その94 メス豚と人間の使者
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王城の応接室。
王子は今朝から派閥の貴族、カサリーニ伯爵と会っていた。
今度の援軍は、カサリーニ伯爵の騎士団とその配下の兵を中心に編成されているためだ。
彼らは出陣前の最後の打ち合わせを行っていた。
「お待ちを! ただいま取り次ぎを致しますので!」
「邪魔よ! どいて!」
突然、廊下から響いて来た声に、二人は思わず顔を見合わせた。
すぐにバーン、という大きな音がしてドアが開かれると、そこには怒りに顔を真っ赤にした気の強そうな少女が立っていた。
「お兄様! ルベリオを戦場に送ったって本当?!」
「ミルティーナ。お前、ここには来るなと言っただろう」
少女の名はミルティーナ。イサロ王子と母親を同じにする実の兄妹となる。
「なんで私に一言も無く、そんな事したのよ!」
「なんでルベリオの事でお前に断りを入れないといけないのだ?」
カサリーニ伯爵は小さな乱入者に慇懃に礼を取った。
「これは姫様。私はボルファーレ・カサリーニ。この度はイサロ殿下の――」
「黙ってて!」
「こんなヤツに挨拶する必要は無いぞ、伯爵」
孫のような年齢の兄妹に異口同音に遮られ、カサリーニ伯爵は困った顔で口を閉ざした。
「屋敷に行ったらルベリオがいないじゃない! 家令に聞いたら、昨日、お兄様の命令で戦場に向かったって聞いたわ!」
「お前、毎日屋敷に行っているんじゃないのか? まあいい。お前が何を聞いたのか知らんが、ルベリオが向かったのは戦場じゃない。伯爵、スマンが席を外すぞ」
「はっ」
自分はこれほど仕事に忙殺されているのに、妹は毎日屋敷に遊びに行っているらしい。
王子は世の理不尽に軽い恨みを抱いた。
王子は仏頂面で妹を連れて、隣の部屋へと向かうのだった。
王子は妹の分もお茶を用意させると、「どこまで話して良いものか」とため息をついた。
「まず最初に言っておくが、ルベリオが向かったのは戦場じゃない」
「嘘よ! 家令はルベリオはメラサニ山に行ったって言ったわ! メラサニ山はカルメロが隣国の軍と戦ってる場所じゃない!」
その話を聞いたミルティーナは怒り心頭となり、兄の所まで乗り込んで来たという訳だ。
なるほど。事情は分かった。
イサロ王子は小さく頷いた。
「お前、メラサニ山がどれほどの範囲に広がっているのか知らんのか? カルメロが戦っている戦場など、メラサニ山脈全体から見れば極一部にしか過ぎんのだぞ」
ミルティーナはメラサニ山が、この国の南から他国にかけて大きく広がっている事など、知りもしなかった。
彼女はメラサニ山どころか、王城とその周辺にある貴族街から外に出た事すら無かったからだ。
「そんなの・・・知る訳ないじゃない! 私はお兄様と違って王都の外に出た事なんて無いんだから!」
「いや、王都など関係なくこの国の者なら普通知ってる事だろう。お前は子供の頃に教師のサルエルに何を教わったんだ?」
イサロ王子に指摘されて、羞恥で真っ赤になるミルティーナ。
王子は妹が逆切れしそうな気配を感じて、「まあそれはいい」と手を上げて制した。
「ルベリオは自分の考え出した策を実行するためにメラサニ山に向かったんだ。戦場には向かっていない」
ルベリオが考え出した策――メラサニ山の奥地に住む亜人を取り込んで、彼らによる”魔法部隊”を作るという策――を実現するため、彼は王子の名代として亜人との交渉に向かったのだ。
(それをどこまでミルティーナに告げるべきか。数名の護衛を連れただけで野蛮な亜人の村に向かったと聞けば、下手をすれば戦場に送り出したと言うよりも、コイツを激昂させかねんし――)
イサロ王子は暴れ馬を前にしたような気分に浸りながら、困難なミッションに挑むのだった。
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ロヴァッティ伯爵軍の脱走兵の始末をつけて、私は新亜人村に戻って来た。
私の姿を見つけたアホ毛犬が、尻尾を振りながらこちらに走って来た。
その振動で頭に乗ったピンクの塊がフルフルと揺れている。
「ワンワン!」
『コマ、村の見張りご苦労様。水母、何も異常は無かった?』
脱走兵は見つけ次第始末しているとはいえ、私達の監視の目をかいくぐったヤツらが出ないとは限らない。
そのため、野犬の一部にはこうして村の周囲をパトロールして貰っているのだ。
ピンククラゲ水母は、私に付いて来たがっていたが、無理を言って村の警備に回って貰った。
彼の体はこう見えて、極めて高度な観測機器の集合体である。
こういった哨戒任務にその能力を生かさない手はないだろう。
『異常発生。村に人間達が現れた』
『?! 村に人間?! どういう事?』
どうやら私が村を離れた間に、厄介事が起こっていたらしい。
村に入った途端、何やら妙に浮足立っているような気配を感じた。
とはいうものの、今朝出発した時と村の景色自体に違いは無い。
そう。異常があったのはこの村ではないからだ。
村の中央に建てられたやや大きめの家。
