その479 メス豚と戦う理由
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夜。
カロワニー軍のかがり火を遠目に、楽園村の亜人達は明日の戦いに備えて陣地の補修作業に取り掛かっていた。
作業をしているのは二等兵達。
クロコパトラ歩兵中隊の隊員達は、クロ子の命令で夜間は安全な後方で休むようにしている。
とはいえ、隊長クラスになると、やはり自分達が担当している陣地の補修具合が気になるようだ。
彼らはたまに見回りがてら陣地に顔を出し、異常がないか作業員達に確認をしていた。
クロカンの大男、第一分隊隊長のカルネも、見回りに向かうべく、彼らの宿舎となっている村の公共施設の玄関を出た。
「ん? あそこにいるのはマティルダじゃねえか? アイツあんな所で何をしてるんだ?」
薄明りの中、ぼんやりと佇んでいるのは、傭兵姿の若い人間の女性。
タイロソスの信徒、女戦士マティルダだった。
マティルダはカルネの声にチラリと目を向けた。
「クロちゃんは一緒じゃないんだ」
「クロ子ならさっき土間の方でここの村長と話してたぜ。大方、芋でも貰ってんじゃねえか? なにせ食い意地の張ったヤツだからよ」
マティルダはクロ子の名前を出したものの、元々会話を望んではいなかったようだ。「そう」と一言呟くと、再び視線を戻した。
カルネは何となく立ち去り難い物を感じ、マティルダのそばに歩み寄った。
「なに?」
「いや、何を見てんのかと思ってな。それにいつもと様子が違ってるように見えたし」
「・・・・・・」
マティルダは黙ったままで応えなかった。
「ひょっとしてアレか? 戦いに疲れちまったのか? まあ、無理もねえぜ、今は仲間のアーダルト達がいないんだから――あっ!」
カルネは自分の失言に気付いて慌てて頭を下げた。
「す、済まん! そ、そういうつもりじゃなかったんだ!」
「・・・別にいいよ」
マティルダの師匠、タイロソス神殿の教導者アーダルトは、胡蝶蘭館での戦いの際に突然、クロ子達を裏切り、弟子のビアッチョとクロカンの小隊長トトノを殺害。暗殺者と共に館の主人を殺して姿を消していた。(第十三章 かりそめの楽園編 より)
「アー兄さん・・・いや、アーダルトが裏切ったのは事実なんだし」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃ・・・ホントに悪ィ。ええい、クソッ。こんなだから俺はクロ子から、脳筋って言われるんだろうな。――なあ、こうなったらついでに聞くが、お前、どうして俺達と一緒に戦っているんだ?」
カルネの言葉にマティルダは不思議そうに振り返った。
「どういう事?」
「だってそうだろう? 俺達の場合は同じ亜人としてこの村のヤツらを放っておけなかったと言うか、人間の軍隊に村が襲われる恐ろしさを良く知ってるっていうか。つまりはアレだ。身につまされるってヤツだ。けど、お前は人間だろ? 元々、依頼を受けたのはアーダルトな訳だし、そのアーダルトが俺達を裏切――ゴホン。領主側に付いた今、お前が亜人に肩入れして危ない橋を渡る理由なんてもうないはずだろ?」
「それは・・・確かにそうね」
アーダルトが裏切った今、クロ子からの依頼は宙に浮いた形となっている。
勿論、クロ子はそれを理由に依頼そのものをなかった事にしようと考えている訳ではない。もし仮にマティルダがここで依頼を放棄したとしても、メラサニ村に帰り付いた後は、おそらく今日までの仕事料をちゃんとタイロソス神殿に支払うだろう。
クロ子が律義と言うよりも、今後、クロコパトラ歩兵中隊が傭兵としての仕事を受ける事を考えた時、タイロソス神殿とのパイプがあった方が、契約がスムーズにいくからである。
その上、実際に金を出すのは御用商人のザボ――つまりは王都の大商会の商会主、ロバロ・オスティーニなのだ。クロ子に支払いをケチる理由はなかった。
「いくら麓までの道が敵に塞がれているとは言っても、この山全部をヤツらが取り囲んでいる訳じゃねえ。お前くらい腕が立つなら、包囲を破って逃げ出すのもそれ程難しくはないんじゃないか?」
「――ねえ。なんであなた達やクロちゃんはこの村のためにそこまで戦えるの?」
「は? だからさっき言ったじゃねえか、身につまされるって」
「本当にそれだけ? 同情だけで、見ず知らずの他の村の人達のために、命懸けで戦えるの? 報酬のため、契約しているからというのならまだ分かるわ。だけどあなた達、この村からお金なんて貰ってないんでしょ?」
マティルダは町の北に視線を向けた。ここからは見えないが、その方向にはカロワニー軍の陣地があるはずである。
「この戦いに勝ち目はないわ。村の人達は良く頑張っているけど、こんな無理がいつまでも続く訳はない。明日、どこかの陣地が突破されてここまで敵がなだれ込んで来ても全然不思議じゃないわ。そしてそれはカルネ、あなたが担当している陣地かもしれない」
「それは・・・そうかもしれねえが」
楽園村でまともに戦えるのはクロカンの隊員達しかいない。そして一ヶ月にも及ぶ長い戦いの中で、戦死者こそ出ていないものの、ケガ人自体は多数出ている。
