その499 ~名剣・晴嵐剣~
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深夜の楽園村の一角。月明かりに照らされた小さな空き地で、槍聖サステナと【ベッカロッテの二鳥槍】【烏羽色の】ダンタニアは対峙していた。
ダンタニアが持っている槍は【梵鐘割り】。サステナの所有する業物である。
逆に自身の得物を奪われたサステナは、腰に佩いた剣の柄を握っている。
サステナは地面に転がった槍に視線を落とした。
(やっぱ、カロワニー軍の兵士が使っている槍に見えるな)
サステナの見立て通り、この槍はカロワニー軍で支給されている物である。
特に良くもなければ悪くもない。使用感に癖がないのと数が揃えられるのが売りの、凡槍と言っても良い槍だ。
しかし、そんな槍でもひとたび槍聖サステナが手にすれば、業物の如き切れ味を発揮する事になるだろう。
(だが、何だかイヤ~な予感がしやがるんだよな)
理屈ではなく、直感でサステナは目の前の槍に危険な気配を感じていた。
実際、その勘は正しかった。
槍の柄の中央部分。滑り止めに巻かれた皮の下、決して外からは見えないその場所に、深い切れ込みが入っていたのである。
もし、サステナが何も気付かずにこの槍を使っていれば、数合と打ち合わずに槍は両断されていただろう。そして傍目からは、槍のせいではなく、ダンタニアの技の冴えによって切断されたようにしか見えなかったに違いない。
ダンタニア以外にこの事は誰も知らない。彼は直属の部下にさえそれを秘密にしていた。
「他人から渡された武器に命を託すのは、この俺の主義信条に反する。だからコイツを使わせて貰うぜ」
「――フン。好きにするがいい」
サステナが剣を抜き放つと、ダンタニアは言葉とは裏腹に不満そうな表情を浮かべた。
自分が仕掛けていた罠に敵が乗って来なかったのが面白くなかったのだ。
(だが、物は考えようか。槍を持っていない槍聖が【ベッカロッテの二鳥槍】を相手にどこまで戦えるか。コイツは中々に興味深い)
ダンタニアは嗜虐的な笑みを浮かべると槍を構えたのだった。
闇の中、銀閃が閃くと、鋼と鋼の打ち合わされる甲高い音が鳴る。
サステナとダンタニアの戦いは、攻めるダンタニアをサステナが防ぐ形で開始された。
これは槍を持つダンタニアの方がリーチが長くなるため、ある意味セオリー通りの展開とも言えた。
ダンタニアは勢いに乗ってサステナを挑発する。
「どうした【今サッカーニ】! 手も足も出ないではないか! こんな事なら意地を張らず、槍を拾っておいた方が良かったんじゃないか!?」
「・・・ちっ! ぬかせ!」
明らかにサステナの旗色は悪い。
しかし、ダンタニアの方にも見た目ほど余裕がある訳ではなかった。
(【今サッカーニ】め、意外と粘る。サッカーニ流槍術以外に何か剣術でも習っていたのか?)
ダンタニア本人も、槍術以外に剣術の流派にも師事している。
そちらはあくまでも手慰み程度で、本気で習っている訳ではないのだが、一応、自分では免許皆伝の腕前はあると自負していた。
(だが、【今サッカーニ】がサッカーニ流槍術以外を修めているという話は聞いた事がない)
サステナ程の有名人ともなれば、人の噂話にも良く上る。ダンタニアはサステナが別の流派の技を使うという話は聞いた事がなかった。
(それにあの剣)
ダンタニアの視線はサステナが握った剣に引き寄せられた。
最初はサステナが剣を持っていた事に驚くあまり、気付かなかったが、落ち着いて見て見れば、あれもかなりの名剣である事が分かる。
特に青味を帯びた美しい刀身などは、かの【天下八剣】の一振り【晴嵐剣】を思わせた。
(いや、待て。ひょっとしたら本物の【晴嵐剣】かもしれんぞ)
ダンタニアはハタと思い出した。
彼の知る【晴嵐剣】は、モントレド男爵家の重鎮、剣豪の誉れ高いベルフィゴが持っている有名な剣である。
元はモントレド男爵家が所有し、家宝としていたものだったが、他家からベルフィゴを引き抜いた際、彼の歓心を買うために下賜されたものとなる。
【天下八剣】はその名の高さが災いし、あまりにも多くの贋作が世に出回っている。そのため、この【晴嵐剣】が本物であるかどうかは、かなり疑わしい所がある。だが、仮に偽物であったとしても、多くの者達から「ひょっとしてこの剣なら」と思われるだけの優れた剣である事だけは間違いなかった。
実際、ダンタニアも過去に一度だけ、ベルフィゴがそれを鞘から抜いた所を見た事があったが、その時も「なる程、この剣なら【天下八剣】に選ばれるのも理解出来る」と感嘆の吐息を漏らした程である。
(【晴嵐剣】の持ち主、ベルフィゴはモントレド共々、最初の戦いでこの村の亜人共に殺されたと聞く。その時は「剣豪ベルフィゴの腕もそこまで錆びついていたか」と呆れ返ったものだが、相手が【今サッカーニ】ならそれも当然というものだ)
どうやらダンタニアは、サステナがベルフィゴとの勝負に勝利して、彼の持っていた剣を手に入れたと思ったようだ。
真実は違う。ベルフィゴは主人を護衛して楽園村に入っていた所を、不意にクロ子に遭遇。出会い頭に魔法を喰らってあえなく命を落としていたのだった。(第十四章 楽園村の戦い編 その453 メス豚と略奪兵達 より)
かつてダンタニアが感嘆した剣が――いつかは自分もあのような業物を手に入れたいものだと憧れた剣が――手が届く距離にある。
(何という幸運な夜だ! 【今サッカーニ】を殺せばマルテールの仇を討てるだけでなく、自分の名誉を高める事も出来る。そう思っていた所に加え、憧れの名剣まで付いて来るとはな!)
