その469 メス豚と初日の終り
『圧が下がった?』
バリケードの上で私は周囲を見回した。
敵兵の数は変わらないように見えるが、さっきまでと違い、こちらを見ているだけで攻めて来ようとはしていない。
何かを狙っている? あるいは攻勢に出るための準備をしている?
戦場に生まれた空白の時間。
にらみ合いだけで何も起こらない奇妙な時間。
やがて敵はこちらを警戒しながら少しずつ下がり始めた。
「――なあ、クロ子。まさかヤツら諦めたのか?」
『さあ? 水母、各部隊に連絡。【あーあー。こちらクロ子。現在ハリィの第七分隊の防衛に参加中。こっちでは急に敵が引き始めたんだけど、他の場所ではどう?】(CV:杉田〇和)』
一拍間を置いて各部隊の隊長達からの返事が帰って来た。
『「第一分隊、カルネ! こっちも同じだ! さっきまで激しく攻めて来ていたくせに、ウソみてえに静かになっちまった! 今、義勇兵達が確認してくれてるが、多分、引き上げたので間違いねえと思う!」
「第二分隊、モンザ! こちらも同様だ! 敵の姿は見当たらない!」
「第三分隊、コンラ。こっちは大分前から大人しいもんだったが、ついさっき退却を確認した」
「こちらウンタ。物見やぐらの上から確認する限り、敵は村の入り口付近、川東に集まっているようだ。どうやらそこに本陣を置くつもりらしい」』
どうやら敵は兵を引き上げ、安全を確保した場所に拠点作りの準備を始めたようだ。
つまり、今日の所はこれ以上の攻勢は無い、と考えてもいいだろう。
私は警戒を解き、肩の力を抜いた。
『【こちらクロ子、了解。全部隊、見張りに数名を残して、後の者達は交代で休んで頂戴】』
今の通話が聞こえたのだろう。ハリィ含めた第七分隊の隊員達の間に、ホッと安堵の空気が流れた。
私は彼らに振り返った。
『みんなもお疲れ様。正直、何度かヒヤッとする瞬間はあったけど、大事にならずに済んで良かったわ』
実際、さっきの攻撃はマジでヤバかった。
私が駆け付けるのが後数分遅れていたら、敵に突破を許していただろう。
そうなれば戦線の崩壊は必死。なにせこちらには予備兵力など持ち合わせていないのだ。
濁流の如く押し寄せた敵は、止める間もなく他の部隊の背後から襲い掛かり、あっという間に我々を数の力で押しつぶしていただろう。
『今思えば、敵指揮官はあれが今日、最後の攻撃だと知っていたからこそ、戦力の出し惜しみをしなかったのかもね。事前にそれが分かっていれば、こっちだって焦る事は――待った!』
見るともなしに敵の去った方向を見つめていた私は、そこに動く人影を見つけてハッと体をこわばらせた。
人影はこちらに気付くと軽く手を振った。
「おう、クロ子。つうしん? を聞いてここにいるって分かったんで来たぜ。コイツは便利な代物だな。もしもお前が人間なら、王家に売り込んで爵位の一つも貰えただろうに。いやぁ勿体ねえ」
そんな戯言をのたまうのは槍を担いだイケオジ。槍聖サステナだった。
サステナも今日一日、私に負けず劣らず激戦地をハシゴしていたはずだが、見た感じかすり傷一つ負っている様子がない。
流石は、槍の申し子サッカーニの生まれ変わり、と称される男。
コイツも大概な化け物である。
『【今サッカーニの呼び名は伊達ではない、といった所か】』
「ああん? お前の口からそんな言葉が出るたあな」
サステナはそう言うと足元に転がっていた兵士の死体を仰向けに転がした。
「顔面がキレイに抉れてやがる。相変わらずエグイ魔法を使いやがるぜ。こんな死に方だけはしたくねえもんだ、おーくわばらくわばら」
サステナはおどけた調子で手を振った。ちょっとイラッ。
ちなみに今のは、サステナが日本語で『くわばらくわばら』と喋ったという訳ではない。
元々『くわばらくわばら』は雷を防ぐまじないの言葉で、それが転じて厄災を退ける意味でも使われるようになったという。
しかし、英語でも似たような意味の言葉で『ノックオンウッド』というフレーズがあるように、どうやらこっちの世界でも同じような意味の言葉があるようだ。
私の翻訳の魔法は、私に意味が通るように自動的にその言葉をチョイスし、意訳してくれたという訳だ。
つまりさっきの『くわばらくわばら』は翻訳の魔法のセンスという訳だな。
魔法ってスゲエな。
「敵さんも今日の所は諦めたって訳か。賭けてもいいが、今頃、ヤツらの本陣は荒れに荒れてるぜ? なにせたかだか亜人の村の制圧に失敗しちまった訳だからな。指揮官の能力が問われる大問題ってヤツだ。いやあ、どこも指揮官ってのは大変だな」
サステナは意地の悪そうな顔で味方の指揮官の――つまりは私の顔を見た。
『【ホンマそれな。良ければ変わってあげようか?】』
「バカ野郎。俺は今の立場が気に入ってんだ。部下の命まで預かるなんてなぁ、まっぴらゴメンだね」
サステナは割と真面目な顔で私の冗談を切り捨てた。
いや、お前だって槍術師範。部下というか弟子を持つ身だろうに――と思ったが、そう言えば、ヴェヌドの殺し屋、深淵の妖人達との戦いでは、彼の弟子達は何人も命を落としている。
私と初めて出会ったのも、戦いで負傷した弟子のお見舞いに行った帰りだったという話だし、こう見えて実はサステナは弟子想いのいい師匠なのかもしれない。
あっ。そういう事か。
私はふと、サステナの今までの言動がストンと胸に落ちた気がした。
サステナが槍の天才であることに疑問の余地はない。そして彼の実力が群を抜いているのも、今日の戦いからも明らかだろう。
そんな師匠をサステナの弟子達は慕っている。だが残念ながら、彼らの実力は師匠の背中に追いつくどころかその足元にすら及んでいない。
サステナは大天才。弟子達は良くてせいぜい秀才止まりだからである。
そんな弟子達が深淵の妖人と戦い、傷付き殺されて行くのを見て、サステナはどう感じただろうか?
