その68 ~惨劇の現場~
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亜人の少女モーナは、左右を人間の男達に挟まれた状態で野営地を歩いていた。
彼女は自分の前を歩く男の背中を見つめた。
男はこの人間の部隊の隊長。
今から彼女はこの男の慰み者となる。
女として耐えがたい苦痛。
しかしそれすらも今後彼女に――村の亜人の女達に降りかかる運命を思えば、最初の一人であるだけに過ぎない。
今後彼女達は、数多くの人間の男をその体で受け入れる運命が待ち受けている
奴隷となって男達の慰み者になる生活。
モーナは胃に石を飲み込んだような絶望感を覚えた。
今朝まではいつも通りの一日だった。
畑の雑草を取り、そろそろ昼食の準備をしようとしていた。
それがどうしてこんな事になったのだろうか?
村は蹂躙され、父は殺され、自分達は村から連れ出され、家畜のようにテントに押し込まれている。
怯える村の女衆を母と一緒に励ましていた時、やって来たのがこの男だった。
男はこの部隊の隊長を名乗った。
彼は、モーナが大人しく言う事を聞くなら、村の亜人達を悪いようにはしないと取引を持ち掛けた。
ハッキリ言って男の言葉は全く信用出来なかった。
そもそも本当に彼がこの部隊の隊長であるかすら定かではないのだ。
しかし、モーナには最初から断るという選択肢は無かった。
彼女達は征服者の情けに縋るしか自分達の身を守る手段が無かったからだ。
自分達の村を壊し、何人もの村の男を殺した憎い相手。そんな男達の夜の相手をするしか、身を守る術がない。
情けなさと惨めさと悔しさに、モーナの心は押しつぶされそうになっていた。
いっそ死んで楽になりたい。
しかし、彼女はその誘惑を振り払った。
もし自分が彼らに反抗すれば、他の村人達がどんな仕返しを受けるか分からない。
最後まで勇敢に戦った父の娘として、今も村の女達を励ましている母の娘として、自分だけが楽な道に逃げる事は彼女には出来なかった。
その時、野犬の遠吠えが響いた。
男達は誰も気にしなかったが、それはクロ子に助けを求めるコマの遠吠えだった。
「ん? 何だ?」
モーナの左を歩く男がふと背後を振り返った。
――と、思った途端、飛び込んで来た何者かが彼にぶつかっていた。
二人はもつれ合うように地面に倒れ込んだ。
「何だ?!」
もう一人の男は素早く隊長の身を守る位置に立つと、手に持った武器を構えた。
「ワンワン! ワンワン!」
そんな男に一匹の野犬が吠え掛かる。
突然の事態にここにいる全員が混乱する中、襲撃者が叫んだ。
「モーナ! モーナ、逃げるんだ!」
「ク、ククト?!」
それは彼女の恋人。亜人の青年ククトだった。
突然の事にモーナは頭の中が真っ白になってしまった。
なぜククトがここに? これは夢? 現実を受け入れられない私の頭が見せた幻?
「モーナ! 逃げろ! 逃げるんだ!」
ククトは必死に男を押さえ込んでいるが、この状態は長くはもちそうにない。
どっちかと言えば彼は小柄な方だ。騎士団の男相手には体格で負けている。
「ワンワン! ワンワン!」
野犬――コマも必死に牽制しているが、こちらは言うに及ばず。
相手が本気になれば彼になすすべはない。
あっさりと殺されてしまうだろう。
「その犬に付いて行くんだ! みんなの所に連れて行ってくれる! コマ! モーナを頼んだ!」
コマは吠えながらもチラチラとモーナを見ている。
威勢が良いのは鳴き声だけで、尻尾は股の間に丸まっている。
彼の勇気もそろそろ限界が来そうだ。
「でも――ククトは?!」
「クロ子が来ている! 俺の事はアイツが何とかしてくれる! 急ぐんだ!」
クロ子。
強力な魔法を使う、不思議な喋る子豚。
モーナはククトとクロ子の間に何か秘密がある事を察していた。
その秘密を恋人が自分に打ち明けてくれない事に不満を感じていた時期もあったが、クロ子の人柄に触れているうちに最近では気にならなくなっていた。
「貴様!」
「ぐっ!」
「キャアアアア! ククト!」
隊長を守っていた男が、手にした武器でククトの脇腹を突き刺した。
激痛にククトの顔が歪む。
「亜人の女を逃がすな!」
「モーナ! 逃げろ!」
隊長の指示でモーナに手を伸ばす男。
ククトは転がった拍子に落としていた、折れた戟を拾うと男の足に突き刺した。
「ぐわっ! この野郎!」
激昂した男はククトに振り返ると、武器を彼の背中に突き立てた。
「ぐっ・・・」
「なっ――離せ! この! 亜人風情が!」
ククトは背中に武器を生やしたまま、男に組み付いた。
どうにか引き倒そうとするが、もつれ合うだけで上手くいかない。
彼の体力はとっくに限界だった。
(モーナ、頼むから逃げてくれ! モーナ!)
既にククトには声を出す余裕もない。
ただひたすら、何かに取り憑かれたように男にしがみついている。
「馬鹿が! 亜人一匹にいつまで手を焼いている!」
業を煮やした隊長が腰の剣を抜いた。
そのまま背後からククトに切り付ける。
彼が剣を振る度に、ククトの腕が、肩が、深々と切り付けられ、その度に抵抗する力が抜けていく。
しかし、それでも彼は諦めなかった。
(クロ子! モーナを助け――)
それがククトの頭に浮かんだ最後の言葉だった。
隊長は剣を大きく振りかぶるとククトの脳天に振り下ろした。
鋼の剣はククトの頭蓋骨にめり込んだ。
ゴツン!
鈍い衝撃が彼の思考を断ち切った。
「ワンワン! ワンワン!」
コマが吠えながらモーナの足に体を擦りつける。
だがモーナは動けない。
目の前の悪夢から目が離せない。
「ククト・・・嘘・・・」
「この犬! さっきからギャンギャンうるさいぞ!」
「ワン――キャイン」
最初にククトに倒された男が武器を振り回すと、コマは一声鳴いて逃げ出した。
隊長は血油の浮いた剣を下ろすと、眉間に皺を寄せた。
「何だコイツは? テントから逃げた亜人か?」
その時、ククトの体がごく僅かに動いた。
「しぶといぞ、この死に損ないが!」
騎士の一人が吐き捨てるように言うと、手にした戟を振りかざした。
モーナは感情を失くした目でぼんやりと眺めている。
あまりにショッキングな光景に脳が現実を受け入れる事を拒んでいるのだ。
(嘘・・・嘘・・・こんなの嘘・・・)
ククトに止めが刺されようとしたその瞬間。
雨の中を突っ切って黒い塊が惨劇の場に飛び込んで来た。
『やめろおおおおおおおお!!』
それは頭に四本の角を生やした黒い子豚――クロ子だった。
次回「メス豚とパイセンの死」




