その462 メス豚と義勇兵達
カルテルラ山に野犬の遠吠えが響き渡る。
短く、長く、短く、長く、そして長く。
それはモールス符号の”テ連送”。その意味は「我、敵を発見す」。
マサさん達黒い猟犬隊からの合図である。
村の小道をブヒブヒと嗅ぎまわっていた私は、ハッと顔を上げた。
『ようやく来たか』
私は『風の鎧!』。すかさず身体強化の魔法をかけると、風のように駆け抜けた。
目指すは村の広場。我々が広場に建てた物見やぐら。
「クロ子! テメエこんな時にどこ勝手にほっつき歩いてやがんだ?!」
物見やぐらの上から私を見付け、文句を言うのは隻眼のワイルド系イケオジ。
サッカーニ流槍術師範、槍の天才【今サッカーニ】ことサステナである。
『チピチピ、チャパチャパ、ドゥビドゥビ、ダバダバダ』
「そんな殊勝なツラで謝ったってダメだ! テメエはコイツらの指揮官だろうが! ちったあ自覚を持たねえか!」
「いや、サステナ。クロ子は何一つ謝ってはいないんだが」
あ、コラ、ウンタ。黙ってりゃバレないのに。
魔法が使えるウンタ達亜人と違い、人間のサステナには私の言葉は分からないのだ。ホラ、サステナが怒り出した。
おっと、今はこんな事をやってる場合じゃなかった。
私は一気に物見やぐらのてっぺんまで駆けのぼった。
物見やぐらの高さは十メートル程。本音を言えばこの倍は欲しかったが、急ごしらえなので仕方ない。
この高さでも全棟平屋建ての楽園村なら、ギリ村の先まで見通せる。
こんな物見やぐらが、現在、楽園村には三つ、建てられている。
やぐらのてっぺんには、屋根と壁付きの見張り台が作られている。
てか、最低限、屋根と壁がないと、敵に弓で狙い撃ちされてしまうからな。むしろ必須と言えよう。
その見張り台には槍聖サステナとクロカンの副隊長ウンタ。それと楽園村お達者クラブこと長老会のエノキおばさんの三人が待っていた。
「クロ子、予定通り全員、配置に付いている」
『了解。村長のユッタパパは?』
「ユッタなら村の外れで村民会の連中と一緒に待機してるよ。まだ交渉の余地は残っているからね」
まだそんな事を言っているのか。交渉とか正直、かなり望み薄だと思うんだが。
村民会とは楽園村の各地区の有力者達の集まりで、要は町内会役員みたいな感じらしい。
先日、ユッタパパに食って掛かっていたヒゲのオッサンも――確かジャドだったっけ?――その一人。議会で言えば野党の党主の立場にいるそうだ。
ちなみに亜人兄弟、雰囲気イケメンの兄ロインの彼女、ちょいキツ目肉食系女子サロメのパパは与党――すなわちユッタパパの派閥に所属。昔から家族ぐるみの付き合いだという。
『親同士に付き合いがあって幼馴染で恋人とか。そんなの漫画やアニメの中だけの存在だと思っていたんだがなあ。あ、そういや従妹の典明がいたわ。アイツも大概ファンタジーな存在だよな』
「? クロ子は一体、何を言ってるんだい?」
「大して意味のある事じゃない。こういう時は聞き流しておくのが、クロ子とストレスなく付き合うためのコツだ」
エノキおばさんの疑問をウンタがバッサリ切り捨てた。
てか、言い方。なんだよ、ストレスなくとか。人をストレス源みたいに言うんじゃないよ。
私達の会話に焦れたのか、槍聖サステナが私をむんずと捕まえた。
「ほらクロ子。喋ってる暇があるなら、とっとと指示を出さねえか」
『ぐえっ。人を乱暴に掴むな! 指示を出そうにも、まだ敵の姿も見えないんじゃどうしようもないでしょうが!』
どうやらサステナは戦いの始まりが待ちきれないようだ。全く、この戦闘狂め。
本人にそう言ってやったら、「俺は戦闘狂じゃねえ。勝つのが好きなだけだ」などと言い返された。
まあ言いたい事は分からないではないけど。
スポーツ選手にしろ、囲碁や将棋の棋士にしろ、そのジャンルのトップ、一流の人間はみんな負けず嫌いだと聞いた事がある。
