その374 ~和解~
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マルツォの部隊は貴族街に入った所で停止していた。
隊列が左右に割れると、その奥から馬に乗った隻腕の若武者が歩み出る。
七将の孫、竜殺しの英雄マルツォである。
マルツォは馬から降りると、白髭の老将に頭を下げた。
「わざわざの出迎え、感謝致します」
老将は彼の祖父、七将・百勝ステラーノ。
ステラーノは少し意表を突かれたような顔で、「うむ」と頷いた。
「寒い中、待たせてしまったのなら申し訳ありませんでした」
「いや、気にする事はない。それよりも人食い竜の討伐の噂は、この王都アルタムーラまで鳴り響いておる。殿も大層お喜びのご様子じゃ」
「それは重畳。私も部下も命がけで戦った甲斐がありました」
「うむ」
マルツォの予想外の殊勝な態度に、ステラーノは落ち着きなく顎髭を弄んだ。
(何と言うか、やり辛いのお・・・)
ステラーノは心の中で小さくため息をついたのだった。
ステラーノは少し前から、マルツォの出迎えのため、部下を率いてこの貴族街の入り口で彼らの到着を待っていた。
やがて東門に張り付けておいた兵士が戻って来た。
「マルツォ様の部隊が王都に到着致しました!」
「そのようじゃな」
ステラーノは言葉少なく答えた。実際、兵士が戻るより前に、ここまで届く大歓声によって、マルツォの到着は既に彼らの知る所になっていた。
部下の一人が感心した様子でステラーノに話し掛けた。
「いやはや、本当にスゴイ人気ですな、マルツォ様は」
「・・・・・・」
ステラーノは若い頃から数多くの戦場を経験している。その中には少数の兵で敵の大軍を迎え撃たなければならないような、絶望的な戦いもあった。
(何だかその時の事を思い出すのう・・・)
ステラーノ程の武将が珍しく弱気になっている理由。
それは孫にどのような顔をして会えばいいか分からない、というものだった。
仕方がなかったとはいえ、あの夜、彼は将来が嘱望されている孫の腕を、自らの手で切り落とした。
恨みに思われているのは勿論の事、憎まれていてもそれは仕方がない。
だからと言って、自らが天塩にかけて育てた弟子兼孫に憎悪の目で睨まれるのが分かっていて、平静でいられるはずもない。
主君であるジェルマンから直々に出迎えを命じられていなかったら、この場を部下に任せて逃げ出したい気持ちであった。
(これはおそらく殿のお考えではなかろう。確かに、キンサナ将軍を中心に主だった将は、ハマス追討のため辺境伯領に出向いてここにはいない。そういった意味ではワシに白羽の矢が立っても何らおかしな話ではない。だが、逆に言えば出迎え程度にワシが出る必要も別にない。それならこの役目はもっと若い者に任せてもいいはずじゃ)
ステラーノの脳裏に、彼の良く知る女性の姿が浮かんだ。
(これはアレじゃな。どうやら姫様に――奥方様に仕組まれたようじゃの)
ジェルマンの妻アンナベラは、あの一件以来、ステラーノが孫と会うのを避けている事を知っている。
ステラーノの立場とすれば当然だ。なにせ、自分は新家アレサンドロ家の軍事を担う重臣。片やマルツォはハマス兵を手引きした裏切り者なのだ。
しかし、そうは言っても、二人は祖父と孫であり、師匠とその愛弟子でもある。
そんな二人に、和解は難しくてもそのきっかけくらいは与えてあげたい。
アンナベラはそう考え、夫であるジェルマンに頼んだのだろう。
(そして殿はその提案を受け入れた。即ちそれは、殿はまだマルツォの事を見捨ててはいない、という事でもある。何とも有難いことじゃ)
どういう事か? もしもマルツォを裏切り者、ハマスの手下として扱うのなら、当然、軍の中枢にいるステラーノには近付けようとはしないだろう。
それでも二人の仲を取り持つという事は、つまり、ジェルマンの中にはいつかマルツォを手元に戻す考えがある、という事である。
(殿はあれで情け深いお方じゃからな。マルツォの事情も汲んでくれたのじゃろう)
そんな事を考えている間にも、歓声は次第に大きく――つまりはこちらに近付いて来た。
「ステラーノ殿」
「うむ、分かっておる」
ステラーノは床几(※折りたたみ式の移動用イス)から腰を上げると、服を払って皺を取るのだった。
といった事情で、ステラーノは相応の覚悟を決めてマルツォとの再会に挑んでいた。
しかし、マルツォは彼に憎悪の視線を向けて来るどころか、割と普段通り。むしろこちらを気遣う言葉までかけて来た。
何となく、言葉を探りながら話している空気は伝わって来るものの、今の所、二人の会話は多少ぎこちない程度で、険悪なムードからは程遠いものだった。
(とはいえ、流石にワシを恨んでいない訳はないはずじゃがのう)
ステラーノはマルツォの真意が掴めずに困惑していた。
挨拶も一通り終わり、ステラーノの案内で行軍の再開――といった所で、その闖入者は現れた。
「お待ち下さい、ステラーノ殿! そのような下らない作り物を殿のおわす城内に入れる事はなりませんぞ!」
