その49 メス豚、意識を取り戻す
私はピンククラゲのいるコントロールセンターから手術室へと入った。
手術室の入り口を通る時、霧状の何かが強く吹き付けられる。
多分、消毒のための薬品だろう。
手術室内での発塵を防ぐための処置でもあったんじゃないかな。
私は10秒ほどミストシャワーを浴び続けた。
シャワーが終わると天井から二本の白色のアームが伸びて来て私の体を捉えた。
「ワンワン! ワンワン!」
隣の部屋でコマが吠えている。
振り返るといつの間にか入り口は消えていた。
こちらからは向こうの部屋は見えない。
アームに押さえられた私の首筋に何かが押し当てられた。
背後なので見えなかったがおそらく麻酔だろう。
頭が痺れたようになり、私の思考力は低下していった。
急速に意識が遠のいていく。
このまま二度と目が覚めないなんて事はないよね。
それが私の頭に浮かんだ最後の言葉だった。
『意識の覚醒を確認』
目が覚めるとピンククラゲの声が聞こえた。
私は妙にフワフワとした頭で、自分に今何が起きているのか把握しようとした。
むっ。動けん。
『拘束中。手術は成功した』
手術? 何の手術? 私は・・・そうだ! 私は風呂場で倒れたんだった!
シャワーで間違って冷水を浴びた途端、心臓に痛みが走って・・・
徹夜でゲームをするなんて何て馬鹿なことをしたんだ。
ママに心配をかけてしまった。ゴメンねママ。
ここは病院かな?
確か私は従兄の典明の家の風呂で・・・あ、いや違った。ママはとっくに退院して私達は自分の家に戻っていたんだっけ。
私はこの春から高校に通う女子高生で・・・あれっ? 違うぞ。何か大事な事を忘れている気がする。
なんだっけ? 思い出さないといけないような・・・
「ブヒッ。ブヒッ」
その時、私の口から豚のような鳴き声が洩れた。
そうだ! 思い出した!
私は死んで異世界に豚として転生したんだった!
懐かしいパパとママの姿が、学校の友達の姿が、当たり前の日本の風景が、私の心から急速に遠のいて行った。
この世界に転生して以来、一度も感じた事の無い程の強い郷愁が強烈に私の胸を締め付けた。
私は心にポッカリと空いた消失感に、鼻水を流しながら嗚咽するのだった。
次に目が覚めた時。私の気持ちは少し落ち着いていた。
どうやら私は泣きながら寝落ちしていたようだ。
絶対にピンククラゲに見られたよね。すごくハズカシいんだけど。
ひとしきり羞恥に悶えた私だったが、ふと自分の手足が自由に動かせる事に気が付いた。
いつの間にか手術台の縛めは解かれていたようだ。
『・・・ああ。そういえば最初に言ってたっけ』
手術は前頭葉の一部にも手を入れる必要があるって。
そのため覚醒時は記憶が混乱する事もあるらしく、いきなり魔法をぶっ放す患者?もいるそうだ。
それを防ぐため、状況によっては鎮静剤をうつ事もあるとかなんとか。
どうやらいきなり泣き出した私を見て、ピンククラゲは「コイツやべえぞ」と思って鎮静剤を投与したらしい。
さっきのは寝落ちじゃなかったんだな。
どうやら鎮静剤の効果で寝てしまったようだ。
まあどのみちハズカシい事に変わりはないか。どう言って誤魔化そう。
私はそんな事を考えながら周囲を見回した。
――なんだコレ。
世界は一変していた。
いや、部屋の中は何一つ変わっていない。
あの時見た手術室そのままだ。
変わったのは私の感覚の方だ。
周囲にあるのは今までと全く同じ物にもかかわらず、”見え方”というか”存在感”が段違いなのだ。
なんだろう。例えて言うならニン〇ンドー3DSで3D機能をオンにした時のような感じ?
今までTV画面で遊んでいたゲームをVR版で遊んだ時のような感じ――と言って伝わるだろうか?
