その87 メス豚、返事を先送りにする
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魔獣討伐隊の野営地。カルメロ王子の下に、次々と続報がもたらされていた。
「隣国ヒッテル王国の軍は約百! 騎兵を中心とした騎士団だと思われます!」
「敵の軍勢千! 先行する騎兵は軍の集結を待っている模様!」
突如、国境の緩衝地帯を越えた隣国ヒッテル王国軍。
現在は先行し過ぎた騎兵が、歩兵の到着を待っている状況のようだ。
敵の総数は約千。
ただしこれは現在確認されている数であって、今後、別動隊が合流する可能性も否定できない。
・・・実際は、先行するドルド・ロヴァッティと、それを追う彼の軍、そしてロヴァッティ伯爵領から加わった兵も合わせて千五百程度でしかないのだが。
もちろんカルメロ王子達はその事を知らない。
現在、王子指揮下の魔獣討伐隊は、死者と重傷者の続出によって千人にも満たない戦力でしかない。
しかも兵の約半分はケガ人という有様だ。
絶望的な状況に王子の顔色は青ざめ、酔いはすっかりさめていた。
「殿下! エーデルハルト将軍が戻って参りました!」
「そうか! 早くここへ!」
魔獣討伐に出ていたエーデルハルト将軍が、連絡を受けてようやく戻って来た。
地獄で仏。待ちかねた知らせに、王子は思わずイスから身を乗り出した。
やがてマント姿の騎士がテントに入って来た。エーデルハルト将軍である。
「殿下! 知らせは聞きましたぞ!」
「おおっ、将軍! どうすればいいと思う?!」
いきなりの丸投げに、将軍は呆れる事もなく大きく頷いた。
「陣地を堅固にして守るしかありません。今は時間こそが千金に勝ります。誠に勝手ながら既に部下には指示を出させて頂きました」
確かに。耳をすませば兵士達が大声を上げながら走り回っているのが聞こえる。
どうやら将軍の言うように、大急ぎで野営地の強化に取り掛かっているようだ。
「それよりも急いでここを離れた方が良いのではないか?」
「本日の山狩りに出た部隊がまだ戻っておりません。知らせは飛ばしていますが、何せ山の中に散らばっていますので、いつの事になるか」
山狩りに出た部隊には、即座に野営地に戻るように連絡が出されているものの、まだ約半数ほどが戻っていない。
人道的な意味でも、戦力的な意味でも、彼らを置き去りにする訳にはいかなかった。
将軍は王子の副官から、現在分かっている限りの状況説明を受けた。
「その情報はいつの物ですか?」
「最新で約半時(約一時間)ほど前になる。早馬による報せなので間違いない」
クロ子がショタ坊村と呼ぶグジ村。
敵軍発見の知らせは、最初はこのグジ村にもたらされた。
報告を受けた村長のホセは、村に残った魔獣討伐隊の隊長と協力して――というよりも一方的に指揮を執り――行動を起こした。
彼は女子供と年寄り、それと村に送られていた魔獣討伐隊の重傷者を、ランツィの町へ避難させた。
ランツィの町はこの辺り一帯のハブ都市であり、堅牢な城壁を持つ城郭都市でもある。
家族を後方へ送るのと同時に、ホセは残った男衆を指揮して情報の収集に努めた。
集められた情報は魔獣討伐隊の騎士に渡され、彼らは早馬で王子のいる野営地へと向かったのだった。
「なる程。そのホセという村長、ひとかどの人物のようですな」
「ええ。元は王都で近衛隊の隊長を務めていた男です」
副官はそう言うと、「しまった」とでも言いたげな目でチラリと王子の方を見た。
実はホセが近衛隊を辞めて、緩衝地帯の村に引きこもる原因を作ったのは、カルメロ王子の過去の失策によるものだったのだ。
幸い、切迫した状況に、王子も将軍も先程の副官の失言に気付いた様子は無かった。
