その381 メス豚とお神輿
ザボの店の裏口を出ると、既に太陽は西の空に傾いていた。
『うへ~、もうこんな時間かぁ。アンタ達、お酒を選ぶのに時間かけすぎ』
私はジト目でカルネ達、酒飲み男衆達を振り返った。
彼らはすっかり上機嫌。私の非難の視線を受けても何とも思っていない様子だった。
「そんな事言うなよクロ子。俺達にとっては大事な事だったんだからよ」
「そうそう。村で俺達の帰りを待ってるヤツらの分まで、よ~く吟味しなきゃいけなかったからな。いやあ、大変だったぜ」
な~にが「大変だったぜ」だ。この酔っ払い共が。
カルネ達は少し赤くなった顔でニヤニヤと笑い合った。
そう。彼らはついさっきまで『試飲』という名目で、店の酒を片っ端から飲みまくっていたのだ。
「飲みまくっていたって、そりゃねえぜ。どれもほんの一口二口ずつだったんだぜ」
「そうそう。まあ、一つ一つの量は少なくても、かなりの数があったんだけどな。流石はザボの店だ。スゴイ品ぞろえだったよなあ」
「そうだな。俺は今まで酒にあんなに種類があるなんて知らなかったよ」
「そのどれもに違う良さがあるというな」
酔っ払い共は、やっぱりあの酒も美味かった。いやいや、それならあの酒の方が美味かったと、酒飲み談義に花を咲かせ始めた。
ていうか、まだ続けるか。マジで超ウザイんだけど。
『ハイハイ、その話はさっきお店の中で散々やってたでしょうが。もう聞き飽きたわ』
興味のない他人の趣味の話程退屈な物はない。
私がいつまでもテンションアゲアゲの酒飲み共にうんざりしていると、ザボの店の店員が荷車に乗せてお酒の樽を運んで来た。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「おお、コレコレ。ありがとうよ。おおいみんな、手分けして持って帰るぞ」
「おうよ」
「流石にちょっと頼み過ぎちまったか? けど、こんな機会を逃すのはもったいないしなあ」
ちなみに今回の酒代は私のおごり。私のお小遣いで支払われる事になっている。
お前、人間の貨幣なんて持っているのかって? バカにすんない、ちゃーんと持ってるっての。
天空竜との戦いの後、私は約束通り、BBクリーム含めた化粧品の数々を、この町の監督官、七将の孫マルツォ・ステラーノに納品した。
値付けをしたのは我々の御用商人のザボ。
これが結構な収入になったので、みんなから儲けの一部を私の分け前――お小遣いとして貰ったのだ。
とは言え、これが正に文字通りの『豚に真珠』。使うあてもなく貯め込んでいただけだったのだが・・・まさかこんな形で使われる羽目になろうとは。
まあこんな事でもなきゃ、ずっと財布の中で腐ってただけだろうし、別にいいんだけどさ。
酒飲み達は、ああでもない、こうでもないと分担して酒樽を担ぎ始めた。
そんな彼らの姿を、少し離れた場所で見つめる亜人の兄弟。
雰囲気イケメンの兄ロインと、弱気ショタ坊こと弟のハリスの兄弟である。
「人間と取引しているなんて・・・本当にここでは亜人が認められているんだな」
ロインは目の前の光景が信じられないのだろう。まるで悪い冗談でも聞かされたような顔をしていた。
『準備は終わった? じゃあ帰りましょうか』
私の言葉に雰囲気イケメンことロインが反応した。
「今から帰るのか? お前達の村は山の中にあるんだろう? 途中で夜になるんじゃないか?」
『流石にメラサニ村まではムリね。山の麓に馴染みの人間の村があるから、今からだとそこで一泊、って所ね』
「そうそう。ルマンドの工房なら俺達全員で寝泊まり出来るからな」
ルマンド? それって誰だっけ? と思ったら、鍛冶屋のオヤジの名前だったわ。
イガグリ頭のゴツイ見た目のくせにルマンドとか。これってある種のキラキラネームなんじゃなかろうか?
