その36 メス豚と崖の裂け目
山を走る事一昼夜。
いやまあ途中で睡眠も休憩も取ったんだけどね。
パイセンの村は山の若干北寄りにあったみたいで、私達一行は思っていたよりも早く目的地に到着する事が出来たのだった。
『以前のアッシらの縄張りです。間違いありません』
野犬のマサさんが匂いを嗅ぎながら断言した。
確かに辺りには犬臭い匂いが立ち込めている。
私が人間の頃には分からない程の匂いだが。
犬や豚の鼻は人間よりも優れている。
麻薬犬やら警察犬やらで犬の嗅覚が優れている事を知っている人は多くても、豚の嗅覚が犬のそれを上回っている事を知っている人はどれだけいるだろうか?
豚の鼻は伊達にデカイ訳ではないのだよ。ブヒッ。
犬の嗅覚は、匂いの種類によっては人間の一億倍まで感知出来ると言われているそうだ。
とはいえ流石に一億倍も匂いを強く感じているわけではなく、匂いを分解、感知出来る能力が人間よりも一億倍優れているということらしい。
つまり、犬は人間よりもオナラの匂いを一億倍臭いと感じる、という話では無いのだ。
おっと、話が逸れたな。
さて、そこからさらに探索する事一日。
翌日になって私達は、ようやく元リーダーが昔落ちたという裂け目に到着したのだった。
『あそこがマササンが話した裂け目です』
『あれが?』
マサさんが自分の事をマササンと呼ぶのはもう突っ込まない。
私は目の前の崖を見上げた。
裂け目に落ちた、なんて聞いていたから、てっきり地面に空いた落とし穴みたいなものを想像していたんだけど。
それはちょっとした岩壁の半ばに空いた大きな裂け目だった。
てか、元リーダーはどうやってあんな場所に落っこちたんだ?
『あの崖の上から足を滑らせて、転がり落ちた先がたまたま裂け目だったようです』
『あ~、なるほど。そういう風に落ちたのね』
元リーダーはかなりドジな犬だったようだ。
魔法が使える程の知恵がありながら会話を苦手としていたところといい、縄張りから大きく外れる程の方向音痴だったところといい、かなりのダメ犬だったとしか思えない。
マサさん達の群れはよくそんな犬をリーダーにしてやって来れたもんだ。
自然界ってもっと厳しいものだと思っていたけど、適当でも案外どうにかなるのかもしれないな。
ふと気が付くとマサさんと彼の息子のコマがジッと私の方を見ていた。
どうやら私の言葉を待っているらしい。
『ここからこの崖を登るのはムリそうだし、一度向こうから回って上まで行ってそれからどうするか考えようか』
『分かりました』
『ウワン!』
嬉しそうに吠えるコマだが、君は絶対に分かってないだろう。
私達は大回り。裏から崖の上に回り込んだ。
幸いさほど苦労せずに崖の上に来る事が出来たのだが・・・
『黒豚の姐さん?』
『あ、いや何でもないから』
全然何でもなくはない。忘れてたけど私高所恐怖症だったんだ。
そうでなくても高い所が苦手なのに、今の私の足は蹄だからね。
足を滑らせでもしたら岩につかまる事も出来ずにここから真っ逆さま――ウヒョウ。ガクガクブルブル。こ・・・怖っ!
恐る恐る下を覗き込む私。思ってたよりも高いな・・・
さっきの裂け目は何処にあるんだろうか?
あ、あそこか。
ここからでも黒々とした裂け目が見える。
奥は・・・この角度からでは見えないか。
『どうしましょうか?』
『そ、そうね・・・』
普通に考えれば元リーダーのようにここから落ちるしかないんだけど・・・
いやいや、無理無理。絶対に無理だって。
出来れば登山用の道具が欲しい所だ。ザイルとかペグとか。あれっ? ペグってテントに使うやつだっけ?
そうそうハーケンだ、ハーケン。
まあどのみち私の前足じゃ使えないんだけどな。
う~ん。魔法でどうにかして足場を作る事は出来ないかな。
・・・それもちょっとイヤだな。
そんな不確かな足場を伝ってこの崖を降りるのは・・・ねえ?
