その493 ~カルネvs暗殺者~
我々を悩ませていたカロワニー軍との内通者。
その正体は、深淵の妖人最後の一人、顔なしの【無貌】だった。
【無貌】は大胆にもその固有魔法で亜人の村人に化け、内側からこちらの情報を探っていたのである。
『てか、マティルダからコイツの能力について聞かされてはいたけど、実際に見たら想像以上だったわ。マジでコイツ、暗殺者なんてやらなくてもこの芸だけで一生食っていけるんじゃない?』
前世の地球なら、ビックリ人間としてテレビに引っ張りだこだったと思う。
【無貌】はチラリと私に視線を落とした。
何ぞ?
「魔獣か。また面倒なヤツが・・・まあいい。俺の邪魔をするなら纏めて切って捨てるだけだ」
そう言うと【無貌】は顔の前にナイフをかざす独特の構えを取った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
(厄介な事になった)
【無貌】は舌打ちしたい気持ちを堪えていた。
目の前にいる傭兵姿の大男。コイツはまだいい。力も度胸もありそうだが、構えを見ただけで、大した腕前を持っていない事は【無貌】の目には明らかである。
この程度の相手に苦労するようでは、今頃彼はどこかの仕事で命を落としていただろう。
確かに彼の固有魔法は潜入向きで、深淵の妖人の他の仲間達とは違い、戦闘には適していない。しかし、並みの兵士相手なら労なく切り捨てられる程度の腕前は持っていた。
(問題は魔獣だが・・・コイツの攻撃は目に見えないだけに危険極まりない)
この一ヶ月ほどの戦いの中、彼は何度か楽園村とカロワニー軍の間を行き来していたが、その際に戦場を縦横無尽に荒らし回るクロ子と槍聖サステナの姿を何度か目撃していた。
ハッキリ言ってアレは化け物の類だ。正面切って戦うのは無謀と言える。
仲間内で単独で太刀打ち出来そうなのは、彼の知る限り【手妻の陽炎】くらいしかいない。あるいは、魔獣は人間の言葉を理解しているようなので、【言の葉】の術も効果があるかもしれない。だが【無貌】にはどうしても、自分が戦闘でクロ子達を倒すビジョンが思い描けなかった。
(とはいえ、勝利条件が生き伸びる事でいいなら話は別だ)
相手を倒せないなら逃げればいいのである。【無貌】は自分の固有魔法、特殊な身体強化の魔法に絶大な自信を持っていた。
一度相手の目から逃れる事さえ出来れば、即座に別人になってやり過ごす事が出来る。
(俺の変化の術を見破れる者などこの世に存在しない。前回はたまたま犬の鼻に引っかかってしまったが、それも最初から分かっていれば、いくらでも対策のしようがあった)
【無貌】は未だに唸り声を上げている小癪な角犬を睨み付けた。
(うっとおしい犬共め。さっきは死体が見つかると言い訳が面倒なので、どうにか追い払おうとして手間取ったが、正体バレた今となってはもう手段を選ぶ必要はない。ここで切り殺してもいいし、手傷を負わせてこちらを追えなくしてしまってもいい)
犬の始末はいつでも出来る。
警戒すべきはこの場で最も危険な魔獣のみ。
【無貌】は構えを変えるふりをしながら、密かに口内に含針を仕込んだ。
(出来るだけ素早くデカイブツを倒し、魔獣はコイツで迎撃する。流石に含針程度でやれはしないだろうが、ひるませる事さえ出来れば、この場から逃げるだけの時間を稼ぐ事が出来る)
その後は広場にでも戻り、別の姿に化けて亜人達に紛れればいいのである。
【無貌】はクロ子の動きを警戒しながら、慎重にタイミングを計った。
暗い村の中を三人の男女が、一匹の大型犬に案内されて走っていた。
「ワンワン! ワンワン!」
「この先にクロ子達がいるそうだ」
「てか、今更だがお前ら亜人って本当に犬が喋っている言葉が分かるんだな」
犬は言うまでもなく黒い猟犬隊の一員。犬の鳴き声を翻訳した亜人の青年はクロコパトラ歩兵中隊の副隊長ウンタ。ウンタの言葉に答えたヒゲの中年男性は槍聖サステナ。二人の後に続いている若い女性は、タイロソスの信徒、女戦士マティルダである。
「いや、分かるのは黒い猟犬隊の犬達の言葉だけだ。普通の犬の言葉まで分かる訳じゃない」
「ほぉん。クロ子のヤツもそうだが、ひょっとして額に角が生えている事と何か関係があったりするのか?」
ウンタはそれには答えなかった。自分はそれを教える権限がないという意思表示だろう。
サステナは「ま、別に構わねえがよ」と小さく肩をすくめた。
彼ら三人と一匹が家の角を曲がると、クロカンの大男カルネとクロ子が背の高い人間の男と向かい合っている光景が飛び込んで来た。
