その494 メス豚と暗殺者の最後
クロコパトラ歩兵中隊の大男カルネと、深淵の妖人最後の一人、顔なしの【無貌】との戦い。
その光景を見つめながら私は釈然としない思いを抱いていた。
『いや、自分の手で仲間の仇を討ちたいって気持ち自体は分からないでもないけどさ。それにしたって物には限度ってモンがあるんじゃない? 相手はどんな隠し玉を持っているか分からない改造生物な訳だし。そんな危険な相手に自分一人で戦いたいとか、どうすりゃそんな発想になるのか訳分かんないんだけど』
目的が仇を討つ事にあるのなら、重視すべきは相手を葬り去る事であって、数の利を捨ててまで一対一で戦う意味はまるでない。
そんなこだわりは返り討ちの危険の分だけ害でしかないはずだ。
『価値観の違いが分からん。・・・けど、困った事にサステナが妙に乗り気になってるのよね』
サステナはカルネの訴えを聞くや否や、アッサリとこの場を一任。ウンタとマティルダ、それと私に対して、「手出し無用」と念を押したのだ。
私はジト目でサステナを見つめた。
『コイツさえ余計な事をしなければ、命令してでもカルネが危険な戦いをするのを止められたのに』
とはいえ、さしもの私も今のこの状況で楽園村最高戦力のサステナの機嫌を損ねたくはない。
そもそも、この話の一体何が彼の琴線に触れたのやら。チンピラの考える事はマジ分からん。
当のサステナは嬉しそうにカルネに檄を飛ばしている。
「ホレホレ、顎が上がって来てんじゃねえか!? へばったんならいつでも俺が代わってやるぜ!?」
「う、うるせえ! まだやれらあ!」
カルネはサステナの声援? 野次? を受けると発奮。力任せに相手に槍を叩きつけた。
予想外、と言っては本人に悪いが、ここまでは見事なワンサイドゲームである。カルネの猛攻に【無貌】は防戦一方となっていた。
『あれ? 実は本当に普通に押している?』
ひょっとして【無貌】のステータスは変装の固有魔法に全振りされていて、最初から戦闘力はカルネ以下だったとか?
武の道の達人であるサステナにはひと目でそれが分かったから、「これならカルネで十分」と判断してこの場を彼に任せたとか?
これって私が気付いてなかっただけで、最初から勝ち確の戦いだったって事?
私の背中でピンククラゲがフルリと震えた。
『微レ存』
『ちょ、止めてよ水母! あれ? ひょっとして、私が勝手に深淵の妖人って名前に過剰に反応していただけ? だとしたらちょっと恥ずかしいんだけど』
い、いや。敵を侮って痛い目を見るくらいなら、最初から警戒し過ぎなくらいの方がいいに決まってる。
いくら勝ち確の戦いでも、もしもという事だってある。石橋を叩いて渡る。私の判断は間違っていなかったはずだ。きっと。
私は心の平静を保つため、頭の中で懸命に言い訳を並べるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子が人知れず己の羞恥心と戦っていたその頃。タイロソスの信徒女戦士マティルダは、クロ子とは違う意味で釈然としない思いでカルネの戦いを見つめていた。
(何で深淵の殺し屋はカルネ相手に手こずっているんだろう?)
顔なしの【無貌】は、(アーダルトの裏切りがあったとはいえ)自分とビアッチョを圧倒した程の手練れである。
カルネの長所はその恵まれた体と思い切りの良さだけ。あの殺し屋が苦戦するような相手とはとても思えなかった。
(けど、実際に殺し屋はカルネに対して防戦一方だ。信じられない。一体どうして?)
