その397 メス豚と指導員《インストラクター》
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神殿の奥は一般の信徒達は出入り出来ない。
ここにいるのは神官達と、神殿を管理する事務員。それとタイロソスの信徒と契約をしに来た依頼人くらいである。
俺は周囲に人の姿が無くなったのを確認すると、前を歩いている顔馴染みの事務員に尋ねた。
「それで? 名指しで俺を呼び出すなんて一体何の用だ? この先にいるのは、先程、神殿にやって来た亜人達だろう? 俺はただの教導者に過ぎないし、ビアッチョとマティルダの二人は、ようやくケツから卵の殻が取れたばかりの半人前だ。あのメラサニ山の亜人達からの仕事が受けられるとは思えないが?」
「――良く言うよ、アーダルト。お前がただの教導者な訳がないだろうに」
事務員は先程までの外向きの態度から一転、知り合いの顔で俺の言葉に答えた。
「サバティーニ伯爵に睨まれてなければ、今頃王都で騎士団の団長になっていたかもしれない男が謙遜か?」
「――昔の話だ。それにサバティーニ伯爵を悪く言うな。あれを企んだのはバローネだ。ヤツが伯爵に取り入り、俺を騎士団から追い出すように画策したんだ」
俺が騎士団にいられなくなった理由。全ては当時、バリアノ・バローネが、自分にとって邪魔となる者達を騎士団から追い出すために企んだ事であった。
「バローネ男爵か。お前を騎士団から追い出した後は団長の座に就いたみたいだが、あまりいい噂は聞かないな。最近、更迭されたという話だが」
バローネが失脚した話ならば勿論、知っている。
この稼業では情報の有る無しが、文字通り生死に関わって来るからだ。
大モルト軍がこの国に攻め込んで以来、誰もが王都から伝わって来る情報に神経をとがらせていた。
「確か今の団長は、副団長をやっていたビアンコ男爵の娘だとか。お前も知ってる娘か?」
知ってるも何も、リヴィエラは俺が騎士団にいた時に上司だったビアンコ男爵の長女だ。あの頃のリヴィエラは、まだ入団したての新人だったが、曲がった事が嫌いなビアンコ男爵に似て、素直で真っ直ぐな娘だった記憶がある。
というよりも、こんな昔話はもう沢山だ。
俺はあまり触れられたくない過去の話に、軽い苛立ちを感じていた。
「関係ない昔話はこのくらいでいいだろう。それよりも用件の方を言ってくれ」
「そうだった。アーダルト。お前さんに頼みたいのは予想通り、亜人関係の依頼だ」
「やはりか! 亜人に関わる依頼なんて俺はゴメンだぞ!」
メラサニ山の亜人に関する噂話はいくつもあるが、そのどれもが信じ難いものである。
曰く、強力な魔法を使う魔女に率いられている。
曰く、メラサニ山に攻め寄せた数千の大モルト軍を、一兵も損なう事なく撃退せしめた。
中でも、悪名高いアマディ・ロスディオ法王国の教導騎士団を、たった一匹で壊滅させたメラサニ山の魔獣を従えているという話は特に有名である。
勿論、全ては噂話。人から人に伝わる間に、尾ひれはひれが付いて面白おかしく大袈裟に語られているだけかもしれない。
実際、俺の仕事仲間の中には、「そうは言っても、所詮は山野に隠れ住んでいる原人だろう?」と彼らを軽く見ている者達もいる。
だが、俺は決して亜人達を侮ってはいない。
もしも噂話の全てが話半分、大袈裟に誇張された物だとしても、実際に亜人達が大モルトの一軍を相手に持ちこたえた事だけは疑いようのない事実である。
そして元、王都騎士団だった俺は、それがどれ程実現困難な話か――いや、むしろ不可能と言っても良い話である事が良く分かっていた。
そんな未知の怪物を相手に、あの半人前の部下二人で関わる? 冗談じゃない。
それならまだ、パンツ一丁で戦場に行けと言われる方がマシというものである。