彼はコッソリと胸をなでおろした。
「状況は分かりました。敵がその様子なら、ここに攻めて来るのは早くとも明日の早朝になるでしょう。私も今から陣地構築の指示に向かいます」
「そうか。将軍に任せる」
エーデルハルト将軍は将としては小粒だが、こと戦に関しては、決して無能なだけの男ではない。
むしろ魔獣討伐隊としてクロ子を相手に山狩りを行うよりは、戦の方が彼の本分であった。
今朝の第一報からずっと浮足立っていたカルメロ王子も、将軍の堂々たる態度を見て、やや落ち着きを取り戻した。
こうして魔獣討伐隊の野営地は突貫工事で陣地を補強。敵襲に備える事になった。
クロ子が見たのは、工事が本格的になった後の光景だったのだ。
そして、将軍の予想通り、翌日の未明には隣国ヒッテル王国の軍が姿を見せる事になる。
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私は魔獣討伐隊の見張りを、野犬のマサさん達に任せると、ピンククラゲ水母の施設――の、近くに作られた亜人の村に戻って来た。
ていうか、”水母の施設の近くに作られた亜人の村”って、長いな。
じゃあ”新亜人村”で。
新亜人村は水母の施設のある崖のすぐ手前に作られている。
今は施設の出入り口は岩で隠されているが、敵が来た時には、村人達は施設の中に逃げ込む事になっている。
再び出入口を岩で塞いでカモフラージュしてしまえば、ちょっとやそっとで見つかるとは思えない。
施設の中には、私も食べた事のある例のカロリーメ〇トみたいな栄養食がたっぷり保管されている。
籠城の備えはバッチリである。
後は敵が諦めて引き上げるまで、こちらは施設の中で息を潜めてやり過ごせばいいのだ。
ちなみに村人達に栄養食を食べてみてもらった所、ガチで不評だった。
実際マズメシだからな。アレ。
村の女衆が苦労して料理してみたところ、辛うじて食べれる味になったみたいだけど・・・
長期間の籠城となった場合、彼らの精神面が心配である。
いやまあ、食べる物があるだけありがたいと思って貰わないとな。
いずれは崖の上に砦を作って戦う予定だが、今は村人達の安全が第一だ。
村はつい先日、アマディ・ロスディオ法王国の外道騎士団――じゃなかった教導騎士団とやらに襲われ、村長を始めとして何人もの死傷者を出している。
その後の救出作戦では、地球の転生者のパイセンも命を落としている。
これ以上の犠牲はゴメンこうむりたいものである。
村に近付いた私を、目ざとく見つけた村人がいた。
いやまあ、私の方はとっくに彼に気付いていたんだがな。いやホントホント。負け惜しみじゃないから。
この感覚が無ければ、野生では生き延びて来られなかったのだよ。
「クロ子。人間が来たのか?!」
まだ若い亜人の青年だ。名前は・・・そうそう、ウンタだ。
パイセンやモーナより若干年上の、小柄な亜人だ。
私は血気に逸るウンタを押しとどめた。
『いや。今日は戦うつもりはないみたいね』
私は工事中のキャンプ地の様子を説明した。
ウンタは訝し気に眉をひそめたが、一応は納得してくれたようだ。
彼は先日の教導騎士団との戦いでは、最初の接触で深手を負って、それ以降は村の防衛戦から外されていた。
そうこうしているうちに村人達が連れて行かれ、彼は悔しい思いをしていたようだ。
私とパイセンが村人を救出に向かった時も、付いて来たがっていたっけか。
流石に断ったが。
そんな悔しい思いをしたからだろう。
彼は今、仲間を集めて自警団を組織している。
人間とも積極的に戦う姿勢を見せている。いやまあそれ自体は別に構わないがな。
自分達で村を守るための備えは必要だ。ただ、ウンタのちょっと困った所は・・・