ロインは「人間の村とも付き合いがあるのか?!」と驚いている。
カルネ達はそんな彼のリアクションが嬉しかったらしく、妙に誇らしそうだ。
カルネのドヤ顔とか、ムカつくだけなんだけど。
ロインは弟に振り返った。
「麓の村か・・・大丈夫かハリス? 付いて来られそうにないなら俺がおぶってやるぞ」
「大丈夫だよロイン兄さん」
「そうか? 辛くなったらその時は無理せず俺に言えよ」
ハリスはまだ子供だし、見るからにインドア派っぽいからな。
カルネ達、大人の足に付いて行くのは、確かに大変かもしれない。
まあ、そのための用意は既に手配しているのだが。
『よし、みんな持ったわね。――じゃあカルネ。例の物を出して貰って頂戴』
「そうだな。おい、あんたら、頼んでいた物は出来てるか?」
「あ、ハイ。それでしたらここに」
店員達が持って来たのは、三メートル程の二本の長い棒の間に戸板を渡したもの。
カルネ達がお酒を選んでいる間に、店員達に作っておいて貰った物だ。
「良い感じじゃねえか。どうだ? クロ子」
『うん。問題なさそうね。じゃあ二人共、あの上に乗って頂戴』
「「えっ?! あれに乗るの?!」」
突然話を振られてロインとハリスの兄弟の目が点になった。
そう。これは二人のために作って貰った輿? 神輿? まあそういった物だ。
カルネはいつまでも動かない二人に焦れたのか、弟のハリスを抱きかかえると板の上に乗せた。
「ろ、ロイン兄さん!」
「オイ! お前、弟に何をする!」
「ホラ、いいからアニキの方も乗りな」
「お、押すな! 止めろ! 放せ!」
カルネはロインの意外な力強さに少しだけ驚きの表情を浮かべたが、二人の体格は一回りも二回りも違う。
ロインはカルネに押されて神輿にの上に乗せられた。
しかし彼はカルネの手を振り切ると、神輿の上から飛び降りた。
「止めろ! 俺は自分の足で歩ける!」
「あっ、コラ! どうするよ、クロ子」
『う~ん。まあ、自分で歩きたいなら別にいいんじゃない?』
良かれと思って準備したものだけど、どうしてもイヤならムリに乗せる必要もないと思うし。
「そうか? 遅かれ早かれ同じ事になると思うがな。じゃあ持ち上げるぞ! せーの!」
「う、うわわっ! ろ、ロイン兄さん!」
「・・・・・・」
ロインは弟の悲鳴に気まずそうに目を反らした。
それでも文句を言わなかったのは、彼もこの方法が弟を運ぶのには有用だと思ったのだろう。
『それじゃ、しゅっぱーつ!』
「「「わっせ! わっせ!」」」
「わっ! わわわわわっ!」
カルネ達が悪乗りして揺らすものだから、ロインは目を回しそうになっている。
落っこちないように、イスとシートベルトでも付けといて貰えば良かったかもな。
こうして我々はザボの店を後にしたのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
夕方も近く時間という事もあって、ランツィの町の大通りは人で溢れ返っている。
そんな人混みをかき分けるようにして、異様な集団が歩いていた。
クロ子達、亜人の男衆である。
そうでなくても目立つ亜人が集団で、しかも、亜人の少年を乗せた神輿まで担いでいるのだ。人々の注目を集めるのも当然だった。
通りを行く人々は、一体何事かと、足を止め、彼らに好奇の視線を注いでいた。
「はわわわわ・・・」
そんな中、神輿の上のハリス少年は、注目されすぎて、怯えればいいのやら恥ずかしがればいいのやらで、何が何だか良く分からない情緒になっていた。
兄のロインはそんな弟に同情しながらも、自分もあの場にいなくて済んで良かったと、内心ホッとしていた。
(信じ難いが・・・本当に人間の中に混じって暮らしているんだな)
確かにやたら注目こそされているものの、人間の町を亜人である自分達が歩いているというのに、追いかけられる事もなければ、危害を加えられる訳でもない。
