その53 ~王都の戦勝式典~
時間は少々巻き戻る。
これはまだクロ子が転生者の亜人の青年ククトと出会う少し前。
野犬の群れのリーダーとして山を駆けまわっていた時の話。
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サンキーニ王国王都アルタムーラ。
その王城の玉座の間では盛大な式典が行われていた。
式典の主役は第三王子イサロ。
そう。これは隣国ヒッテル王国との戦の戦勝式典なのだ。
隣国の狂竜戦隊に一時は苦しめられたイサロ王子軍だったが、王子が発案したアマーティの狭隘な地形を利用する見事な策で追いすがる相手を撃退。
逆に散々に痛めつけ、初戦の敗北を挽回したのであった。
王子の戦勝式典ともあって、王都に住む貴族の多くが参加した。
挨拶を終えたばかりのイサロ王子は、招待客から惜しみない拍手と賞賛の言葉を受けている。
自らが主役の式典。しかし、イサロ王子の表情は冴えなかった。
それもそのはず。戦勝とは名ばかり。
今回の遠征は、どんなにひいき目で見たとしても、”辛うじて勝ちを拾えた”としか言えない残念な戦果に過ぎなかったからである。
本来であれば、王都に戻った王子に待っているのは敗軍の将としての責任追及であった。
イサロ王子軍は戦の初戦で半数以下のヒッテル王国軍に大敗した。
大将のルジェロ将軍は負傷して意識不明の重態となり、まだ若い王子に従う諸将は誰もいなかった。
撤退する途中、地形を生かした策で追手を罠にかける事に成功し、王子はどうにか面目を保つ事が出来た。
こうしてイサロ王子軍は国に引き上げた。
早馬の報告で戦果を知った上の二人の王子は、手ぐすねを引いて政敵の帰りを待ちわびていた。
それも当然の事だ。イサロ王子は半分以下の兵力しか持たない相手とほぼ痛み分けだった上、大将であるルジェロ将軍まで倒されたのだ。
事実上の遠征失敗と言っても良かった。
王子自身も今回の戦いで自分の至らなさを痛感し、どんな罰も甘んじて受ける心づもりでいた。
そんなイサロ王子の運命が大きく逆転したのは王子軍が王都に着いた直後だった。
落馬の衝撃で意識不明の重態となっていたルジェロ将軍。
軍医からも匙を投げられ、余命いくばくもないと診断された彼が、馬車が王都に到着した途端にパッチリと目を覚ましたのだ。
確かに王子軍は急いで王都に引き上げていた。
それはまだ息のあるうちに将軍を家族に会わせてやりたいと思ったからだ。
誰がこんな結末が待ち受けていると予想出来るだろうか?
イサロ王子は驚きと混乱に何も考えられなくなった。
長らく意識不明だったルジェロ将軍は、もう以前の体には戻れなかった。
言葉は不自由になり、認知症が出てもの忘れも激しくなった。
体も弱り、馬に乗るどころか立って歩く事もままならなくなっていた。
こんな体ではもう軍を率いる事は出来ない。
ルジェロ将軍は引退を宣言した。
この将軍の進退がイサロ王子の運命を変えた。
長年この国を支えた名将の最後の戦が、”馬から落ちた挙句に負け戦だった”という事には出来ない。
そもそも相手の軍の方が被害が大きかったのだ。勝ったと言い張れば勝ったと言えなくも無い。
国家の元勲を華々しく送り出す。
さしもの兄王子達も、国王のこの決定に反対するほど空気が読めなくはなかった。
こうして今回の遠征は一転して大戦果、大勝利という事になった。
派手な戦勝式典と同時に、ルジェロ将軍の引退発表も行われた。
サンキーニ王国は長年の忠臣に報いるために将軍に最後の花道を用意したのだ。
式典が終わると場所を大広間に移しての立食パーティーとなった。
主役のイサロ王子には周囲の貴族から次々と祝いの言葉がかけられる。
誰もがこの機会に少しでも王子の覚えを良くしようと必死なのだ。
