その373 ~祖父との再会~
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サンキーニ王国の王城。その総面積は数十万平方メートルにもなる。
勿論、その全てを使った超巨大な城が建っているという訳ではなく、建物自体の敷地面積はその一部、十分の一以下に過ぎない。
そのため、もしも鳥のように空から城を見下ろす事が出来れば、建物に使われている土地はほんの一部で、ほとんどが庭や広場、あるいは畑である事が分かるだろう。
これは王城と言えどもあくまでも城――すなわち、軍事目的として設計されているためである。
有事の際には、この城内に数千数万という兵士が立てこもる事になる。
その際に広場や庭は、兵員の野営地としての役目を果たすのである。
そんなサンキーニ王城、城内の広場。
騎士達の訓練所として使われている場所で、一心不乱に槍を振っている老人がいた。
年齢は六十から七十くらいか。長く白ヒゲ、髪は後頭部で束ねられ、いわゆるポニーテールにしている。
はだけた上半身は、年齢を感じさせない鍛え上げられた筋肉に覆われている。
老人はどのくらいの時間、こうしてここで槍を振り続けているのだろうか?
裂ぱくの気合と共に槍が空気を切り裂く度に、老人の体からは汗が飛び散り、地面に点々と黒いシミを作っていた。
「ステラーノ殿! こんな所におられたのですか!」
男の声に、老人は――大モルトにその名を轟かせる”七将”百勝ステラーノは、「ふーっ」と長い息をはき、槍の穂先を下げた。
「急ぎ準備をして下さい! マルツォ様が王都にお戻りになる予定の時刻ですぞ!」
「――そうか。もうそんな時間か」
ステラーノは槍の石突きを地面に突くと、腰紐に挟んでいた布で顔の汗をぬぐった。
「さあさあ、急いで着替えて来て下され。殿自らが、直々にステラーノ殿にマルツォ様の出迎えに行くように命じられたのですぞ。それにステラーノ殿も、これぞマルツォ様の晴れ舞台と、あれ程楽しみにしていたではないですか」
「う、うむ。そうなんじゃがな」
ステラーノは槍を肩に担ぐと、弱った顔で天を仰いだ。
「だがな。ワシはアレの腕を切り落としたのだぞ。一体どんな顔をして会えばいいと思う?」
あの日以来、ステラーノは孫に――マルツォに会っていない。
会っても何を言えばいいかも分からないし、恨み言を言われるのも恐ろしかったのである。
「まだそんな事を言っておられるのですか?! あれは仕方がなかった事だとご自分でも言っておられたではないですか! そもそも、ステラーノ殿があの場でああいう形でけじめをつけられたからこそ、殿もそのお心を汲み取られて、マルツォ様の裏切りの罪を許されたのではないですか!」
「それは、まあ。あの時は切るより他に無かったのだが・・・はあ、やっぱり恨まれておるだろうなあ」
あの場はああする他なかった。それはステラーノの偽らざる本心である。
仮にもう一度、あの日の夜をやり直す事が出来たとしても、結局自分は孫を切る事になっていただろう。
戦場では情に目を曇らせてはならない。心に迷いがあれば太刀筋が乱れ、己の命をも危うくする。
ステラーノはずっとそうやって生きて来たし、孫にもそう教えていた。
だからマルツォの腕を切った事自体は後悔していない。していないのだが――
「片腕を失い、武人としては終わったが、命だけは長らえた。ならば今後は戦場から離れ、後方で帳簿を相手にする人生を送る事になるであろう。――などと思っておったのだが、まさか赴任先でいきなりこんな武勲を立ておるとはのう」
そう。孫は祖父が考えていたよりも、ずっと大器だったのである。
マルツォは片腕のハンデをものともせず、人食いの大型竜を討伐するという偉業を成し遂げてしまったのだ。
これには流石に周囲も驚かされた。
ステラーノも内心、小躍りして喜んだのだが、こうなると自分がマルツォを片腕にしてしまったのが惜しくて仕方がなかった。
「新家アレサンドロ家に数万の将兵あれど、片腕となった直後に、これ程の武勲を立てる事が出来る者がどれだけいようか? その孫の腕を切り落としてしまうとは。ワシは早まった事をしてしまったのではないかとそう思えてな・・・」
「ステラーノ殿・・・」
百勝ステラーノの滅多に見せない弱音に、部下の男はかける言葉がなかった。
いつもは大きな老将の姿が、この時ばかりはなぜだか小さく見えた。
部下の男は神妙な気分に浸っているが、実はステラーノはベッドを共にした女性相手には、割と普通に弱音も吐くし愚痴も良くこぼすという。
他でそんな話をすれば部隊の士気に関わって来るので(※それに幾ばくかの見栄もあるので)、部下の前ではいつも黙ってやせ我慢をしているだけなのである。
「――とはいえ、いつまでもこうして稽古に逃げている訳にもいかんか。殿から頂いたお役目、果たぬ訳にはいかんからな。よし! いざ参ろうぞ!」
ステラーノはバシバシと平手で数発胸を張ると、勢いを付けて歩き出した。
