その398 メス豚と女冒険者
その後も我々の御用商人ザボと、タイロソス神殿の事務員の間で、契約の内容を詰める作業は続いた。
我々は完全に置物状態。
サボるなって? いやいや、こういった事は専門家に任せるに限るからな。
事前にザボには私の希望をちゃんと伝えてある以上、余計な口出しはむしろ彼の邪魔になるだけである。いや、ホント。
そんな訳で、うつらうつらと船を漕いでいた私の後頭部が、小さくツンツンとつつかれた。
睡魔に痺れた頭で背後を振り返ると、背中のピンククラゲからヒョロリと触手が伸びていた。
『クロ子の脳内にα波を検知』
『ふごっ。――い、いや、寝てないし』
私は反射的に否定した。
何だろう。「寝てた?」と聞かれると、反射的に「寝てない」と答えてしまうこの感じ。
『報告。反応消失』
『? いなくなったって誰がよ』
私の問いかけに、水母はちょっと呆れたようにフルリと震えると、何もない壁の方を指し示した。
え~と、あそこって確か、隠し部屋がある場所じゃなかったっけ?
『それってあそこにいた監視者がいなくなったって事?』
『肯定』
先程から隠し部屋に潜んで、我々の会話に聞き耳を立てていた謎の監視者。
壁の向こうにその身を隠した姿なき監視者も、水母の全身に秘められた高性能感知器からは隠れる事は出来ない。
どうやら壁の向こう側に出入り口があったらしく、そこから姿を消したらしい。
私は今も話し合いを続けるザボ達の方へと振り返った。
見た感じ、そろそろ話し合いも終わりそうな雰囲気になっている。
『つまり監視者は、こっちの話が終わりそうな様子を感じて、私達が部屋から出る前に逃げ出したと』
『推測、事前準備』
あー、なる程。我々が動き出すより前に、何らかの準備を整えるためにこの場を離れたとも考えられるのか。
謎の監視者が我々に対して敵意を持っているかどうかは不明だが、わざわざ相手の準備が整うのを待ってやる必要はない。
孫子曰く、故に兵は拙速を聞く。
時に行動は最善の手段にも勝るのだ。
ここは少しでも早くこの場を離れた方が良いのかもな。
『分かった。教えてくれてありがとう。ひょっとして相手がまた戻って来るかもしれないから、念のため、注意だけはしておいて』
『了解』
私の予想通り、ザボ達の話し合いはその後、直ぐに終わった。
契約書類の作成を終えた以上、神殿の事務員の仕事はここまで。
具体的な打ち合わせは、我々と教導者のアーダルトの間で行われる事になる。
アーダルトは続けてこの部屋で打ち合わせも行うつもりだったようだが、私がそれを拒否。
詳しい話はザボの店で聞くとして、直ぐにこの場を立ち去る事にしたのであった。
神殿の広間に入ると、周囲から好奇の視線が突き刺さった。
みんな私を見ている――訳ではない。彼らが注目しているのは、クロコパトラ歩兵中隊の隊員達。
そりゃそうだ。彼らにとってみれば、亜人は山野に隠れ住む珍獣のような存在。今の状況を地球で例えれば、パンダが群れで町に現れたような物なのである。
そんなもん私だってガン見してしまうわ。
『まあ、カルネはパンダみたいな可愛げはないけど』
「ああん? ぱんだって?」
クロカンのキズだらけの大男、カルネが私の言葉を聞きとがめた。
てかお前、ぱんだって、って、何だよ。
ひょっとして「パンダ」と「何だって?」をかけたのか? ダジャレか?!
『悔しいけど、今のはちょっとだけ面白かったわ。ブヒヒ』
「いや、誰もダジャレなんて言ってねえから」
なぜか誤魔化すカルネに私はブヒッと鼻を鳴らした。
「アー兄さん!」
若い女性の声に振り返ると、そこには笑顔で手を振る女戦士の姿が。さっき町の通りで出会った冒険者パーティー(偽)の一人。名前は確か・・・ええと、何だっけ?