弟子を傷付けられて怒りに震えた? 勿論、それもあるだろう。
だが、不甲斐ない弟子達に対しての苛立ちも無くはなかったのではないだろうか?
「俺なら殺し屋なんぞにここまで好きにやられたりはしなかった。なぜ弟子達は俺のように戦えない。なぜ俺と同じ事が出来ない」
それは天才が凡人に対して抱く不満。一方的な価値観の押し付け。
勿論、サステナも自分の感情が理不尽な物である事は分かっているのだろう。
だから彼は『どうせ本当の意味で俺の気持ちを理解出来るヤツなんて誰もいないに違いない』と諦めるようになっていたのではないだろうか?
正に天才であるが故の孤独。
そんなサステナの前に私が現れた。
豚でありながら魔法を操る異能の存在。どう見ても子豚のくせに戦いの場に立てば一騎当千。豚の範疇を超えた異端中の異端。
サステナはそんな私に自分の姿を重ねてしまったのではないだろうか?
同じはみ出し者として。理解されない異端者として。
つまりはこの天才は、初めて自分の同類を見つけた事で浮かれているのだ。
『【どうりでやたらしつこくサステナが私に絡んで来る訳だ。サステナ。お前も案外寂しいヤツだったんだな】』
「おい、クロ子。何だその目は。気色悪い目で俺を見るのを止めろ。お前絶対に何か変な事を考えてるだろう?」
無理しなさんな。この照れ屋さんめ。
「テメエ、だからそのしたり顔を止めろって言ってるだろうが! コラ、クロ子! テメエ人の話を聞きやがれ!」
ブヒヒ、だからそんな照れなくていいのに。怒鳴るサステナと戯れる私の背中でピンククラゲがフルリと震えると、『理解不能』と呟くのだった。
寂しがり屋のサステナとひとしきり遊んでやった後。
今日の襲撃が終わったからと言って、これで戦いが全て終わったという訳ではない。
休憩を取った我々は、明日の戦いに備えて、壊れたバリケードの補修を始めたのだった。
『結局、二つも防衛ラインを下げさせられた訳か。初日から結構厳しいわね』
現在、我々がいるのは、いわば第三防衛ライン。
今日の戦いの中、第一と第二ラインは放棄され、現在、その一帯は敵の占領地となっている。
私の言葉を分隊長のカルネが聞きとがめた。
「けどよ、クロ子。それって最初から織り込み済みだったんじゃねえのか? これって元々そういう作戦なんだろ」
『まあそうなんだけどさ』
攻めて来たカロワニー軍に対し、我々は数の上でも装備の上でも劣勢を強いられている。
その上、我々は非戦闘員――楽園村の村人達まで守らなければならない。
なんという無理ゲー。こんな条件で殴り合っても勝てるはずもない。
そこで私が考え出したのは、こちらの唯一のアドバンテージ、地の利を生かした漸減邀撃作戦である。
漸減邀撃作戦。
簡単に言えば、戦っては後退、戦っては後退を繰り返しながら複数の陣地で敵を迎撃、少しずつ敵に出血を強いるという作戦である。
旧日本海軍が米軍と戦う手段として考案。国力で劣る日本が、強大なアメリカに勝つため編み出した作戦。いわば苦肉の策である。
太平洋を進んで来る米艦隊に、こちらからは潜水艦や航空機、あるいは艦隊によるロングレンジ攻撃を加え、少しずつ敵の数を減らしていく。最後に戦力が互角になった所で艦隊決戦を行い、これを撃滅する。というビジョンである。
味方の被害は最小限に抑えながら、敵艦隊にのみ被害を与えるという、正に夢のような作戦だったのだが、残念ながら机上の空論に終わってしまったのは、日本人なら誰でも知る通りである。
今の所、こちらの目論見は上手くいっているように思える。
今日の戦いでも、こちらの被害は最小限。敵は数十人から百人近くの死傷者を出しているはずである。多分。
とはいえ、いつかは敵の指揮官もこの策に気付くだろう。
『敵がこちらをたかが亜人と甘く見ている今の間にどれだけ削り切れるか。勝敗はそこにかかっているという訳ね』
私は作業中の隊員達の姿を眺めながら、そう呟いたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは楽園村の南地区。カロワニー軍に占拠された区画。
本陣となる大天幕に、各部隊の指揮官は集められていた。
天幕の奥。一人だけ床几に座っているのは頭のハゲあがった小柄な中年の騎士。
この部隊の総指揮官、ランズベルト・ドッチ男爵である。
ドッチ男爵は部下達の顔を見回すと口を開いた。
「今日の戦いから見て、敵の意図している所は明白だ。漸減邀撃戦。ほぼこれで間違いあるまい」
次回「メス豚と混乱する敵陣」




