その6 メス豚、野犬の群れと戦う
ガサリ・・・ ガサリ・・・
茂みを揺らす音が深夜の山の中に響く。
ヤバい。どうする。どうする私。
私の頭は真っ白になってしまい、身じろぎすら出来なくなった。
焦れば焦る程、私の体は動かない。私は呼吸すら忘れて固まっていた。
もちろん今更息をひそめても何の意味もない。
私は既に獣の群れにロックオンされているからだ。
ガサリ!
ハッ、ハッ、ハッ・・・
藪をかき分けて出て来たのは野犬。
この世界の固有種だろうか? 痩せた灰色の犬だ。
大きさは・・・どのくらいだろう。大型犬よりは一回り小さいんじゃないかと思う。子豚の私から見れば仰ぎ見る程の大きさだが。
人間が熊に出会った時をイメージしてもらえればいいのかもしれない。
そんな野犬共が出るわ出るわ。
ざっと見渡しただけで10匹以上が姿を現した。
中でもひときわ大きな体躯のコイツが群れのボスなんだろう。きっと。
濡れたように真っ黒な毛並の犬で、コイツだけ犬種が違うのか、頭に洒落た角を一本生やしている。
私は喉にひりつくような渇きを覚えてゴクリと喉を鳴らした。カラカラになった口内には一滴の唾液も残っていなかった。
――コイツら私を食べるつもりだ。
生きたまま貪り食われる。
捕食者が被捕食者に向ける視線を受けて、私は完全に足がすくんでしまった。
周囲には鼻を突く不快な匂いが立ち込め、もはや息をするのも苦しい程だった。
圧倒的な恐怖心。
それは生物の持つ最も根源的な感情。
心臓の鼓動が痛いほど大きくなっている。胸が張り裂けそうだ。
このままだと私は死ぬ。殺される前に心臓が弾けて死ぬ。
ザッ!
地面を蹴る音がしたと思った瞬間――私の足に鋭い痛みが走った。
「ピギャアアア!」
私は痛みと恐怖に絶叫した。
私の後ろに回り込んだ野犬が死角から襲い掛かって来たのだ。
野犬は私の右後ろ脚に噛みついていた。
このままだと足を食いちぎられる!
この野郎!
その時私は確かに走馬灯を見た。
前世の女子高生だった頃の記憶。この世界に転生した後の記憶。
楽しかった事、腹立たしかった事、嬉しかった事。
一瞬のうちにありとあらゆる感情が私を襲った。
全ての感情を塗りつぶしたのは、かつてないほどの大きな怒りの感情だった。
いざという時、どうやら私は怒る性格だったようだ。
私は怒った。メス豚に転生するようなこの世の理不尽に。兄弟豚達を家畜として飼育するガチムチ親子に。私に恐怖と痛みを味合わせるこの薄汚い野犬の群れに。
最も危険な銃弾!
私の目の前に空気の渦が出来ると、その中心から目に見えない棘が発射された。
棘は私の視線の先、今も私の右足を食いちぎろうとしている野犬の頭頂部に突き立った。
パアン!
「ギャン!」
破裂音が鳴ると、野犬は悲鳴を上げて私の足から牙を離した。
そのまま情けない悲鳴を上げながら、バタバタと地面をのたうち回る。
脳天から垂れ流している液体は血か脳漿か? 流石に暗くて色までは分からない。
野犬が暴れれば暴れる程、生臭い匂いが辺りに立ち込めた。
私は足の痛みに耐えながら、冷めた頭で断末魔のダンスを観察していた。
やがて野犬は口の端から泡を流しながらぐったりとして動かなくなった。
痛みに気を失った訳では無いだろう。多分死んだのだ。
私の魔法はコイツらを殺す事が出来る。
それは嬉しい発見だった。
突然の破裂音と仲間の死。私を囲んだ野犬の群れが一気に色めき立った。
気の荒い一匹が私に吠え掛かった。
最も危険な銃弾!
「キャイン!」
私の魔法は野犬の胸元で炸裂。野犬は一声吠えると自らの作った足元の血だまりに倒れた。
無駄に吠えるから私の的になるのだ。馬鹿め。
疲労は無い。まだまだ魔法は十分に使える。
コイツら全員を二回殺したって余裕があるくらいだ。
野犬の群れは腰が引けて明らかに鼻白んでいる。
私の使う魔法は強い。私はコイツらよりも強者だ。
戦いには流れというものがある。
相手が引いたと感じたら迷わずに押せ。
私の得意なカードゲームで得たコツだ。殺し合いの場でも通じるだろうか?
最も危険な銃弾! 最も危険な銃弾!
連続で放たれた魔法は、闇夜に炸裂音を響かせるとたちまち二匹の野犬を血祭りにあげた。
当たりどころが悪くて死にきれなかったヤツには、追加で脳天に叩き込んでキッチリ止めを刺しておいた。
私の魔法の威力にすっかり怖気づいた野犬共は大きく距離を取った。
いける!
