その474 メス豚と片翼の鳥
◇◇◇◇◇◇◇◇
ドクン・・・
心臓が跳ね上がった気がした。
視界に入って来たのは信じ難い光景。
血の付いた槍を持つサステナと、鎧を血で真っ赤に染めながら地面に転がっている【烏羽色の】ダンタニア。
最悪の悪夢そのものの光景に、【鳶色の】マルテールは呼吸をする事すら忘れていた。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ・・・
ハア、ハア、ハア、ハア・・・
心臓の鼓動が早鐘を打ち始めると同時に熱い吐息が漏れる。
それでもマルテールの視線は、ピクリとも動かないダンタニアに釘付けになっていた。
ダンタニアが死んだ?
あのダンタニアが?
そんなバカな。
僕のせいだ。
マルテールは激しい後悔に吐き気すら催した。
僕のせいだ。僕のせいだ。僕のせいだ。
僕が【今サッカーニ】のペットの豚の相手に夢中になってしまったから。ダンタニアと今サッカーニの戦いから目を切ってしまったから。ダンタニアは今サッカーニにやられてしまった。
だが、ダンタニアだって悪い。
今サッカーニの相手が厳しかったのなら、無理をせずに早く僕を頼れば良かったんだ。
もしも一声かけてくれたなら、子豚の相手は兵士に任せて、ダンタニアを助けに行ったのに。
だが、マルテールはダンタニアがそうは出来なかった事を良く知っていた。
あの意地っ張りなダンタニアが、そして人並み外れてプライドの高いダンタニアが、自分から僕に助けを求められるはずはない。
きっとマルテールが助けに来てくれる事を願いながら、最後まで今サッカーニに抵抗を続けていたのだろう。
彼には、マルテールにだけは、その事が良く分かっていた。
ああ・・・お願いだ。どうか動いてくれ、ダンタニア。
いつものように僕の名前を呼んでおくれ。
しかし、マルテールの懇願も虚しく、黒髪の少年は冷たい大地に転がったままピクリとも動く事は無かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私はブヒッと安堵の息をこぼした。
『ようやく始末したか。サステナのヤツめ、手こずりおってからに』
【烏羽色の】ダンタニアは地面に倒れたままでピクリとも動かない。あの出血量だ。即死、ないしは即死に近い重症といった所だろう。
サステナは槍を振って血を払うと中段に構えた。
勿論、こんな姿になったダンタニアと、まだ戦うつもりはないはずだ。
これは武道における終いの構え。いわゆる残身というヤツだ。
しかし、この光景に激昂した者がいた。
【ベッカロッテの二鳥槍】、【鳶色の】マルテール。
彼の目にはサステナが今まさに仲間に止めを刺そうとしているように映ったようだ。あるいは目の前の現実を――相棒の死という事実を――受け入れたくなかっただけなのかもしれなかった。
「イィヂェエエイイイ!(今サッカーニイイイイイイイ!)」
「ちいっ」
ガキーン!
