その396 メス豚、仮入信する
御用商人ザボが指で宙に描いた、とある文様。
それは私が出会った冒険者パーティー。その彼等が首から下げていたネックレスに付いていたシンボルと同じものであった。
という事は――
『という事は、彼らはタイロソスの信徒?! ウソ! 冒険者パーティーじゃなかったの?!』
「冒険者パーティー? 何だそれは?」
思わず叫んだ私に、クロコパトラ歩兵中隊の副隊長ウンタが聞き返した。
私の言っている冒険者パーティー。それは、ついさっき、私が迷子になっていた時に出会った二十歳前後の若い男女三人組の事である。
彼らが着ていた使い古した皮鎧とその佇まいは、いかにも歴戦の戦士、といった感じで、私がイメージする異世界ファンタジー物の漫画やアニメに登場する冒険者キャラそのものだったのである。
てか、あのシンボルはタイロソスのものだったのか。どうりで何となく見覚えがある気がすると思った。
以前、王都に行った時、大二十四神神殿も通ったけど、その時見かけたのを薄っすら覚えていたんだな。
御用商人ザボは不思議そうな顔をした。
「冒険者パーティーですか? 冒険者というのは聞いた事がありませんが」
マジかよ。聞いた事ないって、やっぱりこの世界には冒険者はいないのか。
いやね。この世界って、町の外に出てもモンスターとか徘徊してないし、だったら冒険者ギルドも冒険者もいないんだろうなあ、とは思っていたんだよ。
しかし今日、リアル冒険者パーティー(※個人の感想です)を見た事で、これはひょっとしてワンチャンあるんじゃない? と、密かにテンションが上がっていた所だったのよ。
そうかー。ザボは冒険者を知らないのかー。ザボが知らないなら、本当にこの世界には冒険者はいないんだろうなー。そうかー。残念だなー。
『あんなに見るからに冒険者パーティー然とした見た目だったのに・・・こんなの詐欺だ』
「まだ言ってやがる」
クロカンの大男、カルネが呆れ顔で呟いた。
しかし私は自分でも意外なほどのショックを受けていたせいで、カルネに文句を言い返す事も出来なかったのだった。
私が冒険者パーティーと思っていた三人組は、実は冒険者パーティーではなく、タイロソスの信徒とやらだった模様。
で? そもそもタイロソスの信徒とは何ぞや?
「戦神タイロソスを信仰する者達の事です。彼らは契約に乗っ取り、護衛の仕事を引き受けたり、傭兵として戦場に参加したりするのです」
タイロソスは大二十四神の一柱。二つの異なる顔を持つ二面神とされているそうである。
一つは戦の神であり、全てを焼き尽くすと言われている炎の神の顔。
そしてもう一つは約束を重んじる契約の神の顔である。
タイロソスは戦いの神様だが、決して全てを滅ぼす破壊神ではない。相手が降伏すれば許す寛容性も持っている。
その際には契約の神の面を見せ、相手と契約を交わすのだという。
地球でもプロイセンの軍人、カール・フォン・クラウゼヴィッツ曰く、『戦争は外交の一手段である』。どこの世界でも戦争と条約は、外交という行為の裏面と表面なのだろう。
ちなみに、相手が少しでも契約を破った場合、タイロソスは再び戦の神の顔を露わにして、その剣を相手の心臓に突き立てるという。
契約違反者にはとっても厳しい神様なのである。
タイロソスの信徒は、そんなタイロソスを信仰する者達の事で、戦の神なんて物騒な神様を信仰しているだけあって、基本、腕っぷしが強くて暴力的な人間が多いらしい。
それだと反社会的勢力とさほど変わらない気もするが、実際、犯罪組織と癒着している者もいるそうである。
「しかし、ほとんどの信徒はそのような事はありません。彼等はタイロソスの教えに従い、契約を非常に重視するために、商人によっては、『金で裏切るかもしれない部下よりもよっぽど信頼出来る』と言う者もいる程です」
