その81 メス豚と魔法殺しの秘術
私はマサさん達との待ち合わせ場所に戻った。
『ただいま。ヤツらの様子を調べて来たわ』
「ワンワン!」
『お疲れ様です。黒豚の姐さん、スイボ』
『(フルフル)』
私の背中でピンククラゲ水母が体を震わせた。
――て、うぉい! アンタいつの間に私の背中に乗ってたわけ?!
全然気が付かなかったわ!
まあいいか。これはこれで話が早くて助かった。
それで水母。アンタ、ヤツらが言ってた”魔法殺しの秘術”ってのに心当たり無いわけ?
『情報不足』
流石に魔法殺しの秘術という言葉だけでは、水母にも予想が付かない様子。
そりゃそうか。
『可能性だけで言えば、外部からの働きかけで魔法の発動を妨害する方法は、複数考えられる』
水母が言うには、しかしそのどれもが野外では困難だという話だ。
前人類の魔法科学の叡智がそう言うのだ。中世に毛が生えた程度の科学文明しか持たないこの国のヤツらが用意できる秘術など、たかの知れたものだろう。
いや。あるいはハッタリという可能性もあるか?
私は敵軍の指揮官らしい、若い貴族のお高くとまった顔を思い出した。
見るからに家柄を鼻にかけた苦労知らずのボンボンといった感じだった。
ひょっとして、どこかの錬金術師的なペテン師に、使えもしないガラクタを掴まされたのかもしれない。
バカっぽそうな顔だったし、十分にあり得そうな話だ。
そういやアイツ、”魔獣”とか言ってたけど、アレって私の事でいいのかな?
魔法を使う獣で魔獣。
言葉の意味としては正しいっちゃあ正しいんだけど、こんなキュートな子豚を捕まえて魔獣だなんて何だかな。
失礼しちゃうわ。ブヒブヒ。
『まあいいわ。実際に襲撃してみれば分かるでしょう』
『危険では?』
私の言葉にブチ犬マサさんが難色を示した。
彼は”魔法殺し”という言葉に警戒しているみたいだ。
『姐さんの武器は魔法です。相手はそれを殺す手段を持っているんですよね? それを承知で行くんですか?』
『だからそれはハッタリなんだって。――って、分かったわよ』
マサさんの心配が伝染したのだろう。
アホ毛犬コマが、不安そうな声で「キューン」と鳴いた。
彼のうるんだ目で見つめられ、私は何だか妙な罪悪感に駆られてしまった。
『襲撃は相手に一撃入れるだけ。”魔法殺しの秘術”とやらを確認したら、その場ですぐに逃走する。絶対に深入りはしない。あくまでも目的は相手の反応を見るだけ。それでいいでしょ?』
『・・・そうですか』
マサさんはそれでも納得しかねている様子だが、こうして考えているだけでは相手の手のうちは分からない。
この攻撃はいわゆる威力偵察というヤツだ。
威力偵察とは、こちらから軽く攻撃を仕掛け、その際の相手の出方で敵情報を収集する、能動的な偵察方法の事を言う。
戦いにおいて最もやってはいけないのは、手放しに相手にイニシアティブを渡してしまう事だ。
私の得意なカードゲームでも、相手フィールドの伏せカードを気にして、何もせずにターンエンドを選ぶのは明らかな悪手だった。
『逃走の事も考えると、襲撃は夜まで待った方がいいわね。それまでに腹ごしらえをしましょう』
「ワンワン! ワンワン!」
私の言葉に、気の早いコマは既に走り出している。
あるいは野ネズミの匂いでも嗅ぎつけたのかもしれない。
野犬のわりに賢いマサさんも所詮は犬だ。
狩りの誘惑に、嬉しそうに尻尾を振りながら走り出している。
この親子は狩り大好きだな!
こうして私達は日が落ちるまでの時間を、山で狩りをして過ごしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
日が暮れ、かがり火が焚かれると、野営地のあちこちから食事の仕度の煙が上がり始めた。
配給所で今日の給与を受け取った兵士達が、班ごとにかまどを囲んで料理を始めている。
この時ばかりは、緩んだ空気が野営地の中に立ち込めていた。
逆にそんな状況は、襲撃者にとっては格好のチャンスとなるのだ。
「なんだ? ぐわっ!」
「何かがそっちに行ったぞ! 黒い塊だ! 注意しろ!」
パンッ! と、乾いた音がすると、見張りの兵が腹部を押さえて膝を付いた。
その僅かな隙を突いて、小さな黒い塊が地面を滑るように野営地に侵入した。
黒い塊は、パッと地面を蹴ると、テントを薙ぎ払いながら野営地を駆け抜けた。
「何だ?! 何が起こっている?!」
「くそっ! 仲間がやられた! 注意しろ! 見えない礫を飛ばしてくるぞ!」
「見えない礫? 魔法か?! 魔獣が出たのか?!」
「魔獣だって?!」
パンパンと空気が破裂する音がする度、男達の悲鳴や苦悶の声が上がった。
どうやら襲撃者は謎の魔法を使って彼らに攻撃を仕掛けているようだ。
動きは相当に素早く、黒い体色と相まって、かがり火程度の明かりではその姿を捉える事は難しかった。
いや。むしろかがり火の作り出した影は襲撃者に有利に働いた。
襲撃者は闇に紛れ、見えない魔法で死角から兵士達を襲った。
突然の襲撃に野営地はパニックになった。
この混乱が伝わったのだろう。
高級士官用のテントの中から、第二王子カルメロが飛び出して来た。
食事中にもかかわらず、賢明にも彼は装備を解いていなかったようだ。
あるいはこの襲撃を予測していたのかもしれない。
彼は興奮に赤く染まった顔で護衛の兵に命じた。
「何をしている! ”魔法殺しの秘術だ”! 急げ!」
魔法殺しの秘術。それは小さな酒の壺のようなものだった。
その数十。
兵士達は大事そうに壺を抱えると陣地のあちこちに散った。
「急げ! 急ぐんだ!」
王子の言葉に焦りながらも、兵士は壺の蓋を取った。
壺の中は紫色の粉が入っている。
そう。この粉こそが”魔法殺しの秘術”なのだ。
待ちかねたように別の兵士が、手に持った松明を壺の中に突っ込んだ。
壺の中から立ち上る刺激臭が喉に入ったのだろう。思わず咳き込む兵士達。
壺から立ち上った煙はみるみるうちに陣地全体を覆っていった。
「なんだこの匂いは?!」
「何かが燃えているのか?!」
事情を知らない兵士達がざわめく中。
テントの屋根に着地した黒い塊が、バランスを崩して地面に転落した。
黒い塊の正体は黒い子豚だった。
その頭部には禍々しい四本の角が生えている。
黒豚の背中からピンクの塊が転がり落ちた。
子豚は「ブヒブヒ」と鳴きながら、戸惑ったように自分の体とピンクの塊とを見比べている。
「豚?」
「何で豚が?」
予想外の光景に思考が止まってしまったのだろう。
ポカンと口を開けて呆ける兵士達。
そんな彼らの背を、カルメロ王子の声が叩いた。
「馬鹿者共! 何をボンヤリとしている! そいつが魔獣だ! 早く討ち取れ!」
兵士達は王子の言葉にハッと我に返った。
彼らは黒い子豚を取り囲むと、武器を手に包囲の輪を縮めた。
子豚は混乱しているのだろうか? 慌てるばかりで逃げ出す気配も無い。
「ワンワン!」
その時、犬の鳴き声が響いた。
次回「メス豚、豚走する」




