その402 ~漆黒の闇に潜む者~
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ザボの店の中は墨を流したような漆黒の闇に包まれていた。
隣国の犯罪組織、アゴストファミリーのヤニザは、大きな火傷の跡の残った顔を苛立たしげに歪めた。
「チッ。何だこの店は。灯りも残していねえのかよ」
この世界は未だに電灯が発明されていない。
現代日本のように、夜でもスイッチ一つで灯りがつくような便利な社会ではないのだ。
そのため、狭い庶民の家ならともかく、こういった大きな家では、住人が夜にトイレに起きた時などのために、廊下に小さな灯りを残しておくのが習慣になっている。
その準備を怠ると、今のヤニザ達のように、真っ暗闇の廊下を手探りで進まなければならなくなるのである。
ヤニザの顔に焦りの表情が浮かんだ。
襲撃は時間との勝負である。
相手はたかが亜人とはいえ、大の大人が二十人以上。それに建物の中には店の者も寝ている。
その中の誰かが侵入者に気付いて騒ぎになれば、目的を果たす事は困難になるだろう。
「仕方がねえ。手分けして目的のガキを捜せ」
「手分けしろったってよ、ヤニザ。こう暗くちゃムリだぜ」
彼らの目的は亜人の少年を――楽園村の少年ハリスを――捕える事にある。建物内の人間を皆殺しにするのも目的の一つではあるが、あくまでもそれはついでのようなものである。
ヤニザは大きな舌打ちをした。
「泣き言を言ってんじゃねえ。出来る出来ないじゃねえ、やるんだよ。次にテメエらの誰かがふざけた事をぬかしやがったら、そいつの口ん中にナイフを突っ込んで、二度と泣き言を言えねえようにしてやるからそう思え」
ヤニザは人を殺す事を何とも思わない残忍な男である。そんなヤニザがやると言ったならやる。
部下の男は恐怖に青ざめて口をつぐんだ。
「さあ行きやがれ。間違ってもターゲットのガキは殺すんじゃねえぞ。それ以外のヤツらは皆殺しだ」
男達は弾かれたように建物の中に散って行った。
「クソッ。この部屋ももぬけの空かよ。亜人のヤツらは一体どこに隠れていやがるんだ?」
捜索を開始して数分。ヤニザは亜人どころか家の者すら見つける事が出来ずにいた。
「二階建ての広い家とはいえ、こちとら三十人からの手勢だ。まだ誰も見付けられていねえって事はねえだろうが・・・」
ヤニザが呟いたその時だった。建物の中から「ギャアアア!」という男の悲鳴が上がった。
「来た! 誰か見つけやがったな! すぐ近くだ!」
ヤニザは廊下に飛び出すと声のした方向へ走り出した。
すると突然、目の前のドアが勢い良く開いた。
中からは白刃を握った男が二人。廊下に飛び出すとヤニザに向かって襲い掛かって来た。
「不意打ちのつもりか! 亜人如きがしゃらくせえ!」
ヤニザは素早く身を屈めると、相手の初撃を躱した。
そのまま獣のようなしなやかな動きで襲撃者に組み付くと、その腹部に愛用の大型ナイフを突き立てた。
「ギャアアア!」
「なっ?! お前はヤニザか?! ま、待て、俺達は味方だ! 亜人じゃねえ!」
「何だと?!」
もう一人の男は、敵意がない事を証明するために、慌てて両手を大きく上げた。
ヤニザのナイフで腹を刺し貫かれた男は、黒い血を流しながら廊下に倒れて悶絶している。
よく見えないが、傷口からは内臓が飛び出しているようだ。こうなってしまえば残念ながら助からないだろう。
ヤニザは小さく舌打ちをした。
「チッ! なんだ味方かよ。俺に襲い掛かって来るとは、テメエら一体どこに目を付けてやがんだ?!」
「そ、それは・・・すまねえ。急に何者かに襲われたんで混乱しちまってたんだ」
「何? 襲われただと?」
ヤニザが男を問いただそうとしたその時、廊下に甲高い金属音が響いた。
「テメエ! 舐めんじゃねえぞ!」
「亜人如きが! いい気になるな!」
暗闇の中、二人の男が刃物を手に鍔迫り合いをしているのが見えた。
いや待て、まさかコイツらも?
