その421 メス豚と三妖人
私はお腹にブルブルという振動を感じて目を覚ました。
『ふっ、ふがっ! な、何事?!』
『寝起き』
闇の中、私のお腹の上からピンククラゲが浮き上がった。
そういや、真夜中になったら起こしてくれって頼んどいたんだった。
てか、なんでこんなスマホの目覚ましのマナーモードみたいな起こし方を――って、その時、夜中にみんなを起こしちゃったら悪いから、大きな声で起こさないでねってお願いしといたんだったわ。
う~、眠い。目がショボショボする。
ちょっと仮眠するだけのつもりが、結構ガッツリ寝てしまったようだ。
初めての船旅に初めての町、それにアゴストファミリーとの戦いと、知らない間に疲労が溜まっていたようだ。
戦いではお前は何もしていなかっただろうって? まあそうなんだけど、ああいうのは現場に居合わせるだけでも気疲れするっていうか。
ここは宿屋の大部屋。クロコパトラ歩兵中隊の隊員達は、思い思いの場所に毛布を敷いてザコ寝をしている。
少し離れた場所に寝ているのは三人の男女。タイロソスの信徒達、アーダルトとその弟子のビアッチョとマティルダである。
マティルダはこのチームで唯一の女子(※私を除く)だが、そこは流石に傭兵。女子だからといって特別扱いされるような事もなく、普通に男共に混じって寝ている。
みんなは余程疲れているのか、今の私の声で目を覚ました者は誰もいなさそうだ。
私は欠伸をしながら、ポテポテと窓に近付いた。
『ふあ~あ、眠。調査に行くの面倒くさ。出来ればこのまま朝まで寝てたいわ~』
とはいえ、日中は人が多くて、自由に動き回れんからな。その辺は流石【西の王都】と呼ばれているだけの事はある。
まあ、ジャパンの誇るオタク街、秋葉原や池袋なんかに比べたら、全然大した事はないんだけどな。
『面倒だけど、また昼間のように野次馬共に取り囲まれても困るし。うろつくならこの時間じゃないとダメか。水母、窓お願い』
『了解』
ピンククラゲから触手を伸びると、ガタリと音がして鎧戸が開いた。
相変わらず細いのに力持ちな触手だこと。
『愚痴ってても仕方がない。行くか。風の鎧』
私は身体強化の魔法を発動すると窓枠の上に飛び乗った。
さあ出発――と思ったその時だった。
『警告。当該施設に接近する人間あり。数は三』
それは深夜の死闘の開始を告げるゴングだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その不審者に気付いたのは、巡回中のサッカーニ流槍術の門下生だった。
「そこで止まれ! お前達、こんな時刻にこんな場所で何をしている!」
鋭い誰何の声と共に、男は槍を構えた。
その声を聴き付け、宿屋の中から槍を持った男達が次々に現れる。
人数は十人程。全員がサッカーニ流槍術の門下生達である。
何人かが準備してあった明かりに火をともす。
薄明りの中、浮かび上がった人影は三人。言わずと知れた深淵の妖人。【手妻の陽炎】と【手長足長】、それに【三十貫】である。
異様に着ぶくれした中年男性、【手長足長】が、派手な格好をした青年、【手妻の陽炎】に尋ねた。
「こやつらがお前が言っていた隣の国から来たという亜人達か? というか、俺の目にはどう見ても人間と同じ顔にしか見えんのだが?」
「ふむ、確かに。こんなヤツら昼間にいたっけか?」
【手妻の陽炎】は小首を傾げると戸惑いの表情を浮かべた。
門下生の中から、大柄な男が進み出ると、槍を突き出した。
「貴様らが深淵の妖人とやらか?!」
彼らの持つ槍はショートスピアに分類される1メートル程の短槍。
穂先の根元に突端と呼ばれる羽根状の突起が付いている事から、ウィングド・スピアと呼ばれるものである。
「ほう。その名を知っているとはな。お前達こそ何者だ? 俺達を待ち伏せしていたようだが?」
「しらばくれるな! お前達が昨夜、サステナ師範の滞在する館を襲った賊だな! その異形の風体、違うとは言わさんぞ!」
門下生の言葉に、【手長足長】と【三十貫】は驚きに目を見開いた。
「サステナ師範?! お前ら【今サッカーニ】の弟子共か! まさか【手妻の陽炎】の手伝いに来て、自分達の仕事の不始末に出くわすとはな。いやはや、世の中何がどこでどう繋がるか予想も出来んものだわい」
「んんっ」
「やれやれ、面倒な事になったもんだ」
【手妻の陽炎】は、予定外の乱入者を前にイヤそうにため息をついた。
【手長足長】は慌てて言い訳をした。
「俺達のせいではないからな。それにホレ、弟子ばかりで【今サッカーニ】はこの場にいないようだ。ならばこの程度の相手、片付けてしまうのに左程時間はかかるまいよ」
【手妻の陽炎】は、それでも不機嫌そうな表情のまま、「それはそうだが」と呟いた。
門下生達の顔が怒りで朱に染まる。
「この程度の相手だと?! たかが殺し屋風情が大口を叩きおって!」
「目に物見せてくれるわ! キエエエエエッ!」
門下生の中でも、特に気の短い者達が、怒りを堪えきれずに切りかかった。
その鋭い切っ先に、【手長足長】の顔から余裕の表情が消え失せる。
「むっ! 気を付けろ! コイツら、中々やりおるぞ!」
「んんっ!」
「そんな事くらい、ひと目見れば分かるだろうに。お前達は自分達の腕に自信を持ち過ぎだ」
深淵の妖人達は、それぞれパッと身を翻すと、得意とする武器で相手の攻撃を受け止めた。
ガキン!