鋭い叱責の声と共に現れたのは十人程の騎馬隊。マントに染め抜かれた家紋から、キンサナ将軍の一門である事が分かる。
どうやら先程の言葉は先頭の若者が発したもののようだ。
マルツォは何となく見覚えのある顔に軽く眉をひそめた。
「誰だっけ? お前?」
「なっ?! ヴィットリオだ! キンサナ家のヴィットリオ! お前は自分のライバルの名前を覚えていないのか?! お前とは以前――」
「あー、そういうのはまあいいや。それでキンサナ将軍の息子が、なに俺に難癖を付けようってんだ?」
マルツォはチラリと祖父に視線を向けたが、ステラーノは「知らん」とばかりに小さくかぶりを振った。
どうやらステラーノとキンサナの派閥争いに巻き込まれた訳ではなさそうだ。
「ち、父上は関係ない! これはあくまで俺の考えで行っている事だ!」
「どうやらそうみたいだな。で? さっきお前さんは下らない作り物って言ったな?」
「そうとも! 知れた事よ! お前が退治したという化け物の事だ! 居もしない怪物をでっち上げ、殿に取り入ろうとは見下げ果てたぞ! その魂胆、大方、裏切り者のそしりを受けるのに耐え兼ねて、そのようなつまらん策を弄したのだろうが、他者の目は欺けても俺の目は誤魔化せんぞ!」
マルツォをライバルと称するキンサナ将軍の息子は、手綱を引くと、取り巻きを引き連れてマルツォの部隊の後方へと向かった。
「お、おい! 待てよ!」
「何が人食いの化け物竜なものか! こんなチャチな作り物で――んなっ!」
「ヴィ、ヴィットリオ様!」
「ひいいいっ!」
天空竜の剥製を目の当たりにしたのだろう。キンサナ将軍の息子とその取り巻き達から小さな悲鳴が上がった。
「ば、バカ者! 作り物を相手に怯えるヤツがあるか! こんなもの、近くに寄って良く見れば、作り物である事は一目瞭然――」
「いや、だから待てって!」
「ヒヒーン!」
「なっ、ウギャッ!」
マルツォは慌てて止めようとしたが時すでに遅し。
キンサナ将軍の息子は、突然後ろ脚で立ち上がった馬から振り落とされ、石畳の上に転落していた。
マルツォは地面で悶絶する青年を見てため息をついた。
「あ~あ、だから待てと言ったじゃねえか。こうなるのが分かっていたから、俺達は天空竜の乗った荷車を隊列の一番後ろに配置していたってのによ」
「ん? どういう事じゃ?」
「ああ、剥製にする際に綺麗に洗ってはいるものの、まだ匂いが残っているらしいんだわ。どうもそれが馬には恐ろしいらしくて、近くに寄ると怯えて脚が止まっちまうんだ。仕方がねえから一番後ろで兵達に運ばせていたんだが・・・それを無視して近付くもんだから。しょうがねえなあ、全く」
どうやら剥製に微かに残った天空竜の匂いに馬が怯え、キンサナ将軍の息子を振り落としてしまったらしい。
奇しくも彼は、自らの愛馬によって、この剥製が本物である事を証明する形になってしまったようだ。
キンサナ将軍の息子は直ぐに取り巻き達に助け起こされたが、周囲から注がれる冷ややかな視線がよほど骨身に染みたのだろう。
痛みと羞恥で首まで真っ赤にしながら、一言もなくコソコソとこの場から立ち去ったのであった。
「派手に出て来た割には、随分と尻すぼみなヤツじゃったな」
「勘弁してくれ。あんなのが俺のライバルなのかよ」
マルツォとステラーノは呆れ顔で彼らの背中を見送った。
ステラーノはすっかり毒気が抜かれた様子でマルツォに振り返った。
「それじゃ行くか。殿が首を長くして待っておられるからの」
「いや、その前にお爺」
マルツォは手を上げて祖父を止めた。
「先にこれだけは言わせてくれ。殿の前で俺の命乞いをしてくれたんだってな。今の俺の命があるのはお爺のおかげだ。感謝している」
「お前――誰からその話を・・・」
ステラーノは驚きに目を見開いた。
あの日、あの場にいたのは当主ジェルマンの他は新家アレサンドロ家の重臣達だけ。
彼らがあの後、裏切り者のマルツォに会っているとは思えなかった。
「月影のヤツから聞いた。どうやら館の奥に忍び込んでいたみてえだな」
「そんなバカな! 一体どうやって・・・いや、女王クロコパトラの手の者であれば、それも可能なのか?」
月影は亜人の女王クロコパトラの忍び――という設定のクロ子の別キャラである。
ステラーノは、謎の多いクロコパトラ女王の忍びであれば、それもあり得るのではないかと考えたようだ。
「・・・ふん。まあ良いか。どうせ館の警備はワシの仕事じゃなかったしの。それよりマルツォ」
「ん?」
「その、何じゃ。あの時はスマンかったな」
祖父の言葉にマルツォはかぶりを振った。
「何言ってんだ。お爺は何も悪くねえよ。全てはオヤジの頼みを断り切れなかった俺のせいだ」
「しかし、そうは言っても、痛かったじゃろ?」
「たりめーだろが! ンなモン、痛いに決まってんだろうが!」
「お、おう、それはそうじゃろうな。う、うむ」
災い転じて、と言うが、キンサナ将軍の息子の一件は、二人の間に漂うギクシャクとした空気を、良い感じで吹き飛ばしてくれたようである。
祖父と孫は互いにあの日の事を謝罪すると、かつてのように仲良く語り合ったのであった。
次回「待ちに待った荷物」