「それでクロ子。前に言った事だけど、考えてくれたか?」
ウンタは私と――私の背中の水母を見て言った。
そう。彼は水母の手術。”魔力増幅機”の移植手術を望んでいるのだ。
ウンタは私がついうっかり漏らしてしまった話――私の角が水母の手術によって付けられた魔力増幅機である事――を、どこからか聞きつけたらしい。
彼は仲間を連れて「自分達の頭にも角を移植して欲しい!」と頼み込んで来たのだ。
以前にも説明したが、魔力増幅機の機能はあくまでも”増幅”であって、”上乗せ”ではない。
例えば私の魔力が100とする。この角は魔力を二倍にするとしよう。
すると当然、私の魔力は200となる。
亜人は人間と違って魔法が使える。
だが、それも私に比べればささやかなものだ。
そんなショボい魔力を角の力で二倍にしても、たかが知れるというものだ。
仮にウンタの魔力が10だとすればたったの20。元の私の魔力にすら届かないのだ。
もちろん私はウンタにはちゃんと説明した。
亜人ではどんなに頑張っても私の魔法の足元にも及ばないと。
しかし、ウンタは。いや、彼と彼の仲間達は納得してくれなかったのだ。
『前にも言ったけど、亜人は魔法に向いていないのよ。角を移植しても私や竜のようにはいかないから』
「分かっている。だが、俺達には人間と戦うための力が必要なんだ」
亜人よりも人間の方が数が多い。数は力だ。
単純な兵隊の数も当然のことながら、武器や防具を生み出す生産力も戦力と数えていいだろう。
どう考えても亜人は圧倒的に劣勢だ。
だが、人間には無く、亜人が持っているものが一つだけある。
それが”魔法”だ。
彼らが魔法に活路を見出したいという気持ちは痛い程分かる。分かってしまう。
私も同じだったからだ。
だが、私と違い、彼らの魔法はあまりにも貧弱だ。
そう。かつて魔法に憧れた転生者のパイセンが、志半ばで諦めざるを得なかった程に。
私はウンタの言葉に答えた。
『とにかく、今はまだダメよ。いつ人間の兵士がこの村まで来るか分からないから』
そう。私も移植手術の後、脳に機能が定着するのに七日間も眠らされていた。
人間の部隊がこの山に居座っている現状、こちらの戦力をいたずらに減らす訳にはいかない。
ウンタにもそれは分かっているのだろう。強く訴える事は無かった。
「ああ。だが、人間の軍隊が去った後ならいいだろう?」
私は咄嗟に返事が出来なかった。
その時、村の入り口で話し込む私達の姿を見付けて、村長代理のモーナがやって来た。
「クロ子ちゃん。何かあったの?」
私はモーナを見て、それからウンタに振り返った。
「クロ子」
『・・・考えておく』
私の返事にウンタはこの場は引いてくれた。
彼は背中の弓を背負い直すと森の中に出かけて行った。
狩りか、あるいは偵察か。
私はホッとすると同時に忸怩たる思いを抱いた。
まただ。
あの時も私は返事を先送りにしてしまった。
魔力増幅機を移植すれば、彼らは魔法で人間と戦おうとしてしまうだろう。
竜にも及ばないショボい魔法で、だ。
そんなのはどう考えても自殺行為だ。
けど、どうすればいい? どう説明すれば彼らを納得させられる?
「クロ子ちゃん?」
『何でもない』
私は小さく首を振った。
――今はそれどころじゃない。
後の事は後ので悩めばいい。この戦いが終わってから考えればいいんだ。
私の首の動きが振動となって伝わったのだろう。水母の体の表面がフルフルと震えた。
(アンタのおかげで困っているっていうのに、のんきなもんね)
『・・・発光 』
水母は突然目の前に発生した光に驚いて、私の背中から地面に転がり落ちた。
『理不尽』
私の八つ当たりに、水母は触手を振り上げて抗議するのだった。
次回「メス豚、高みの見物を決め込む」