「いくら神殿の依頼でもこれだけは聞けない。俺にはムリだ。他を当たってくれ」
面倒事の中でも最上級。リスクの大きな話は受けられない。
踵を返して元の広間に引き返そうとした俺を、事務員の男は慌てて止めた。
「待て待て! 話は最後まで聞けって! 何か勘違いしているようだが、亜人達は依頼をするために来たんじゃないんだ!」
「依頼じゃない? なら、アイツらは一体何をしにタイロソス神殿まで来たというんだ?」
俺が思わず足を止めると、事務員の男はニヤリと笑った。
「聞いたら驚くぞ。なんと亜人達は、自分達もタイロソスの信徒になりたいと申し出て来たんだ。何せ噂の魔獣まで入信させたいと言っているんだからな。今頃、俺の上司と神官達は上を下への大騒ぎさ」
「なっ・・・!」
男の言葉に俺は絶句してしまった。
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全員揃って大部屋で待たされる事少々。
やがて神殿の神官? 使用人? が、マント姿の背の高い男を連れて戻って来た。
あれって例の冒険者パーティー(偽)のリーダーじゃん。
「お待たせしました。この者はアーダルト。ウチで教導者の仕事をやっております」
「教導者、ですか?」
我々亜人村の御用商人、ザボが男の言葉を聞き返した。
「タイロソスは戦の神である一方、契約の神でもあります。そちらの方は商人のようですので、ご存じかはと思いますが、ウチは各所から依頼を受け、そちらに信徒を派遣する事も多いです。アーダルトはその者達を教え導く者、つまりは”教導者”という訳であります」
あーなる程。つまりはアーダルトは指導員って訳ね。
タイロソスの神殿では、信徒の中でも特に腕っぷしに自信のある者達の貸出しも行っている。
依頼内容は、主に商隊の護衛や店の用心棒。時には傭兵として戦場に行く事もあるらしい。タイロソスは戦の神だからな。さもありなん。
そう聞くと王都で私達が知り合った、寄せ場の元締め、ドン・バルトナと同じ様な業種のようにも思えるが、ちょっと待って欲しい。
あちらは言ってみれば、町のゴロツキ共の集まり。対してこちらは、契約を遵守する戦闘のプロフェッショナルの集団である。
どちらがより、依頼人にとって信頼がおける存在か。あえて語るまでもないだろう。
その戦闘のプロフェッショナルを育てる立場の人間。それが冒険者パーティーのリーダー改め、教導者アーダルトという訳なのである。
「アーダルトは元は王都騎士団に所属していた者です。国王陛下より爵位も授かっているので、どのような席でも護衛としてお連れ出来ます」
「陛下より爵位を? するとアーダルト様は男爵様なのですな」
「俺に”様”は不要だ。それに知っての通り、爵位と言っても一代限りの当代男爵だ」
当代男爵とは、世襲ではなく、当人一代限りの名誉称号のようなものである。
このような一代貴族は、必ず男爵と相場が決まっているらしい。
いわばなんちゃって貴族なので、当然、治める領地は持っていない。国からお給料を貰って働く公務員男爵なのである。
「それで――」
アーダルトは我々をグルリと見回すと、最後に私の所で視線を止めた。
なんぞ?
「お前達が俺に指導を受けたいというのか?」
そう。彼は今回、我々の意向を組んで、神殿側が用意してくれた人材なのである。
ロインとハリスの兄弟を楽園村まで送り届けるため、私が考え出したアイデアは、流れの傭兵に偽装して隣国に入るというものだった。
昨年以来、隣国ヒッテル王国は激しい内乱の只中にある。
傭兵の一団がウロウロしていても決して不自然じゃない。
それにガラの悪そうな傭兵団に、わざわざ突っかかって来る者もいないだろう。トラブル回避のためにも絶好の隠れ蓑である。
それからなんやかんやあって、どうせならタイロソスの信徒になる方がいいんじゃないかという事になった。
それはなぜか?
