その370 ~胸の小さな痛み~
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どうしてこうなってしまったのか。
ミルティーナ王女は、ともすれば癇癪を起しそうになる自分の心を懸命に押さえていた。
(一体何なのよこの子は! ルベリオ! あんたなんで仕事先で女をひっかけて来るのよ!)
王女とテーブルを挟んで向かい側に座っているのは、明るいオレンジ色の髪を三つ編みにした少女。
サイラムの町の守備隊長コルストの娘、ナタリアであった。
つい一時間程前まで、ミルティーナ王女は最近になく上機嫌だった。
ようやく久しぶりにルベリオに会える。
そう喜び勇んで、彼の屋敷まで馬車で出向いて来たのである。
ちなみに先ぶれは出さなかった。いきなり訪れてルベリオを驚かせるつもりだったのである。
思えばこれがケチの付き始めとなった。
ルベリオは屋敷を留守にしていたのである。
何でも今朝、急に大モルト軍からの呼び出しを受けて、慌てて王城に向かったとの事である。
王女を出迎えたのは、彼女の知らない可愛らしい少女――ナタリアだった。
「おそらくじきに戻って来ると思いますわ。彼が戻って来たらそちらに連絡するように致しますが、それで問題無いでしょうか?」
その瞬間。ミルティーナ王女は、彼の屋敷で我が物顔でふるまう(※あくまでも個人の感想です)この少女に、強い不快感を覚えた。
もし、この場に王女の兄、イサロ王子がいれば、「だからお前にだけは知られたくなかったんだ」と苦虫を噛み潰したような顔をしたに違いない。
だが王子の不安は的中し、こうして二人の少女は出会ってしまった。
こうなってしまえば、気の強いミルティーナ王女が大人しく引く訳はなかった。
「そう。じきに戻って来るのね。ならばそれまでここで待たせて貰うわ」
王女は周囲の者達が止める間こそあれ、ズカズカと屋敷の中に入って行ったのであった。
それから場所は移って屋敷の応接間。
ミルティーナ王女の相手はナタリアとハディックが務める事になった。
ハディックはナタリアと一緒にサイラムの町からルベリオに付いて来た、半グレ集団のリーダーだった青年である。
この二人が相手をする事になったのは、不機嫌さを隠そうともしない王女の相手をするのを誰もが恐れたのと、王女自身がサイラムの町でのルベリオの話を聞きたがった事、それを聞いたナタリアが、「いいですよ」とアッサリ引き受けたためである。
ナタリアとハディックは(※主にナタリアが)ルベリオとの出会い、そしてなぜ自分が彼と一緒にこの王都へ来る事になったのかを説明した。
「私としては、彼が手柄を立てるのに協力出来ただけで良かったんですが、彼から直接、『実際に作戦を立ててくれたのは君なんだから、僕だけが褒美を頂く訳にはいかないよ』って言われてしまって」
「ふ、ふぅん、彼、ねえ。ルベリオはあなたにそんな事を言ったのね。へえ」
ピキピキッ――
先程からミルティーナ王女のこめかみには青筋が浮かびっぱなしである。
怒りが王女の指先を震わせ、手に持ったカップが受け皿に当たってカチカチと小さな音を立てた。
ここまで来れば、何も事情を知らない屋敷の使用人達でも、おおよそを察して来る。
(ナタリア様、止めて下さい! お願いだからこれ以上、王女殿下を煽らないで!)
届け、この強い願い!
しかし、残念ながら彼女達の心の祈りはナタリアには欠片も届かなかった。
彼女はそれはそれは嬉しそうに、自分とルベリオとの間の出来事を話し続けた。
(だ、ダメだ! これ以上は俺の心臓がもたねえ!)
息をするのもはばかられるような緊張感に、半グレのリーダーハディックはギブアップ。
彼は適当な理由を付けると、この張り詰めた空気漂う空間から、這う這うの体で逃げ出した。
自分だけズルイ!