私がお世話になっている、村長の家だ。
家の玄関をくぐると、私を見つけた村長代理のモーナが駆け付けて来た。
「クロ子ちゃん! 元の村に人間達が来たわ!」
『水母から聞いてる。その人間を見たって人に会わせて』
そう。人間達が現れたのはこの村じゃない。
先日、アマディ・ロスディオ法王国の教導騎士団に襲われた、元の村の方だったのだ。
その人間達を発見したのは村のお爺ちゃんだった。
彼はちょっとした用事があって、一人で元の村に出かけていたらしい。
一人でうろついちゃいけないと、あれほど言っといたのに。
私が睨むと、モーナが「後で私から村のみんなにもちゃんと言い聞かせておくわ」と請け負った。
それはさておき。
人間達が村にやって来たのは昼を過ぎた頃の事。
人数は五人。
四人は武装した男。残りの一人はまだ幼い少年だったそうだ。
どうやら四人の男達はその少年を護衛して村まで来たらしい。
彼らは最初、村の入り口で何やら呼びかけていた様子だったが、返事が無いと分かると、村に入って調査を始めたそうだ。
『調査? 家探しじゃなくて?』
「ああ。ヤツらは何も盗んでいる様子は無かったなぁ。もっとも、大抵の物はもうこっちの村に持って来ているから、盗るような物は特に無いと思うぞ」
そういやそうか。
亜人は元々財産が少ない。食料以外はせいぜい着るものと農機具、それと食器類、後は細々とした身の回りの物くらいだ。
元の村に残っているのは、持って来られなかった大型の家具くらいの物だろう。
「そもそもヤツらは俺達と争う気は無いと言っていたからな」
『! まさか人間達と話もしたの?!』
この話はモーナも聞いていなかったのだろう。私と同様に驚いていた。
どうやらお爺ちゃんは、隠れていた所を人間達に見付かってしまったらしい。
怯えるお爺ちゃんに、彼らを代表して少年が話しかけて来たそうだ。
『その子は自分の名前を名乗っていなかった?』
「何やら長ったらしい名前を言われた気がするが、何せ俺もビビッていたからな。全く思い出せない。スマンなクロ子ちゃん」
まあ仕方が無いか。私だって人の名前を覚えるのは苦手だし。
ちなみに覚えるのは苦手だが、忘れるのは得意だ。
なにせ、転生前のクラスメイトの名前も半分も思い出せないくらいだからな。
威張れるような事じゃないって? サーセン。
「! ひょっとして、人間は村が捨てられているのを知って、新しい村の場所を探そうと考えたんじゃ?!」
モーナがギョッと目を見開いた。
彼女は、人間達がわざとお爺ちゃんを逃がして、その跡をつけて、新しく作られた村を見つけようと企んだのではないか、と考えたのだ。
つまりは送り狼というヤツだ。
彼女の心配は分かるし、私も真っ先にそれを疑った。
けど、その可能性だけは無いんだよね。
『大丈夫。水母が人間の尾行を発見していない以上、それだけはあり得ないから』
さっきも言ったが、水母は各種観測機器の集合体だ。
彼が村の周囲に何の異常も発見出来ていない以上、尾行は無いと考えていい。
私の群れの野犬にも、村の周囲をパトロールさせているしね。
相手に、犬の鼻と前人類の魔法科学の叡智を誤魔化せる手段があるなら別だけど。
『それで、争う気が無いなら、彼らは何が目的だって言ったの?』
「その子は対話が目的だと言っていた。俺達の代表者と話がしたいと。代表者ってのは村長って事でいいんだよな?」
私は無意識にモーナに振り返っていた。
予想外の話にモーナは混乱しているようだ。
「対話? 人間が私達と? 何を話す事があるっていうの?」
まあそうだわな。
私は教導騎士団の村人に対する扱いをこの目で見ている。
ぶっちゃけ彼らは亜人を人間とみなしていない。
言葉を喋る獣。その程度の認識だった。
そんな人間達が亜人と何を話し合うというんだ?
「その子はこちらの準備が整うまで村で待つと言っとった。俺の見た感じでは悪い子じゃなかったがね」
「そんな事を言われても・・・」
モーナは人間に父親と恋人を殺されている。
例え相手が少年で、敵意を持っていないと言われても、面と向かって話し合うのは恐ろしいのだろう。
私はモーナの足にブヒッと鼻面を押し当てた。
『相手が待つって言ったのなら、すぐに決めなくてもいいんじゃない? ゆっくり考えれば?』
「そ、そうね。村のみんなとも相談しないといけないし」
まあ確かに。
大切な話だし、全員の意見を聞いた方がいいかもね。
こうして集められた村人達の前で、モーナは元の村に現れた人間の使者について説明をした。
それと共に、元の村には決して近づかないように。村の外に出る際には十分に注意し、絶対に一人では出ないように。と、念を押した。
村人達は納得した様子だったが、いつまでも彼らが大人しくしているかは分からない。
人間達に家族を殺された者が復讐に向かうかもしれないし、血気盛んな若者が衝動的に彼らに戦いを挑みに行くかもしれない。
さほど時間に猶予は無いだろう。
そしてモーナは行動を決めかねている。
――私がやるしかないか。
私はピンククラゲ水母に声を掛けた。
『ねえ、水母。私の特訓に付き合ってくれない?』
次回「メス豚、成りすます」