水母による的確な治療が無ければ、半数以上が傷口からの感染症で戦えなくなっていたかもしれない。
「仮にそうなったとしても、その時はその時でクロ子のヤツがどうにかするだろ。俺が心配するだけ無駄ってモンだ。大体、陣地が抜かれたんなら、当然、その時には俺は死んでるだろうし、死んだ後の事を心配したって仕方がねえよ」
「怖くないの? 死ぬかもしれないんだよ?」
「そりゃあ勿論、怖いに決まってるさ。だが、俺達はクロカンに――クロ子の部下になるって決めた時に、全員覚悟を決めてるからな。クロ子が死ねと言うなら死んでやるさ。まあ、多少は文句は言うかもしれねえが。とはいえ、クロ子のヤツなら、絶対にそんな事は言わねえだろうけどな」
カルネは「むしろ隊員の代わりに自分が敵軍に突っ込んで行きそうだぜ」と白い歯を見せた。
マティルダは理解し難いものを見る目で、目の前の大男を見つめた。
「俺達クロカンは全員、どこまでもクロ子に付いて行くって決めている。それは胡蝶蘭館で死んだトトノだって同じだ。だからクロ子が楽園村のために戦うって決めたのなら、俺達はその決断に従って戦う。例えその結果、自分が死ぬような事になっても、絶対にアイツを恨んだりはしねえ。俺達はクロ子の意思に従うと決めてるからな。なあ、もう一度聞くが、あんたは何のために戦ってるんだ? 今、あんたが戦っている理由はどこにあるんだ?」
「私が戦っている理由・・・」
マティルダは何も答えられなかった。
彼女は苦しそうに俯くと、首から下げたタイロソスの紋章を握りしめるのだった。
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「クロ子。緊急の呼び出しとの事だが、何か良くない事でもあったのか?」
部屋に入って来るなり、私に尋ねたのは傭兵風の小柄な亜人。
クロカンの副隊長ウンタである。
キッチリ装備を着込んでいる所を見ると、今から陣地の視察にでも行くつもりだったようだ。
夜くらいは休むようにと、いつも言っているだろうに。ホントに困ったヤツらだ。
『適当に空いている所に座って頂戴。これで全員揃ったわね』
「なんでいクロ子。妙にもったいつけやがって」
ブー垂れているのはサッカーニ流槍術師範サステナである。
ウトウトしていた所を起こされたらしく、さっきからずっと不機嫌そうにしている。
『ユッタパパ、さっきのをみんなに見せてくれる?』
「あ・・・はい」
この部屋の中にいるのは私(と水母)。今、到着したばかりのウンタ。文句が絶えないサステナ。長老会の紅一点、エノキおばさん。そしてロイン達亜人兄弟の父親こと、楽園村の村長ユッタパパ。
つまりはいつもの楽園村防衛隊の中核メンバーである。
今回はその六人(四人と一匹と一体?)に加え、黒い猟犬隊の犬が一匹。エノキおばさんに嬉しそうに背中を撫でられている。
ユッタパパは私に促されて、懐からクシャクシャになった布切れを取り出した。良く目立つ赤い端切れである。
「つい先程の事です。陣地の補修作業を確認しに行った所、たまたまこのような物を見つけまして」
「ワンワン! ワンワン!」
黒い猟犬隊の犬が『違う違う! 見つけたのは俺!』とアピールした。
「ああん? うるせえ犬っころだな」
『どうやら先に見つけたのはその子だったみたいね。なんでも壁の穴にコレが詰め込まれていたのに気付いて、どうにか取り出そうと四苦八苦していた所に、ユッタパパが通りかかったそうよ』
端切れは犬の背ではギリギリ届かないくらいの高さに隠されていたらしい。
サステナは興味なさげな顔で端切れを手に取った。
「で、コレが何だって? ん? 何か文字が書いてやがるな。ええと、【東。迂回路。崖の下】。なんだこりゃ?」
『水母、翻訳お願い。【あーあー、テステス】(CV;杉〇智和)』
私はボイチェンを繋ぐとサステナを見上げた。
『【夕方、村の周囲を警戒してもらっている黒い猟犬隊のマサさんから報告があったの。村のずっと東の崖の下に、村の裏側に続く細い獣道があるって】』
「なんだと!?」
ウンタはギョッと目を見開いた。
「もしそれをカロワニー軍のヤツらに知られでもしたら――!」
『【そう。マズイなんてもんじゃないわね。一応、大軍が通れるような道じゃないそうだけど、ウンタが言うように、敵に知られたら厄介だから、ウンタパパ達に相談して、明日、明るくなったら通れなくして貰おうとしていたのよ】』
その情報が――村の防衛線に穴を開けかねない重要な情報が、この端切れには書き記してあったのだ。
事態の深刻さが伝わったのだろう。エノキおばさんは勿論の事、サステナさえも口をつぐみ、表情を固くした。
『【前々からおかしいとは思っていたのよ】』
シンと静まり返った部屋の中に、私のイケボ(CV;杉〇智和)だけが響いた。
『【狙いすましたようにこちらの防衛線の裏を取られた事もあったし、妙に村の地理に明るいと感じる時だってあった。どれも致命的な物ではなかったし、ただの偶然、あるいは被害妄想の類だろうと思い込んでいたけど――】』
違和感を感じた事は何度もあったのだ。
だが、私の心は、あり得ない話としてその考えを拒んでいた。
『【間違いない。この村に人間側に通じている者がいるわ】』
次回「メス豚と裏切り者」




