その55 ~山狩り~
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その日、ククトは珍しく村の外に出ていた。
同じ転生者仲間の黒豚クロ子が村を離れてからそろそろ一ヶ月。
明日は彼が知り合った人間の商人との取引の日であった。
亜人であり、転生者でもあるククトは、異種族である自分が人間と関わる危険性を十分に承知していた。
だから彼は取引の場に誰も同行させなかったし、商人の前では村の存在を匂わせるような発言は決して口にしなかった。
いつものように前日の夕方に約束の場所――森の獣道の突き当りに作られた小さな広場――に到着したククトは、念入りに辺りを散策した。
罠や誰かが潜んでいる形跡はない。
その事に安心したククトは、近くの小さな洞穴に潜むと、そこで夜を明かす事にした。
ここで一晩、取引場所の見張りをするつもりなのである。
自分は警戒し過ぎなんだろうか?
商人ザボの人の良さそうな顔を思い浮かべて、ククトは自嘲の笑みを浮かべた。
だが、人間の商人との取引は自分のわがままから始めた物だ。
そんなもので村を危険に晒すような事は――この世界での家族や恋人のモーナを危険に晒す事は――出来ない。
あるいは自分にクロ子ほど規格外な魔法があれば、こんな心配もしなくても良いのかもしれないが。
そんな事を考えながら、ククトは虫よけの煙の臭いの中、ウトウトと浅い眠りにつくのだった。
翌日は朝から一雨来そうな重い曇に覆われていた。
ククトが木の上で朝食代わりの干し肉を齧っていると、森の小道を息せき切って走って来る、男の荒い息遣いが聞こえた。
彼が怪訝に思っている中、広場に現れたのは小太りの人の良さそうな男。
ククトの取引相手、商人のザボであった。
「ハア、ハア・・・くそがっ! まだ来ていないのか!」
ザボは彼にしては珍しく悪態をつくと、膝に手を付いて呼吸を整えた。
彼は額に流れる汗を拭うと、落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを見回している。
早朝から山道を走って来たのだろうか? 手には藪漕ぎ用のナタを持ち、腰の水筒以外の荷物は何も持っていない。
余程、急いで来たようだ。
いつもにないザボの取り乱した様子に、ククトは驚きと戸惑いを覚えていた。
「ザボさん、まだ取引の時間じゃないだろう? 一体どうしたんだ?」
木の上から姿を現したククトに、ザボはホッとしたような心配しているような顔を向けた。
「ククトさん! 急いでこの山を離れて下さい! 山狩りです! 法王国の騎士団が続々とこの山に入って来ています!」
アマディ・ロスディオ法王国。主神アマナを唯一神と仰ぎ、大二十四神を信じる他の国の民を異教徒として弾圧する新興宗教国家である。
彼らはアマナ神によって生み出された人間こそをこの世界の支配者と定め、ククト達のような亜人を獣と断じている。
どうやら法王国によるククトら亜人を狙った大規模な山狩りが行われているらしい。
「まさか! ここはサンキーニ王国に近い! 法王国は山の尾根の向こう側だぞ?!」
「騎士団はサンキーニ王国側から入っています! 王国が法王庁に協力しているんでしょう!」
サンキーニ王国側から入って来ているなら、ククト達の村までそんなに距離は遠くない。
山狩りの規模がどの程度かは分からないが、早ければ明日にでも到達するのではないだろうか?
