その496 ~全軍亜人陣地に突撃せよ~
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ううっ・・・まさか亜人達があれ程強かったとは」
「あの魔獣は悪夢そのものだ。隣の部隊はヤツに指揮官をやられた事で壊滅させられたんだぞ」
「ハア、ハア。 ・・・足が、俺の足が・・・」
「痛い、痛いよ母さん・・・助けて」
夜になってもカロワニー軍は、昼間の戦いの後処理に追われていた。
むしろ時間が経ち、具体的な被害が明らかになった事で、より混乱の度合いが増しているようにも感じられた。
兵士達の中には、ショックで呆然自失になる者もいれば、激しい戦闘に気力を失い、食事も喉を通らずにうずくまる者もいる。
あまりのケガ人の多さに医者の手が足りず、治療院となった建物の外には負傷者が列をなして倒れ込んでいる。
正に満身創痍。
昼間の戦いでクロ子達楽園村防衛隊は大きな被害を出しているが、カロワニー軍も同じくらいに――いや、クロ子とサステナという規格外の存在を止められる者達がいなかった分だけ、ひょっとしたらこちらの方がより深刻な被害を受けていたのかもしれなかった。
しかし、そうは言っても楽園村とカロワニー軍とでは、そもそもの総数の差の開きが大き過ぎる。
全体として見た場合、あくまでもこちらの方が優勢。このまま総力戦を挑み続ければ、数日以内に亜人村を制圧する事が出来る。
それがカロワニー軍の本陣、ドッチ男爵とその幹部達の出した結論だった。
ここはカロワニー軍の本陣。
諜報を担当している部下からの報告に、指揮官のドッチ男爵は驚きの声を上げていた。
「なにっ!? 亜人達が洞窟を使って我々から逃げようとしているだと!?」
「はっ。元々亜人達は、村の反対側にある洞窟を通って、このカルテルラ山へとやって来たもののようです。ヤツらは昼間の戦いで数多くの犠牲者が出た事に恐れを抱き、先祖が通って来たその洞窟を使って村から脱出しようと企んでいるようです」
どういった経緯を辿ったのかは不明だが、どうやらクロ子立案の脱出計画は早くもカロワニー軍に知られてしまったようだ。
よほどカロワニー軍の諜報部隊が優れているのか、あるいはクロ子が危惧したように、深淵の妖人、顔なしの【無貌】が不可思議な術によって本隊に連絡を飛ばしていたのか。
真相の程はともかく、今重要なのは、亜人達の脱出計画はドッチ男爵達の知る所となってしまった、という事である。
幹部達は「何という事だ・・・」と唸り声を上げた。
彼らが盟主、カロワニー・ペドゥーリが命じたのは、亜人達の確保。
例え村の占拠に成功したとしても、その間に亜人達に逃げられてしまっては元も子もない。
カロワニー・ペドゥーリが求めているのは亜人達――特に村長一家――であり、村の確保には何の意味も持たないためである。
これはマズい事になった。
幹部達は慌ててドッチ男爵に振り返った。
男爵は額に青筋を浮かべ、怒りに声を震わせた。
「おのれ亜人共め。ようやく攻略の目途が立ったと思えばこんなマネを・・・。ヤツらはどれだけ俺をコケにすれば気が済むのだ」
クロ子が聞けばブヒッと鼻で嘲笑ったであろう言葉。ついでに「ンなモン知らんがな。そっちの都合を押し付けんなし。自意識過剰かよ」などと悪態をついたかもしれない。
「村の反対側にそんな洞窟があったなど、流石に想定外と言わざるを得ないでしょう。それでも事前に存在が分かっていれば、まだ手の打ちようもあったと思われますが」
「ヤツらにとっても洞窟は最後の生命線。余程厳重に秘匿されていたのであろうな」
幹部達は難しい顔を見合わせた。
クロ子は「そんなトンネルがあるのなら、もっと早く言っといて貰いたかった」と散々文句を垂れていたが、情報の露出が遅かった事が結果として防諜効果に繋がり、カロワニー軍の諜報部隊に後手を踏ませたようである。
ドッチ男爵はイスを蹴って立ち上がった。
「何をこんな所で呑気に話をしている、急いで出撃の準備をせんか!」
「出撃!? 今からでしょうか!?」
男爵は「当然だ!」と怒鳴りつけた。
「ここまで追い詰めておいて、最後の最後に逃げられるなどあってなるものか! この戦いは俺が直接指揮を執る! 全軍、亜人共に対し総攻撃を開始せよ!」
「「「ははっ!」」」
幹部達は慌ててテーブルから立つと、出撃の準備をするため、部屋から駆け出して行ったのだった。
「出撃! 出撃だ! 今から亜人共の陣地に夜襲をかけるぞ!」
「出発前に火の始末を忘れるな! そこ、かがり火の側に物を置くな! 戦っている最中に後方から火が出たらどうする! 消しに戻る訳にはいかないんだぞ!」
