その372 ~少年の凱旋~
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”七将”百勝ステラーノの孫、マルツォが出した先ぶれが王都アルタムーラに到着したのは昼前の事だった。
予定通りに行軍が進めば、明日の昼頃にはそちらに到着する。
東サンキーニに現れた人食いの化け物――天空竜を討ち取ったマルツォ率いる部隊が、明日の昼頃にこの王都に凱旋する。
この報せは瞬く間に王城を駆け巡り、更には王城を飛び出し、その日の内に町の者達も知る所となった。
人の口に戸は立てられぬ、とは言うが、驚くべき情報拡散力である。
それ程マルツォの活躍は人々の耳目を集めていたとも言える。
その日の夜。王都の町では、このホットな話題に沸き返った。
明けて翌日。
町の者達は日が昇ると共に、噂の人食いの化け物とやらと新たな英雄の姿をひと目見ようと、町の東門へと詰めかけた。
続々と集まる民衆の姿に、衛兵達は慌てて彼らの上司へ報告。
衛兵隊の隊長は「これは自分達の手には余る」と判断。王都騎士団へと泣きついた。
この報せを受けて、先日、横領の罪を問われて失脚した元団長に代わり、副団長から団長に昇格したばかりの女騎士、リヴィエラは急遽部下達を招集。
自ら部隊を率いて東門の警備任務へと赴いたのであった。
町の者達も、普段から馴染みのある衛兵相手ならともかく、王都騎士団を――貴族を相手に下手な事は出来ない。
彼らは大人しく騎士団員達の指示に従った。
こうして東門での混乱は最小限のうちに抑えられたのだった。
ここは町の東門。
門の上から群衆を見下ろす凛とした佇まいの女騎士に、鋭利な印象の青年騎士が駆け寄った。
「ビアンコ団長(※ビアンコは女騎士リヴィエラの家名。男爵家)。ここは私が引継ぎます。団長は下がって休んで下さい」
女騎士リヴィエラは、副官の青年騎士ラルクの言葉に軽くかぶりを振った。
「そうはいかん。なにせこれからやって来るのは大モルト軍の部隊だ。もし民衆が暴走して、何かあってからでは遅い。私が目を離す訳にはいかんよ」
「それは・・・いえ、確かにそうですね。私の発言は軽率でした」
「なに、気にするな。それに今日は暖かい。こうして門の上に立っていても、寒さを感じるどころかむしろ軽く汗ばむくらいだ。寒い中をやせ我慢せずに済んでいるだけ随分楽というものだよ」
リヴィエラは良く晴れた青い空を見上げた。
実際、今日の空は青く晴れ渡っており、照り付ける冬の日差しの中、ここしばらくの間では一番高い気温になっていた。
副官のラルクは困り顔で苦笑した。
「もしも雪でも降っていれば、余程の物好き以外はみんな家の中に引きこもって、こんな風に我々が出なければならなくなったりはしなかったでしょうね」
「ん? ふむ、そういう見方もあるのか。なる程。見物客達にとっては幸運なこの天気も、我々王都騎士団にとってはいい迷惑だとも言える訳だな」
リヴィエラは「なる程なる程」としきりに感心しながら頷いた。基本的に生真面目な性格なのだ。
副官のラルクは、少しやり辛そうにしながら踵を返した。
「分かりました、それでは私はこれで。ああ、そうだ。見物客はまだ増え続けています。大モルトの部隊が到着する頃にはこの倍、いや、数倍になっているかもしれません。なので今からあまり無理をしないようにして下さい」
「えっ? この数倍・・・」
リヴィエラは驚きの表情で眼下の光景を見回した。
そして彼女は申し訳なさそうに小声で副官を呼び止めた。
「待ってくれ、ラルク。・・・ええと、だったら少しだけこの場を任せてもいいかな? 実は今朝は少々寝坊して朝食を食べ損ねてしまってな。今の間に何かお腹に入れておきたいと思っていた所だったのだ」
「少しと言わずにごゆっくりどうぞ。腹が減っては何とやらと言いますからね」
「そ、そうか、済まない。助かる」
リヴィエラは副官にこの場を任せると、急ぎ足で衛兵の詰め所に駆け込んだ。
副官のラルクは背筋を伸ばすと、団長に代わってこの場の警戒任務を引き継いだのであった。
そんな事もありつつ、やがて太陽が空の頂点に達した。
この頃になると、東の街道から町に入って来る者の姿はほとんどなくなっている。
誰だって占領軍の部隊と一緒に移動なんてしたくはない。つまりこれはマルツォ達が近付いているという証拠でもあった。
こうして更に待つ事しばらく。やがて東の彼方に薄っすらと土煙が――大勢の人間が移動する際に立てる土煙が――浮かび始めた。
「おい、来たぞ!」
「ああ!」
