その96 メス豚、ショックを受ける
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それは閑散とした部屋だった。
家具どころか窓一つない。
窓が無いのは、この部屋が地面の中に存在しているからだ。
ただし、天井全体が淡い光を発しているため、こうして物を見るのに支障は無い。
私は一人。この部屋の唯一の調度品となるイスに座っていた。
飾り気のないイスは、いかにも硬そうで座り心地が悪そうだ。
まあ、今の私には関係ない事だが。
その時、フヨフヨと宙に浮かんだピンククラゲが部屋に入って来た。
この施設の対人インターフェース、水母だ。
彼の後ろに亜人の女の子――村長代理のモーナが続く。
「スイボちゃん。ここで何・・・あっ!」
部屋を見渡したモーナは、私の姿を認めて立ち尽くした。
「なんでここに人間の女の人が?!」
そう。ここにいるのは人間の美女。
艶やかな黒髪に濡れたような赤い唇。薄手の黒いドレスに異性の目を惹き付けて止まない魅力的なボディーライン。
私は怯えるモーナに微笑みかけようとして失敗。
仕方なく、なるべく優しく聞こえるように注意しながら話し掛けた。
「落ち着いてモーナ。何も心配ないから」
「あなたは誰?! なぜ私の名前を?! どうしてここにいるの?!」
私が誰か? いいでしょう。種明かししましょう。
「私よクロ子。水母に人間の体を作ってもらって、その中に入っているの」
「くろこ・・・ええっ?! クロ子ちゃん?! 噓ぉ?! あなた本当にクロ子ちゃんなの?!」
ドッキリ大成功である。
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モーナはおっかなびっくり、”クロ子美女ボディー”に近付いて来ると、おずおずと手を伸ばした。
「本当にクロ子ちゃんなの? こうして触ってみても人間そのものにしか思えないんだけど」
その感想も分かる。
低いとはいえ体温もあるし、良く見れば肌の下に静脈まで浮いているからな。
下半身のゴニョゴニョまで完全再現されてると気付いた時には流石に引いたわ。
私が使って無い時は、 水母に念を押して厳重に保管してもらわないと。
男達に良からぬ事に使われでもしたら、たまったもんじゃないからな。
この体はダッチな妻ではないのだよ。
「あんまり引っ張らないで。まだ上手く動かせないのよ。倒れたら自分で座り直す事が出来ないから」
「ああ、ごめんなさい」
最初の怯えはどこへやら。好奇心旺盛に私のドレスを弄り回していたモーナは、私の注意を受けてビクリと手を放した。
ていうか、すぐに服に興味が移るところはモーナも女の子だな。
クロ子美女ボディーの服は、村では誰も着ていないようなイブニングドレスだ。
私の知っているイブニングドレスに比べるといささか煽情的な気もするけど、水母が作った物だし、前人類の社交界ではこんな感じのドレスが流行していたんだろう。きっと。
「でも、本当に驚いたわ。スイボちゃんが、クロ子ちゃんが呼んでいるっていうから来てみれば、人間の女の人がいるんだもの。でも一体どうしたの? 何で人間に化けたわけ?」
女は化けるのよ。なんつって。
ここはふざけちゃダメな場面だよな。
「この体でモーナに代わって人間の使者と対談しようと思ったのよ」
「! どういう事?!」
どうやら私の返事は予想外だったらしい。
モーナは驚きに息をのんだ。
人間の使者が旧亜人村にやって来てから二日。
未だにモーナは彼らとの面会に踏み切れずにいた。
「いつまでもこのまま放っておくわけにもいかないでしょ? だからこうして私が代わりに行こうってわけ」
「そりゃあクロ子ちゃんが行ってくれるなら頼もしいけど・・・ でもクロ子ちゃんは言葉が喋れないじゃない。って、あれ? 今、言葉を喋っている?」
日頃の私はブヒブヒという鳴き声を、翻訳の魔法で意味のある言葉に変換して相手と会話をしている。
ただしこの方法は魔法が使える相手としか成り立たない。
魔法が使えない人間には通用しないのだ。
「そういう事。だからこの体を用意して貰ったってわけ」
実際は以前、面白半分に作った体だったんだけどね。
今回、利用できそうだったから引っ張り出しただけで。
まあその辺は詳しく説明する必要はないでしょう。
「けど、それなら人間じゃなくて私達の姿の方がいいんじゃないの?」
それは私も思わないでもなかった。
亜人の村の代表が人間ってのはどう考えてもおかしいからな。
実は一度水母に頼んで、顔を亜人風に直して貰ったんだけど・・・途端に上手く喋ることが出来なくなってしまったのだ。
どうやら人間と亜人とでは、声帯や舌の長さが違っているらしく、まだこの体の操作に不慣れな私は、その僅かな変化に上手く対応する事が出来なかったようだ。
『クロ子の前世の記憶にイメージが引っ張られているのかも』
そういえば、私は今の体になってからも、尻尾の扱いが下手だったりする。
意識すれば使えなくも無いけど、そうでない場合は付いている事すら忘れていたりする。
前世の私は尻尾なんて生えてなかったんだから、当然っちゃあ当然かもしれないが。
それと同じような理由で、前世の顔と形状の違う亜人の顔は操作がし辛いのかもしれない、と水母は言うのだ。
「――詳しい説明は出来ないけど、亜人の顔だと私は上手く喋る事が出来ないのよ」
「そうなんだ」
私が何かを隠していると察したのだろうか?