後、あの裂け目に入るなら明かりも欲しい。
裂け目の先は真っ暗で、どうやら外の光が届いていないみたいなのだ。
要は何かを燃やして松明のようにすればいいんだよな。
問題は私達には明かりを持ち運ぶための手がないって所なんだけど・・・
ちょっと方法を考えてみるか。
『ひとまず現場の確認は出来たし、一度さっきの場所に戻ろうか』
『分かりました。コマ!』
マサさんの呼びかけに、コマが「ワン!」と返事をした。
私のマネをして崖下を覗き込んでいたようだ。
彼は勢い良く立ち上がると、こちらに向かって駆け寄ろうとしたが・・・そういえばあそこって丁度裂け目の真上じゃなかったっけ?
私はふとイヤな予感を覚えた。
そして私が何かを言うよりも先に事態は動いた。
「キャイン!」
『コマ!』
コマは悲しく一声残すと、私達の前から姿を消したのだった。
私達は慌てて彼のいた場所に駆け寄った。
『! 黒豚の姐さん、近付き過ぎると危険です! 草の下は崖になってます!』
確かにマサさんの言うように、そこは崖が大きくえぐれたような形になっていた。
その上に草が覆いかぶさるように生えて、まるで落とし穴のような形で空間を隠していたのだ。
コマはうっかりその上に乗ってしまったようだ。
犬一匹分だけ草が無くなっているので間違いないだろう。
『コマ、大丈夫?!』
私が呼びかけると、遠くで「キューン、キューン」という鳴き声がした。
負傷でもしているのだろうか? 幸い声も出せない程の重症ではないようだ。
そのことに一先ず私は安心した。
『思い出しました。先代もこうやって裂け目に落ちたんでした』
『いやいや、今更遅いし』
反射的にツッコミを入れたけど、ここでマサさんを責めても仕方が無い。
そんな事よりも私は決断を迫られていた。
『コマ! どうにかしてそこから出られない?!』
コマの鳴き声が止まった。
どうやら自分の周囲を調べているようだ。
「キューン」
『・・・ダメか』
出口は見つからなかったようだ。あるいは自力では辿り付けない場所にあるのか・・・
しかし弱ったな。
『黒豚の姐さん』
『分かってる』
マサさんが心配そうに私を見た。
私の魔法でどうにか出来ないかと考えたのだろう。
確かにその通りなのだが、流石にここからじゃどうしようもない。
何がどうなっているのかすら分からないのだ。少なくともコマの場所まで行かないと話にならない。
かと言って、状況も分からずにやみくもに飛び込んでも下手をすれば私まで遭難してしまう。ミイラ取りがミイラになるだけだ。
『というか、高所恐怖症の私にここから降りろとか、もうその時点で無理ゲーでしょう』
『むりげー、ですか・・・』
意味は分からなくても私のためらいは伝わったのだろう。
マサさんの尻尾が力無くしゅんと垂れた。
ううっ。罪悪感。
いや、でもこればっかりは私の身の危険にかかわる事だし・・・
「キャイン! キャインキャイン!」
その時、コマの悲鳴が響いた。
『コマ! どうしたコマ!』
必死に呼びかけるマサさんだが、残念ながらコマさんはマサさんと違って話が出来るほど賢くは無い。
何かに怯えて悲鳴を上げ続けるだけである。
『待っていろコマ!』
『! ダメ! 成造・土!』
私は魔法を発動。今まさに崖下に飛び込もうとしていたマサさんの目の前に土の棒を作った。
勢い良く棒に当たって「キャイン!」と鳴くマサさん。
正に犬も歩けば棒に当たる。
土の棒は衝撃で粉々に砕け散り、頭から土を被ったマサさんはブルブルと体を震わせた。
『マサさんが行っても二次遭難になるだけよ!』
『し、しかし、コマが!』
私は崖下の裂け目を睨んだ。ううっ、マジで怖いわー。せめて明かりでもあればいいんだけど・・・
いやいや。今はそんな事を言ってる場合じゃない。
『私が行く。マサさんはここに残って私の連絡を待って』
止めたければ止めてもいいのよ? あ、やっぱり止めないのね。ですよねー。知ってた。
チクショー、いいよいいよ。やってやるってばよ!
私はギュッと目を閉じると『えいっ!』。崖下に身を躍らせた。
次回「メス豚対這いよる者達」