部下の男は心配そうな顔をしながら、老将の後に続いたのであった。
ここは王城の一角。ひと気の少ない廊下で、数名の大モルト軍の若手の武将が額を突き合わせるようにしながら、コソコソと噂話をしていた。
「聞いたか? ステラーノの孫が今日戻って来るそうだぞ」
「アレか。東の町を襲った人食いの化け物竜を退治したとかいう話。あれの褒美を受け取るために戻って来るとか」
彼らは新家アレサンドロ家に代々仕えて来た家臣の息子達であったり、その分家筋の息子達である。
つまりは次世代の譜代の家臣。未来の重臣候補とも言える若者達であった。
「くそっ! マルツォのヤツめ! 田舎町に左遷されたのなら、そこで大人しくしていれば良い物を!」
苦々しげに顔を歪ませる青年は、新家アレサンドロ家の重臣キンサナ将軍の末息子。
周囲からはマルツォのライバルとして将来を嘱望されている青年武将である。
最も、戦場での武功はマルツォには及ばず、家柄と父親の功績を加味した上でようやくライバル候補に名前が上がる、といったレベルなのだが。
彼としては、ライバルが左遷され、ドロップアウトしたと喜んでいた所に、派手な手柄を上げて凱旋するという不意打ちを受けたのだ。
当然、面白かろうはずもなかった。
「本当なら、俺だって父上と共にアロルド辺境領でハマス軍相手に戦っていたものを!」
青年の負け惜しみに、仲間達は微妙な表情を浮かべた。
青年は父であるキンサナ将軍のハマス軍追討部隊の親衛隊に任命されていた。しかし出発の前日、川の水に当たって激しい腹下しを起こしてしまい、戦に出るどころではなくなったため、部隊において行かれてしまったのである。
この腹下しは十日程長引き、ようやく痛みも治まったので部隊の後を追おうと意気込んだ所で、キンサナ将軍からハマス軍は撤退したとの知らせが届いた。
戦いがないなら、今更、父親の部隊と合流しても仕方がない。
結局、彼は出発を諦め、不満を抱えたままずっと王都でくすぶる事になってしまったのであった。
「天空竜とか言うそうだ。何でもクマよりも大きな体でありながら、鳥のように空を飛び、天から雷を落として家を焼き、人間を生きたまま貪り食うとか」
「それはまた何とも。この国には随分と恐ろしい竜がいるもんだな」
「下らん! そんな化け物などいるはずがないだろうが! マルツォのヤツの作り話に決まってる! 殿も殿だ! そのような胡散臭い話をお信じになり、裏切り者を王都に呼び戻すとは軽率な!」
青年の不平不満が主君のジェルマンにまで飛び火すると、流石に仲間達は顔色を変えて辺りを見回した。
「おい、よせ! 言い過ぎだぞ! 少しは頭を冷やせ!」
「ふん! 臆病者め! だったら見ていろ! 俺がその化け物の正体をあばいて来てやる!」
青年は仲間の心配の声を振り払うと、肩を怒らせたまま歩き去ったのだった。
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マルツォの部隊は一般区画を通り過ぎ、商業区画に入っていた。
一般区画程ではないにしろ、ここでも通り沿いに人々が溢れ、天空竜の剥製を見て大きな歓声を上げていた。
(そろそろ貴族街か。城からの出迎えがあるなら、ここか城の入り口かのどっちかだろうな。さて、誰が出て来るか。まさか殿自らって事はないだろうが)
行軍中に耳に入った噂話で、現在、新家アレサンドロ軍の主力が王都を離れている事は分かっている。
東からやって来たマルツォ達が出会わなかった以上、部隊は西に――ハマス軍との戦いに向かったのは間違いない。
(なら、お爺はそっちか。出来れば言っときたい事があったんだがな)
マルツォの祖父は――百勝ステラーノは、手紙、というか、文字を信用しない。
彼に何かを伝えるためには、面倒でも本人に直接会って話をする必要がある。
そしてマルツォは、祖父にも当主ジェルマンにも、あの事件以来一度も会えていない。
裏切りの罪を犯したマルツォは、ケガの容態が落ち着いてベッドから出られるようになった途端、押し込まれるように馬車に乗せられ、赴任先であるランツィの町へと送られたのであった。
(まあ、ハマス軍なんぞにやられるようなお爺じゃねえからな。なら、これっきりって訳じゃねえ。気長に次の機会を待つさ)
伝えたい言葉はあるが、どんな顔をして会えばいいか分からず、困っていたのも事実である。
マルツォは少しだけ心が軽くなったのを感じながら、愛馬に揺られていた。
その時、隊の前列から馬に乗った伝令が走って来た。
「監督官殿! 貴族街の入り口に王城からの出迎えが来ております!」
予想通りだ。マルツォは軽く頷いた。
「そうかい。相手は誰だ? 俺が知ってるヤツならいいんだが」
「はい! 出迎えに来られましたのは百勝ステラーノ殿! 監督官殿の祖父殿でございます!」
伝令の言葉にマルツォは驚きのあまり、危うく馬から転げ落ちそうになってしまった。
次回「和解」




