その484 メス豚と寝不足の朝
ふわっ、もう朝か。
私は目を覚ますと大きなあくびをした。
『ん? どこだここは、って、ああ、村長の家の土間か。昨夜は結局、ここに泊まったんだっけ。ふあ~あ。ユッタパパからあんな話を聞かされたおかげですっかり寝不足だわい』
私はもう一度大あくびをすると、う~んと体を伸ばしたのだった。
昨夜。村の公民館でサステナ達防衛部隊首脳陣と話し合いをした後、私は村長宅を訪れていた。
村長家の長男、亜人兄弟の兄、ロインのメンタルケアのためである。
ロインは昼間の戦闘でもかなりカリカリしてたからな。
最近、私は時間があればなるべく彼の家を訪れ、相談に乗ってやるようにしているのだ。
「なあクロ子。ここの所、サロメが俺を避けている気がするんだ。村に帰って来たばかりの頃はこんな事はなかったのに。理由を聞いても何だかんだとはぐらかされるし、彼女は一体何を考えているんだろうな?」
『いや、知らんがな』
自分の彼女が優しくしてくれないとか、そんなモン、転生以来ずっとお一人様の私に相談されても困るっつーの。
ホラ、家族の惚気話を聞かされて、弟のハリスも居心地が悪そうにしてるじゃない。
そんな感じでロインの愚痴? 弱音? を聞いてやっていると、家主のユッタパパが帰って来た。
「クロ子ちゃん、丁度良かった。君に聞いて欲しい事があるんだけどいいかな」
『今から? 別に構わないけど?』
なんだろう? 私はいつになく真剣なユッタパパの表情に、眉をひそめた。
ユッタパパは庭に出ると、辺りに人がいないのを確かめた上で、私の前にしゃがみ込んだ。
「・・・さっき、みんなと話していた内通者の件なんだけど。僕はジャドが怪しいんじゃないかと思うんだ」
『ジャド? それって誰だっけ?』
私はコテンと小首を傾げた。
別に私の記憶力が悪いという訳ではない。亜人の名前がみんな似たような三文字名なのが悪いのだ。
「僕より歳が一回り上の村民会の地区代表だよ。覚えてないかな? 最初にクロ子ちゃんを案内して来た時、凄んで来た男がいただろ」
『あー、そういやいたな、そんなヤツ』
この余所者が! みたいな感じに怒鳴り付けて来たヒゲ面のオヤジがいたっけ。その後すぐにエノキおばさんに睨み付けられて、スゴスゴ退散してたけど。
私の背中でピンククラゲがフルリと震えた。
『捕足、野党代表』
『捕足助かる。うん。今ので完全に思い出したわ』
村長であるユッタパパが、村の与党の代表とするなら、ジャドは野党の代表に相当する立場にいるオジサンだ。
『防衛戦が始まって、全く接点がなくなってしまったから、存在自体をすっかり忘れてたわ。で? ユッタパパはそのジャドが裏切り者なんじゃないかって言うのね?』
ユッタパパは真剣な面持ちで小さく頷いた。
敵の敵は味方理論というか、野党が外の勢力と手を組むというのは前世でも割と良く聞く話だ。
その理屈で言えば、確かにジャドは、裏切り者の筆頭候補に入るだろう。とはいえ――
『とはいえ、ここでそれを言い出す辺り、いかにもあざといわね。まさか裏切り者の存在にかこつけて、自分にとって目障りな政敵を排除してしまおうって魂胆じゃないわよね?』
「えっ? それってどういう意味・・・って、ええっ!? ちょ、何を言っているんだい! 僕が人を陥れるような事をする訳ないだろ!」
どうだか。政治の世界はカネに塗れている。それはこんな山奥の村でも変わらないはずだ。
ユッタパパだって、虫も殺さないような顔をして実は裏ではドス黒い事を――って、流石にそれはなさそうか。
『冗談冗談。で? ジャドが怪しいっていう証拠か根拠はある訳?』
「僕は真面目な話してるのに君ね。証拠かぁ。直感っていうか、そう感じたっていうか。例の裏道を通れなくする作業をするという話をしていた時、ジャドもその場に居たっていうのじゃダメかな」
なんだそりゃ。それならその場に居た全員が候補になるだろうに。いや、その場に居た者達だけじゃない。彼らから話を聞いた人間も全て裏切り者の候補になってしまうだろう。
水母が呆れたように触手をクキリと曲げた。
『根拠薄弱』
「・・・ゴメン。そう言われてみれば確かに今回は僕の先走りだったかも。でも、可能性の一つとしては覚えておいてくれないかな?」
『ま、それぐらいなら。立場上、ジャドにはユッタパパを陥れる動機があってもおかしくないしね』
そんな事で村を売り渡す程かと言われれば怪しい所だが。
ユッタパパは一応、納得してくれたらしく、ホッと安堵の息を吐いた。
『話がそれだけなら、私はもう行くわよ』
「あ、待って待って! もう一つ! こっちの方が本題だから!」