そんな王子と貴族達を、少し離れた場所で彼の兄王子達が憎々しげに睨んでいる。
彼らにとってみれば、政敵の襟首を掴んで引き倒そうとした瞬間にスルリと逃げられたようなものである。
決して面白かろうはずもなかった。
多くの祝福の言葉を受けて、しかし王子の表情は曇ったままだった。
あくまでも主役は軍を率いたイサロ王子だが、実際はルジェロ将軍の引退セレモニーだ。
イサロ王子は将軍の今まで功績のおこぼれで、勝ち戦の大将にしてもらえたに過ぎない。
実際の負け戦を現場で経験して、イヤと言う程それが分かっている王子が浮かれられるはずもない。
イサロ王子の表情が冴えないのも当然と言えた。
貴族達は満面の笑みを浮かべ、王子の周囲に集まって来る。
彼らは美辞麗句を並び立て、さも見て来たかのように王子の戦果を誉めそやしている。
(だが、彼らは心の奥底では自分をバカにしてあざ笑っているに違いない)
イサロ王子は彼らと握手をする度に、彼らの顔に張り付いた作られた笑みを見る度に、彼らの心の中のあざけりと嘲笑が聞こえて来るような気がした。
(俺はとんだ道化だ。なあルベリオ。お前なら今の俺を見てどう思う?)
イサロ王子はこの場にいない彼の腹心、アマーティの戦いの本当の立役者である村の少年ルベリオに、愚痴を聞いてもらいたくて仕方が無かった。
そんなイサロ王子の前の人垣が割れると、車椅子に乗った老人がやって来た。
王子の表情が益々憂いを帯びる。
それは今回の式典のもう一人の主役、ルジェロ将軍であった。
将軍はすっかり覇気を失い、体も一回り縮んでしまったように思えた。
従者に支えられ、立ち上がろうとする将軍をイサロ王子が手を上げて留めた。
「構わない。そのままで十分だ」
「いさろでんかぁ。ごきぶんがぁ、すぐれないごようすでございますなぁ」
自律神経にも不具合があるのだろう。ルジェロ将軍の言葉は大変聞き取り辛かった。
周囲の若い貴族が顔を反らして笑いをこらえている。
心ない彼らの態度に、イサロ王子は不快感をあらわにして小さく舌打ちした。
「そのような事は無い。将軍こそ楽しんでいるか?」
「たのしんでおりますともぉ。これはでんかがぁわたくしめにあたえてくださったぁ、ほどこしですからなぁ」
「施し? 俺が将軍に何の施しをした?」
ルジェロ将軍の言葉にイサロは戸惑いを覚えた。
勝ちを施されたのは自分の方ではないか?
本来であれば自分は式典どころか、兄王子達に敗戦の責任を追及され、吊し上げを食らっていた所である。
「これは言ってしまえば将軍の引退式典だ。俺の勝利などは将軍の長年の栄光のおこぼれに過ぎない」
「ちがいますぞぉ。まったくもってちがいますぞぉ」
ルジェロ将軍は大きくかぶりを振った。
将軍は拙い言葉で語った。
それは全くの逆です。
私は敗軍の将だった。
あの時、倒れて何も出来ない自分に代わって指揮を執り、負け戦をひっくり返したのはイサロ王子です。
この度の戦の手柄は全てイサロ王子にあります。
私はイサロ王子に勝たせてもらっただけに過ぎません。
本来であれば敗軍の将として石もて追われるべき所を、このような華美な式典の中で現役の最後を飾れたのはイサロ王子のおかげです。
本当に感謝してもし足りない。――と。
「そのような事・・・」
「ほんとうにぃ、ほんとうにぃ、ありがとうございます。ありがとうございます」
イサロ王子の手を不自由な両手で握りしめるルジェロ将軍。
節くれだった分厚い手だった。
それは長年剣を握り続けたこの老将軍の、約半世紀にもわたる戦いの歴史そのものでもあった。
先程将軍を笑った若い貴族はバツが悪そうにしながらこの場を去って行った。
イサロ王子は頭を下げ続ける将軍に、何も言葉を返す事が出来なかった。
次回「法王庁の使者」