別の言葉で言えば闘争心。負けてたまるかコンチクショウというド根性。
逆に言えば、周囲からその能力を認められながらも一流まで登り詰められなかった人間は、そういう気持ちの面で彼らに届いていなかったのかもしれない。
『私とあんたはこの防衛戦の要。戦闘が始まったら、イヤでも一番の激戦区で戦う事になるんだから、今は少しでもリラックスしとかないと』
そう。さっき私が散策していたのもそのためである。
リラックス、大事。決して「何か食べ物でも落ちてないかな」などと探し歩いていた訳ではないのだ。ないったらない。
その時、村に再び野犬の遠吠えが響き渡った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「い、今の遠吠えはさっきよりも近かったよな?」
「あ、ああ。それだけ人間の軍隊が近付いているって証拠なんだろうな」
クロ子のいる物見やぐらより南。村の新興区画となる南地区。その家の影に潜んでいた青年達は緊張にゴクリと喉を鳴らした。
そんな彼らの下に傭兵姿の大男がやって来た。
額には小さな黒い角。クロコパトラ歩兵中隊の分隊長、カルネである。
カルネは青ざめた顔をこわばらせている青年達を見回すと、その傷だらけの顔に男らしい笑みを浮かべた。
「様子を見に来たぜ。まあ、戦いの前ってのはどうしたって緊張するよな。ましてやお前ら義勇兵にとっては初陣。初めての戦闘だ。クロ子はこういうのを何と言ってたっけな・・・そうだ、にゅーびー! 俺達も少し前まではそのにゅーびーだったからな。お前らの気持ちは良く分かるぜ」
青年達は――義勇兵達は、カルネの言葉に驚きの表情を浮かべると、彼の姿をまじまじと見つめた。
「少し前までってホントか? あんた達メラサニ村のヤツらは、その、みんな生まれた時からそんな感じなのかと思っていたが」
「はんっ! まさか。ああ、この恰好か? こんな鎧を着てまともな武器を持つようになったのは、そうだな、ほんの数ヶ月前くらいか? 一年前は俺達だって今のお前らと似たようなもんだったさ」
義勇兵達は、カルネ達クロカンの隊員も一年前は自分達と同じ村の若者だったと聞かされて、驚きに顔を見合わせた。
「だから気後れすんな。お前達だって三日間とはいえ、クロ子とスイボの地獄のしごきに耐えたんだ。アレがどれだけキツイかは俺達クロカンの隊員達が一番良く知っている。自信を持て。お前達なら大丈夫だ」
カルネがそう励ました途端、まるでスイッチが切り替わったかのように、義勇兵達の顔から恐怖や緊張がスルリと抜け落ちた。
代わりに現れたのは、全ての感情を塗りつぶす圧倒的な絶望感。
「・・・そうだな。あのしごきにくらべれば、人間との戦いなんてどうって事ないよな」
「・・・ああ、いつもやっている狩り、その相手が人間に代わっただけだし」
「・・・相手はたかが人間。相手はたかが人間。クロ子とスイボ、あの二人に立ち向かうのに比べたら、人間の兵士の相手なんてどうとでもなる」
虚無の表情でブツブツと呟く義勇兵達。
どうやらカルネの言葉は彼らの地雷を踏み抜いてしまったようだ。
「お、おう。お、お前らその意気だ。お、俺は他のヤツらの様子を見て来るから。じゃあな」
カルネは「やべ」と後ずさると、慌ててその場から逃げ出したのであった。
時を遡る事四日前。
クロ子達が楽園村に到着したその日の夜の事。亜人兄弟の兄ロインは大勢の若者達を連れてクロ子の下に訪れていた。
「みんなとも相談したんだが、クロ子、頼む。俺達をクロカンの仲間に加えてくれ」
『クロカンの仲間? あんた達全員、クロコパトラ歩兵中隊に入りたいって事?』
クロ子がそう尋ねた途端、村の若者達は息せき切って彼女に詰め寄った。
「クロ子ちゃん、お願い! 私達を助けて!」