この瞬間、ダンタニアの頭の中は、槍聖殺しの名声を得た未来の自分の姿と、【天下八剣】の所有者になるという名誉欲によって占められた。
優れた日本刀には、人を惹き付け、虜にする”妖刀”と呼ばれる物もあったという。
この時のダンタニアにとって、【晴嵐剣】は正に妖刀。彼は美しい剣の持つ怪しい魅力と、【天下八剣】という名の持つステータスにすっかり心を奪われてしまった。
そしてそんな相手の心の揺らぎを見逃す槍聖サステナではなかった。
「くっ! やべっ!」
サステナはここまでダンタニアの猛攻を防いでいたが、遂に耐え切れずに後退した。――かに思われた。
今こそチャンス。しめたとばかりに前に足を踏み出すダンタニア。
しかし、それこそがサステナの誘い。彼が仕掛けた罠だった。
サステナは後退などしていなかった。立ち位置はそのままに、ボクシングのスウェーバックの要領で、上体だけを大きく後ろに反り返らせていたのである。
ダンタニアはサステナの表情、そして大きな動きに騙されてしまったのだ。
しまった、と声に出す間もなく、彼は自分がサステナの剣の間合いに踏み込んでしまった事を知った。
「ひゆっ!」
サステナが一息で上体を戻す。
ミドルレンジからショートレンジに。こうなってしまえば、逆に槍はそのリーチの長さを持て余してしまう。
サステナが剣を上段に振りかぶる。
ダンタニアは槍を水平に持ち上げ、頭上で攻撃を受け止めようとした。
「ふしっ!」
裂ぱくの気合と共に銀閃が頭上から放たれた。
握った槍から信じられない程力強い衝撃が伝わる。槍ごと体を押しつぶそうとするかのような重い攻撃に、ダンタニアは必死に歯を食いしばって耐えた。
(なんという剛腕! 剣でこれなら、本来の槍を使っていたら一体どうなっていたのか!?)
一秒にも満たない刹那の時間、ダンタニアはサステナの剣技の冴えに驚愕していた。
しかし、それが彼のこの世の最後の思考となった。
カキン!
槍の柄に通っている鉄心が断ち切られる音と共に、サステナの恐るべき凶刃はダンタニアの頭を捉え、頭頂部から顎の先までを真っ二つに切り割いたのだった。
死闘の結末はあっけなく、そして衝撃的なものだった。
【ベッカロッテの二鳥槍】、【烏羽色の】ダンタニアはその端正な顔を真っ二つに切り割かれて地面に倒れている。
改めて確認するまでもなく即死だ。
人間が槍ごと頭からカチ割られる。信じられない光景に、ダンタニアの部下達は誰も声を出せずにいた。
サステナはダンタニアの体を踏みつけて剣を引き抜くと、槍の穂先を拾った。
「あ~あ。これじゃもう使えやしねえ。全くヒデエ事しやがるぜ」
切ったのは自分だろう、というツッコミはどこからも出なかった。
代わりに部下の一人が震える声でサステナに尋ねた。
「ど、どういう事だ? ピスタバ様(ダンタニアの姓)が持っていたのはお前の【梵鐘割り】じゃなかったのか?」
男はサステナの愛槍【梵鐘割り】が、剣に切り割かれたのが納得出来なかったのだろう。あるいは自分達の勘違いで、この槍は【梵鐘割り】ではなかったのか?
サステナは名残惜しそうに槍の穂先を弄んだ。
「ああん? てか、さっきからお前ら何を言ってやがるんだ? この槍の事を言っているのなら、コイツはただの名無しだぜ。誰が打ったのかは俺も知らねえが、良く出来た槍だからずっと愛用してただけのこった。【梵鐘割り】なんて銘じゃねえよ」
サステナはダンタニアの死体を見下ろした。
「【梵鐘割り】ってのはホレ、そこの死体のこった。俺が戦場や果し合いでそうやって相手を殺してたら、その死体を見たヤツらがそう呼ぶようになったってだけだ」
どうやら【梵鐘割り】とは槍の銘の事ではなく、サステナにしか残せない特徴的な死体、ないしはその死体を生み出したサステナの技の事を、誰かがそう呼び始めたもののようだ。
つまり、【梵鐘割り】とはある意味ではサステナ自身。槍であれ剣であれ、この天才がそれに相応しい得物さえ持てば、同じ結果が訪れるという訳である。
サステナは穂先を投げ捨てると、ダンタニアの部下達に向き直った。
「ちなみに今の俺は、長年愛用していた槍を失くしまってちっとばかり気が立っている。お前らの中に、この槍の代わりになるような槍を持っているヤツがいるといいんだがな」
死神はそう言うと、座った目で順番に男達をねめつけたのだった。
次回「二等兵達の死闘」