見物人達が今か今かと待ち構えるその前に、いよいよマルツォの率いる部隊が姿を現したのであった。
大きな歓声が王都の東門を揺るがせた。
遡る事半年前、この国の第二王子カルメロが部隊を率いて魔獣を(※クロ子を)討伐に出た時でさえ、これ程の歓声は上がらなかっただろう。
とはいえ、あの時は被害のほとんどは他国の軍勢であり、この国で犠牲になったのは第一王子アルマンドただ一人。
しかも現場となった場所はメラサニ山の山の中であった。
それに対して今回、天空竜の被害に遭ったのは東で一番の大都市ランツィの町。
どちらの事件がより、民衆の関心を集めるかは、わざわざ言うまでもないだろう。
「おい! 頭を下げろ! 後ろが見えねえだろうが!」
「押すなよ! ここには女子供もいるんだぞ!」
「う~ん、噂の指揮官はどこにいるのかしら。ひょっとしてもう通り過ぎちゃったとか?」
「バカね、偉い人が自分の足でなんて歩く訳ないでしょ。偉い人達はもっと後ろの方、馬に乗っている人達がそうよ」
隊列は初めに歩兵部隊を率いる騎兵が。次に荷物を持った徒歩の歩兵が続き、その後ろに騎馬隊が続いた。
その騎馬隊の先頭。
ひと際目立つ立派な毛並みの馬の上に、派手な鎧に身を包んだ若武者の姿があった。
彼こそがこの部隊の指揮官。天空竜を討伐した新たな英雄。”七将”百勝ステラーノの孫、マルツォ・ステラーノその人であった。
「お、おい、あの腕・・・」
「ああ、きっと化け物との戦いでやられたんだな」
「お可哀想に」
しかし、市民から注がれる視線と声は憧れや賞賛のそれではなく、同情的と哀れみのものだった。
そう。彼らは、マルツォの片腕が無い理由を、天空竜との戦いによる負傷だと勘違いしたのである。
なぜこんな勘違いが起きたのか?
当然の話だが、大モルト軍はマルツォの裏切りの件を、わざわざ一般に公表したりはしていない。
そこで事情を知らない見物人達は、彼のケガと天空竜との戦いを頭の中で勝手に結び付け、マルツォの事を、重傷を負いながらも化け物を倒した勇敢な若者だ、と勘違いしたのである。
ちなみに、この何とも言えない勘違いは、生暖かい空気としてマルツォ本人にもバッチリ伝わっている。
見栄もあって馬上では無表情を貫いているが、心の中では「冗談じゃねえ」と舌打ちの一つも漏らしたい気持ちになっていた。
(なんてこった。とんだ恥っさらしじゃねえか。王城から出迎えが来るかもしれねえと考えて、わざわざ町の外で馬に乗り換えたんだが、こんな事になるなら今まで通り大人しく馬車に乗っていれば良かったぜ・・・)
武人のくせに軍馬に跨らず、馬車に乗っていては、まるで婦女子のようだと侮られるかもしれない。などと考えたのが失敗だったようだ。
マルツォはまさか自分から本当の理由を声高に吹聴する訳にもいかず、かと言って今更馬車の中に逃げ込む訳にもいかず、憮然としたまま愛馬の背に揺られ続けるのであった。
「「「「オオオオオオオオッ!」」」」
その時、マルツォの後方でひと際大きなどよめきが上がった。
隊列の後方に位置する特別製の大型荷車。その荷車の上に乗せられた天空竜の剥製が東門をくぐり、市民の前に姿を現したのである。
「す、スゲエ! なんてデカイ竜だ! こんな化け物が本当にメラサニ山にいたのかよ!」
「見ろよあの太い前脚! 爪なんてまるで肉屋が使う包丁みたいじゃないか!」
「キャアアアアア!」
「うわあああああん! ママーッ!」
「大丈夫、大丈夫よ。あれはもう死んでいるから。そこの兵隊さん達がやっつけてくれたのよ」
女性の悲鳴、驚きの声、子供の泣き声。東門のすぐ横は一転、大騒ぎとなった。
「おい、何だよこの騒ぎは?!」
「ちっとも見えねえぞ! 頭を下げろよ!」
不穏な空気に見物人達の間に動揺が広がる。
騒ぎが暴動にまで発展しなかったのは、この場にリヴィエラ達王都騎士団の存在があったからこそであった。
苛立ちに怒りの表情を浮かべる見物人達。しかし、彼らの不満顔も荷車が目の前を通過するまでであった。
「「「「ワアアアアアアアッ!」」」」
「「「「ウオオオオオオオッ!」」」」
天空竜の剥製が移動するにつれ、大きなどよめきがウエーブのように見物人達の間に広がっていく。
「スゲエ! スゲエ!」
「正直、どうせ大袈裟に言ってるだけだろうって舐めてたが、いやいや、コイツはマジモンだぜ!」
市民達の興奮の声が湧き上がる中、マルツォの部隊は市民の住む一般区画を抜けて商業区画へ、そして貴族街へと入って行くのであった。
次回「祖父との再会」