ユッタパパは慌てて私を呼び止めると、ついさっき、村の長老達から聞いたばかりの話をしてくれたのだった。
『はあ!? 他の土地に通じているトンネル!?』
ユッタパパの話は、私の予想の斜め上を行くものだった。
楽園村のすぐ南に、別の土地に通じているトンネルが存在するというのだ。
私は目を怒らせると彼に詰め寄った。
『そんな物があるなら最初から言っといて欲しかったんだけど! 逃げ道があるのとないのとでは、防衛戦の前提条件が変わって来るから!』
「あ、うん。僕も話を聞いた時には同じように思ったよ」
同じようにって、何を呑気な! ――って、ユッタパパに怒っても仕方がないか。
『・・・それでその場所は? トンネルの大きさは? どれくらいの時間で向こうまで抜けられそうなの?』
「詳しい事は全然。僕達のご先祖様がそのトンネルを通ってこのカルテルラ山までやって来たという事くらいしか」
『いや、それって、ほとんど何も分かってないのと同じじゃん』
楽園村の村人は、元々は三百人程度だったという。
そのくらいの人数なら、ちょっと広目のトンネルがあれば、ここまで移動する事も可能だろう。
しかし、現在の楽園村の人口は約五千人。当時の十倍以上の人数だ。これだけの人間が一度に移動するとなれば、単純にトンネルを通過するのにかかる時間も十倍以上。多少の広さのトンネル程度では大渋滞待ったなしとなるだろう。
『それでも、カロワニー軍のいない山側に脱出口があるというのはデカイけどね』
大事な点はそこだ。
私は今まで最悪、どこかのタイミングで強引にでも村を脱出しなければならなくなると覚悟していた。その際には病人や足の弱いお年寄り。それに女性や子供なんかが、足手まといになるのが分かっていた。そのため、どうしても決断出来ずにいた。
更にはもし仮に、奇跡的に何の被害も出さずに脱出出来たとしても、着の身着のままでは、即座に生活が立ち行かなくなるだろう。
そう。我々は逃げられればゲームクリアという訳ではないのだ。いやまあ、そもそもカロワニー軍から逃げ切る時点で死にゲーレベルの理不尽難易度なのだが。もし逃げられたとしても、その後は山で生き抜くための厳しいサバイバル生活が待っているのである。
『けど、もし本当にそんなトンネルが存在するのなら――村の裏手に他の土地に通じているトンネルがあるのなら、備蓄の食糧や、ある程度の家財道具なんかを持って逃げる事だって可能となる。そうなれば逃亡後の生活だってグッと楽になるに違いないわ』
トンネルが私の期待に応えてくれる大きさなら、楽園村からの脱出が現実的な物になって来る。
それは閉塞感漂う暗闇の中に落ちた一筋の光。この難局を無事に乗り切るための唯一の希望。
私ははやる心を抑えながらユッタパパに尋ねた。
『トンネルの正確な場所は分かっている? あまり調査に時間はかけられないんだけど』
「詳しい場所までは流石に。トンネルは村長の資格を持つ者の前にしか姿を現さないそうなので」
は? 何それ?
こんな所で急に「選ばれし者」みたいなファンタジーな設定をブッ込んで欲しくないんだけど。いやまあ、そういう設定は確かに好きだけどさ。でも、現実となると一気に胡散臭くなるっていうか。
ぶっちゃけ引く。
呆れる私だったが、ユッタパパはマジだった。彼は本気で村長の血筋にしかトンネルは使えないと思っている様子だった。
『まあ、ここは近代以前の中世世界だし。ご先祖様の言い伝えを信じる気持ちも分からないではないけどさ。じゃあトンネルの調査はユッタパパに任せても大丈夫?』
「勿論です。その事だけど、ギリギリまでジャドの耳には入らないようにしておきたいんですが」
『内通者疑惑の件ね。オッケー。壁に耳ありって言うし、私もお口にチャックしとくわ。少人数で内密に、なる早でお願い』
「ちゃっく? 分かりました。予定していた明日の迂回路の封鎖作業は、グルドに僕の代わりを頼んでおきます」
グルドって誰だっけ? と思ったら、ロインの恋人サロメのパパの事だった。
そういや昔から家族ぐるみの付き合いをしてるって言ってたっけ。
こうして楽園村を巡る防衛戦は、新たな局面に入った。
果たしてトンネルが私の期待に応えてくれるものなのかは分からない。だが、破滅の日を一日でも先送りにするだけの、絶望的な抵抗戦から、脱出のルートが確定するまでの耐久戦へと変わったのは大きかった。
雰囲気イケメンのロインではないが、どうやら私も知らないうちにかなり精神が疲弊していたようだ。
まだあやふやで小さな希望でしかないというのに、その夜、私は興奮して中々寝付けなかった。
こうして、防衛戦が始まって以来初めてとなる希望に満ちた朝を、私は寝不足の頭で迎えたのであった。
次回「メス豚と増援部隊」