鋼が打ち合わされる甲高い音と共に、闇夜に赤い火花が散る。
「コイツら、昨夜、俺達が殺した館の護衛とは一味違うらしい」
「当前だ! 我々はサステナ師範から直々に教えを受けたサッカーニ流槍術の高弟! 戦場に出た事もない貴族館の護衛などと一緒にして貰っては困る!」
「そうとも! 昨夜、お前達が好き勝手出来たのは、あの場に我々がいなかったからだ! もしいれば、今頃お前達の頭は胴体と泣き別れになっていただろうよ!」
殺し屋と武芸者。どちらが強いかは条件にもよるだろうが、面と向かっての一対一の戦いであれば、長年に渡り鍛錬を積んでいる武芸者の方に軍配が上がるのではないだろうか?
ましてやこの場面では、数の差もほぼ四倍。門下生達の方が断然、人数が多い。
門下生達が自信満々に言い切ったのも、そうした戦力分析によるものであって、決してただの己惚れだけではなかったのである。
【手長足長】は「こりゃマズイ」とばかりに、【手妻の陽炎】へと振り返った。
「【手妻の陽炎】よ。何をしている。こういう時こそお前さんお得意のアレを使う場面だろうが。俺達に遠慮する事はないぞ。ホレホレ」
「勝手な事を。元々、コイツらはお前達の仕事の関係者だろうに。自分の不始末を人に押し付けやがって」
【手長足長】の言う得意のアレとは、例の手妻――魔法の事だろう。
「そう連れない事を言わんでくれよ。俺達、仲間じゃないか」
「手伝うのは構わないが、押し付けるなと言っている。――済まない。薬が手に入らなかったんだ。今日は少し術を使い過ぎた。これから本命と戦う前にあまり消耗したくないんだ」
「・・・そういう事は先に言っておいてくれ。俺達の方の薬はまだ少し余裕がある。これが終わったら分けてやろう。【三十貫】、行くぞ。なあに、【今サッカーニ】本人ならともかく、その弟子なら大した事はあるまいて」
「ん」
【手長足長】は【三十貫】に声を掛けると前に出た。
その手がズルリと一メートル程伸びる。
どうやら今までは【手妻の陽炎】に任せて、能力の出し惜しみをしていたようだ。
ちゃっかりしていると言うか、こすっからいと言うか。
「気を付けろ! ヤツの手はまだ伸びるぞ!」
「それと見た目に誤魔化されるな! あれは腕に見えているだけの髪の毛だ! 関節を無視して動くぞ!」
【手長足長】は小さく舌打ちをした。
「【今サッカーニ】から聞いたか。これはここにいる者全員の口を封じねばならんな」
次の瞬間、【手長足長】は門下生達に向けて走り出した。
短剣を持った両腕は、独立した生き物であるかのようにグネグネと動き、彼らに襲い掛かる。
「うわっ! なにっ?!」
「ぐあっ!」
頭では分かっていても、【手長足長】の変則的な攻撃を初見で完全に見切るのは難しい。
それこそ槍の達人、【今サッカーニ】ことサステナくらいでないと不可能な芸当なのではないだろうか?
浮足立つ門下生達に、【三十貫】の巨大な戦鎚が叩きつけられた。
ドシィ!
肉を叩く重い音と共に、大の大人の体が勢い良く吹き飛んで行く。
まるで冗談そのもの。アニメやゲームのようなコミカルな光景だが、当人にとっては笑い事では済まされない。
男は壁にぶつかると、ベッタリと赤い血の跡を残しながら地面に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
「くそっ! 貴様、よくもアントニオをやりやがったな!」
「そんなにアントニオとやらが大事なら、すぐにお前もそいつの所に送ってやろう」
仲間をやられて激昂した男が【三十貫】に切りかかるも、素早い動きでスルリと近付いた【手妻の陽炎】によって、喉を切り割かれた。
「なんだ、【手妻の陽炎】! お前、手伝ってくれる気になったのか?!」
「最初から手伝わないとは言っていない。術を使わずに普通に戦うだけならいくらでも手を貸すさ」
「ん、んん!」
「そうだな【三十貫】! 俺達に【手妻の陽炎】が加われば怖い物なしだ! ハハハハ!」
「クフフフフ」
「んんんんん」
妖人達は血の匂いに酔ったかのように、三人三様の笑い声を上げた。
次回「メス豚、横槍を入れる」




