その485 メス豚と増援部隊
私は今朝はいつもよりも若干遅れて、物見やぐらへと到着した。
一気に上まで駆け上がると、槍聖サステナが振り返った。
「おう、クロ子。今朝は遅かったな」
『メンゴメンゴ、事故で電車が止まっちゃってさ』
「クロ子、マズい事になった。見てくれ」
クロコパトラ歩兵中隊の副隊長ウンタは、私のお茶目な冗談を完スルー。緊張の面持ちでカロワニー軍の陣地を睨み付けた。
「おいクロ子。今、何て言ったんだ? なあおい」
『サステナ、ちょっとジャマ』
相手なら後でいくらでもしてあげるから。
私はしつこく絡んで来るサステナから逃れるとウンタに尋ねた。
『マズイって何かあったの? 戦闘はまだ始まっていないみたいだけど』
「敵の動きが妙だ。明らかにいつもより兵士の姿が多い。ひょっとしたら総攻撃を仕掛けて来るつもりかもしれない」
『なん、だと?』
私は慌ててやぐらの屋根に飛び乗った。
うおっ、マジかよ!
ウンタの言う通り、建物の影から覗くカロワニー軍の兵士の姿は、いつもの倍はひしめいているように見えた。
楽園村を巡る攻防戦は、ここの所、ある意味ルーチンワーク化していたというか、ある種の停滞状態にあった。
これは将棋で言う所の『手の無い局面』。互いに有効な指し筋が見つからないために、盤面が動かなくなるという状態に似ていた。
将棋なら千日手(※一局の中で同じ局面が何度か現れる事。またはそれを発生させる手の事を言う)からの指し直しで済むのかもしれないが、これは現実。
リアルの戦争は敵味方の戦力が同じ条件でスタートする事などあり得ない。ルールがないのが戦争のルール。スポーツマンシップなどくそ喰らえ。戦争はゲームやスポーツとは違って非対称戦なのだ。
カロワニー軍は我々よりも戦力の質、量、共に勝っている。なにせ相手はバリバリの軍隊。こちらは村の男衆を集めた自警団もどきなのだ。
その差は歴然。互いに手の無い局面になったとしても、どうしても地力の差でこちらが押し敗けてしまう。
今までは地の利を生かす事でどうにかそれに対抗して来れたのだが・・・。
ホンマ、いつもの事だが現実はクソゲーやで。
『ヤバイわね。敵軍に一体何があったのか』
「一応念のため、黒い猟犬隊の犬達に偵察に行って貰っている。彼らが何か見つけてくれればいいんだが」
ただの敵の指揮官の心境の変化とは思えない。
何か大掛かりな作戦を仕掛けて来るつもりなのか、あるいは勝ちを確信する何かがあったのか、それとも――
『それとも、相手に勝負を急がなければならない理由が出来た――とか?』
どちらにしても、敵が総攻撃を仕掛けて来る以上、こちらもそれに対処しなければならない。
ユッタパパが調査に向かった脱出用のトンネル。どうやら思っていたよりも早くそれを使う機会がやって来るかもしれない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
楽園村の北。とある大きな家。
カロワニー軍が本陣として接収しているこの家では、総司令官のドッチ男爵が苛立ちに爪を噛んでいた。
「クソッ! クソッ! この俺の一ヶ月の苦労を、訳の分からんポッと出の余所者なんぞに掻っさらわれてたまるものか!」
ドッチ男爵は一見、貧相な小男といった容姿をしているが、カロワニー・ペドゥーリの配下の中でも、武闘派として知られていた。
中でもモントレド男爵は彼のライバル。ドッチ男爵の政敵なのだが、亜人村を攻撃した初日、功に逸った男爵は、先行部隊を率いて亜人の村に入った所を亜人の逆襲に遭い、命を落としていた。(※実際はクロ子の出会い頭の魔法の一撃によってやられたのだが。第十四章 楽園村の戦い編『その453 メス豚と略奪兵達』より)
ライバルの突然の死により、一躍、ドッチ男爵はカロワニー配下における軍部のトップへと躍り出た。
しかし、彼の栄光は長くは続かなかった。
亜人村攻略が遅々として進まない事に焦れたカロワニーが、増援と共に新たな指揮官を送って来たのである。
ノックの音が鳴ると、護衛の騎士が部屋の外から声を掛けた。
「閣下。タイロソスの信徒、アーダルト殿が参っております」
「アーダルトだと!?」
タイロソスの信徒アーダルト。新たな指揮官の名である。
今、この世で一番聞きたくなかった名前に、男爵の額に青筋が立った。
「・・・入れ」
「はっ」
扉を開けて入って来たのは、スラリと背の高い男ぶりの良い美丈夫だった。