後で考えても、なぜこの時の攻撃をかわす事が出来たのかは分からない。
私はハッとすると、足の痛みを無視して大きくその場から飛びのいた。
バッ!
たちまちさっきまで私の立っていた場所から火が立ち昇った。
火は瞬間的に燃え上がるとすぐに消えた。
自然の火ではあり得ない。魔法だ。
私は野犬のリーダー、角の生えた黒毛犬に振り返った。
間違いない。今のはコイツの起こした魔法だ!
私と野犬リーダーは睨み合った。
無理な躱し方をしたせいだろうか? 足の痛みはズキズキと頭に響き、耐え難いものになっていた。
『今の魔法はアンタがやったの?』
私の呼びかけに野犬のリーダーは何の反応も返さなかった。
恐竜ちゃんの話だと、魔法は知能の高い生物にしか使えないはずだ。
だったら会話が通じるんじゃないかと思ったんだけど、違うのか?
「グルウ」
野犬リーダーが唸ると魔法の流れが――
くそっ、またか。
私は慌ててその場から飛びのいた。
パッ!
再び地面から火が立ち昇った。
どうやら野犬リーダーの魔法は直接生き物を燃やす事は出来ないようだ。
さっきから私の足元しか狙って来ない。何か理由でもあるんだろうか?
パッ!
そして連続で使うのも難しいようだ。
野犬リーダーは走った後のように口からダラリと舌を伸ばして息を荒くしている。
私は足の痛みを堪えながら冷静に観察した。
・・・まただ。
やはり野犬のリーダーの魔法は落ちた木の枝からしか発生していない気がする。
ここからは私の想像だけど、ひょっとしてコイツは山に入った人間が薪を集めて焚火をしている所を見て、この魔法を思いついたんじゃないだろうか?
そう考えれば、魔法で直接私を攻撃して来ない事も説明が付く。
コイツにとっては火というものは薪につくもので、獲物に直接発火させるものではないのだろう。
魔法は万能じゃない。
イメージが湧かなければ――原理が分からなければ発動させる事すら難しい。
私が恐竜ちゃんが魔法を使うのを見て、その原理を教わるまでは魔法を使う事が出来なかったのもそのためだ。
野生生物相手ならこの魔法でも十分なのかもしれないが、私には通じない。
魔法としてはそこそこの完成度と言えるが、発動を察した後で躱せる時点で実戦的とは言えない。
いや。本来ならば、足元の火にひるんだ所に群れの仲間が襲い掛かるのが必勝パターンなのかもしれない。
確かにそれだと私も厳しかったに違いない。
しかし、さっきの私の攻撃で、野犬共はすっかり腰が引けて遠巻きに見ているだけだ。
仲間のサポートが期待出来ない以上、いつまでもこんな魔法を続けていても疲労するだけ無駄だろう。
とはいえ、離れた場所に魔法を発生させる方法は中々に興味深いものだった。
私の使う最も危険な銃弾は、棘が相手に向かって飛ぶ原理上、距離が開けば開く程命中率が下がってしまう。
十分に距離の離れた相手には野犬リーダーの魔法の方がヒットしやすいのかもしれない。
百聞は一見に如かず。やはりこういうものは実際に自分の目で見てみないとピンと来ないものだ。
後で自分でも出来ないか試してみよう。
やがて野犬リーダーの使う魔法が止まった。
私は痛む足を踏みしめて野犬リーダーを睨み付けた。
彼は既に限界を超えて魔法を使ったのだろう。
大きく息を乱して、立っているだけでやっとの様子だ。
魔法を使いすぎた時の辛さは私も良く知っている。
例えて言うなら、激しく乗り物酔いした時の感覚が近いのかもしれない。
胃がムカムカして頭がガンガン痛むのだ。
今楽にしてやる。
私は野犬リーダーの眉間に狙いを付けた。
最も危険な銃弾!
野犬リーダーの眉間が弾け、崩れ落ちた。
少しの間、手足がピクピクと痙攣していたが、じきに動かなくなった。
――死んだ。
途端に一目散に逃亡を開始する野犬共。
ガサガサと茂みをかき分ける音が遠のき、周囲に静けさが戻った。
いっそ気持ちのいい程の逃げっぷりだった。
リーダーを見捨てて薄情なもんだね。
私は野犬リーダーの死体を見下ろした。
薄情・・・か。いや、これこそが野生の厳しさなんだろう。
明日をも知れない世界で生きる者達にとって、大事なのは自分の命ただ一つ。
”生きる”という最大の目的の前には、リーダーの死を惜しんだり悲しむ心には何の価値もないのだ。
私はその場に座り込むと痛む右足を舐めた。
傷口は自分の血と野犬の唾液の混じった嫌な味がした。
次回「メス豚、反省する」