察したんだろうな。
けど、モーナはこれ以上は何も言わずに引いてくれた。
私は得も言われぬ心苦しさを覚えた。
だが、私の転生の秘密を明かせば、パイセンも転生者だった事を話さなければならなくなる。
恋人の死を乗り越えようとしている彼女に、わざわざパイセンの事を思い出させるような話をするべきではないだろう。
いずれ打ち明ける日が来るのは間違いないが、それは今日じゃないはずだ。
「それじゃ、この体は人形みたいなもので、クロ子ちゃんは、中から顔を動かして喋っているのね?」
「まあそういう事ね。顔というか、本当なら全身普通に動かせるはずなんだけど」
この”クロ子美女ボディー”にはそのポテンシャルはあるはずなのだが、残念ながら今の私では顔を動かすのが精いっぱいなのだ。
右手――利き腕くらいなら多少は動かせるけど。
それでも手を振るくらいで、字を書いたり、スプーンを使って物を食べたりは出来ないけどね。
水母の作ってくれた特訓メニューを最後までこなせれば、淑女のごとく振る舞う事も可能なんだろうがな。
「ああ、でもどうだろう。私が大人になったら、それも無理か」
「えっ?」
『不明瞭』
私の言葉にキョトンとするモーナと水母。
いや、だから大人になった時の話だよ。
確か私のママ豚は1mくらいはあったんじゃなかったかな。
体重も100kgくらいはありそうに見えたし。
私も成長してそんな体になったら、この”クロ子美女ボディー”には収まり切らないでしょ?
あ。でも、そうなった時は、お相撲さんかオペラ歌手みたいなボディーに作り直して貰えばいいのか。
う~ん、そんな体に入るのはちょっとイヤかなあ。
ん? 二人共どうしたの?
「あの、クロ子ちゃん。クロ子ちゃんって以前は人間の村で飼われていたって言ってたよね」
モーナとパイセンには、私の半生――ショタ坊村の村長の家畜だった事も、脱柵して山に逃げ込んだ事も話している。
パイセンは「お前すごい事するな」って呆れていたっけ。
けど、それと今の話が何の関係があるわけ?
「ええと、クロ子ちゃんの話だと、クロ子ちゃんはそろそろ生後半年くらいになると思うのよ」
まあそのくらいにはなるんじゃない?
ちなみにこの世界の一年は360日。12ケ月らしい。
12という数は約数が多いからな。色々と使い勝手がいいんだろう。
「あのね。豚って普通半年くらいで大人になるのよ」
ん? どういう事だ?
大人って、ママ豚みたいになるって事? いやいや、私、子豚のままなんだけど?
モーナは言い辛そうに言った。
「ええと。だったらクロ子ちゃんは、今の状態でもう大人って事なんじゃないかな?」
えっ―― ゴメン、良く分からなかった。
もう一度プリーズ。
モーナに代わって今度は水母が言った。
『生後の経過日数から判断して、クロ子は現状で成豚。これ以上成長はしないと思われる』
Oh・・・マジデスカ。
私、自分の事を子豚だと思っていたけど、いつの間にか大人になっていたんだ。
いやまあ、自分でも薄々気にはなっていたんだよ。
兄弟豚達よりも成長が遅いんじゃないかなって。
そうか。私マイクロブタだったんだな。
あのママ豚の子供なのに。
いやね。別にママ豚のような巨漢になりたいとか思ってた訳じゃないのよ? でも、もう成長しないと知った時のこのショックは何なんだろう。
ゲームでキャラクターを育ててたら、いつの間にかに成長限界が来ていてステータスが伸びなくなっていた時のような・・・いや、ちょっと違うか。
でも、そうか。私ってもう大人だったんだ。
つい半年前までは、ブレザーを着て高校に通う女子高生だったのにな。
「あの、クロ子ちゃん、大丈夫?」
急に黙り込んだ私を心配するモーナ。
しかし私は、自分でも意外なほどのショックを受けて、しばらくの間、軽い現実逃避に陥ってしまうのだった。
次回「メス豚と跳ね返りの男達」