楽園村を巡る戦いが始まってからかれこれ一ヶ月。今まで一度もカロワニー軍から夜襲をかけた事はなかった。
カロワニー軍、と言えば聞こえはいいが、その内情は亜人村制圧のために集められた寄せ集めの軍である。
練度も知れたものだし、そもそも軍上層部自体が一枚岩ではない。
人が三人寄れば派閥が出来る、と言うが、同じカロワニー・ペドゥーリ傘下でも、親ドッチ男爵派の貴族もいれば、派閥間のバランス取りの理由だけで参加している貴族もいる。
その上夜戦ではどうしても同士討ちの危険が避けられない。
ドッチ男爵としても、こちらが亜人達を押している状況で、無理にリスクを犯す必要性を感じなかったのである。
ただし、今夜までは。
「輜重部隊の兵士達にも武器を取らせろ! 総力戦だ! 今夜中に決着を付けるんだ!」
今まではずっと後方に構えていたドッチ男爵が、現場に姿を現し、直接指示を飛ばしている。
総力戦という言葉にウソはないのだ。
このまま手をこまねいていては、亜人達は秘密のトンネルを通ってこの村から脱出してしまう。
ドッチ男爵は尻に火が付いた状態なのだ。
正に今夜が正念場。
カロワニー軍が、いや、ドッチ男爵が勝利出来るか否かは、全てがこれからの行動一つにかかっていた。
夜中でありながら、蜂の巣をつついたような状況になっているカロワニー軍。
そんな騒ぎを、建物の中から眺めている青年がいた。
黒く艶やかな髪。全身に巻かれた痛々しい包帯。こけ落ちた白い顔にギラギラと殺気立った目。
【ベッカロッテの二鳥槍】、【烏羽色の】ダンタニアである。
「バカなヤツらだ。いくら数で攻めても、敵に【今サッカーニ】がいる以上、無駄に犠牲を増やすだけだというのに」
【今サッカーニ】ことサステナが聞けば、「いや、流石にこの数はしんどいだろ」とツッコミを入れたかもしれない。
だが、ダンタニアの中では、自分達を切り捨てたサステナのイメージがどんどん大きく膨れ上がり、今やどうやっても倒す事の出来ない難攻不落の壁として感じられるまでになっていた。
「この世で【今サッカーニ】を倒せるのは自分だけだ。だが、正攻法で当たっても返り討ちに遭うだけだろう。それ程までにヤツは強い。認めよう。ヤツは強い。自分とマルテール(※【鳶色の】マルテールの事。【ベッカロッテの二鳥槍】の片割れ)よりも、もっともっと、途轍もない程に」
ダンタニアは怒りにギチリと奥歯を噛みしめると、髪を掻きむしった。
「憎い! 憎い! ヤツが憎い! マルテールを殺したのが憎い! 俺よりも強いのが憎い! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!」
ダンタニアは激情に駆られて壁を殴りつけると荒い息を吐いた。
「ハア、ハア、ハア・・・。確かに自分はヤツに負けた。一対一の試合を挑んでヤツに切られた。ならば殺し合いならどうだ? 互いに条件を揃えた試合ではなく、卑怯な手段でも何でもありの殺し合いならどうなる? それでもヤツは自分に勝てるか? 自分の執念は、恨みは、ヤツに届かないのか?」
ダンタニアは「否!」とかぶりを振った。
「届くか届かないかではない! 届かせてみせる! そうして見事【今サッカーニ】の首級を上げ、マルテールの墓前に供えて見せようではないか!」
その時、部屋にノックの音が響いた。
ドアは最初から開け放たれている。部屋の外の人間は、声を掛ける代わりに壁を叩いたようだ。
入り口に立っているのは傭兵姿の若い男。タイロソスの信徒アーダルトである。
「ピスタバ殿(ダンタニアの家名。男爵家)、そろそろ向こうに指示した時間になります」
「――そうか。行こう」
ダンタニアは愛用の直槍に手を伸ばしたが、ふと何かを思い付いたのか動きを止めた。
「アーダルト。お前の槍を自分に渡せ」
「私の槍ですか? これは兵士に支給されている数打ちの凡槍で、ピスタバ殿が持つのに相応しい物ではありませんが?」
「構わない。それがいいんだ」
アーダルトは怪訝な表情を浮かべたが、重ねて要求されると素直に渡した。
ダンタニアは軽く槍を振ると苦笑を浮かべた。
「ふむ。確かに凡槍だ。穂先の作りが雑で、刃が波打っているし、柄に鉄芯も入っていない」
「でしょうね」
しかしダンタニアは満足したように槍を肩に担いだ。
「申し分ない。貰っていくぞ。自分の槍は置いて行く事にする」
「そうですか。では現場までご案内致します」
こうして二人は建物を後にしたのだった。
次回「メス豚と深夜の戦い」