なる程。契約を遵守するため、裏切りを心配する必要がないという訳か。
勿論、中には金に目がくらんで裏切ってしまう者もいるだろうが、そこは狭い信徒のコミュニティ。そういった不心得者の情報は仲間同士でシェアしているため、評判の悪い者は信徒に聞けば割とすぐに分かるんだそうだ。
『けど、教義で契約を遵守しないといけないなら、もし、信徒がタチの悪い依頼人に契約の裏を突かれた場合、騙されていいように利用されてしまうなんて事もあるんじゃないの?』
「そのような事がないように、大口の契約は基本的に神殿で行うことになっています。タイロソス神殿では契約に詳しい専門家が常に目を光らせていますので、余程の事がない限り心配するような事は起きないと思います」
さよか。なる程、その辺は上手く出来てる訳ね。
「・・・それでなんですが」
ザボは若干、言い辛そうにしながら言葉を続けた。
「もし、タイロソスの信徒に扮して行動されるおつもりでしたら、止めておいた方がよろしいのではないかと。彼等は自分達の名を騙られるのを嫌いますし、もし今後、彼らの協力が必要になった時、今回の件を理由に断られるかもしれませんから」
ああ、そう言えば、元々はそんな話をしてたんだっけ。
冒険者パーティーの件のショックが大きすぎたせいで、すっかり意識から抜け落ちてたわ。
私は通訳係のウンタに振り返った。
『それなんだけどさ。そのタイロソス教? に私らが仮入信する事って出来ないかどうか聞いてみてくれない?』
「クロ子、お前本気か?!」
本気も本気。聞いてる限り、傭兵稼業でこの国に認められた私達には、うってつけの教えみたいだし。
それでもまだちょっと不安があるから、先ずはお試し版の仮入信って事でどや?
ウンタは長い沈黙の後、「・・・そうか」と呟いた。
「お前に考えがあるならいいんだが」
「あ、あの、クロ子様は一体何とおっしゃられたので?」
急に言いよどんだウンタに、ザボはアタフタしながら尋ねたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
戦神タイロソスを祭る神殿は、ランツィの町の東に建てられている。
これは信徒の仕事――隣国へと向かう商隊の護衛や、隣国との戦いに傭兵として参加する際――に便利なように、隣国へと続く街道に繋がる東門の近くに作られているためである。
この国のどの町のタイロソス神殿よりも建物が大きくて立派なのは、それだけ、この町に彼らの需要があるという証明でもあった。
そのタイロソスの神殿だが、信徒は何も腕自慢の荒くれ者達ばかりではない。
荒事に無縁の信徒の家族もいれば、一般の信徒もいる。
そんな一般信徒の女性が連れて来ていた赤ん坊に、皮鎧の女性剣士が相好を崩していた。
「はわわ、小っちゃ可愛い~。ほっぺもプニプニ~」
「おい、マティルダ。いつまでも赤ん坊に構ってないで行くぞ」
「え~、もうちょっとだけいいじゃ~ん」
仲間にマティルダと呼ばれた皮鎧の女性は、文句を言いながらも「バイバ~イ」と赤ん坊と母親に手を振って別れた。
「可愛い赤ちゃんだったのに」
「お前ホントに小さい物が好きだな」
マティルダは化粧こそしていないが、良く見れば割と愛らしい整った顔立ちをしている。
しかし本人は、女性にしては背の高いガッシリとした体付きに軽いコンプレックスを感じているせいか、小動物や赤ん坊のように、小さくてかわいい物には目がなかった。
「あれ? アー兄さんはまだ事務員の所から戻ってないの?」
「いや、それならさっき戻って来た所だ。今はホラ、あそこのテーブルのヤツらと話している」
少年の指差した先では、彼等のリーダー、アーダルトが、妙にとげとげしい雰囲気の男達と話していた。
「あの感じ――戦場帰りって所かしら?」
