その470 メス豚と混乱する敵陣
◇◇◇◇◇◇◇◇
「今日の戦いから見て、敵の意図している所は明白だ。漸減邀撃戦。ほぼこれで間違いあるまい」
指揮官の言葉に部下達は戸惑いの表情で顔を見合わせた。
「漸減邀撃戦、ですか? しかし相手はたかが亜人の村。戦いの事など、ましてやそのような戦術など、知るはずもないと思われますが?」
今日の戦いは確かに苦戦を強いられた。
しかしそれは相手が予想外に良い装備を身に着けていたから。そして村長及び、一部の村人を絶対に殺してはいけない事を指揮官から特に厳命されていたため、どうしても攻撃に積極性が欠けたから。
この部隊に弓兵が存在しないのもそれが原因――流れ矢で意図せずターゲットを殺してしまうのを防ぐためである。
つまり、今日の戦闘は最初から足かせをかけられた戦い。それさえなければ、たかが亜人の村程度、自分達なら一日で制圧する事も可能だったはずではないか。
ここにいるドッチ男爵の部下達は誰もがそう考えていた。
しかし、男爵は部下の言葉にかぶりを振った。
「俺も最初はそう思って疑っていた。だが、ヤツらは二度に渡って陣地を放棄し、後方の陣地に後退し、抵抗を続けた。いわばそれが証拠であろう」
「そ、それはそうですが、防衛線を三重に作っていただけとは考えられませんか? 今、ヤツらが守っている場所が最後の陣地で、そこを抜けば後はろくな抵抗もなく村の奥まで侵入できる。そういう可能性もなくはないのではないでしょうか?」
「いや、これはあくまでも未確認の情報なのだが――」
ドッチ男爵はそう前置きをすると言葉を続けた。
「今日、我々が戦っていた間も、その後方では村人が総出で新たな陣地を築いているという情報が入っている」
「なっ?!」
もし、今の話が本当なら、今、亜人の部隊が守っている場所の後方にも、まだ別の陣地がある事が確実となる。
しかも、亜人達は非戦闘達を総動員して、新たな陣地を作り続けているという。
ここまでくれば、誰の目にも亜人達の狙いが漸減邀撃戦――後退を繰り返しながら複数の陣地で敵を迎撃し、少しずつ敵に出血を強いる作戦――である事は明白だった。
もしもこの場にクロ子がいたら、『初日でこっちの作戦が敵にバレバレとかアホか! こんなのどう考えたって難易度調整バグってんじゃねえか!』と発狂し、見苦しく地面をのたうち回ったに違いない。
驚きに息を呑む男達。
その時、からかいを含んだ呑気な声が天幕の中に響いた。
「あーあ。なんかみんな真面目な顔して考え込んじゃってるけどさー。相手はたかだか亜人じゃない? どんな作戦を立てていようが、そんなもの正面から踏みつぶしてやればいいじゃないの。こう、虫を踏んづけるみたいにプチッとさ」
そう言って白い歯を見せるのは、軍議という真面目な場には不似合いな、クセのある長い赤毛の少年。
隣に立つ、こちらは黒髪の少年が、赤毛の少年の言葉に小さく鼻を鳴らした。
「ふん。お前の言葉に乗るのは癪に障るが、今だけは自分も同意してやる」
「なんだよダンタニア。そこは普通に頷いとけばいいだろう。いっつも一言余計なんだよな」
「お前が考えなしに喋るだけだ」
「あーそーですか。ダンタニアは偉い偉い。いちいち考えなきゃ喋る事も出来ないなんて、僕には絶対マネ出来ないね」
「マルテール、お前は――」
周りの視線をそっちのけで口喧嘩を始めた少年武者達。
ふざけた口調の赤髪の少年は【鳶色の】マルテール。
口うるさそうな黒髪の少年は【烏羽色の】ダンタニア。
二人は若くして【ベッカロッテの二鳥槍】の名で知られる槍の名手達である。
周囲の大人達は困り顔をするだけで、少年達に注意が出来ない。
指揮官のドッチ男爵は、部下達の助けを求める視線に、渋々重い口を開いた。
「【二鳥槍】殿。そのくらいで。今は軍議の最中ですので」
指揮官からの注意に、しかし、【鳶色の】マルテールはバカにしたように鼻を鳴らした。
「軍議ってこのつまらない話し合いが? それなら結果は出たよね? さっき僕が言ったじゃん。相手が何を考えていようが、踏みつぶしてやればいいって。僕とダンタニアは亜人の相手なんてさっさと終わらせて、早くカロワニー様の所に戻りたいんだよ」
「そもそも亜人の相手などに自分とマルテールが出るまでもない。つまらない用件で自分達を呼ばないで欲しいものだ」
さっきまでの口喧嘩は何だったのか。二人は仲良く声を揃えてドッチ男爵を非難した。
主人のピンチに部下の一人が慌てて助け船を出した。
「た、確かに亜人を相手にするには【二鳥槍】のお二人は役不足でしょう。しかし、今日の戦いではかの槍聖サステナが亜人達に混じって戦っていたという情報も入っております」
槍聖サステナという言葉に、少年達は劇的に反応した。
「サステナか。ああ、そういや【今サッカーニ】がいたんだ」
「アイツは自分達の挑戦から逃げたが・・・戦場でなら今度は逃げたりは出来ないよな」
これが【ベッカロッテの二鳥槍】の本当の姿なのか。
