その507 ~師との再会~
◇◇◇◇◇◇◇◇
村の家屋に放たれた火は、吹き降ろしの山風に煽られてみるみるうちに燃え広がって行った。
もともと木造の住宅が大半だった事。そして火元となったのが、村で最も建物が密集している南地区の住宅街だった事。
そして極めつけは、「こうなりゃついで」とばかりにクロ子が村の中を駆け回り、せっせと建物に火をつけて回った事。
この三つの理由により、村は瞬く間に炎に包まれていった。
「後退だ! 後退しろ! このままだと焼け死ぬぞ!」
「火よりも危険なのは煙だ! 煙に巻かれれば命はないぞ! 少しでも姿勢を低くして川の方へ向かうんだ! 川の周囲は他よりも土地が低くなっていて、煙が届くのに時間がかかる!」
「くそっ! 亜人共め! 自分の手で自分達の村に火を付けるとは、一体何を考えているんだ!」
カロワニー軍は先程までの押せ押せの戦勝ムードから一転。大混乱に見舞われていた。
彼らにとって時刻が夜だったのが不幸となった。闇の中、揺らめく炎と大量の煙に幻惑され、多くの兵士が自分の位置を見失い、逃げ遅れて命を失っていった。
そんな中、いち早く混乱の中から逃れ、村の外周部へとたどり着いた傭兵姿の男がいた。
男は燃え上がる亜人村を振り返って呟いた。
「何という事だ・・・。このデタラメさ、おそらくクロ子だ。あのクロ子が立てた作戦に間違いあるまい」
男の首には戦と契約の神、タイロソスのシンボルが下げられている。
タイロソスの信徒。教導者アーダルトである。
アーダルトはクロ子達クロコパトラ歩兵中隊と行動を共にしている間に、クロ子の常識外れっぷりを何度も見せられていた。
カロワニー側へと裏切った今でも、直接表には出ず、裏でコソコソ動き回っているのも、クロ子と真っ向から戦って勝てるビジョンが浮かばないためである。
「俺はもう二度と負ける側には付かない。折角掴んだこのチャンスを逃してたまるものか」
アーダルトの瞳から光が消えると、表情が暗く沈んだ。
「・・・それだけの代償をもう俺は払ったのだ。絶対に無駄にはしない」
その時、「ワンワン!」と犬の鳴き声がした。ハッと振り返るとそこには角の生えた大型犬が。
クロ子の命令で、逃げ遅れた村人がいないか捜索していた黒い猟犬隊の犬であった。
「コイツ、亜人達の所にいた犬か! くそっ、面倒なヤツに見付かった!」
「ワンワン! ワンワン!」
犬は大きな声で吠え掛かる。亜人達は犬の言葉を理解していたようだが、人間のアーダルトには分からない。
始末しようと剣を振っても、犬は素早く躱して距離を開けてしまう。
そうして安全な場所から、再びしつこく吠えて来るのである。
「敵に回すと本当に厄介だな」
こんな所をクロ子に見付かるとヤバい。アーダルトは一先ず近くにいる味方に合流する事にした。
しかし、燃える村に振り返った彼の耳に、聞きなれた女性の声が届いた。
「アー兄さん?」
そこにいたのはアーダルトの二人の弟子の片割れ。タイロソスの信徒。女戦士マティルダだった。
かつての師と弟子は、燃えあがる炎に照らされながら向かい合っていた。
マティルダはさっきまで抜け道の封鎖に協力していたが、そちらはサステナと二等兵達だけで十分だと分かったので、村へと戻って来た所だった。
その途中でやけに犬が吠えている声が聞こえたので、何かあったのかと向かった所、かつての師匠――そして同僚のビアッチョを殺した裏切り者――アーダルトの姿を見つけたのである。
「アー兄さん・・・」
アーダルトには、問いただしたい事、言っておきたい事が山のようにあった。
なぜ、自分達を裏切ったのか。
トトノとビアッチョを殺した時に何とも思わなかったのか。
ビアッチョはあんなにアー兄さんの事を尊敬していたのに。
裏切るにしても、その前に、自分達に相談くらいしてくれても良かったのに。
だがいざ本人を目の前にすると、頭の中が真っ白になってしまい、何一つ言葉が出て来ない。
黙り込んでしまったマティルダに代わって、アーダルトが口を開いた。
「マティルダか。ここにいるという事は、まだメラサニ村の亜人達と行動を共にしていたんだな」
亜人村には深淵の妖人、顔なしの【無貌】が潜り込んでいたが、マティルダがいるとは聞いていなかった。
仮に【無貌】がマティルダの存在を知っていたとしても、クロ子やサステナに比べて、遥かに優先順位の低い彼女の事を、わざわざ話題に出したとは思えないが。
この一言が呼び水となったようだ。マティルダの止まっていた時間が動き出した。
「アー兄さん。なんで私達を裏切ったの? なんでビー君を殺したの?」
「ビアッチョには済まない事をしたと思っている」
