その366 ~メス豚捕獲作戦~
◇◇◇◇◇◇◇◇
煌々と明かりに照らされた村の中。松明を持った亜人の男達が息を切らせながら走っていた。
「いたか?!」
「ダメだ、どこにも見当たらない!」
どのくらいこうして走り回っているのだろうか。冬の夜だというのに彼らの顔にはビッシリと汗が浮かび、体からは白い湯気が立ち昇っている。
額に小さな角の生えた小柄な青年が、冬の星空を見上げて呟いた。
「クロ子のヤツ。どうしてしまったんだ?」
青年は――クロコパトラ歩兵中隊の副官、ウンタは――宙浮かんだピンククラゲに気付いて尋ねた。
「スイボ。クロ子の居場所は分かるか?」
『把握済み』
水母のピンククラゲボディーから細い触手が伸びると、空中をフラフラと彷徨った。
「・・・ええと、その先にいるって事でいいのか?」
『肯定。先刻から村の周囲を不規則に高速移動中』
その時、まるで彼らの会話に答えるかのように、不気味な鳴き声が響き渡った。
「ブキキキキイイイイイイッ!」
次の瞬間、黒い小さな影が彼らの頭上を横切った。
子豚の体。額には四つの角。クロ子だ。
「見つけた! クロ子だ!」
「あっちに行ったぞ! 追え! 絶対に見失うな!」
男達は「俺達の魔法!」慌てて自身に身体強化の魔法をかけると、クロ子の後を追いかけた。
ピンククラゲの姿があっという間に後方に置いて行かれる。
一体何でこんな事に。
ウンタは熱くなった頭で今までの出来事を振り返った。
各家庭で夕食の仕度が終わろうかという時間に、それは起こった。
「おっ。クロ子じゃないか。珍しく外に出ていたのか? ――おや?」
最初にクロ子を見つけたのは、村の中年男性だった。
彼はクロ子がフラフラと体を揺らしながらたどたどしい足取りで歩いているのを見て、戸惑いの表情を浮かべた。
「どうしたんだクロ子。大丈夫か? 熱でもあるんじゃないか?」
男はクロ子の事を心配しながら、彼女に声を掛けた。
するとクロ子は初めて彼に気付いたのか、パッと素早い動きで距離を取ると、「ブキイイイ!」と威嚇するように吠え始めた。
「お、おい、クロ子どうしたんだよ?」
「ブキ! ブキ! ビキャアアアア!」
クロ子は男に吠えると、勢い余ってその場でゴロゴロと転がり始めた。
クロ子の異様とも思える反応に、男は慌てて駆け寄った。
「クロ子、落ち着け。何をそんなに怒ってるんだ? いいから大人しくしろって――って、お前臭くないか? 何なんだこの変な匂いは?」
男はクロ子から漂って来る腐ったような匂いに眉をひそめた。
豚はキレイ好きな動物として知られている。
これは豚の先祖、イノシシにも見られる習性で、匂いで天敵(熊などの肉食獣)に居場所がバレないようにするためである。そのためイノシシはトイレは小川の中にするのだとか。
中でもクロ子のキレイ好きは村でも有名で(※前世では人間だったクロ子としては当然の身だしなみなのだが)、男もこんな風に彼女を臭いと感じた事など一度もなかった。
この騒ぎを聞きつけたのだろう。近くのドアが開くと、その家のオバサンが顔を出した。
「なんだい、人の家の前でギャンギャン騒がしいね。クロ子がどうかしたのかい?」
すると今までジタバタと地面を転がっていたクロ子が、いきなりパッと立ち上がった。
「えっ?! ちょっ! キャッ!」
オバサンの足元を黒い疾風と化したクロ子が駆け抜け、彼女は見た目にそぐわぬ可愛らしい悲鳴をあげた。
そして次の瞬間――
ガチャーン!
「わっ?! 何だ何だ?!」
「く、クロ子?! 何するのよ!」
「うわああああああん!」
家の中でけたたましい音と共に家族の叫び声が上がった。
「ちょっと何を――って、クロ子! あんた一体何やってんの!」
オバサンが見たのは、ひっくり返った食卓と、驚いて部屋の片隅にかたまる家族達。そして床にこぼれた晩御飯をブヒブヒと貪るクロ子の姿だった。
旦那が怒りも露わに立ち上がった。
「こら! クロ子! ウチの飯になんて事しやがる!」
「プギャー!」
クロ子は一声威嚇するとダッシュ。
家の中を所狭しと駆け回った。
「うわっ! バカ! よせ! 止めろ!」
「いやーっ! クロ子止めて!」
「うわああああああん!」
バッタンバッタン、ドタドタドタドタ。
旦那は慌てて床に伏せ、子供は怯えて泣きじゃくる。
この騒ぎを聞きつけて、村中の者達が集まって来た。
「おい、大丈夫か?! 何が起きてるんだ?!」
「家の中で暴れているのって、あれ、クロ子ちゃんじゃない? 一体何があったの?」
その時クロ子がドバン! 勢い良く窓を突き破って外に飛び出した。
「うわっ!」
クロ子は空中で半回転。向かいの家の壁を蹴ると、その勢いのまま別の家に飛び込んだ。
ガシャーン! ドカーン! バキベキ!