猿叫と共に繰り出された必殺の一撃は、サステナの愛槍【梵鐘割り】によって防がれた。
耳をつんざく金属音と共に、赤い火花が飛び散る。
「今サッカーニ! 今サッカーニ! 今サッカーニイイイイイ!」
「くそっ! ちったあ休ませろってんだ!」
サステナは文句を言いながらも、矢継ぎ早に繰り出されるマルテールの攻撃を危なげなく捌いていく。
どうやらサステナはダンタニアとの戦いで、彼の使う流派の技や動きの基本となる部分を見切っていたらしい。
ダンタニアとマルテールは、おそらく同じ流派に学んだ同門同士。
サステナにとっては再戦に近い感覚なのではないだろうか。
「しゅっ!」
「なっ?! くそっ!」
その証拠に、僅かな攻撃の切れ目に反撃をねじ込んでいく。
これはダンタニアとの戦いの序盤には無かった動きだ。サステナが二人の技を攻略しつつあるという証拠だろう。
なんという化け物っぷり。マジでサステナが味方で良かったわ。
「今のを躱すか。クソ厄介な野郎だぜ」
「今サッカーニ! 今サッカーニ! 今サッカーニイイイイイ!」
「しつっけえなお前は! だから俺の名前はマルコス・サステナだって言ってんだろうが!」
「うああああああああああ!」
だがマルテールは怯まない。切られた傷口から血を流しながら、先程よりも手数を増してサステナに襲い掛かかる。
ツン。
鬼気迫るマルテールの姿に、周りの兵士達は声を出すのも忘れて見入っている。
ツンツン、ツンツン。
『ああもう! さっきから何よ、水母』
私は頭を振ると、しつこく頭頂部を突いて来るピンククラゲの触手を振り払った。
『見てるだけ?』
『ん? ・・・ああ、そうね。あ、いや、別にサボってた訳じゃないから』
そう。私は決してサボっていた訳ではない。ちょっとだけサステナに任せて休憩していただけ。丁度今から手を貸しに行くつもりだったから。
『疑惑の眼差し』
『さ、さあて、そういう訳で、そろそろ助けに行こうかな。風の鎧! ――って、今度は何?!』
身体強化の魔法をかけて、走り出そうとした私は、水母から伝わるバイブレーションに危なくひっくり返りそうになった。
『通信機に着信アリ――「こちらウンタ! クロ子、今どこにいる?! こちらはそろそろ限界だ! 退却の許可を頼む!」「カルネだ! クロ子! お前とサステナはどこにいるんだ?! ヤバそうなら俺が助けに行ってやるぜ?!」』
通信機から聞こえて来るのは、クロコパトラ歩兵中隊の副隊長ウンタと分隊長カルネの声。
そういや今は敵陣に襲撃を掛けている最中だっけ。
あ、いや、流石に忘れていた訳じゃないぞ。ただちょっと自分の戦いに集中してしまっただけというか、ぶっちゃけ、【二鳥槍】は片手間で戦えるような相手じゃなかったというか。
おっと、言い訳している場合じゃなかった。機動力を生かした襲撃おいては、僅かな命令の遅れが命取りになりかねない。
私は水母に振り返った。
『こちらクロ子! 了解! 全軍、現在の戦闘を放棄して退却を開始せよ! 後、カルネ、こちらの手伝いは不要! 退却は義勇兵達を最優先で! クロカンの隊員達は最後まで残って、後方の安全を確認してから退却する事! 以上、復唱!』
『「ウンタ、退却了解!」「第一分隊カルネ、退却だろ、了解! おい、クロ子、最後の最後にヘマするんじゃねえぞ! お前はちょっと抜けてる所があるからな!」「カルネ、いい加減にしろ! 第二分隊、分隊長代理モンザ、退却了解!」「第三分隊――』
クロカンの隊員達が殿を務めるのは、襲撃前からの決定事項である。
余所者である我々が現地の兵の指揮を執る以上、率先して割を食うのは当たり前――というのもあるのだが、我々なら身体強化の魔法で敵を振り切る事が出来るという理由の方が大きかったりする。
って、あ、しまった。ここにはサステナもいたんだっけ。
ああうん。まあ、サステナなら最悪、一人だけ取り残しても、何だかんだブツブツ文句を言いながら普通に帰って来そうだ。
だったら問題は無いかな。
おっといかんいかん。だから考え事をしている余裕はなかったんだった。
先ずはマルテールをキッチリ仕留める。ここで取り逃がしてしまっては、復讐鬼と化した男にしつこく付け狙われかねない。
後顧の憂いを断つ意味でも、そして敵の戦力を削る意味でも、折角手に入れたこのチャンスを生かさないとな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「今サッカーニイイイイイ!」
「お前はそれしかねえのかよ! せいっ!」
サステナの突き出した槍はマルテールの頬をかすめた。
ぱっくりと割れた傷口から赤い血が流れ落ちる。
(コイツ、イカレてやがるぜ! こんなのは見切りなんてモンじゃねえ! コイツは俺の攻撃を全て皮一枚、皮膚一枚で躱してやがる!)