ヤニザは慌てて男達に声を掛けた。
「待て! そいつは本当に亜人か?! 互いの顔を良く見て見ろ!」
「「えっ?!」」
鍔迫り合いをしていた男達は互いに顔を見合わせると、「人間じゃねえか!」と驚きの声を上げた。
「バカ野郎、テメエ何やってやがる! なんで味方の俺に切りかかって来やがった!」
「ふざけんな! 先に襲い掛かって来たのはテメエの方だろうが! こっちは一緒にいた仲間をやられているんだ!」
「ああん?! んなコト知るかよ! 先に切りかかって来たのはテメエの方だろうが!」
男達は驚きの表情から一転、今度は「お前の方が悪い」「お前の方が先に襲い掛かって来た」と、互いの胸倉を掴み合った。
平行線を辿る罵り合いに、ヤニザは怪訝な表情を浮かべた。
「待て待て! 先に仲間をやられたのはどっちだ?」
「俺だ! 一緒に部屋にいた仲間がやられたんだ! コイツがやりやがったんだ!」
「だからそれは俺じゃねえ! 俺こそ廊下にいた所を急にテメエに襲われたんだ!」
二人のどちらかがウソをついているか、何かを勘違いしているのか。
残念ながら、ヤニザは頭の良い方ではないため、どちらの言い分が正しいか分からなかった。
彼はその代わりに二人を蹴り飛ばした。
「このバカ野郎共が! つまらん仲間割れをしてんじゃねえ! それより亜人共は見つかったのか?!」
男達は蹴られた箇所を痛そうに押さえながら、目を逸らした。
どうやら亜人どころか店の者も見付けられていないようだ。
暗闇の中でも、ヤニザの機嫌が明らかに悪くなるのが分かった。
「テメエら、今まで一体何を――うおっ?!」
その時、ヤニザの足元を一陣の風が吹き抜けた。
ヤニザはハッと振り返ったが、そこには真っ暗な廊下が続いているだけで、何も見つける事は出来なかった。
「な、何だったんだ今のは? 小さな動物? まさかこの店のヤツらは、家の中で動物でも飼ってやがるのか?」
大手の商会ともなれば、生きた動物も商品として取り扱っているのかもしれない。
ヤニザはそういった小動物がこの騒ぎで逃げ出したのではないかと考えたようだ。
「ギャアアア!」
「この、テメエ! 死ね!」
その時、廊下の先で男の悲鳴と怒号が上がった。
奇しくもそれは先程の黒い風が消え去ったのと同じ方向だった。
「・・・今度こそ亜人だろうな。これ以上の同士討ちは勘弁して欲しいぜ」
ヤニザは顔を歪めると、血の付いたナイフを手に声のした方向へと走り出したのだった。
結論から言えば、ヤニザの不安は的中してしまう。
ヤニザがその部屋に到着した時、戦っていたのは亜人ではなく仲間同士だった。
しかも互いに急所に致命傷を負わせていたらしく、彼がたどり着いた時には既に虫の息となっていた。
こうしてまた部下が二人。敵との戦いではなく、同士討ちによってやられてしまった事になる。
「クソが! 一体何だってんだ! 何でことごとく味方同士が争ってやがる! 亜人のヤツらは一体どこに隠れていやがるんだ!」
ヤニザは怒りのあまり壁に拳を叩きつけた。
ヤニザは気付いていなかった。
濃密な血の匂いの立ち込める部屋の片隅に、自分を見つめる小さな一対の目があった事を。
漆黒の闇に潜む小さな黒い獣。
その目には高度な知性と、明確な殺意が宿っていた。
こうしてアゴストファミリーの襲撃者達は、漆黒の闇の中、不意に始まった同士討ちによって次第に人数を減らしていくのであった。
次回「メス豚vs襲撃者達」