「らしいな。ヒッテル王国で傭兵仕事を終えて帰って来た所だとさ」
マティルダは「・・・そう」と眉をひそめた。
「次はヒッテル王国に行く事になりそうなの?」
「分からねえ。アーダルトさんの判断次第だな」
ヒッテル王国は現在、内乱中である。その分、傭兵の仕事は引く手あまたとも言えるが、当然、リスクも大きい。
迂闊に負け側に加担してしまえば、最悪、何も得る物もなく命を失ってしまうだろう。
「私、戦場ってイヤだな。汚れるし可愛い物もいないし」
「俺だって好きじゃねえ。だが仕事は仕事だ。アーダルトさんが決めたのなら行くしかねえよ」
アーダルトは二人にとってチームのリーダーであり、この仕事を一から教えてくれた恩師――師匠と弟子の関係でもある。
そんなアーダルトがヒッテル王国に行くと決めたなら、二人に異議を唱える事は出来なかった。
どうやらあまり芳しい話は聞けなかったのか、アーダルトは難しい顔で考え込んでいる。
果たしてリーダーはどういう結論を出すのか。二人が黙って見守っていると、突然、二人のいる広間にざわめきが広がった。
「ん? 何だ?」
「ちょっとアレ。亜人じゃない?」
周囲の注目を集めながら神殿に入って来たのは、まだ若い男の集団。
先頭に立って彼らを案内している商人風の男以外、全員が鼻から下が犬や猫のように前に突き出している。
メラサニ山に隠れ住んでいると言われている、謎の多い生き物。亜人である。
「おいおい、亜人ってこんな所に出て来て大丈夫なのかよ」
「お前知らないのか? 大モルト軍から来た新しい監督官の方針で、亜人も領民とするって決まったんだぜ」
「大モルト軍から来た新しい監督官って、噂の竜殺しかよ。マジか。しばらくランツィを離れていた間にそんな事になってたんだな」
亜人達は信徒達の注目を浴びながら、神殿の奥へと進んだ。
そんな中、マティルダは、亜人達に混じって黒い子豚がチョコチョコと歩いているのを目ざとく発見した。
「あれっ?! 見てよビー君! あそこにいるのって、さっきの子豚ちゃんじゃん! なんで亜人と一緒にいる訳?!」
「ビー君って呼ぶな! ――本当にあの時の豚なのか? 豚なんてみんな同じようなモンだろうが」
「違う違う! あの角を見てよ! 色だって同じ黒色だし、絶対、間違いないって!」
ビー君と呼ばれた少年は、興奮したマティルダにマントをグイグイと引っ張られてイヤそうに顔をしかめた。
「あの人達、何しに来たのかな?」
「さてな。ここはタイロソスの神殿だし、案外、亜人のヤツらもタイロソスを信仰してるとかじゃねえのか?」
「へ~っ。亜人も私らと同じ神様を信仰してるんだ」
周囲から様々な好奇の視線が注がれる中、亜人の集団を連れて来た商人は、神殿の者と何か話をしている。
やがて何らかの話がついたのか、彼らは連れ立って神殿の奥へと入って行った。
好奇心を抑えきれなかった者達が、その後を付いて行こうとして、神殿の者達に止められる。
マティルダが「あ~あ、行っちゃった」と、若干、名残惜しそうに子豚の後姿を見守っていると、神殿の事務員が二人の方へと走って来た。
「すみません。そちらにアーダルトさんはいらっしゃいませんか?」
「俺ならここだ」
いつの間にか二人の後ろにアーダルトが立っていた。
事務員はアーダルトに向き直ると、神殿の奥を指し示した。そこはつい先程、亜人の集団が入って行った方向だった。
「上の者がアーダルトさんを呼ぶようにと。一緒に来て頂けませんか?」
「――分かった」
アーダルトは僅かに眉をひそめただけで、何も聞き返す事もなく頷いた。
その事に事務員はホッと安堵の表情を浮かべた。
「ではこちらに」
「ああ」
こうして事務員とアーダルトは、まだざわめきの残る広間から足早に去って行ったのであった。
次回「メス豚と指導員」