今までの緩さから一転。狂気すら孕んだ異様な光が二人の目に宿ると、周りの大人達は寒気にゾクリと背筋を震わせた。
「そ、そうです。槍聖サステナの相手はお二人にしか相手が出来ません。我々ではとてもとても」
「ふぅん。なんだか調子いい事を言ってる気もするけど。まあいいや。今回はその言葉に乗せられてあげるよ」
「マルテール。抜け駆けはなしだぞ」
二匹の鬼が舌なめずりをしたその時だった。
天幕の外で乾いた音と共に騒ぎ声が上がったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
戦いの初日は終わったと言ったがあれはウソだ。
「亜人だ! 亜人共が襲撃して来たぞ!」
『説明ご苦労様! 最も危険な銃弾!』
「ギャッ!」
パンッと乾いた音を立てて、見張りの兵士の顔面がはぜた。
私はヒラリ。倒れた兵士を飛び越えると、敵陣に切り込んだ。
「総員、クロ子に続け! クロカン、突撃ー!」
「「「おおおおおおっ!」」」
「メラサニ村のヤツらに遅れを取るな! 義勇兵、突撃ー!」
「「「うわああああっ!」」」
副隊長ウンタの号令でクロコパトラ歩兵中隊の隊員達が、亜人兄弟の兄ロインの号令で楽園村の義勇兵達が、それぞれ雄叫びを上げながら敵陣に突入した。
今は夕暮れ時。陣地のあちこちで兵士達が食事の仕度をしている煙が上がっている。
いわば今は戦いに向いていた気持ちが食事に向いている時間。隙だらけの時間という訳である。
「だがよクロ子。襲撃ってのは普通、敵が寝静まった頃を見計らってやるもんじゃねえのか?」
いつの間にか私の横を走っていた槍聖サステナが最もな疑問をのたまった。
お答えしよう。水母さん、翻訳よろしく。
『【ぶっちゃけ私だってそうしたい所なんだけど、こっちには義勇兵達がいるからね】(CV:杉田〇和)』
「ああん? それがどう――あーなるほど。同士討ちの心配をしてるのか」
そういう事。
クロカンの隊員達とサステナだけならまだしも、この襲撃には義勇兵達が参加している。
戦い慣れしていない彼らが、暗闇の中、どういう動きをするか、正直予想が付かない。
パニック状態になって間違って味方を攻撃、なんて事にでもなったら目も当てられない。
だからと言って、彼らを連れて行かなければ行かないで、単純に人数が半分以下にまで減ってしまう。
正に痛し痒し。
その妥協の結果が今の薄暮時の襲撃となったのである。
「あらよっと!」
「ま、待て! ぐあっ!」
サステナは、慌てて剣を抜こうとしていた兵士を目ざとく見つけると、素早くひと突き。
兵士は傷口を押さえて地面に蹲った。
「ほい、次! ほれほれ!」
「ひいっ! ギャアアア!」
「うわっ! ぐああああ!」
「止め――ギャアアア!」
サステナは敵陣を駆け抜けながら、流れ作業感覚で次々に敵兵を切り付けて行く。
その姿はまるで熟練工。最適化された槍裁きは最少の動きで最大の戦果を積み上げている。
私の背中でピンククラゲがフルリと震えた。
『今回は見学コース?』
『おっといかん。あまりのサステナの手際の良さについ見とれてしまってたわ。ここからはこっちも巻きで行くわよ、最も危険な銃弾!』
「ぐはっ!」
私とサステナの役目は、ハデに暴れて敵の注意を惹き付ける事。
同士討ちを避けるためとはいえ、まだ日が残っている時間に襲撃を仕掛けた以上、相手にもこちらの姿がまる見えとなっている。
味方の被害を少しでも減らすためにも、私とサステナは可能な限り敵のヘイトを集め、仲間に向かうはずの敵兵の注意を少しでもこちらに引きつけるのだ。
『その分、私とサステナに負担がかかる作戦だけど、それもまあ、この分じゃしばらく大丈夫そうでしょ。最も危険な銃弾!』
不可視の弾丸をみぞおちに受けた兵士が、「ぐえっ」と息を詰まらせて地面に倒れる。
おっと、いいもの見っけ。
『そのお湯借りるわね。円弾!』
スープでも作ろうとしていたのだろうか。火にかけられた大きな鍋の中にグツグツとお湯が煮立っている。
私の魔法が発動すると、鍋の熱湯は手のひらサイズの円盤となって周囲の兵士に襲い掛かった。
円弾は水母の施設の角大亀が使っていた魔法で、円盤状に回転する水の弾丸を撃ち出す、というものである。
いわば最も危険な銃弾の水魔法版とでも言おうか。
殺傷力も低い上、近くに十分な水がないと発動すら出来ない魔法なので、私の中での使用頻度はかなり低い物となっている。
だが円弾の魔法自体の殺傷力は低くても、使われているのは沸騰しているお湯。
それが命中すればどうなるかと言うと――
「痛っあちちちちち!」
「熱っ! あ痛たたたた!」
兵士達は体から白い湯気を立ち昇らせながら地面の上を転げ回った。
こうかはばつぐんだ!
夕食時ということもあって、周りには同じように煮立った鍋がいくつもある。
いいね。今日は円弾の魔法を使いたい放題だ!
次回「メス豚と白粉騎士」




