳払いをする音が聞こえる。
『とにかく、早速作業にとりかかってちょうだい。もし必要なら調査もお願いね』
「了解しました」
そこで石からは何も聞こえなくなる。
男はもう一度石に魔力を込めると、今度はもう一人にパスを繋ぐ。
繋いだ先に戦争の事などを伝えると、男は石を懐にしまい、月夜の影に溶けて消えた。
──────────
「それじゃあここで一度別行動だな」
「はい。お気をつけて」
俺は宿の前で二人と別れると、王城に赴き、国王が寝込んでいる部屋へと、手紙を置き、グレーミア帝国のアメリヤに向けて空を駆けた。
──────────
目を覚ますと、暖かな朝の陽光が部屋に差し込んでいた。何だか体がだるい。
「私は、眠ってしまっていたのか」
身体を起こし、眠気を覚ましながら昨日の息子との会話を思い出す。
『なぜ、なぜです父上!この国を存続させる為には、大国の傘下になるしか道はないでしょう!なぜ帝国の提案を蹴ったのですか!』
『いくら国を存続できようと、それでは国の平穏は保たれぬのだ』
『帝国の悪評はよく耳にしますが、今はそう駄々をこねていられる状況ではないでしょう!』
『なら貴様は、この国の国民がどのような仕打ちを受けようと構わんと、そう言うのか!』
『ならば父上は、この国の国民全員を道連れに、この萎びた国で野垂れ死ぬおつもりか!』
『黙れっ!貴様はあの国が他の国に対し、どのような非道な行いをしてきたかを知らぬからそのような事が言えるのだ!あの国が、帝国がどのような悪逆非道な真似をしているか、貴様は知らないだろうがな、あのような仕打ちを受けるのならば、死んだ方がマシだ!』
『どのような仕打ちを受けようとも、死ぬよりは幾分かマシでしょうに!』
『死ぬよりは幾分かマシ、だと?そうか、お前は本当に何も知らないのだな』
『何を!ならば──』
『もうよい、下がれ』
そうして部屋を出ていく息子の姿を黙って見送ったのだ。
私はどうすれば良かったのだ。あの精霊王がいる限り、この国を再興させる事は叶うまい。
コンコン
扉がノックされる音に、現実に引き戻される。
私はベッドから降りて立ち上がり、ノックに応答する。
「入れ」
扉が開き、私と同い歳位の美しい女性が姿を現す。だが、私の家にこのような使用人はいなかったと記憶している。客人を招いた記憶もない。
「心配したんですのよ?いきなり倒れたと聞いた時はパニックに陥るところでした。あなた、もう体は大丈夫なのですか?」
「貴様、誰だ?」
「……え?」
女は私の言ったことが理解できないといった風だった。
「あなた、本当に大丈夫?」
「む、私だから許すが、仮にも一国の主たるこの私にその口の利き方は失礼だぞ?私がまだ寛容なうちに名を名乗るがいい」
「え、ええっと、わたくしはキャティ・サハール。あなたの妻ですわ」
女は困惑した様子で、貴族の礼をしながら自己紹介をする。
「私の妻だと?」
「え、ええ。わたくしはあなたの──」
その時、ドタドタと廊下を走る音が聞こえてきた。どうやらその音はこちらに向かっているらしい。
「奥様、こんな所にいましたか!急に居なくなるのはおやめ下さい!」
息を切らしながら現れたのは妻の世話を担当している使用人の女だった。
「おい、貴様今、この女のことを奥様と言ったのか?」
「こっこれは旦那様、挨拶もせずにとんだご無礼を──!」
「よい、それよりも、本当にこの女が私の妻なのか?」
「えっと、何を仰られているのかよく分かりませんが、この方が旦那様の奥様で間違いありません」
「む、そうか」
ふむ。本当にこやつが私の妻なのか?私の妻は……いや待て、私の妻はどのような女だった?顔は?名前は?なぜ、なぜ思い出せんのだ!私は一体、どうしてしまったというのだ。
「あの、失礼ですが、旦那様。そこにある手紙は一体何でしょうか」
「手紙?」
使用人の指し示す方を見ると、そこには一通の巻手紙が置かれていた。その手紙の封蝋を見てみるが、全く見覚えのないものだった。
私は意を決してその手紙を開く。だが、そこには奇妙な文字の羅列が並べてあるだけで、全く意味がわからない。
「何だこれは、なにかのイタズラか?」
私はイタズラか何かだと思い、その手紙を適当に放った。だが、転がる手紙の中身がチラリと見えた使用人の反応は違った。使用人は私が放った手紙を拾って開く。
「やっぱりこれ、古代文字ですよ」
「古代文字だと?読めるのか?」
「いえ、私はほんの少し単語が読めるくらいです。文を読むなどとてもできません」
「そうか。確か考古学者がこの城内にいたはずだ」
「なるほど、ではこの手紙を見せてきます」
「いや、それは私に充てられた手紙だろ。私も行く」
「分かりました。ではご案内します」
私達は城内の考古学者の男の元へ行き、手紙を見せた。
「これは、形式ばった文章ですな」
「読めるか?」
「少々読めないところもありますが、大体は。音読しましょうか?」
「頼む」
「では、『御機嫌よう、一国の王よ。まずは、君に一つ忠言させて欲しい。いくら』これは、竜?竜を……止める?留める?いや、封じると言った方がしっくりくるか。竜を封じる……鎖?ああ、なるほど。『いくら竜封じの鎖に繋ぎ止め、魔封じの檻に閉じ込めたとはいえ、龍人を放置するのは危険だ。龍人はとても執念深い。もし龍人が脱走するような事があれば、その執念の対象が自分たちではない事を祈ることしか出来ないのだから。それでは本題に入ろう。神に見捨てられた様な枯れた土地で、君が選んだ選択はこの土地に未来を齎した。誇っていい。国が無くなろうとも、これでこの土地が死ぬことはなくなった。君たちが忌み嫌う精霊の王には、ここの土地を退去してもらった。後は君たちの努力次第だ。
これにて、■■■■を履行したものとする。
赤の■■』以上です」
なるほどな。最初の龍人の話は、正直言って聞くまでもない。手紙の差出人は脱走を危惧していたようだが、あの檻から出られるわけはないのだから。あとは、精霊の王、精霊王を退去させただと?俄には信じられんな。
にしても、私のした選択とは何だ?最後の分からなかった文字に何か関係がありそうだが。
「最後の分からなかった文字に心当たりは?」
「そうですね。一つ目は造語ですかね。いや、この感じは複合語かも知れませんね。ここがえっと……血でしょうか?血に関する何か……血族?血縁?いや、続く言葉は血に関する、と言うよりも血を使った?血の印?証か?」
考古学者はなにやらブツブツと呟いている。
「血に関する言葉と約束、いや契約に関する言葉の複合語か?」
契約。その言葉に聞き覚えがあった。最近何処かで聞いたはずだ。血を使った契約。
『血の契約は違えることはできない』
「血の契約……」
「それです!では二つ目は、これも造語でしょうか?……長?いや王か?」
「魔王。赤の魔王」
「あ、本当ですね!それなら意味が通る。でも、一体なぜ分かったのです?」
「最近、その言葉を聞いたからだ」
思い出した。全て思い出した。そして、腑に落ちた。私が妻を思い出せない理由も、この手紙の意味も。
息子との口論の後、赤の魔王が来て、私に契約を持ちかけた。そして私は、血と記憶を差し出し、精霊王をどうにかして欲しいと頼んだのだ。
『血の契約は履行したものとする』か。それならば、私の選択も、間違いではなかった。
私は複雑な気持ちで妻を見た。