アーダルトの言葉にウソはなかった。
しかし、ビアッチョの事を気の毒には思っていても、後悔している訳ではなかった。もしもう一度、あの時をやり直せるチャンスがあったとしても、やはり彼は弟子二人を殺そうとしただろう。
そうしなければ【無貌】に信用して貰えない。
つまりはカロワニー・ペドゥーリへの顔つなぎが望めないからである。
そんな事を考えていたからだろう。不意にカロワニー・ペドゥーリの顔が脳裏に浮かび、アーダルトは眉を曇らせた。
マティルダは師匠の顔に浮かんだ暗い変化に、怪訝な表情を浮かべた。
「お前を殺そうとした事も悪かった」
「本当? 本当にそう思ってるの?」
「ああ勿論だ。もしお前が希望するなら、俺の方からカロワニー様に口利きをしてやっても構わない」
マティルダは予想外の言葉に目を見張った。
「それって、私にもクロちゃん達を裏切れって言ってるの? アー兄さん、本気で言ってる?」
「なぜそんな顔をする。あれを見て見ろ。亜人村はもうお終いだ。この戦はカロワニー様の勝利で終わったんだ。亜人達は負けたんだよ。お前にも教えたはずだ。傭兵が負け側に最後まで付き合ったって、得る物など何も無いと。例え命を失っても家の名が残る騎士とは、最初からかかっている物が違うとな。そもそも相手は亜人だ。お前が肩入れしなければならない理由がどこにある? それともタイロソス神殿の契約が気になっているのか? そんなもの、違約金を払えば済むだけの事だ。あそこが清廉潔白な組織でない事は、職員の中に犯罪組織と関わりのある者がいる時点で、分かっていた事だろう?」
彼らの所属するタイロソスの神殿には以前、犯罪組織アゴストファミリーから金を貰っている事務員がいた。
その事務員から情報を得た組織の実働部隊が、クロ子達が宿泊していたザボの店を襲撃し、返り討ちにされたのは二ヶ月ほど前の事である。(第十二章 亜人の兄弟編 より)
「世の中は綺麗事だけで生きて行ける程、易しくは出来ていない。敗者の側に義理立てしたって、自分が損をするだけに終わるんだ。いいか? かつての俺がそうだったんだ。俺は上司を信じて最後まで尽くしたが、最終的に上司は娘に自分の地位を継がせ、俺だけが全てを失った。後にアイツは俺に謝ったが、そんな物には何の価値もありはしない。謝罪の言葉では、俺が失った物は戻って来ないからだ。あれからずっと俺は後悔し続けて来た。なぜあの時俺は他の同僚のように、途中で勝ち側に乗り換えなかったのかと」
かつてアーダルトは王都騎士団に所属していたエリートだった。
しかし、組織内の派閥争いに巻き込まれ、負け側の上司に最後まで従っていたために、騎士団から去らざるを得なくなってしまった。
「マティルダ。あの時、お前達に剣を向けて済まなかった。だが、自分の将来を考えるなら、恨みを捨ててこの手を取れ。一時の感情に身を任せても、得る物などないどころか、後で後悔するだけだぞ。もっと賢く生きるんだ」
アーダルトは剣を鞘に納めると、弟子に手を伸ばした。
「さあ来い。お前には俺も期待していた。お前なら十分俺の右腕になれる。ペドゥーリ伯爵家の家臣として、一緒に出世街道を登り詰めようじゃないか」
マティルダはアーダルトの手を見つめた。そして次にアーダルトの目をジッと見つめた。
アーダルトは微笑みを浮かべた。
かつては何度も見た微笑み。頼もしく思い、そして安堵もした、良く知っている微笑み。
しかし――
「――そうか。サステナが言っていたのはこういう事だったのね」
「サステナが? 一体どういう意味だ?」
「アー兄さん。兄さんの目は目の前を見ていない。気持ちが明後日の方に向いていれば、そりゃあ目の前がお留守になるのも当たり前よね」
「さっきから何を言っているんだ? 俺が目の前を見ていない?」
「うん。昔のアー兄さんはもっと心が地に着いてしっかりしていた。いつからこんな風になっちゃったの? 今のアー兄さんは芯がフワフワしていて、まるでカルネに負けた殺し屋みたい」
カルネに負けた殺し屋――深淵の妖人、顔なしの【無貌】の事だが、アーダルトに分かるはずもない。
怪訝な表情を浮かべるアーダルト。
マティルダはどこかスッキリした顔で告げた。
「あっ。あーあ。アー兄さん、失敗しちゃったね。昔のアー兄さんなら、きっとこんな失敗なんてしなかっただろうに。やっぱり目の前が見えてないと思うよ」
次の瞬間、黒い小さな影が二人の前に飛び込んで来た。
それはアーダルトが最も会いたくないと思っていた存在。
頭に生えた四本角。首にスカーフを巻き、背中にピンクの塊を乗せた黒い子豚。
メラサニ山の魔獣ことクロ子だった。
次回「メス豚、落とし前を付けに来る」