「こうしちゃいられない! 急いで――」
ククトは、急いで村に知らせないと、と言いかけて危うく言葉を飲み込んだ。
商人ザボは訳知り顔で頷いた。
「お仲間がいらっしゃるなら急いで知らせに戻るべきです。私はそのためにこうして走って来たのです」
こんな状況でありながら、ザボの気遣いにククトは思わず胸が熱くなった。
ザボはこの情報を知らせるために、危険を冒して早朝の薄暗い山道を走って来てくれたのだ。
人を雇って走らせる事も出来ただろう。だがそれではククトが警戒して姿を現わさないかもしれない。
誰かに任せる事は出来なかったのだ。
「・・・恩に着る」
「あなたとの取引は新鮮で中々に楽しいものでした。出来れば次の機会もまたお願いしたいものです」
ククトにとって有難い取引は、ザボにとっても得難い経験だった。
種族の違う亜人との取引経験は、彼の価値観を揺るがし、商人としての幅を一回り大きくしていた。
「早くお行きなさい。私はしばらくここで休んでから山を下りる事にします」
そう言うとザボは適当な岩にどっかりと腰を下ろし、大きく天を仰いだ。
ククトはそんな彼に頭を下げると、踵を返して藪の中に駆け込んでいった。
「やれやれ、明日は筋肉痛で酷い事になりそうです。苦労した甲斐があればいいんですが」
ククトは山の中を走りながら、悪態をつきたい気持ちをずっと堪えていた。
商人ザボを警戒するあまり、彼は村から大きく離れた場所を取引場所に選んでいた。
真っ直ぐ帰っても半日はかかるその距離を、さらに彼は大回りしながら走っている。
法王国の山狩り部隊を避けながら移動しているためだ。
「! ここにも人間が! 法王国は俺達相手に、一体どれだけの人数をつぎ込んでいるんだ?!」
大隊規模、約千人と聞けば、彼は一体どう思っただろうか?
山奥のせいぜい三百人程度の亜人の村を潰すにはあまりにも過剰過ぎる戦力である。
人数比だけで言えば1対3だが、相手は全員武装した男達。こちらは女子供から年寄りも含めた総人数である。
まともに戦える数で言えばこちらは百人にも満たない。しかも武器は手斧や狩猟用の弓矢。矢もせいぜい数本づつくらいのものだ。
こんな有様では完全装備の騎士団相手には戦いにすらならない。
生き延びるためには一刻も早く村を捨てて逃げるしかない。
判断は早ければ早い方がいい。
こちらには逃亡の足を引っ張る年寄りと子供がいるからだ。
「くそっ、まただ! ここにも敵がいるのか!」
思うに任せない状況に、ククトは焦りと苛立ちを覚えた。
頭の中に村の周辺の地図を思い浮かべた彼は、背筋に氷柱を差し込まれたような寒気を感じた。
「まさか・・・村の位置がバレている?」
そんな事はあり得ない。いや、違う。逆だ。
ここに兵を動かしている以上、それしか考えられない。
そう、つまり――
「つまり法王国の騎士団は・・・俺達の村を包囲しようとしているんだ」
ククトは目の前が絶望で真っ暗になったような気がした。
真っ先に頭に浮かんだのは商人ザボの顔だ。
――まさかアイツが俺達を売ったのか?!
ククトは怒りに頭の芯が痺れたようになったが、彼はすぐにその考えを頭から追い払った。
もしそうならザボがわざわざククトに知らせに来た理由が分からない。
ザボは山狩りの事を何も知らなかった。
たまたまククトとの取引にこの山を訪れたザボは、次々と山に入って行く兵達を見て慌ててククトの元に知らせに走った。
そう考えた方がつじつまが合う。
だったらクロ子が?
いや、それもあり得ない。
クロ子が同じ転生者の自分を売るような事をするはずがない。
出会ってからの時間は短いが、ひとつ屋根の下で家族同然に過ごした今、彼女の人となりをある程度は理解しているつもりだ。
村の少女のために、自らの命を顧みず、最後まで火災現場に踏みとどまって魔法を使い続けたクロ子
そんな彼女の姿を彼はハッキリと覚えている。
誇り高い彼女は、例え自らが死にそうな目にあったとしても、絶対に村人を売ったりはしないだろう。
なら一体誰が?
ククトは思いつかなかった。
一ヶ月前に村から姿を消したのはクロ子だけでは無かったのだ。
それはククトの恋人モーナを狙う乱暴者のグルートと、彼の取り巻き二人。
そしてククトは知らなかった。
彼らは人間に捕えられ、山のふもとに作られた教導騎士団の陣地の中にいる事を。
グルートは体中に無数の傷を作り、息も絶え絶えの状態で四肢を柱に縛り付けられてる事を。
そしてそんなリーダーの姿を見せられ、怯えた彼の取り巻きが求められるまま村の情報を漏らしていた事を。
恐れを知らない村の若者の無謀な冒険。
その失敗が今、村に最悪の厄災を呼び込もうとしていた。
次回「収穫の時間」




