その64 メス豚、集積所を襲う
血まみれの男達の死体が転がるテントの中。
私は背中を傷だらけにした幼女に近付いた。
『え~と、大丈夫?』
幼女はぼんやりとした目をこちらに向けるだけで、私の呼びかけに何の反応もしない。
どうやらショックのあまり心を閉ざしてしまっているようだ。
人間は命にかかわる強烈な体験をしたり、人間としての尊厳にかかわる強いストレスを感じた際に、何日も記憶のフラッシュバックに悩まされたり、精神が高ぶった状態が続き、不眠や不安の症状が現れる事があるという。
これらが一過性で自然治癒するものであれば急性ストレス障害。
より長期に渡って続けば、心的外傷後ストレス障害と呼ばれる障害となる。
こうなると治療にも長い時間が必要になるそうだ。
『何か服を・・・って、それも辛いか』
私の眉間に皺が寄った。
幼女の背中は無数の鞭の跡で、無残にも血だらけになっている。
あれではキズに触れて痛くて着れないだろう。
困った私は、背中のピンククラゲに振り返った。
『ねえ、あんたあの子をどうにか出来ない?』
『・・・・・・』
我ながら結構なムチャ振りだったと思う。
水母はフワリと浮き上がるとテントの中を漂い始めた。
どうやら彼なりに困っているようだ。なんかゴメン。
『え~と、無理そうなら無理しないでいいけど? 出来る?』
何言ってんだ私は。
水母はフラフラとベッドに近付くと、触手でシーツを摘まみ上げた。
複数の触手がサッサッと動くと、あっという間にシーツは適当な大きさに切断されていた。
えっ? アンタってそんな事まで出来たの?
水母は細長く切られたシーツを器用に少女に巻きつけると、腰の辺りで結び目を作った。
どういう風に巻き付ければそうなるのか、背中は大きく開いて、なるだけケガに触れないようになっている。
何ていうの? 古代ローマや古代ギリシャの人達が着ている服みたいなヤツ。日本で言えばお釈迦様の着ている服みたいな感じ。って言って分かるかな?
元がシーツとは思えない程、それっぽいイイ感じになっていた。
水母の見事な手際に、私は思わず感心して唸り声を上げた。
『う~む。アンタ意外な才能があったのね』
『これは汎用作業用触腕』
水母は触手をうねうねと動かした。
彼の触手は作業用マニュピレータで、ケガの縫合や簡単な手術くらいなら問題無く行えるだけの性能があるんだそうだ。
ちなみに前人類の医療施設の対人インターフェース的には、有り合わせの布で患者を包むくらいはお手のものらしい。
なんともはや。おみそれ致しました。
私はピンククラゲにされるがままの幼女に声をかけた。
『後で必ず助けに来るから、それまでここでジッとしていてくれる?』
さっきの音が外に漏れたのだろうか? 何となくテントの外が騒がしくなっている気がする。
そもそも、この子を連れて陽動作戦を行うのは不可能だ。
危険かもしれないが、ここで待っていて貰うのが一番だろう。
『出来ればどこかに隠れていて欲しいけど・・・』
私はテントの中を見渡した。
候補としては少年チンチンが入っていた衣装タンスか?
――それはないな。
顔面を血に染めた少年チンチンが倒れているし、それがなくてもあそこは彼がお漏らししてるからな。
そんな所に閉じ込めるなんて、まるでいじめみたいじゃん。却下だ却下。
結局私は水母にタンスを前に動かして貰って、その後ろに出来たスペースに幼女を案内してもらった。
これで入り口からは見え辛くなったはず。
ついでに死体もタンスの中に詰め込んで証拠隠滅。
ていうか、さっきから私何もしてなくない?
水母大活躍だな。連れて来て良かったわ。
私はタンスの後ろの幼女に声を掛けた。
『騒ぎが起こってしばらくしたら迎えに来るから。それまで待っててね』
幼女からの返事は無かった。
私はその事に不安を覚えつつも踵を返した。
流石にこれ以上は時間を掛けられないからだ。
『風の鎧。行くわよ水母。ここからはノンストップだからね』
フルフルと震えるピンククラゲ。OKって返事でいいんだよね?
