その501 ~崖の下の戦い~
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ロイン達二等兵の戦い。
全滅すらも覚悟して始まった死闘だったが、意外な事に彼らは敵兵と互角の戦いを繰り広げていた。
「負傷した者は下がれ! 無理に敵を倒す必要はない! 誰もここを通さなければいいんだ!」
「「「おう!」」」
彼らが善戦出来ている理由は大きく二つ。
一つは敵の数が思っていたよりも少なかった点。
現場に到着して分かった事だが、件の抜け道は想像以上に狭かったのである。
考えてみれば当たり前だ。長年この村に住んでいた者達すら存在を知らなかった獣道を、黒い猟犬隊の犬が見つけて来たものなのだ。大の大人が通るには狭すぎるのも道理というものだろう。
そんな細い道を松明を持った兵士が一列になって通っていたために、遠目には凄い数の部隊に見えただけだったのである。
二つ目は先程の説明にも出た事だが、抜け道が想像以上に狭かったという点。
つまり一度に戦う事の出来る人数が、極端に限定されたのである。
幸いな事に、ロイン達は敵に先んじて、道幅が狭くなるポイントを押さえる事が出来ていた。
具体的に言えば、左右が切り立った崖になっている、ちょっとした狭い谷である。
カロワニー側は、大回りして避ける事も出来るのだろうが、足元もロクに見えない闇夜でそれを行えば、斜面を滑落する危険がある。
亜人達に塞がれているのが分かっていてもそこを通らざるを得ない。そういった難所を先んじて押さえられたのがロイン達にとって幸運だった。
いや、これは幸運という言葉で片付けるべきではないのかもしれない。
カロワニー軍の持つ松明の列を発見した時、ロイン達はためらう事無く、即座に戦う事を決めた。だからこそ、この絶好のポジションに先回りする事が出来たのである。
いわばこれはロイン達の覚悟が呼び寄せた結果。勝利の神ヘリュケラが出した試練を、乗り越えた事に対しての天からのプレゼントだったのかもしれない。
カロワニー軍別動隊。迂回部隊を率いる指揮官は、健闘を続けるロイン達に怒りの声を上げた。
「全くしつこい亜人共め! お前達、早くそいつらを血祭に上げろ! このままでは俺が手柄をあげ損ねてしまうではないか!」
別動隊の目的は、村からの脱出を図る亜人達の足止めにある。
そのため彼らは本隊に先行し、抜け道を使って亜人村の反対側に回り込もうとしていた。
人数が少ないのは、敵戦力を本隊が引き付けているから。要は非武装の村人相手に、これ以上の戦力は過剰だと判断されたためである。
とはいえ、仮に今の倍の戦力があったとしても、道の狭さに妨害されて、最後尾がたどり着く前に戦いそのものが終わり、無駄になっていただけだったかもしれないが。
「こんな所で足止めを食わされていては、先に本隊が敵陣を突破してしまう。そうなれば俺のメンツは丸つぶれだ」
指揮官は本隊が陣地を突破する事を疑っていなかった。
昼間の攻撃で敵側に大きな被害を与えているのは確実だし、今回の攻撃は総攻撃――総指揮官ドッチ男爵自らが前線で指揮を執るものである。
失敗するなどあり得ない。
ならば最悪の結果は、本隊が陣地を抜いた所で既に村は空っぽ。村人達は全員逃げ出した後だった、というものだろう。
とはいえ、この指揮官は微妙にポイントのズレた焦りを抱いているようだが。
「弱り切った亜人共が、男爵自らが率いる本隊の攻撃を防ぐ事など出来はしない。いつまでもこんな感じで足止めを食っていたら、その間に本隊が敵陣を突破してしまうに決まっている。もしそうなれば最悪だ。本隊に配置された同僚は亜人共を確保して手柄を立て放題。対して俺は、男爵の命令も達成できず、少数の亜人と小競り合いをしていただけに終わる。ぐぬぬ・・・。一体どうして俺だけがこんな目に遭わなければならんのだ」
実は彼の不安もそう間違ったものではない。実際、クロ子達もカロワニー軍の猛攻に苦戦しているし、前線の早期崩壊も決してあり得ない話ではない。
とにかく、いつまでもこうして手をこまねいたままではいられない。指揮官は部下を呼びつけると命令を出した。
「腕の立つ者だけを集めた特別な分隊を作れ! その分隊を前に押し出して敵の正面突破を図るのだ! 急げ!」
こうして膠着していた戦況が変化しようとしていた。
その分隊が現れた時、ロインは丁度後方に下がって休憩を取っていた所だった。
「うわあああああ!」
「どうした!? 何があった!?」
仲間の悲鳴と共に、敵の一団が彼らの中に飛び込んで来た。
「なっ!?」
「みんな気を付けろ! そいつらは強いぞ!」
敵の一団は勢いのまま目の前の仲間達を切り殺していく。
正に荒れ狂う暴力の渦。
「亜人共覚悟しろ!」
「死にたいヤツから俺達の前に出ろ!」
「ひ、ひいいいっ!」
浮足立つ仲間達。ロインも自分の顔から血の気が引くのを感じていた。
こんな時、クロ子が助けに来てくれたら。クロ子なら不思議な魔法でたちまちのうちにこんな敵くらい倒してしまうのに。クロ子なら・・・
(バカな! そんな夢みたいな事を考えていてどうする! しっかりしろ! 俺まで弱気になっていて、誰が仲間を守るんだ! それよりもこんな時、クロ子ならどういう指示を出していたか考えろ!)