部屋に残った使用人達から、恨みがましい視線がハディックの背中に突き刺さる。
彼女達の中でハディックの評価が下がった瞬間であった。
ミルティーナ王女は彼の退出をとがめなかった。王女がロックオンしているのは目の前のオレンジ色の髪の少女であって、ハディックは最初から彼女の目には入っていなかったからである。
ナタリアのルベリオに対しての気安い雰囲気。そして彼の屋敷で我が物顔で振る舞うその態度。それら全てがミルティーナ王女の癇に障った。
王女が感情を爆発させなかったのは、王女として感情を抑える教育を受けていた事。そして今、この場で問題を起こせば、二度とこの屋敷に来るのを許されなくなると思ったからであった。
(元々は平民だったルベリオには、私よりもこの子の方が魅力的に映るのかも)
その想像はミルティーナ王女にとって痛みが伴うものだった。
王女は自分の容姿にはそれなりに自信があった。
まだ成長期なので未来の事までは分からないが、母親の美貌を見る限り、将来は自分も母のような美人になるのではないかと思っていた。
しかし、ナタリアの明るさ、親しみやすい性格、可愛らしさは、決して自分にはない物だった。
(ルベリオは、この子の事が好きなのかもしれない)
それは考えたくもない想像であった。
そう。ミルティーナ王女の心に浮かんだ苛立ち。それは自分にはない魅力を持つこの少女に対しての嫉妬心でもあり、しばらく会わない間に、彼の心が自分から離れてしまったのではないかという不安の裏返しでもあったのである。
王女が胸の痛みに小さくため息をついたその時だった。
「ハア、ハア・・・。なんだ、ハディックの話だと今にも取っ組み合いのケンカが始まりそうな感じに聞こえたけど、穏やかな雰囲気じゃないですか」
「いや、お前にはこの光景が穏やかに見えるのかよ」
部屋の入り口に振り返ると、そこには彼女達の良く知る少年の姿があった。
少年はここまで屋敷の中を走って来たのか、軽く息を切らせていた。
「「あっ、ルベリオ!」」
ミルティーナ王女とナタリアは同時に彼の名前を呼んだのであった。
「屋敷の特徴を貴族街に詳しい使用人に聞いたら、直ぐにここだって分かったわ」
「そうなんですか」
「王女殿下は聡明でいらっしゃるのですね」
王女の説明に感心するルベリオとナタリア。
不思議なもので、こうして彼と話しているだけで、ミルティーナ王女の心の中からはさっきまでの苛立ちがウソのように消えて無くなっていた。
変わって生まれて来たのは、もっとこうして話していたい。ずっとこうして一緒にいたいという、湧き上がるような喜びの感情であった。
先程まで部屋に立ち込めていたギスギスとした空気はどこかに消え去り、同年代の少年少女達の作りだす和気あいあいとした雰囲気がそこにはあった。
王女はルベリオに命じた。
「ルベリオ、サイラムの町の話が聞きたいわ。話して頂戴」
「えっ? けど――あ、いや、分かりました」
ルベリオは一瞬、「だったらナタリアの方が」と彼女の方へ振り返ったが、その町で生まれ育った人間には当たり前の事でも、他所から来た人間にとっては珍しくて新鮮に映る事もあるだろうと思い直した。
「そうですね。ええと、僕は商人の息子としてサイラムの町に――」
「ちょっと待って」
ミルティーナ王女は、ルベリオが自分の正面に――ナタリアの隣に座ろうとしているのを見て、すかさず立ち上がった。
「ルベリオはこっちに座りなさい。私がそっちに座るわ」
「えっ? あ、はい。分かりました」
二人は場所を入れ替わり、ルベリオが一人で、王女とナタリアが二人で並んで座った。
ナタリアは「何だかルベリオの報告会みたいね」と楽しそうだ。
逆にルベリオは少女二人にマジマジと見詰められ、少し居心地が悪そうにしている。
「ええと、ハディックはどうする? そっちに座る? それともこっちに来て僕の横に座る?」
「おい、よせ。俺を巻き込むな」
入り口に立ったまま、ポカンとした顔でこちらを見ていたハディックは、ルベリオの声に慌てて廊下の向こうに姿を消した。
「・・・別に逃げ出さなくてもいいのに」
「それより早く。向こうで何があったか話して頂戴」
「う~ん、大抵の所はさっきナタリアから聞いているんじゃないかと思いますが――」
こうしてルベリオはサイラムの町での出来事を話し始めた。
当然、話せない事は――例えば大モルト軍の諜報部隊に所属していると思われる商人ホルヘについて等は――あるにしろ、それ以外は出来るだけ正確に、相手に誤解を生じさせないように正直に話したつもりである。
ルベリオの性格が伝わるようなその内容に、ミルティーナ王女だけでなく、ナタリアまで感心しながら彼の話を聞いていた。
「前から思っていたけど、ルベリオって話をするのが上手いわよね。分かりやすいと言うか、整理されているって言うか」
「きっと頭がいいからじゃないでしょうか? 私は人に説明するのが苦手だから羨ましいです」
ルベリオは、二人共思い込みが強くて落ち着きがないから。とは思ったものの、口に出すような事はしなかった。
言っても機嫌を損ねるだけで、誰も得をしないと分かっていたからである。
日が傾き、とうとう王女が屋敷に戻る時間となった。
馬車まで見送りに出たルベリオ達に、王女は元気よく振り返った。
「また来るわね」
「次は先ぶれを出して下さいね。今日みたいに留守にしている時もありますから」
ルベリオの言葉に、王女はナタリアを見つめた。
「――その場合は、またナタリアに話を聞いて貰おうかしら」
「ええ、喜んで」
その時、一瞬だけ二人の間に張り詰めた空気が流れた気がした。
使用人達がハッと息を呑む中、ルベリオだけは全く気付かずにいつもの笑みを浮かべている。
顔にキズのある青年ハディックが、疲れた顔を逸らすとボソリと呟いた。
「・・・お前、コレに気付かないとか本当にスゲエよ。どういう神経してんだ」
「ん? 何か言いましたか?」
「いや、何でもない」
こうしてミルティーナ王女はルベリオの屋敷を後にしたのだった。
その後、王女は何度もこの屋敷を訪れるのだが、幸い、今回のように険悪な空気になるような事はなかったのであった。
次回「町の噂」




