その418 メス豚と伯爵家のお家騒動
私をキャッチした隻眼の男。年齢は三十代後半くらいか。口ひげを生やしたワイルド系イケメン男性だ。
てか、風の鎧の魔法で身体強化をした私を、いとも簡単に、しかも何気にヒョイと伸ばした手で捕まえるとか。
私は驚きのあまり逃げるのも忘れて固まってしまった。
「おいおい、やけに人が集まっているから、何の騒ぎかと思ったら。まさか角の生えた子豚を追い回していたとはな」
隻眼のイケオジは、渋いイケボで呟いた。
こちらに振り返ったギャラリー達が、驚きにハッと目を見開いた。
「おい、あれサステナ様だぞ!」
「えっ? サステナ様って、あの伯爵家の槍術指南役のサステナ様?」
槍術指南役? それって最近、どこかで聞いたワードのような――って、あれか! タイロソスの信徒の教導者アーダルト!
彼の話の中に出ていた、深淵の妖人二人を撃退したという男が、確か伯爵家の槍術指南役だったはずだ。
イケオジこと槍術指南役サステナは、私の両脇に手を差し込むと目の前に持ち上げてしげしげと眺めた。
「ふむ、メス豚か」
をい! レディーに対してなんという礼儀知らず! 水母!
『以心伝心。拘束解除』
「ん、なんだ? 背中のピンク色の塊から糸が――って、あいたたたた! 何だこりゃ!」
水母のピンククラゲボディーからヒョロリと触手が伸びると、サステナの手に触れた。次の瞬間、サステナは鋭い痛みに襲われ、私を取り落としていた。
水母お得意の電気ショックである。
はんっ。いい気味だ。確かに私はメス豚だが、心は淑女。初対面の無礼な殿方からメス豚呼ばわりされる筋合いなどございません事よ。
『ボス、ボス!』
『黒豚の姐さん! 大丈夫ですか?!』
黒い猟犬隊の三匹の犬達――マサさんとタロとジロが興奮してワンワンと吠える。
そんな彼らの声を聴きつけたのだろう。後方から男達の声が聞こえて来た。
「おい、ウンタ、今のってマササン達の鳴き声じゃねえか?」
「ああ、間違いない。あっちの方から聞こえたな。行くぞ」
あちゃあ~、バレちゃったか。
私はブヒッと小さくため息をついた。
せっかくコッソリ抜け出して羽を伸ばそうと思っていたのに。
私は近付いて来るクロコパトラ歩兵中隊の隊員達の声に、ガックリと肩を落とすのだった。
最初に駆け付けたのは、クロカンの副隊長、ウンタだった。
「クロ子、こんな所にいたのか。黙って宿から消えるから捜したぞ」
『メンゴメンゴ。ちょっち町の偵察にね』
「偵察にねって、騒ぎを起こしに、の間違いじゃねえのか? あ~あ、こんなに人間を集めやがって」
クロカンの大男、カルネが野次馬達を見回しながら呆れ顔になった。
「深淵の妖人がどこで俺達を狙っているか分からないんだ。あまり勝手な行動を取るなよな」
「深淵の妖人だと?」
痛そうに手をさすっていたイケオジが、カルネの言葉に目をすがめた。
「ああん? それがどうかし「待てカルネ。――お前、ひょっとしてヤツらの関係者か?」
「・・・先に質問したのは俺の方なんだが?」
片や傭兵然とした男達に、片や伯爵家の槍術指南役。
周囲の野次馬達は巻き込まれてはたまらないと、慌ててこの場から逃げ出した。
一気に人影の消えた通りで睨み合う男達。
私はブヒブヒと彼らの間に割って入った。
『はいはい、そこまで。ウンタ、この人間は伯爵家の槍術指南役、サステナよ。さっきのアーダルトの話に出てた、深淵の妖人を撃退したっていう達人』
「伯爵家の槍術指南役だって・・・?!」
ウンタは驚きに目を見開いた。
そしてカルネは「それって誰だっけ?」とでも言いたげに首を傾げた。お前なあ。
サステナは品定めをするようにクロカンの隊員達を見つめると、小さく鼻を鳴らした。
「大方、他所から流れて来た傭兵団、といった所か。俺の事を知っているなら話が早い。そこの(と言ってサステナは私の方に顎をしゃくった)妙ちくりんな姿をした黒豚といい、妖人の名を知っている事といい、詳しい話を聞かせて貰わなきゃいけねえようだな」
この土地では何の後ろ盾も持たない我々が、地元の有力者と揉めてもいい事は何一つない。
ウンタも相手の素性がハッキリした事で――アゴストファミリーと無関係な人間と分かった事で――警戒が解けたようだ。
彼は、こんな所で立ち話も何だし、とサステナに声を掛けた。
「すぐ先に俺達の泊っている宿屋がある。話をするのはそこで構わないか?」
「いいだろう。おかしな真似はするんじゃねえぞ」
サステナはそう言いながらも、何かを期待するような目で我々をねめつけた。
あ~、これはアレだな。「その気があるなら襲って来てもいいんだぜ?」という挑発だな。
話を聞くなら何人かぶった切ってからの方が手っ取り早い。などと物騒な事を考えているのがバレバレだ。