「昼間、俺達の仲間が人間の兵士に殺された! 八人もだ! 大怪我をしたヤツらだって大勢いる!」
「家だって何軒も焼かれているのよ! それなのに大人達は話し合いばかりで動こうとしない! 人間の兵士はすぐそこまで来ているのに、いつまでも話し合いをしていてどうするの?!」
「今、この村でまともに戦えるのはアンタ達だけだ! 今日だって村のあちこちに敵の侵入を防ぐための障害物を作っていた! そういう戦いの知識や行動力こそが俺達に必要なんだ!」
『ぶ、ブヒッ! ちょ、お前ら落ち着けって!』
どうやら彼らは、話し合いばかりで一向に動こうとしない大人達にしびれを切らしていたようだ。
若者達は不安と恐怖、そして焦りで居ても立っても居られず、ロインの所へ相談に向かった。
そこで彼らはクロ子達クロコパトラ歩兵中隊の話を聞き、クロ子達こそ、自分達の村を救ってくれる唯一の存在であると確信した。
そしてロインも彼らと同じように感じていた。
ロインは村の若者達とクロ子の間に橋渡しをするべく、彼らを引き連れてこの場にやって来たのであった。
「俺とハリスを村まで送り届けて貰っておいて、更にアンタ達にこんな事を頼むのは虫が良すぎるというのは分かっている。だが、俺達にはアンタ達メラサニ村の者達しか頼る者がいないんだ。勿論、アンタ達だけを戦わせるつもりはない。俺達もアンタ達の指揮下に入って戦う。ここにいる全員、それに納得しているんだ」
ロインの言葉に若者達は大きく頷いた。
クロ子は少し考えながらロインに尋ねた。
『私達の指揮下に入るという事は、私の命令であんた達の誰かが死ぬかもしれない。その事は分かってる? それはロイン、あんた自身かもしれない。あんたはそれでもいい訳?』
「当然覚悟の上だ。それでこの村が守れるというのなら俺に文句はない。それに誰が死んでも俺達はアンタ達を恨まない。そうだよな、みんな」
「おお! 勿論だ!」
「俺達の村を守るためなら、俺は命をかけるぜ!」
ここまで黙って話を聞いていたクロカン達の中から、大男カルネがクロ子に声を掛けた。
「コイツらがこうまで言ってるんだ。クロ子。一緒に戦わせてやろうぜ」
「そうとも、カルネの言う通りだ。自分達の村を守るために戦いたいという気持ちは俺達だって良く分かる。こいつらの気持ちを汲んでやってくれないか?」
クロカンからの思わぬ援護射撃に、若者達の顔に喜びの笑みが浮かんだ。
クロ子は少しの間黙って考えていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
『私の指揮下に入るという事は、私の部下となる。そう考えて構わない訳よね?』
「ああ、そうだ」
『私の命令には絶対服従。それがどんな厳しい命令でも反抗はしない。そう誓える?』
「勿論だ。誓う」
『そう、分かった。ならいいわ。あんた達を受け入れる。名称はそうね、義勇兵で』
クロ子が頷くと、村の若者達改め義勇兵達の間に歓声が上がった。
カルネがロインの肩を叩いた。
「良かったなロイン! 一緒にカロワニーの兵士達を追い払おうぜ!」
「ああ。よろしく頼む」
喜びに沸く義勇兵達とクロカンの隊員達。黒い猟犬隊の犬達が彼らの興奮にあてられて、ワンワンキャンキャンと彼らの足元を走り回る。
そんなお祭り騒ぎの中、クロ子の言葉が響いた。
『では楽園村義勇兵の諸君! 男子諸君には明日から私の下で新兵としての訓練を受けて貰う! いつカロワニーの軍が動くか分からない今、我々に時間の余裕はない! 初日からビシビシ行くからそのつもりで!』
「「「お、おう?!」」」
意味は良く分からないものの、何となくその場のノリで元気よく返事をする義勇兵達。
そんな中、クロ子達との付き合いの長いロインだけは、クロカンの隊員達が気の毒そうな目で自分達を見ている事に、イヤな予感を覚えるのだった。
次回「義勇兵の乱」