世界の濃密さが違う、とでも言えばいいだろうか。
ずっと袋のラーメンしか食べた事が無くて、袋ラーメンの事をラーメンだと思い込んでいる人間を、ラーメン有名店に連れて行って食べさせた時に感じる衝撃・・・って、例えが回りくどくて分かり辛いか。
ともかく今の私は、文字通り目から鱗が落ちたんじゃないかと疑う程の衝撃を受けていた。
『そうだ! 魔法を試してみないと! ええと点火?』
ヤバイ!
その瞬間。私は何か大きなうねりを感じた。
慌てて魔法をキャンセルするとうねりは跡形もなく消えてしまった。
私はドキドキとうるさい心臓を押さえた。
何だったんだ今のは?
ファン! ファン! ファン!
『えっ? 何? 何?』
突然の警報音?に私は仰天して周囲を見回した。
シュッ
小さな音を立てて部屋の壁がスライドすると、「ワンワン!」コマが尻尾を振りながらこちらに駆け寄って来た。
あっ、ダメ!
ブシューッ!
「キャイン! キャイン!」
壁から噴射したミストシャワーにビックリして元の部屋に戻るコマ。
ああ、なる程。ああやって部屋の一部をエアカーテンで仕切って、その中をミストシャワーで満たす訳ね。
あの時は手術前でそれどころじゃなかったから全然気が付かなかったわ。
「キューン、キューン」
すっかり怯えて尻尾を股の間に挟むコマ。
その情けない姿に、私は何故か癒されてホッコリさせられるのだった。
警報音が止まると共にミストシャワーも切られたようだ。
コマがおっかなびっくり手術室に入って来た。
その頭には丸いピンク色の帽子――というかピンククラゲが乗っている。あんたコマの頭の上で何してんの?
どうやら私が寝ている間に二人は仲良しになったようだ。
いやまあ別にいいんだけどね。
ピンククラゲはコマの世話をしている所に警報音が鳴って慌ててやって来たそうだ。
ちなみにあれから一週間ほど経っているらしい。
『一週間?! 私そんなに寝てたの?!』
『処置にかかった時間は51分。術式成功』
そうなんだ。
学校の授業時間くらいの時間で終わったのか。
どうやら手術自体は一時間もかからずに終わったものの、脳に機能が定着するのに七日間程かかったらしい。
その間、体を動かさないように眠らされていたんだそうだ。
そんなに眠らされて体に後遺症とか残らないんだろうか? 前人類の医療技術はハンパないな。
『何か不具合はある?』
『不具合・・・今は別に。ちょっと感覚が変わった気がするだけ』
頭痛も無ければ吐き気も無い。体も・・・どこも問題無いみたいだ。
私の返事にピンククラゲはプルプルと震えた。
あれで頷いたつもりなんだろうか?
ピンククラゲと私が会話をしている間、コマはジッと私の顔を見つめている。
顔? いや私の額の辺りのような・・・
『そうだ! 角! 私にも角が生えているんだよね?!』
『肯定』
ピンククラゲから触手が伸びると空中で何かを操作した。
すると私の目の前の空間に四角いモニターが映し出された。
どうやら撮影した動画をリアルタイムで映し出しているらしい。
てか、普通に鏡でいいじゃん。それともここには鏡は無いのかい?
『なっ・・・! なんじゃこりゃあ!!』
そこに映し出されたのは愛くるしいビジュアルの黒い子豚ちゃん。
首にはオシャレなスカーフを巻いている。
パイセンと最初に出会った日にプレゼントしてもらったあのスカーフだ。
子豚の耳の上、そこには羊のような捻じれた二本の黒い角が伸びている。
さらに眉間の少し上には刃物のように黒く鋭い角が。
その角の上には突起のような小さな黒い角が。カブトムシの角のように縦に並んで生えていた。
『なんで四本も生えているのよ!!』
『必要だったから?』
プルリと震えるピンククラゲ。
何故に疑問形だし?
次回「メス豚とアプデされた魔法」