クロ子も舌を巻いたマルテールの動体視力。怒りでリミッターが外れたマルテールは、自分の最大の武器をフル活用して、サステナの攻撃を最小限で動きで躱そうとしていた。
ギリギリの世界での紙一重の攻防。
流石のサステナもこんな命知らずを相手にしては『もしも』という事態があり得る。
(とはいえ勝負は水物だ。こういった狂気、デタラメ、捨て身の攻撃ってのが実は案外、バカにならなかったりするからな)
本来、有利だったはずの方が守りに入って負ける。などというのは勝負の世界では割とザラにある。
サステナはその事を良く知っていた。
それを凌ぐためには、こちらも利を手放すのを承知で相手の土俵に上がる――捨て身の覚悟を持つ――しかない。
(はん。バカバカしい。なんで俺がこんなヤツとの戦いにテメエの命を張らなきゃなんねえんだ)
サステナの自嘲気味の笑いを、挑発と受け取ったのだろうか。マルテールは怒りに顔を歪めながらサステナに襲い掛かった。
その背にブヒッという子豚の鳴き声が届いた。
「ブヒッ!(くらえ、最も危険な銃弾!)」
パンッ!
「ぐはっ! な、何だっ?!」
クロ子の魔法は狙い過たずにマルテールの背中に直撃。
幸い、鎧のおかげで痛みだけで済んだが、マルテールは衝撃でバランスを崩し、大きくたたらを踏んだ。
痛みの中、ハッと我に返って顔を上げると、そこには大きく槍を振り上げるサステナの姿があった。
「しまっ――」
「あばよ」
ズンッ!
衝撃がマルテールの脳天を突き抜けた。袈裟懸けに切られた。と理解する間もなく、槍は引き抜かれると、今度は首元に襲い掛かった。
こりゃ駄目だな。ダンタニア、すまない。
声にもならない絶望の吐息がマルテールの口から洩れる。
次の瞬間、マルテールの頭部は胴体から切り飛ばされ、地面に転がっていた。
【ベッカロッテの二鳥槍】、【鳶色の】マルテールの呆気ない最後であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
うわっ。グロ。
サステナは拝み打ちに槍を振り下ろすと、そのまま半回転。槍の穂先は血しぶきをあげてマルテールの首元に叩きこまれ、哀れマルテールは首を切り落とされて絶命したのであった。
サステナ、マジ容赦ねえな。
それだけサステナもマルテールの気迫には危機感を抱いていたという事か。
ここで完全にコイツの命を絶つ。
今の攻撃にはサステナのそんな強い意思を感じたような気がした。
『って、そんな感想を言ってる場合じゃなかった。水母、通訳。【サステナ、サステナ! 退却よ! 今から敵陣を突っ切るから遅れないように私に付いて来て!】』
「なに?! クロ子、ちょっと待て!」
サステナは慌てて背後を振り返った。
なんぞ? だからそんな場合じゃないねん。
『【連戦で疲れているのは分かるけど、取り残されたら一人で退路を切り開かなきゃならなくなるから! ホラ、早くしないと置いてくわよ! ハリーハリー!】』
「だから待てって、クロ子! お前、人の話を聞け――って、ああもうクソッ! しょうがねえな!」
サステナはそれでも未練がましく何度か背後を振り返っていたが、苛立ち紛れに一度地面を蹴飛ばすと、私の後ろに付いて来た。
よしよし。ここからはちょっぱやで行くぜ。何人たりとも俺の前は走らせねえ!
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子達が脱兎のごとく姿を消したその直後。
地面に打ち捨てられたままになっていた、【烏羽色の】ダンタニアの死体が小さく動いた。
そう。ダンタニアは死んではいなかったのである。
サステナに切られて倒れた際、強く頭を打ち、脳震盪を起こしていたのだ。
先程サステナが気にしていたのは正にこの事。サステナは切った際の手応えで、ダンタニアがまだ死んでいないかもしれないと考えていたのである。
【ベッカロッテの二鳥槍】、【鳶色の】マルテールは死んだ。
しかし、【烏羽色の】ダンタニアは息を吹き返し、失われた片翼の復讐を果たすため、クロ子達の前に立ちはだかるのであった。
次回「メス豚とホモォ話」




