その44 メス豚、ダンジョン最奥に到達する
朝――なのかどうかは分からない。
この部屋の中は日の光が入らないからだ。
私の動きが伝わったのだろう。すり寄るように寝ていたコマも目を覚ました。
転生直後の兄弟豚と一緒に寝ていた頃の事を思い出したよ。
昨日、私はこの部屋での死闘を終えると仮眠を取る事にした。
天井が薄く光っているから明かりには困らないけど、時間の経過は分からない。
今は朝なのか夜なのか。
どこかに時計がかかっていないだろうか。
コマは部屋の隅のプールの水を飲み始めた。
私がこの部屋で休むことを決めた理由である。
やはり水は必要不可欠だからね。
ちなみにこの部屋にいたのはペリカンのような鳥だった。
もちろん頭には角が生えていた。
ゴリラ戦の反省から私は先ずは相手に魔法を使わせてから、大ネズミ戦で覚えた水操作魔法、自在鞭で止めを刺した。
自在鞭の魔法は、一見成造に近い効果のようで、操作感覚は実は打ち出しや点火の方に近いものがある。
つまり水を操作して鞭のように扱うのではなく、鞭のようにしならせて叩きつける、という現象ありきで、その現象を実現するための過程として水の操作がある――という感じなのだ。
この辺りの感覚は魔法を使える者じゃないと分かってもらえないだろうなあ。
つまり私が何が言いたいのかといえば、自在鞭の魔法は魔法発動速度の速い、非常に”軽い”魔法だという事である。要は便利な魔法なのだ。
こんな便利な魔法を教えてくれた大ネズミには感謝しないといけないな。
今度倒した時は、コマに与えずに私自らが感謝しながら美味しくいただく事にしよう。
『こらっ! コマ! どこでおしっこしてんの!』
相変わらずマーキングに余念のないコマだったが、彼の描く放物線の一部は壁を外れてプールの中にしぶきを散らしていた。
まだ私が飲んでないのにバッチイな。
「キューン」
『全く・・・ちょっと目を離すとアンタは』
反省するコマを尻目に水を飲む私。
バッチイんじゃないかって? いやいや、ちょっとしぶきが入ったくらいで気にしていたら野生で生きられないから。
今生の私はそんなものでお腹を壊すほどヤワなお腹はしていないから。
だったらなんでコマを叱ったのかって?
いくら気にしないとはいえ、これから飲む水におしっこを入れられたら流石に気分が悪いでしょう。
エチケットだよエチケット。
『さてと・・・』
私は部屋の奥、そこだけポカリと開いた空間を睨んだ。
明らかに今までとは毛色の違う穴だ。
穴の先に見えているのはどこかの通路だろうか。
なにやら幾何学的な模様が刻まれている。
謎の存在Xはもはやココが人工建築物である事を隠す気すらないようだ。
突然の変化に警戒した私は、この部屋を出る前に休憩を取ることにしたのである。
睡眠の甲斐あって魔力も十分に回復している。
これならどんな強敵が出て来ても戦えそうである。
『行くよコマ』
「ワンワン!」
私はコマを連れて謎の廊下に踏み出した。
部屋を出た途端に敵に囲まれる――という事もなく、我々は順調に廊下を歩いて行った。
こっちの方向で合っているのかどうかは分からないけど、天井に明かりがついているので多分間違いはないだろう。
廊下の広さはホテルの廊下くらい? 高さは2m程で幅は人間が無理なくすれ違える程度。
天井には明かりが灯り、壁にはどこか民族調な模様が刻まれている。
床は硬いゴムのような独特な反発があって、厚く埃が積もっている。
廊下には時々ドアがあるものの、ドアノブも無ければ鍵穴も無い。多分Xが操作すれば開くんだろう。
そんな殺風景な廊下を私達はXに案内されるまま歩いて行った。
『行き止まりか』
やがて廊下はドアの前で行き止まりとなった。
病院の手術室のような両開きのドアだ。
緊張に私の喉がゴクリと鳴った。
そしてコマの鼻がプシュンと鳴った。
どうやら廊下の埃にやられたらしい。コマはさっきからプシュンプシュンとくしゃみが止まらないようだ。
緊張感の無いヤツだな。全く。
プシッ
圧縮された空気の抜けるような音をさせてドアが左右に開いた。
部屋の中は予想外の明るさだった。
一瞬外に出たのかと勘違いしたほどである。
何かの研究室だろうか? SF映画に出て来るような謎機械が所狭しと並べられている。
廊下と違ってこの部屋は良く掃除されているらしい。床には埃どころかチリ一つ落ちていなかった。
つまり誰かが今もこの部屋を使っているという証拠だ。
その誰かとは間違いなく謎の存在X。
私に魔法生物をけしかけているとおぼしき存在である。
『誰かいるの?』
私の問いかけを受けて、部屋の中央にピンク色の何かがフワリと浮かんだ。
小さい。文庫本くらいのサイズだ。
クラゲ?
『いらっしゃい、検体Aと犬。この施設のコントロールセンターへようこそ』
ピンクのクラゲは私達に挨拶をして来た。
ダンジョンの最奥で私達を待っていたのは喋るクラゲだった。
というかどこからつっこめばいいんだコレ?
クラゲが喋るというのはひとまず置いておこう。豚だって喋る世界だ。喋るクラゲがいたっておかしくはないだろう。
目も口も無いツルリとしたお饅頭のような頭?から、細いチューブのような足が何本も伸びている。
まんまクラゲにしか見えないね。
しかし、クラゲが空中をぷかぷかと浮かんでいるってどういう事?
メルヘンなのか? 私は今度はメルヘンの世界に転生してしまったのか?
そして検体Aというのは私の事を言っているのか? だとすればこのクラゲが謎の存在X?
私の想像以上に謎の存在なんだけど。
はっ。まさか――
『ええと、ひょっとして火星人?』
『火星人? 火星人不明。火星人検索結果――該当なし。一致率50%にまで下げて再検索』
『ゴメン。ちょっと言ってみただけだから』
どうやら火星人ではないようだ。
いやね、昔「ドラ〇もん」でこんな形の火星人がいたのよ。
『検体Aに――』
『あーと、その検体とか言うのやめてくれないかな』
何だか物扱いされてるようで不愉快だから。
『私はクロ子だから。この子はコマ』
『クロ子。コマ。登録。クロ子に質問』
ピンククラゲはふよふよと空中を漂いながら私に近付いて来た。
『様々に条件を変えてクロ子を観察して来た。しかし結論は出なかった』
条件を変えて観察? 角の生えた魔法生物との戦いの事を言っているのか?
やはりあれは存在Xにとっては何らかの実験だったんだな。
ピンククラゲはここで思いもよらない爆弾を落とした。
『クロ子は哺乳綱・豚? それとも人間?』
『なっ・・・』
次回「メス豚と対人インターフェース」




