その498 ~もう一つの戦場~
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時は少々遡る。
カロワニー軍を見張っていたマサさん達黒い猟犬隊が、『敵機動部隊見ゆ』を意味する『テ』連送を行うより少し前。
闇の中、今も脱出の準備でごった返す村の中を、サッカーニ流槍術師範サステナはぶらぶらと歩いていた。
「参ったぜこりゃ。一体どこのどいつが持って行っちまったんだか」
「サステナ様。こんな所で何をしているんですか?」
サステナに声をかけて来たのは、柔和な印象の中年男性。
名前はグルド。亜人兄弟の兄、ロインの婚約者サロメの父親である。
サステナは体裁が悪そうに頭を掻いた。
「イヤなに、俺の槍がどこかにいっちまってな。そこにあった木箱の上に置いといたんだが、ちょっと目を離した隙になくなっちまってたんだ」
サステナは持ち物をどこにでも置くという悪い癖がある。クロ子も一度ならず、彼が自分の槍を無造作に放り投げているのを見て、「槍の師範代なのに、大事な商売道具にその扱いってどうよ?」と、眉をひそめたものである。
「ああ、それでしたら」
グルドは愛想よく笑顔を浮かべた。
「先程サロメが――私の娘が槍を持って走って行くのを見ましたよ。きっとサステナ様が槍を置き忘れていたのに気付いて届けに行ったんじゃないでしょうか?」
「なに? なんて余計なマネを――って、あ~、済まねえ。すれ違いになっちまってたのか。で、あんたの娘はどっちに行ったか分かるかい?」
どうやらサステナが置いて置いた槍をサロメが見つけて、忘れ物だと思って届けに行ってしまったようだ。
サロメの行動は親切心から出たものだし、そもそもそんな大事な槍をそこらに置いておく方が悪い。
本人もその辺りは分かっているのだろう。殊勝な態度でサロメの行き先を尋ねた。
「それでしたら、あっちの方に向かってました」
「ん? なんだってまたそんな方に? まあいいや。教えてくれてありがとよ。助かったぜ。今から追いかけてみらぁ」
そう言うとサステナは軽く手を振って歩き出した。
グルドは愛想笑いを浮かべたまま、サステナの後ろ姿を見送ったのだった。
いつもの夜とは異なり、今夜の楽園村は深夜にもかかわらず人々が溢れかえっている。
槍を持ったサロメの姿を見た者も多く、サステナはそれ程苦労もなく彼女の後を追う事が出来た。
それからしばらく後、サステナは怪訝な表情で呟いた。
「・・・コイツは一体どういうこった? 俺に槍を届けに行っているにしては、ひと気のない方に向かっているようにしか見えねえんだが」
確かに。サロメの足取りは真っ直ぐ村の外へと向かっている。
やがて家の明かりもポツポツと少なくなっていった。
建物の影が黒々と落ちる道を、サステナは月明かりだけを頼りに足早に歩いて行く。
「まだ追いつかねえのかよ――って、ちっ。そういう事か」
不意にサステナは舌打ちして立ち止まると、グルリと周囲を見回した。
いつの間にかすっかり人影は消え、辺りはシンと静まり返っている。いや、いくらなんでも静か過ぎる。
「・・・どうりでおかしいと思ったぜ。いくら本物そっくりの亜人に化ける能力があるにしたって、亜人は亜人。人間とは口元の作りからして違ってやがる。俺達人間相手ならともかく、亜人同士で見りゃあ、どうやったって喋り方やら何やらで不自然な点が目に付くってもんだ。亜人だらけの村に潜入する場合、どう考えてもコイツは致命傷となる」
本物そっくりの亜人に化ける能力。
サステナは、楽園村に潜入していた深淵の妖人最後の一人、顔なしの【無貌】の事を言っているのだろう。
【無貌】はその固有魔法で亜人の村人になりすまし、村とカロワニー軍を行き来する事で、クロ子達の作戦や情報を流していた。
だが、なぜ今、その話が出るのだろうか?