「亜人の村に人間の男だと?」
「あ、アイツは!」
女戦士マティルダが驚きにギョッと目を見開いた。
「間違いない! あの作り物めいた平坦な顔! アイツは【無貌】だ! 胡蝶蘭館でトトノとビー君を殺した殺し屋! 深淵の妖人の【無貌】だ!」
「なんだって!?」
マティルダの声にカルネと男が振り返った。
男が――【無貌】が、絶望に目を見開く。
「槍聖サステナ・・・くそっ。最も会いたくないヤツがやって来るとはな」
「ほう。俺の事を知っているのか? 俺も随分とカロワニーの手下達の間で有名になっちまったもんだな」
なぜか嬉しそうに背中に担いだ槍を下ろすサステナ。
【無貌】のただならぬ気配に、武術家の血がうずいたのかもしれない。
しかし、そんな彼の足をカルネの声が止めた。
「待ってくれサステナ! コイツは仲間の――トトノの仇なんだ! 先ずは俺に戦わせてくれ!」
「ほほう。正直お前にそいつの相手は荷が重いと思うが・・・まあいいや。そこまで言うなら気の済むようにやってみるんだな」
サステナはそう言うと、槍を肩に担ぎ直し、背後を振り返った。
「ウンタにマティルダ。お前達もこの戦いに手を出すな。分かったな?」
「カルネお前・・・ああ、いいだろう。了解だ」
「わ、分かったよ」
ウンタは大きなため息と共に、マティルダは戸惑いながら、それぞれ頷いた。
予想外の流れにクロ子は慌てて口を挟んだ。
『ちょ、サステナ! おま、勝手に仕切んなし! そんな事のために呼びにやったんじゃねえんだわ!』
「クロ子。お前もだ。絶対に手を出すんじゃねえぞ」
「クロ子、我がまま言って済まねえ」
勝てば官軍、勝つためになら卑怯上等のクロ子には、この場のノリが――カルネとサステナのこだわりが――理解出来なかったようだ。あるいは理解は出来ても納得は出来なかったのか。
しかし、サステナからハッキリと釘を刺されてしまった事。そしてカルネから強い口調で頼まれてしまった事もあり、不本意そうな顔をしながらもその場は空気を読んで引き下がった。
『――やられそうになったら、手を出すから』
「ああ、それで構わねえ。勝手を言って悪ィ」
それでも一言、付け足すのは忘れなかった。
カルネは槍を構え直すと、「待たせたな! さあ来やがれ!」と気を吐いたのだった。
カルネと【無貌】との戦いは、攻めかかるカルネの攻撃を【無貌】が凌ぐ形で始まった。
(バカ野郎! こんなの冗談じゃねえぞ!)
【無貌】は心の中で激しく悪態をついていた。
(魔獣だけならまだしも、【今サッカーニ】までもやって来るとか! こんなのどうやって逃げ出しゃいいんだよ!)
防戦一方の【無貌】に対して、カルネは嵩にかかって攻め立てて来る。
金属の打ち合う甲高い音と共に、闇夜に赤い火花が散る。
(この亜人野郎が、調子に乗りやがって。俺が本気を出せばお前なんてすぐにでも血祭りに上げられるんだよ!)
この【無貌】の言葉は決して負け惜しみでもなんでもない。実際、彼は技量でも殺し合いの場数でも、カルネのそれを凌駕していた。
本気を出しさえすれば、力任せの戦いしか出来ないカルネなど、容易くひねりつぶしてしまうだろう。
だがそれが出来ない理由があった。
(まだ魔獣一匹だけならどうにかなったんだ。それがどうしてこうなった)
【無貌】の考えでは、出来るだけ素早くカルネを倒し、魔獣相手には含針を使うつもりでいた。
今となってはその案が実行不可能となっているその理由。
「いいぞカルネ! 敵は焦ってるぜ! 今の調子で休まず攻め続けろい!」
そう。それがサステナの存在である。
謎の魔法を使う魔獣(クロ子)は確かに厄介である。しかし、【無貌】には正体の分からない攻撃をする謎の存在よりも、達人のサステナの方が余程恐ろしかった。
なまじ腕に覚えがあるだけに、サステナとの技量の差が絶望的な開きとして感じられていたのである。
(どうする? 一体どうすれば俺は助かる?)
もし、本気を出してカルネを倒してしまえば、その後にサステナと魔獣が出て来るのは間違いない。そうなれば終わりだ。たちまち自分は蹂躙されてしまうだろう。
こうして考える事が出来ているのも、カルネと戦っているから。つまり今は条件付きの猶予期間なのである。
【無貌】はカルネの攻撃を凌ぎながら、頭が熱くなる程懸命に生き残りの方策を探っていた。
だが、サステナとクロ子という圧倒的な暴力を前に、そんな虫のいい案はどうやっても思い付けそうになかった。
次回「メス豚と暗殺者の最後」