この世界の宗教観はちょっと独特で、誰もが大二十四神という二十四柱の神様のどれかを信仰している(※新興勢力であるアマディ・ロスディオ法王国は除く)。
この国だろうが、隣国ヒッテル王国だろうが、大モルトだろうが、必ず大二十四神を奉るための神殿はあって、タイロソスを信仰する信徒はいるのである。
大二十四神に国境はない。つまり信徒はボーダーレス。
だったら、ただの傭兵団に扮するよりも、タイロソスの信徒として動いた方が自由度が高くなるのではないか、と考えたのである。
今後も傭兵稼業で食っていく機会があるかもしれないし、だったらこの機会に神殿に所属しておいた方が便利じゃないかな、という思惑もなくはない。
強力な後ろ盾はいくらあっても困る事はないからな。
アーダルトの言葉に対し、我々に代わって神殿の男が答えた。
「そうです。彼等亜人達はタイロソスの信徒になる事を希望しています。アーダルト、あなたは指導のために彼らの村まで行って貰いたいのです」
「亜人の村だと?! 俺に亜人の村に住めというのか?!」
ギョッと目を剥くアーダルト。
まあその気持ちは分からないでもない。亜人の村に行くというだけで十分にイヤげな話なのに、ランツィという都会から、山奥の僻地に引っ越す事になるんだからな。
それが彼の仕事とはいえ、「勘弁してくれ」と思うのも当然だろう。
「教導者の方には亜人の村ではなく、メラサニ山のふもとにあるグジ村に住んで頂くのはどうでしょうか? そこから指導に通うのです」
「アーダルト、これもいい機会じゃないか。お前も前から奥さんと子供と一緒に生活したいと言っていただろ」
「それとこれとは――はあ・・・まあいい、話は分かった」
商隊の護衛や傭兵なんて仕事をやっていれば、中々家族と一緒の時間を過ごす事も出来ないのだろう。
つまりは出張ばかりのサラリーマンお父さんみたいなもんだな。
てか、アーダルトって結婚している上に子供までいたんだ。見た目で大学生くらいだと思ってた。
話によると、以前は王都で騎士団に入っていたらしいし、アーダルトって今、何歳なんだ?
ちなみに普通にアラサーだという。
地味に童顔なのな。
「それで、俺はいつから向かえばいい?」
「おおっ! 引き受けてくれるのですか?!」
「それではこれが契約の書面の定型文となります。ここから今回の条件で――」
予想外にすんなりいきそうな流れに、私が密かにホッとしていると、背中のピンククラゲが小さくフルリと震えた。
『どうしたの? 水母』
『要警戒』
水母の本体から細い触手がヒョロリと伸びると、何もない壁を指し示した。
『何もない壁、否定。隠し小部屋』
『! あそこに隠し部屋があって、何者かが潜んでいるって事?』
私と水母は、特に周囲を気にする事なく喋っている。どうせ魔法を使えない人間達には、私達の会話は豚の鳴き声や異音としか聞こえないからだ。
ただし亜人達は――クロコパトラ歩兵中隊の隊員達とロイン達兄弟は別だ。
彼らはサッと表情をこわばらせると、先程水母が指し示した壁に振り返った。
『・・・小部屋って事は、大人数が隠れているって訳じゃないのよね?』
『肯定。熱反応、呼吸音から、成人男性一人と推測』
ふむ。それならば今すぐに危険があるという訳ではあるまい。ここには三十人近くのクロカンの隊員がいるし、私だっている。
相手の目的が不明な点だけは気になるが、この場で騒ぎ立てるのは得策ではないかもしれない。
『念のため、水母は警戒だけはしておいて。クロカンの隊員達はあまり壁の方を見ないように。こちらが気付いている事を相手に知られたくない』
『了解』
私の指示に、水母は肯定の言葉で、クロカンの隊員達は無言で微かに頷いた。
そんな我々を、指導員のアーダルトは黙ってジッと見つめていたのだった。
次回「メス豚と女冒険者」