年齢は二十代半ば。タイロソスの信徒として傭兵のような生活をしていたと聞くが、そういった輩にありがちな野卑な態度や崩れた点などは見当たらない。
真新しい鎧姿と相まって、まるで王家に仕える儀仗兵のようにも見える。
それもそのはず、元々彼は隣国の騎士団で副団長の右腕をしていたのである。
つまりは貴族――領地を持たない王家直参の貴族――だったのだ。
ただ、彼の表情は暗く、どこか思いつめたような目をしていた。
ドッチ男爵は敵対心も露わに眉間に皺を寄せた。
「アーダルトだったか? 増援部隊の指揮官が一体何の用だ?」
「わざわざ説明が必要か? 俺はカロワニー閣下から、この部隊の手助けをするよう、命令を受けて来たのだが」
「手助けだと! そんなものはいらん!」
男爵は激情に駆られて机の上を薙ぎ払った。書類やインクなどのステーショナリーが床に巻き散らかされる。
大きな音に護衛の騎士が振り返ったが、男爵に睨み付けられると慌てて背を向けた。
「亜人村の制圧ごとき、助っ人の手を借りるまでもない! お前はここで大人しく本陣を守っているがいい!」
「随分と威勢がいいな。とても後方に引きこもっている男の言葉とは思えない。あんたの方こそ、戦いは俺に任せて本陣を守っている方がお似合いなんじゃないか?」
もしこの場に彼のかつての弟子達、タイロソスの信徒のビアッチョとマティルダがいたら、アーダルトのらしからぬ棘のある言葉使いに目を見張ったかもしれない。
アーダルトは変わった。
その影のある表情もそうだが、今の彼からは他者を傷付けるのを厭わない、いや、むしろ傷付けるのを望むような、抜身の刃物にも似た危険さを感じさせた。
ピリピリと張り詰めた空気。
先に引いたのはアーダルトの方だった。
「まあいい。この部隊の指揮官はあんただ。命令には従おう。今はまだ、な」
今はとまだの部分をアーダルトは強調した。
ドッチ男爵もそれには気付いたものの、彼は表情をこわばらせただけで何も言い返す事はなかった。
建物を出たアーダルトは兵士の一人に声を掛けた。童顔の若い兵士である。
「おい、そこのお前、そう、お前だ。宿舎に戻るから護衛としてついて来い」
そうして建物から十分に距離を取ると、アーダルトは歩きながらつぶやいた。
「あの司令官は邪魔だ。手っ取り早く始末出来ないか?」
「おいおい、物騒だな。俺のような一般兵に軍の指揮官を殺せとか、正気なのか?」
「上官にそんな口の利き方をする兵士がどこにいる。俺の前で取り繕うな、【無貌】」
【無貌】。深淵の妖人。殺し屋の名である。
アーダルトがその名前を口にした途端、兵士の顔から表情が抜け落ちた。そうなると若いようにも老けているようにも、男のようにも女のようにも見えた。
「――こんな所でその名を口にするな。何か勘違いしているようだが、お前に対しての借りはカロワニーに面通しをした事で既に果たしている」
兵士は――いや、兵士に化けた殺し屋、顔なしの【無貌】は、殺気を込めた声でアーダルトに警告した。
しかしアーダルトは眉一筋動かさずに話を続けた。
「お前がここにいるという事は、カロワニー様から男爵を始末するよう命じられているという事じゃないのか? お前は仕事を果たし、俺はヤツに代わって軍を率いて手柄を立てる。それのどこが悪い」
「お前――変わったな。まあいい。さっきも言ったが、それはお前の勘違いだ。今回の仕事は指揮官の始末じゃない。戦闘のどさくさに紛れて亜人の村に入る事だ」
「亜人の村に?」
予想外の返事にアーダルトは軽く目を見張った。
「殺し屋が諜者の真似事をするのか?」
「どっちかと言うとそっちの方が俺の本職みたいなものなんだがな。おっと、これ以上詳しい話は聞くなよ。変にお前に騒がれたら面倒だから教えてやったんだ。本当なら何一つ教えてやる義理はないんだからな」
兵士は――【無貌】は、そう言うと小さく鼻を鳴らした。
「手柄が欲しいなら自分の手を汚すんだな。失敗したら俺の口からカロワニーに報告してやるよ」
「失敗などしない」
アーダルトは乾いた声で吐き捨てた。
それは【無貌】が思わず振り向いてしまう程、重く、暗い声だった。
「失敗などしてたまるものか。自分の手を汚す? それがどうした。今更失う物などあるはずもない。俺は俺が失った物全てに賭けて、例えどんなことをしてでも、相応しい地位を手に入れて見せる」
次回「メス豚と総力戦」