マティルダがふと視線を感じて振り向くと、薄ら笑いを浮かべながらこちらを見ているサステナと目が合った。
「自分達がやられた相手が、カルネなんかに手こずっているのが我慢できないって顔をしてやがるな」
「そ、それは!?」
マティルダは図星を突かれて言い訳の言葉が出なかった。
「まあお前の見立ては正しいぜ。あの殺し屋の野郎、カルネより一枚も二枚も上手だ。あれは手も足も出ないんじゃなく、わざと攻撃を出さずに勝負を長引かせているのさ」
「勝負を長引かせる? そんな事をして何の意味があるんでしょうか?」
この一ヶ月の間の戦いで、マティルダは戦場で何度もサステナの戦いを目にする機会があった。
その時に見た鬼神の如き暴れっぷりは、かつての師匠アーダルトの腕前を遥かに凌駕するものだった。
だからマティルダは格上に教えを乞う形でサステナに尋ねた。
サステナは呆れ顔を浮かべた。
「カルネをやっちまったら、次は俺とクロ子が出て来るだろうが。カルネには勝てても、俺とクロ子には敵やしねえ。今はカルネの希望って事で一対一でやらせているが、アイツがやられちまったら、もうそんな縛りは無効だ。当然、俺達は二人がかりで行くぜ。つまりヤツはただでさえ勝てない相手を二人纏めて相手しなきゃならなくなるって訳だ」
「あっ・・・」
そう。【無貌】にとっては、目の前の敵を倒せばそれで終わりという訳ではないのである。
自分は戦いに気を取られるあまり、サステナに指摘されるまでそんな簡単な事にすら気が付かなかったとは。
マティルダは羞恥に耳が熱く火照るのを感じていた。
「ま、仇を前に頭に血が上る気持ちは分かるぜ。普通じゃいられねえよな」
「サステナ。それで言うなら、俺やカルネにとってもヤツはトトノの仇になる。だったらなぜカルネを一人でヤツとやらせた」
クロコパトラ歩兵中隊の副隊長ウンタがサステナに尋ねた。
サステナは「まあそう睨むな」と小さく肩をすくめた。
「さっきも言ったが、この場に俺とクロ子がいる限り、ヤツにカルネを殺す事は出来ねえよ」
「だが、窮鼠は猫を噛むとも言う。どうせ生き残る道がないならと、ヤツがやぶれかぶれになってカルネを道連れにしようとする事はないのか?」
「最終的にその考えに至る可能性はあるだろうな」
サステナは事もなげに言い放った。
「だったら!」
「だが、そうなる前にカルネが何とかしちまうよ」
ウンタが何かを言うより先に、サステナは言葉を被せた。
「戦いってヤツには――勝負事ってヤツには、目に見えない流れというか道筋みたいな物があるんだよ。コイツを外せばどんな達人だろうが、槍を担いだばかりのヒヨッコ相手にでもコロッと負けちまう。確かにあの殺し屋はカルネより腕が立つ。だが、ヤツは目の前の敵よりも俺やクロ子の方を見ている。つまり戦いに不純なものを持ち込んでいるって訳だ。それに対してカルネのヤツは真っ直ぐだ。勝負に余計なものを何一つ持ち込んでいねえ。勝利の神ヘリュケラってのはな、得てしてそんな一途な男に尻を振るもんなんだよ。まあ、いいから見てな。この戦い、多分カルネが勝つぜ」
ウンタは「多分か」と不満そうに呟いた。
マティルダはサステナの話を聞いても納得する事が出来なかった。サステナを信用していない訳ではない。彼程の達人がそう言う以上、何かしらの裏付けはあるのだろう。
だが彼女には、どうしてもサステナの言葉がただの精神論にしか思えなかった。
(くそっ! どうすればいい! どうすれば!)
【無貌】は熱くなった頭で思案を巡らせ続けていた。答えの出ない難題に彼の集中力は次第に欠けていった。
だからだろう。足に鋭い痛みが走った時、彼は一瞬、自分に何が起きているのかすら分からなかった。
「犬だと!? さっきのヤツか! フシッ!」
「キャイン!」
それは額に角の生えた大型犬だった。
犬は――黒い猟犬隊の犬は、密かに【無貌】の死角に回り、不意を突いて彼の足に噛みついたのだ。
完全に意識外からの攻撃。【無貌】が咄嗟に含針を放つと、犬は顔に針を受け、情けない悲鳴を上げた。
戦いの最中に生じた一瞬の隙。
カルネはこのチャンスを逃さなかった。
「うおおおおおおお!」
「なっ!? しまった! うぐっ!」
渾身の力と共に突き出された槍は、鉄壁の守りを潜り抜け、【無貌】の胸を深々と貫いた。
闇夜に黒い血しぶきが舞い、妖人の服を熱く濡らす。
「ぐっ・・・ごふっ。ば、バカな・・・こんなヤツに・・・こ、この俺が」
「ハアッ! ハアッ! ハアッ! と、トトノの仇だ! コイツを喰らえ!」
カルネは最後の残った力で槍を引き抜くと、横殴りに【無貌】の顔面に叩きつけた。
槍の穂先が頬骨を砕き、顔面に深々と食い込むと、衝撃で眼窩から眼球が飛び出した。
グラリと崩れ落ちる【無貌】。
「ワンワン! ワンワン! グルルルル――」
その体にさっきの犬がのしかかると、喉笛に牙を突き立てた。
『グルルル――グルルル――フウ! フウ! やった、やった! 弟の仇を討ったわ!』
「お前・・・いやまあ、お前にとってそいつが家族の仇だったってんなら、俺の邪魔をしたと怒る訳にはいかねえよな」
カルネは槍を杖に疲れた体を支えると、小さくため息をついた。
そんな彼の背中にサステナが声を掛ける。
「最後は期待してたのとはちと違ったが、良くやった! 俺は最初からお前が勝つと思ってたぜ!」
カルネは「ホントかよ」と苦笑すると、口元を血で赤く染めた犬の頭を、大きな手で優しく撫でたのだった。
次回「メス豚と長い夜の始まり」