(人間の店で普通に買い物をしている時から、「何か違う」と感じていたが、本当にあのクロ子と呼ばれる子豚の言う通り、この土地では亜人というだけで迫害されるような事はないんだな)
まさか亜人にとってこんな夢のような土地があったとは。
ロインは自分で体験しておきながらも、目の前の光景が信じられずにいた。
ちなみに実際には彼が思っている程、この町は亜人にとって安全でもなければ、町の人間全体が亜人に対して手放しで好意的な訳ではない。
ただ、この場所は町の南門に近い――つまりは先日、町が天空竜(雄)に襲われた時に、クロ子達、クロコパトラ歩兵中隊の隊員達が行った救助活動によって、助けられた者達が多い場所であった事。また町の者達にとっても、まだあの時の記憶が新しく、亜人達に感謝の気持ちを持つ者が多いという理由もあった。
(今までずっと俺達の村だけが特別に恵まれていると思っていたのに・・・)
この光景を見た後だと、恵まれていたどころか、まるで檻の中に閉じ込められていたようにすら感じる。
(長老達に騙されていた――まさか)
その想像はロインの気持ちを重く沈み込ませ、湧き上がる感情を抑えるために奥歯を強く噛みしめる必要があった。
亜人達一行は 町中の注目を集めながら、南門へと到着した。
彼らは守備隊の兵士達に軽く挨拶をすると町の外へ。
寂れた街道に出た事で人目もほとんどなくなり、神輿の上のハリスは(そして兄のロインも)ようやく一息つく事が出来たのだった
その時、クロ子と呼ばれる黒い子豚が仲間達に声を掛けた。
『さあ、街道に出たし、ここからは遠慮なくいつものペースで行くわよ。風の鎧!』
「「「おう! 俺達の魔法!」」」
「えっ?」
亜人の男達が一斉に何かを叫んだと思った途端、彼らはまるで放たれた矢のように街道を疾走し始めた。
「ろろろろ、ロイン兄さあああああん」
弟のハリスの悲鳴があっという間に遠ざかっていく。
「ええええっ! は、ハリス! ――クッ! ちょ、おい、お前ら待て! おい! 待てって言ってるだろうがーっ!」
ロインは慌てて彼らを追いかけた。
ロインは身体能力については、自分の村でもトップクラスにあるという自負がある。
弓の腕前は勿論のこと、体力でも足の速さでも誰にも負けるつもりはなかった。
(おい、ウソだろおおおお?!)
しかし、彼が全力で走っているというのに、亜人の男達には全く追いつける気配がない。
彼らは一体どんなデタラメな速度で走っているのだろうか?
亜人の男達はその背にさっきの店で買った酒樽を背負っている。その上でハリスの乗った神輿まで担いでいる。
それにもかかわらず、彼らの速度はロインの全力疾走に匹敵する――いや、それをも上回る速度だったのである。
寂れた冬の街道に、男達の後姿がみるみるうちに小さくなっていく。
(ハア、ハア、ハア、いや、おかしいだろ! ハア、ハア、ハア、何だよそのデタラメ! ハア、ハア、ハア、アイツら一体、どんな体力してんだ! ハア、ハア、ハア、クソッ、ダメだ・・・もう意識が・・・)
あっという間に息はゼイゼイと切れ、心臓は早鐘を打ち始める。
さしものロインも、逃亡生活で蓄積した心身の疲労と、まともな食事が出来なかった事による体力低下が想像以上に堪えていたようだ。
走り始めて五分もしないうちに早くも限界が訪れ、彼は足をもつれさせるように冷たい地面に倒れた。
荒い息と朦朧とする意識の中、こちらに誰かが近付いて来る気配があった。
「ホラな。やっぱりこうなるんじゃないかと思ってたんだよ」
それは全身キズだらけの大男。黒豚クロ子からカルネと呼ばれていた男だった。
カルネはロインの体をヒョイと肩に担ぐと、仲間の待つ場所へと戻ったのであった。
次回「メス豚、メラサニ村に戻る」