クロ子なら――そう、クロ子なら、絶対にムリな戦いは避けるよう命令していただろう。そうして彼らが身を守っている間に、自分が救出に向かうのだ。
だが、今はクロ子の助けは期待出来ない。とはいえ、浮足立ったまま個別に戦っていても敵にいいようにやられてしまうのは間違いない。
ロインは気を静めると味方に命令を出した。
「みんな落ち着け! 敵を良く見てみろ! 人数は俺達の方がはるかに多いぞ! 仲間同士でフォローし合い、決して隙を作るな! 数で取り囲んで敵の動きを封じるんだ!」
次いでロインは前線の仲間達にも指示を出した。
「コイツらの相手は俺達に任せて、そちらは目の前の敵との戦いに集中しろ! これ以上の突破を許すな!」
「お、おう!」
ロインは前線の味方がどうにか持ち直した気配を感じると、敵の一団に向き直った。
仲間達はまだ尻込みしているようだが、それでもさっきまでとは違い、敵に呑まれている様子はない。
ロインはその事に一先ずはホッとした。
「・・・くっ。亜人のくせに生意気な」
「おい、どうする。後ろが続かないのはマズいぞ」
男達としてもこうまで亜人達が早く立て直すとは予想していなかったのだろう。
たかが亜人と侮り、勢いに乗って深入りしてしまった事を後悔しているようである。
ここで彼らには三つの選択肢があった。
一つは後続が来る事を信じてこの場で戦い続ける事。
二つ目は、元来た道を戻る事。
そして彼らは三つ目の選択肢を選んだ。
「このまま下がっても埒が明かん! だったら突破してこの場を切り抜けるぞ!」
「おう!」
「ロイン! コイツら強引に抜ける気だぞ!」
「気を付けろ! 絶対に一対一で戦うな! クロカンの戦い方を思い出せ!」
「うおおおおおおっ!」
男達は一丸となって突っ込んで来た。
こうなると腕が立つ立たないの問題ではなくなる。押した方が勝ち、怯んだ方が負ける。そんな原始的な力比べとなる。
こんな状況で自由に力が振るえるのは、サステナのような武術の達人か、クロ子のような反則級キャラくらいだろう。
流石に部隊から腕の立つ兵士が集められただけの事はある。男達は何人かの犠牲を出しながらもロイン達の包囲を突破した。
「よし、抜けたぞ! 足を止めるな! 走れ、走れ! この先はろくに敵がいないはずだ!」
「マズいぞ! あっちには村の者達が! 俺達の家族がヤツらに襲われてしまう!」
「くそっ! みんな敵を追うぞ!」
二等兵の少なくない人数が、逃げ出した敵を追って走り出そうとする。
ロインも一瞬、迷いを見せたが、前線から聞こえた仲間の悲鳴に足を止めた。
「ロイン! ロインまだか!? 早く倒して手を貸してくれ! これ以上は持ちこたえられそうにない!」
「みんな待つんだ! 今は目の前の戦いに集中しよう! 逃げ出した敵の事は一旦忘れるんだ!」
ロインに制止された仲間は、焦りの表情で振り返った。
「だが、この先には村の者達がいるんだ! あそこにはもう、ロクに戦える者は残っていないんだぞ!」
「それは分かっている。・・・分かっているが聞いて欲しい。俺達には人数を分けている余裕はない。ここで敵を食い止めるのを失敗すればどうなる? 今以上の敵が村に押し寄せる事になるんだぞ。幸い、突破された人数は少ない。多く数えても十人くらいか? それなら残った者達でどうにか出来るかもしれない。だが、数十人、数百人の兵士となれば別だ。そんな数を倒せるはずがない」
今回はどうにか切り抜ける事が出来たが、敵指揮官が同じ手を繰り返さないとは限らない。
いや、こんな戦える人数が限定された戦場だ。それをやらない理由の方がないだろう。
そんな時に、今よりも減った人数で敵を食い止められるだろうか?
「だから追手は出せない。これ以上戦力を減らす訳にはいかないからだ。どうか分かってくれ」
二等兵達は気まずそうな顔を見合わせた。
「・・・悪かったよロイン。きっとお前の言う通りだ。村の事を心配するあまり頭に血が上ってしまったみたいだ」
「俺達の体は一つしかないんだもんな。あれもこれもと何でも出来るわけじゃないか。それこそクロ子やサステナみたいな常識外れなヤツなら別だろうけどさ」
確かに逃がした敵兵は気になるが、村の存亡のかかったこの戦いにおいて、優先順位を間違える訳にはいかない。
ロイン達は後ろ髪を引かれる思いを無理やり断ち切ると、目の前の敵との戦闘を続けるのだった。
次回「襲われる避難民の列」