ダメって言ってもやるけどさ。
外はすっかり日が落ちて夜になっていた。
私は雨の中、一直線に軍の輜重用テントを目指して走り出した。
三つ並んだ大きなテント。
あれがこのキャンプ地の輜重用テントだ。
といっても、あれでもまだ半分。残り半分はキャンプの反対側に作られている。
千人からの大所帯だ。これくらいの物資は必要なんだろう。多分。
『おあつらえ向きに見張り台がすぐ近くにあるじゃないの。先ずはあそこを制圧しましょう』
今回の私の役目は、ただ闇雲に暴れればいいという訳じゃない。
パイセンが村人達を助けるための陽動――つまりは時間稼ぎをしなければならない。
コイツらには最大限に混乱してもらう必要がある。
よって、私の正体がバレるのはよろしくない。
もし、襲撃者が子豚一匹だと知れれば、数の暴力に私は押しつぶされてしまうに違いないからだ。
私はかがり火が作る影に紛れて見張り台の下に潜り込んだ。
見張り台の上には二人の兵士。
二人は、行きつけの娼館の女がどうの、尻の大きい女がどうのと、下品な話に花を咲かせている。
さて、これから私が使う魔法だが。こいつは私の知る魔法の中でも極めつけに凶悪なヤツだ。
水母の研究施設にいた角生物。角ペリカンが使ったこの魔法は、最初、何の魔法だかさっぱり分からなかった。
なぜなら私に通じなかったからだ。
角ペリカンも驚いたのだろう。やけにあっさり私に倒されてしまった。
この凶悪さに私が気付いたのは、自分で覚えた後。
実際に使って効果を確認してみた時の事だった。
この魔法、厄介な事に全く攻撃が見えない。
音も無ければ外傷もない。
攻撃された本人どころかその周囲すらも、攻撃されたと気付く事なくやられる。
とてつもなく完璧なサイレントキル魔法なのだ。
そんな都合の良い魔法があるはずないって? 論より証拠。早速見張りの彼らを相手に実演してみようか。
相変わらず下品な話題が尽きない男達。
もう少しそのままそのまま。この魔法、タイミングが重要だから。
話した。止まった。話した。止まった。話した――ここだ!
『酸素飽和度!』
ゴトリ。重い物が倒れる音が響いた。
「おい、どうしたんだ? 急に倒れて――」
『酸素飽和度!』
ゴトリ。再び重い物が倒れる音がして、見張り台の上は静かになった。
今、見張り台を見上げれば、昏倒している男達の姿が見える事だろう。
成功だ。
酸素飽和度と私が名付けたこの魔法。
これは一定範囲の空気の酸素濃度を下げる魔法なのだ。
それのどこが凶悪なのかって?
近年でも水道管工事等で作業員が倒れる事故が起こっている。
彼らは有毒ガスで倒れた訳では無い。作業現場に酸素より重い硫化水素ガスが溜まったことによる”酸欠”で倒れたのだ。
通常、大気中の酸素濃度は21%である。
これが16%を切ると、人間は頭痛、めまい、吐き気を覚える。
そして6%を切ると瞬時に昏倒し、じきに死亡すると言われている。
そう。酸素飽和度は、故意に窒息状態を生み出し、相手を昏倒させる魔法なのだ。
生物は常に呼吸をしている。
その呼吸を不意に止められるのだ。これを防げる者はいないだろう。
正に必殺必中。
これほど凶悪な魔法があるだろうか?
欠点として、酸素濃度を下げれるのは極々狭い範囲に限られる事。空気という気体に対して作用するため、素早く動いている相手や、風が強い日には効果が無い事、等が上げられる。
つまりは完全に不意打ち用で、戦闘中に使うには向かないのだ。
先程言った、私に通じなかった理由がまさにこれだ。
あの時私は風の鎧の魔法を身に纏っていた。
つまり強風の中にいたような物だったのだ。
魔法によって酸素濃度の下げられた空気は、風の鎧の激しい風の流れによってすぐにかき消されてしまった。
つまり意図せずして、私は相手の魔法攻撃をメタっていたのだ。
さて、これで監視の目は無くなった。
周りのヤツらが見張りの異常に気付く前に事を起こしてしまおう。
目標は輜重用テント。
私は魔力のうねりをコントロール。魔法を発動させた。
『くらえ! 極み 魔法! EX点火・改!』
ゴウッ!
私の魔法によって、大きなテントは瞬く間に業火に包まれた。
次回「メス豚と救出作戦の始まり」




