その419 ~暗殺指令~
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町の歓楽街の外れ。
狭い裏路地を進んだ先にある広い屋敷。
こここそは犯罪組織、アゴストファミリーの【西の王都】ベッカロッテ支部であった。
「くそっ! くそっ! 亜人は山奥に隠れ住む山猿じゃなかったのかよ! 何なんだあの武器は!」
アゴストファミリーの幹部ヴァロミットは、酒壺をテーブルに叩きつけた。
亜人達が使う見た事もない武器――クロコパトラ歩兵中隊の隊員達が使う魔法銃――によって負った足のケガは、組織の顔が利く馴染みの医者によって治療が済んでいる。
ヴァロミットはこみ上げる怒りと傷の痛みを誤魔化すために、先程からこうして浴びるように酒を飲んでいたのである。
その時、小さくドアがノックされると、部下の男がおずおずと顔を出した。
「あ、あの、ヴァロミットさん。本部の殺し屋が――(ジロリ!)ひっ、ひいっ!」
部下はヴァロミットに睨み付けられ、顔色を青ざめて震え上がった。
そんな男を押しのけて、派手な格好をした青年が部屋に入って来た。
「ようヴァロミット。無事に亜人達から逃げられたようで何よりだ。――なんだ? 随分と飲んでるようだな」
青年は――深淵の妖人、【手妻の陽炎】は――部屋に立ち込める酒気に、鼻に皺をよせた。
「だが、今回の件であんたも少しは懲りただろう。今後は亜人の件は俺に任せて、大人しくしているんだな」
「・・・けっ。うるせえよ」
ヴァロミットも流石に今回は醜態を晒したという自覚があるのだろう。その声に力は無かった。
メラサニ村の亜人達が、傭兵団に偽装して、船でこの町に到着した。
ヴァロミットはタイロソス神殿の協力者からの知らせを受けると、すかさず部下を集めた。
「いいんですか? ヴァロミットさん。本部の殺し屋は、亜人村の件は自分が担当すると言っていたんじゃ――」
「テメエ、この俺に舐められっぱなしで黙ってろってのか?! ふざけんな! 大体、ヤツらはカルテルラ山の亜人じゃねえ! 他国の亜人共だ! こいつは俺とヤツらの問題! 【手妻の陽炎】は関係ねえ!」
ヴァロミットは、得体のしれない本部の殺し屋――【手妻の陽炎】――を警戒する部下を怒鳴り付けると、自ら彼らを率いて亜人達の後を追った。
その結果、彼はクロコパトラ歩兵中隊の新兵器、魔法銃の前に一方的な敗北を喫したのであった。
【手妻の陽炎】の言葉を無視する形で動いた挙句、亜人達にいいようにしてやられ、言葉を無視したその本人によって助けられる。
ヴァロミットのメンツは完全に丸つぶれだった。
「・・・テメエ、俺を笑いに来たのか」
「まさか。これでもあんたの体を心配してたんだぜ」
「ふん、適当な事をぬかすんじゃねえ。心配してた割には随分と遅かったじゃねえか」
既に日は傾き、西に沈もうとしている。
本当にヴァロミットを心配しているのなら、今まで何時間もどこで油を売っていたというのだろうか?
ヴァロミットは「そういえば」と酒に手を伸ばした。
「さっき医者から聞いたぜ。お前、変わった薬を探しているそうだな」
その瞬間、【手妻の陽炎】の顔から表情が抜け落ちた。
ヴァロミットはその変化に気付いていないのか、酒をあおりながら話を続けた。
「かなり珍しい薬で、医者が手元には無いと言ったら、手に入ったら連絡をくれるよう頼んだそうだな。何でも毒草を元にした精神に効果のある薬だとか何とか。そうそう、確かルサリソスの雫だったか?」
ルサリソスは大二十四神の一柱。知恵と学問を司る陽神である。
【手妻の陽炎】が求めているのは、そのルサリソスの名を冠した薬らしい。
「――その話を知っているのは?」
「ああん? 俺が医者から直接聞き出した話だからな。知っているのは俺だけだ。医者のヤツが他の場所で喋れば話は別だが、職業倫理だったか? 医者ってのは仕事の上で知った事を他で話すのはルール違反らしいな。だからわざわざ自分でふれ回ったりはしないだろうぜ」
「そうか」
ゴトッ
銀閃が閃いた。そう思った次の瞬間、分厚いテーブルは真っ二つに断ち切られていた。
酒壺からこぼれた酒が床に黒い染みを作る。
【手妻の陽炎】は感情のこもらない声でヴァロミットに警告を発した。
「ならばあんたも口を閉じておく事だ。ついでにこれ以上、俺の事を嗅ぎまわるのも止めておいた方がいい。うっかりあんたの事を殺しちまいたくなるかもしれないからな」
そう言うと【手妻の陽炎】は再度、手にした剣を閃かせた。
ヴァロミットが「ひっ!」と息を呑むと、切り落とされた顎ヒゲが数本、パラパラと散った。
【手妻の陽炎】は小さく鼻を鳴らすと、酒臭い部屋を後にしたのだった。
ヴァロミットの部屋を出た【手妻の陽炎】は、遠くから聞こえて来る騒ぎの声に眉をひそめた。
「なんの騒ぎだ? まさか敵が乗り込んで来たのか?」
彼はふと昼間の出来事を思い出した。
あの時、確かに自分はかつてない程の命の危機を感じた。あの角の生えた子豚らしき生き物が、こちらを殺す意志を持って何らかの攻撃を行ったのは間違いない。
まさかあの謎の子豚が、自分をここまで追って来たのか?