「ああっ! ウチの家が!」
「おまっ! クロ子! 何やってんだ!」
家の者達が慌てて駆け込むと、中はグチャグチャの荒れ放題。
まるで嵐が通り過ぎた後ような家の中に、クロ子はひっくり返った鍋に頭を突っ込み、クチャクチャと音を立てながら中の料理を頬張っていた。
「く、クロ子! テメエ! よくも俺の家の晩飯を!」
「ピギャーッ!」
クロ子は一声吠えると再びダッシュ。咄嗟に捕まえようとした男の手を素早く掻い潜ると、今度は向かいの家に飛び込んだ。
ガシャーン! ドタドタドタ!
「あーっ! ウチの晩飯が!」
「ヤバイぞ、みんなクロ子を止めろ! 誰かクロカン(※クロコパトラ歩兵中隊)の隊員を呼んで来てくれ!」
こうして村の男達総出によるクロ子捕獲作戦が始まったのであった。
「ウンタ、もう限界だ。コイツを使おうぜ」
クロカンの一人が――第二分隊の強面の分隊長、トトノが細い筒状の鉄の武器、魔法銃を掲げた。
「バカを言うな! トトノ、お前クロ子を殺す気か?!」
「脅しに使うだけだって。弾丸さえ入れなければ何も危険はないだろ?」
魔法銃は魔法の力で空気を圧縮して弾丸を打ち出す、一種の空気銃である。
トトノのアイデアは、圧縮した空気が破裂する音で――つまりは空砲でクロ子を威嚇しようというものだった。
「クロ子だって魔法銃の威力は知っているだろ? なにせアイツが作った武器なんだ。驚いて足が止まった所を俺達で捕まえるんだよ」
「なる程、行けそうじゃないか? やってみようぜウンタ」
「そうそう。こうして追いかけていても、全然、捕まえられる気がしないし」
隊員達は次々にトトノの提案に同意した。
彼らが焦る気持ちも分かる。
クロカンの隊員達でクロ子を追い始めて数分。彼らはクロ子の無秩序な動きに翻弄され、捕らえるどころか追い付く事すら出来ずにいた。
「そうだな――」
ウンタが思案顔になったその時だった。
「ピギャーッ!」
クロ子のたまぎるような悲鳴が辺りに響き渡った。
「クロ子?!」
「おい、見ろ! 上だ!」
星空を切り裂いて飛び上がる大きな影。
「大鳥竜か!」
そう。それはハイエナ竜こと大鳥竜の姿だった。
その大きなかぎ爪には黒い子豚が――クロ子が捕らえられていた。
鳥はよく鳥目と言われ、夜は目が見えなくなるので飛ばないと思われがちだが、例えばカラスの視力は人間の五倍と言われている。
つまりは人間が出歩けるような明るさがあれば、鳥も十分に飛ぶ事が出来るのである。
どうやらこの大鳥竜は村の灯りに誘われてやって来た所に、偶然手ごろな獲物を――クロ子を発見。闇に紛れて上空から襲い掛かったようである。
「くそっ! 大鳥竜のヤツめ! まだ生き残りがいやがったか!」
慌てて魔法銃に弾丸を込めようとするトトノをウンタが遮った。
「待て! クロ子に当たるかもしれない!」
「んなコト言ってる場合かよ! クロ子が食われちまうぞ!」
「プギャアーッ!」
その時、クロ子が大きく吠えると、パーンッ! 大きな破裂音と共に大鳥竜の上半身が粉々に吹き飛んだ。
クロ子の魔法。極み化された最も危険な銃弾が炸裂したのである。
「バカ、何やってるんだよ! 落ちる――?!」
ウンタ達がギョッとする中、クロ子は大鳥竜の下半身を蹴りつけると大きく跳躍。近くの木を蹴ると次は空中で回転。スタッと地面に降り立つと、何事もなかったかのようにそのまま遁走に移った。
「アイツ・・・メチャクチャだな。いや、知ってたけど」
「クロ子の事は心配するだけ無駄だな。まあ、知ってたけど」
クロカンの隊員達は毒気を抜かれた様子で疲れた顔を見合わせた。
ウンタは小さくかぶりを振るとトトノに振り返った。
「トトノ、さっきの魔法銃の話だが、試すのは止めておこう」
「何でだよ。このまま追いかけていても――」
「さっきの大鳥竜を見ただろう? もし、クロ子が自分が攻撃されたと思って魔法で反撃して来たらどうする? 次はお前がああなるんだぞ?」
ウンタの指差す先には、大鳥竜の羽根が大量に散っていた。
クロ子に蹴り飛ばされた下半身は暗闇の中、どこかに落ちたのか影も形もなかった。
トトノは自分の上半身が粉々に消し飛ばされる姿を想像したのだろう。顔をこわばらせると大人しく魔法銃を背負い直した。
その時、冬のメラサニ山にクロ子の遠吠えが響き渡った。
「ピギャアアアアアアア!」
その声に触発されたのだろう。野犬達の遠吠えが後に続いた。
「アオオオオオオン」
「ウォウ、ウォウ、ウオオオオオオオン」
彼らの熱い夜はまだ続くのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。私は冷たく凍った地面の上で目を覚ました。
『うん、ここってどこ? ――って、痛っ! 頭痛っ!』
私は激しい頭痛を堪えながら辺りを見回した。
次回「メス豚と昨夜の騒ぎ」