「しかし、前もって村の内部に手引きが出来るヤツが潜んでいたのなら話は別だ」
サステナはゆっくりと歩を進めると、小さな空き地に入った。
「俺達は内通者の正体は顔なしの【無貌】の事だと思い込んじまった。ヤツが亜人に化け、こっちの情報を漏らしていたと、そう考えていた。まあそれも実際、そうだったんだろう。だが、ヤツには仲間がいたんだ。そいつは本当の裏切り者。亜人でありながら同胞に背を向け、人間の側に付いた真の裏切り者。【無貌】の潜入を手引きし、ヤツが疑われずに自由に動き回れるよう、裏で手を貸していた存在」
サステナは足を止めると背後を振り返った。
「カロワニー軍に命じられて俺をここにおびき寄せたか? サロメ。裏切り者の正体はお前とお前の親父だ」
シンと静まり返った村の中、空き地の外に灯りが灯った。その数、十。
顔を見るまでもなく人間――カロワニー軍の者達だろう。その中にサロメの姿はないようだ。
全員槍で武装しているが、音で村人に気取られないためか、金属製の鎧は着ていない。
サステナはバカにしたように鼻を鳴らした。
「なんでい、たったの十人ちょっとか。それだけじゃこの俺を相手にするには役不足だぜ」
「相変わらず自信過剰な男だな? 【今サッカーニ】」
男達の中央。闇夜でも分かる痛々しい包帯姿の青年がニヤリと白い歯を見せた。
「自慢の槍はどうした? 武人なら自分の武器くらい常に手元に置いておくべきだろう? それとも女にでも盗まれたか?」
「・・・テメエ、やっぱり生きてやがったか」
包帯姿の青年は【ベッカロッテの二鳥槍】、【烏羽色の】ダンタニアだった。
サステナはダンタニアが担いでいる物を見て顔をしかめた。
彼は二本の槍をそれぞれ左右の肩に担いでいた。その右手に掴んでいる槍。
改めて確認するまでもなく、それはサロメに盗まれた彼の愛用の槍だった。
「あの時、手ごたえが浅かったから、やれてねえかもとは思っていたが、案の定だったか。それにしたって、仕返しに他人の槍を盗むとはな。性根がさもしいヤツはチンケな嫌がらせを思い付くもんだぜ」
「計略と言って欲しいな、【今サッカーニ】。槍を振り回す事しか出来ない輩には、理解する頭もないだろうが」
「【今サッカーニ】【今サッカーニ】とうるせえよ。俺の名前はサステナだっつっただろうがよ」
吐き捨てるサステナに、ダンタニアはもったいぶった態度で右手の槍を掲げてみせた。
「【梵鐘割り】と言うのだったか? なる程、何処か名のある鍛冶師が打った業物に違いない。実に見事な槍だ。お前を殺した後は自分の物として愛用する事にしよう」
「けっ。テメエにその槍が使いこなせるかよ」
このタイミングだと完全に負け惜しみにしか聞こえないが、サステナの言葉は案外、的を得たものであった。
大振りで穂の大きいサステナの槍は、手数を重視するダンタニアの流派とは相性が良くない。
ダンタニアにもそれは分かっていたが、自分の目的のためにはこの槍が必要だったのである。
彼は周りの部下に目配せをすると空き地に足を踏み入れた。
「お前達は手を出すな。これは自分と【今サッカーニ】の勝負だ」
「「「はっ!」」」
「はんっ! 病み上がりのくせに見栄を張るもんじゃねえぜ。部下の前でカッコを付けてると、後で後悔する事になるぜ」
ダンタニアはサステナの挑発には乗らずに、左手の槍を――持参していた槍の方を投げてよこした。
「使え。素手の相手をなぶり殺しにしても、俺達の――【二鳥槍】の名誉は回復しない」
そう。これこそがダンタニアの狙いである。
サステナの槍でサステナを殺す。それでこそ、自分達の名誉の回復と【鳶色の】マルテールの復讐は完遂される。
部下達はその見届け人である。
しかしサステナは地面に転がった槍に目を落とすだけで、拾おうとはしなかった。
「さあ、どうした。槍を取れ。逃げようなどと考えているなら止めておく事だ。たった一人で武器もなく、この人数から逃げられるというなら話は別だがな」
今夜、彼がタイロソスの信徒アーダルトを通して亜人の内通者に命じていたのは、サステナの槍を盗んでこの場所までおびき寄せる事だった。
そしてつい先ほど、亜人の少女から渡されたサステナの槍を見た時、ダンタニアはその素晴らしさに思わず声を上げた。
「【梵鐘割り】などと聞いた事のない銘だったが、何という素晴らしい槍だ! きっと名のある名工の手による物に違いない! 【今サッカーニ】を葬るのにこれ程相応しい槍は他にあるまい!」
サステナと対峙していた時にも思っていた事ではあったが、こうして改めて手にした事で実感した。これは紛れもない名槍だった。
ダンタニアは【梵鐘割り】を手に入れた事で今夜の勝利を確信した。
「申し分ない槍だ! この槍なら【今サッカーニ】を殺せる!」
そして今。彼がサステナに渡したのは、出発前にアーダルトから譲り受けた数打ちの槍だった。
ダンタニアはこの名槍【梵鐘割り】でなら、そんな凡槍如き、一刀の下に切り捨てられる自信があった。
(さあ拾え! 早くその槍を拾うんだ! 自分にマルテールの復讐を果たさせろ!)
ダンタニアが強く念じる中、サステナは地面の槍から視線を切ると――腰に佩いた剣の柄を握った。
「ああっ?」
ダンタニアの口からマヌケな声が漏れた。
サステナは【今サッカーニ】。槍の申し子と呼ばれたサッカーニの生まれ変わり。そのイメージが強すぎて、ダンタニアはサステナが剣を持っている事に気付かなかったのである。
次回「名剣・晴嵐剣」