何という己の腕への自信。何というバトルジャンキー。
クロカンの隊員もこのサステナの殺気にはドン引きしている。黒い猟犬隊のタロとジロに至っては、怯えて尻尾を股の間に挟んでいる程だ。
私はスススとクロカンの大男、カルネの足元に近寄った。
『そういやカルネ。あんたさっき、ヴェヌドの暗殺者も大した事ないぜ、たった一人の槍術家から逃げ出すなんてよ、とかそんな事を言ってなかったっけ? 折角だから試しにあの人に襲い掛かってみれば? 例え切られて死んでも骨くらいは拾ってあげるわよ?』
「・・・冗談はよせ。てか、んなコト誰も言ってねえだろうがよ」
カルネはイヤそうに視線を逸らした。
ちなみにウンタ達は、黒い猟犬隊の犬達がやたらと吠えるので、様子を見に行った所、彼らから私がマサさん達を連れて外に行ったと聞いて、慌てて捜しに来たそうだ。
しまったな。犬達に口留めをしておくべきだった。
こうして我々は槍術指南役サステナを連れて宿屋へと戻ったのだった。
「あっ。クロ子ちゃん見付かったんだ」
「むっ?」
「ほう」
私の姿を見て、パッと笑顔を見せる女戦士マティルダ。
彼女の師匠、教導者アーダルトは、サステナを見て怪訝な表情を浮かべ、サステナはそんなアーダルトに、小さく声を漏らした。
「装備だけ一丁前の見掛け倒しの連中だと思っていたが・・・使えそうなヤツもいるんだな。お前がここのリーダーで間違いないな?」
サステナの、さも当然、といった態度に、アーダルトは微妙な表情を浮かべるのだった。
サステナはこの町では有名だったらしく、宿屋の従業員達は彼の来訪に感動もひとしおの様子だった。
一通りファンサービスに応えると、サステナは我々の部屋へと上がった。
「よっこらしょっと。それで? お前らどこで深淵の妖人の名を知った。ヤツらについて何を知っている? さっきは何だか敵対しているっぽい事を言っていたが、一体どういった経緯でそんな事になったんだ?」
「俺達はスワシュの港からこの町に来たばかりのタイロソス神殿の傭兵団だ。到着して早々、アゴストファミリーと揉め事になり、幹部のヴァロミットという男を捉えたが、そこに現れたのが、深淵の妖人を名乗る【手妻の陽炎】という男だった」
「待て。【手妻の陽炎】だと? 現れたのは本当にそいつ一人だったのか?」
サステナの言葉にアーダルトは「そうだ」と頷いた。
ちなみに我々はこの場のやり取りはアーダルトに丸投げしている。私では言葉が通じないし、クロカンの隊員達は正体が亜人だとバレないように、兜やマフラーを取る事が出来ないからである。
「それでそのヴァロミットとかいう幹部はどうした?」
「逃げられた。俺達では【手妻の陽炎】一人を相手にするのが精一杯だったからな」
「だろうな。そいつが本当に深淵の妖人なら、お前の部下程度では手も足も出なかったはずだ。皆殺しにされなかっただけ運が良かったな」
サステナにバッサリ切られて、アーダルトの弟子達はムッと眉をひそめた。
女戦士マティルダは、膝の上の私を撫でて誤魔化したが、青年戦士ビアッチョはつい不満の感情が口をついてしまった。
「そうだな。俺達と違ってそっちは随分と殺されたみたいだからな」
「おいビアッチョ、止せ」
「言ってくれるぜ。だがその坊主の言う通りだ。【手長足長】に【三十貫】。昨夜、胡蝶蘭館を襲った二人の深淵の妖人の名だ」
サステナはアーダルトに向き直った。
「そしてお前達の前に現れたという【手妻の陽炎】。この町には深淵の妖人が、最低でも三人はいるって事になる。いや、参ったぜ。あんな化け物が三人もいるなんてな」
言葉の内容とは裏腹に、サステナの口角は嬉しそうにニヤリと吊り上がっている。
自分は部下を二十人以上も殺されたというのにこの表情よ。強い敵と戦えるのがよっぽど楽しくて仕方がないと見える。
私には到底、理解出来ない人種だ。
ここでクロカンの大男、カルネが「ちょっといいか」と声を掛けた。
「ヤツらに襲われたその何とか館っていうのは、この土地の貴族の館なんだろ? 俺達の聞いていた話じゃ、ここの貴族がアゴストファミリーを雇っていたはずなんだが、何でヤツらは自分達の雇い主の館を襲うなんて妙なマネをしたんだ?」
私達は不意を突かれてハッとした。言われてみれば確かにカルネの言う通りだ。
クロカンの隊員達が顔を見合わせる中、サステナは事もなげに言い放った。
「ああ、それなら簡単だ。そのアゴストファミリーとか言うのは、大方、ご当主の叔父殿――カロワニー・ペドゥーリ殿に雇われているんだろうよ。そして胡蝶蘭館に住んでいるのは叔父殿の政敵、門閥派の中心人物、ベルベッタ・ペドゥーリ様だからな」
なる程、つまりは伯爵家のお家騒動という訳か。
おそらく、深淵の妖人はそれに関わっていると。
次回「暗殺指令」