【手妻の陽炎】は襲撃を十分に警戒しながら、声のする方へと走った。
屋敷の玄関ホールはヴァロミットの部下達が集まっていた。
彼らに取り囲まれているのは二人の異形の男。
長髪にヒゲを長く伸ばした中年の男が、【手妻の陽炎】の姿を見て声を上げた。
「おっ、【手妻の陽炎】じゃないか! なんだお前、この町に来ていたのか!」
昨夜、胡蝶蘭館を襲った二人の襲撃者。深淵の妖人の二人、【手長足長】と【三十貫】である。
【手妻の陽炎】は小さくため息をつくと、仲間の背後を見つめた。
「お前達もこの町に来ていたとはな。それはそうと、後ろの死体はどうしたんだ?」
【手長足長】と【三十貫】の背後には見知らぬ男の死体が二つ、転がっていた。
今の騒ぎの原因は、死体を担いだ見知らぬ男が突然、訪ねて来たためである。
いかにアゴストファミリーが犯罪組織とはいえ、大半の人間にとってこんな出来事は初めての経験だったのだろう。
「おうよ。それなんだがな、ここで厄介になろうと【三十貫】と一緒に来てみた所、なんとこの屋敷を見張っている者達がいるではないか。これは手土産代わりに丁度良いわいと思って、俺達で始末したのだが・・・ダメだったか?」
「いや、ダメではないが、殺す前にどこの組織の者か聞き出すくらいはしなかったのか?」
「あ~、それな。つい深切り? してしまったらしく、即死してしもうたわ。【三十貫】の方は言うまでもないわな。コイツは手加減が出来んタチだから」
「んん・・・」
ちょっと深爪してしまった、程度の感覚で人を殺す【手長足長】。【三十貫】は長い手足を申し訳なさそうに小さくたたんだ。
【手妻の陽炎】は二つの死体を改めた。
浮浪者にしては肉付きがいい。それに薄汚れたふうを装っているが、あくまでもそう見せているだけ。そしてチンピラにしては、若干、歳がいっている。
「察する所、目立たないように偽装した、どこかの使用人、といった所か。アゴストファミリーを見張っていたのか、あるいは――」
「あるいは深淵の妖人を見張っていた、か。【手妻の陽炎】、お前、ひょっとして尾行されてたんじゃないか?」
【手妻の陽炎】は小さく肩をすくめた。
彼は殺し屋であり、剣の達人ではあるが、諜報活動のプロではない。
【手長足長】の言うように、尾行に気付かなかった可能性はゼロではないだろう。
「そうかもしれない。この死体は俺の方で預かろう。それで? なんでお前達がこんな所にいるんだ?」
「仕事だよ、仕事。暗殺指令だ」
【手長足長】は事もなげにそう言い放つと、少しだけ声を潜めた。
「その事だが丁度いい。俺達の標的だが、ちと厄介な相手に護衛されていてな。どうにかしてお前を呼ばねばと思っていた所だったのだ。ここで出会えたが重畳。仲間のよしみと思って、俺達に手を貸してくれんか?」
「なんだ? そいつは深淵の妖人が三人がかりで挑まなければならない程の相手なのか?」
【手妻の陽炎】の怪訝な表情に、【手長足長】は笑って答えた。
「なあに、いわゆる達人というヤツだ。ホレ、その手の手合いは”間合い泥棒”のお前が最も得意とする所だろう?」
「ふん、こんな時だけ調子のいい事を」
【手妻の陽炎】は鼻で笑ったが、ふとある事を思い付いて笑みを引っ込めた。
「そうだな。手伝ってもいいが、一つ条件がある」
「おう! 何だ?!」
「んっ! んっ!」
身を乗り出す二人に、【手妻の陽炎】は、まあ落ち着け、とばかりに手を振った。
彼の頭の中には、昼間出会った謎の武器を持つ亜人達の姿が――そして、今まで感じた事のない程の殺気を放った、例の黒い子豚の姿が浮かんでいた。
「今の仕事に本格的に取り掛かる前に、どうしても消しておきたい存在がいる。そいつらを始末するのを手伝ってくれれば、そちらの仕事も手伝ってやろう。どうだ?」
【手長足長】と【三十貫】は、「なんだそんな事でいいのか。お安い御用だ」と二つ返事で引き受けたのだった。
次回「メス豚と達人の門下生達」