彼女の隣にいた若い剣士が、慌てて仲間をとがめた。
「バカ! マティルダ! こんな所で大声を出すヤツがあるか!」
「バカって酷い! それにビー君だって大きな声を出してるじゃない!」
ああ、そうそう。マティルダね、マティルダ。勿論、覚えてましたともさ。
「やっぱりさっき見付けた子豚ちゃんだ! アー兄さん、どうしてこの子豚がここにいるの?!」
マティルダはこちらに駆け寄ると、無造作に私を抱き上げた。
予想外の彼女の行動に、驚くクロカンの隊員達。
「・・・やっぱりチクチクする」
そして私の剛毛に下がるマティルダのテンション。
剛毛とか、レディーに対して失礼な方ですわ。プンプン。
クロカンの副隊長ウンタは、慌ててマティルダの肩を掴んだ。
「おい、お前! クロ子に何をする!」
「あ、ゴメンなさい。あなたの子豚だったの?」
「あ、いや、別に俺の豚って訳じゃ――ていうか、クロ子って本当に豚なのか?」
おい。そこで不安になるんじゃないよ。
ウンタの言葉に他の隊員達も、「そういやクロ子って豚なんだっけ」とか、「最早、豚以外の何か別の生き物のような」とか言い始めた。
お前ら悪乗りし過ぎだ。カルネも「クロ子はクロ子って品種だろ」とか意味不明過ぎ。私は野菜か。
私はメス豚に転生しました。
それが私。それがこの私の自己同一性である。そこは絶対に譲らんぞ。
「ふぅん。この子クロ子って言うんだ。じゃあクロちゃんだね!」
どうやらマティルダは他人を愛称で呼ばなければ気が済まないタチらしい。
元から愛称があれば愛称で。無ければ自分で勝手に名付けるようだ。
彼女からビー君と呼ばれた若手冒険者――改め、若手剣士君が、自分達のリーダーであるアーダルトへと向き直った。
「それでアーダルトさん。何の話だったんですか?」
「その事だが、ビアッチョ、マティルダ。次の仕事が決まった。詳しくはそこにいる商人、ザボの店でする。ついて来い」
「! 分かりました!」
ビー君ことビアッチョは表情を引き締めると、マティルダの腕を掴んだ。
「マティルダ、行くぞ。そんな豚なんて放っておけ」
「ええ~っ。どうせ一緒に行くなら、私が抱いて行ったっていいでしょ? ねっ?」
マティルダのお願いに、ウンタ達クロカンの隊員達は困り顔を見合わせた。
「まあクロ子がいいと言うなら――って、いいのかクロ子? 本当に? 分かった。クロ子は別に構わないそうだ」
「えっ? ひょっとしてあなた達って豚の考えている事が分かるの?」
驚きに目を丸くするマティルダに、ビー君ことビアッチョは呆れ顔になった。
「豚の考えが分かるとか、常識で考えて、んなコトが出来る訳ねえだろ。適当に言ったに決まってるだろうが。お前はコイツらにからかわれたんだよ」
「確かに俺達は誰も豚の考えている事など分からない。今のは単にクロ子の言っている言葉を通訳しただけだ」
「豚が喋っている言葉が分かるの?!」
「それもムリだ。俺達が分かるのはクロ子の喋っている言葉だけ。クロ子は俺達、亜人に通じる言葉で喋っているんだ」
「へえーっ! クロちゃんってスゴイのね!」
マティルダは上機嫌で高い高いをするように私を抱き上げた。
ちょ、こそばいから脇の下に手を入れるんじゃない。
「馬鹿馬鹿しい。豚が喋る訳がないだろうが」
「何だってクロ子? それを言えばいいのか? 分かった。おいお前、お前、最初にクロ子に会った時、そっちの女に向かって『豚になんて触るな、汚ない。病気にでもなったらどうする』と言ったそうだな」
「そ、それは!」
「確かにビー君は私にそんな事を言ったわ。あの時、周りに亜人は誰もいなかったはずなのに」
ウンタの言葉にマティルダとビアッチョだけではなく、後ろで話を聞いていたアーダルトも目を丸くした。
「なる程。コイツが亜人の女王が使役する魔獣というのも、あながちウソではなさそうだな」
思わずつぶやいたアーダルトの言葉に、マティルダ達はギョッと目を見開いた。
「ウソ! 魔獣?! クロちゃんが?!」
「魔獣って、あの?! 本当なんですかアーダルトさん!」
魔獣という言葉に劇的な反応を示したのは、二人だけではなかった。
我々を遠巻きにしながら、こちらの話に聞き耳を立てていた広間の信徒達の間からも大きなどよめきが上がった。
「魔獣だって?! あの黒い子豚が?!」
「そう言えば先日、人食いの化け物、天空竜がこの町を襲った時、魔獣がそれを追い払ったって聞いた事がある。守備隊の知り合いが言っていた話だと、魔獣は黒い子豚のような生き物だったそうだ」
「黒い子豚って、まんまそこにいるあの子豚じゃない!」
「ウソでしょう・・・」
おっと、思わぬ注目を集めてしまったか。
私は身をよじるとマティルダの拘束から抜け出した。
ヒラリと床に降り立った私に、信徒達の視線が集まる。
私は彼らの注目を浴びながら、スタスタと歩き始めた。
「ひっ!」
「うわっ!」
「こ、こっちに来るぞ!」
私の進行方向に位置していた信徒達が慌てふためきながら後ずさる。
私はその様子を確認すると、その場でクルリと彼らにお尻を向け、スタスタと元の場所へと戻った。
「――って、戻って来るのかよ! コイツ一体何がやりたかったんだ?!」
「ええと、何々。クロ子が言うには『一応、お約束だし、やっとこうと思って』との事だ。ちなみに俺にも意味が分からないから何も聞かないでくれ」
「お、おう・・・」
ウンタの解説に、ビー君ことビアッチョは、何とも言えない表情をするのであった。
次回「貧民区画のとある一室」




