その361 ~王城のイサロ王子~
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サンキーニ王国、王都アルタムーラ。
その王城一室で二人の男が向かい合っていた。
親子程歳が離れたその二人。いや、我々現代人と比べて婚期が早いこの世界では、祖父と孫と言ってもいい年齢かもしれない。
「そうか、マルツォ殿がランツィから戻って来るのか」
そう言って頷いたのは、イスに座っている若い男。
年齢は十七・八。巻き毛の金髪に整った顔立ち。
彼の名は、イサロ・サンキーニ。この国の王子である。
「ええ。我が殿に報告をするそうです。なんでも例の人食い竜の死体も見られるとあって、今、城ではその噂で持ちきりになっておるようですな」
初老の男は、王子の副官のマイネイラ。
彼の所属は大モルト軍。
そう、イサロ王子の副官とはあくまでも表向きの立場。彼の本当の任務はイサロ王子を見張る事にあった。
「いやはや、それにしても人を食らう巨大な竜とはな。我が国としては、たまたまあの町にマルツォ殿がいてくれて助かったといった所か」
大モルトに名高い”七将”の一人、百勝ステラーノの孫マルツォが、赴任先の町ランツィで天空竜と呼ばれる人食いの巨大竜を討伐したという噂は、年明けと共に王城に広まっていた。
とはいえ、多くの者達はこの話に対して懐疑的であった。
なにせマルツォはつい数か月前に利き腕を失ったばかりなのである。
いかに武勇に優れた彼でも、流石にこればかりはどうだろう。
腕が立つ者程、そう考えて疑う傾向が強かった。
そんな中、マルツォ本人が天空竜の死体を持参して報告に来るという話が聞こえた。
ならば是非、その人食い竜とやらを拝ませて貰おうではないか。もしも大した事のない手柄を大袈裟に騒ぎ立てていただけならば、殿の面前で嘲笑ってやろう。
大モルト軍の将達は、好奇心半分、野次馬根性半分といった感じで、マルツォの到着を楽しみに待ち構えていた。
「そういえばメラサニ山には、法王国の部隊を滅ぼし、ハマスの軍を撃退した魔獣が住んでいるのでしたな。ならばそのような竜がいても不思議はないのかもしれません」
「お前達大モルトの人間は、この国の事を化け物共のはびこる大魔境とでも思っているのか? ハッキリ言っておくが、俺はそんな化け物竜の話など一度も聞いた事がないぞ。噂の出所がマルツォ殿でなければ鼻で笑っていた所だ」
イサロ王子は件のマルツォという少年と会った事がある。
王都に戻る直前、王子は彼の腹心、クロ子のいう所のショタ坊ことルベリオ少年と面会したのだが、その段取りを付けてくれたのがマルツォだったのである。
その時、マルツォと交わした言葉は多くはなかったが、それだけでも彼の人となりはおおよそ理解出来たように思う。
あの真っ直ぐな少年が、目先の手柄欲しさに主人に対して浅はかなウソや大袈裟な報告をするとはとても思えなかった。
「違いありませんな」
副官のマイネイラは王子の言葉に深く頷いた。
先程も説明したように、副官のマイネイラは王子に付けられた見張り役である。
しかし、二人の間には特にこれといったわだかまりはない様子だ。
イサロ王子は自分に見張りが付けられるのは仕方がないと思っていた。だから最初から彼には不満はない。
そしてマイネイラは、この孫程も歳の離れた他国の王子を優れた指揮官だと認めていた。
マイネイラは、というよりも大モルト軍の将兵は、ほとんどの者達が程度の差こそあれ、イサロ王子の事を高く評価している。
一年中戦火が絶える事のない大モルトでは、優れた武人や武将は敵味方関係なく賞賛され、尊敬される傾向が強い。
そしてイサロ王子は、昨年、隣国ヒッテル王国との戦で初陣を飾るや否や、二度に渡る隣国との戦いに勝利し、更には大モルト軍の侵攻時においても、弱兵を率いて”ハマス”オルエンドロ軍相手に善戦している。
もし、彼が十分に戦いの経験を積んだ上で軍の重職に付いていれば。そう、例えば、もし大モルト軍の侵攻が後二年遅かった場合や、逆に王子の初陣が後二年早かった場合、あるいは今日のサンキーニ王国の敗北はなかったかもしれない。
イサロ王子の輝かしい戦績は、周囲にそんな期待をさせるのに十分であった。(※最も、イサロ王子自身は、過大な評価に顔をしかめるだろうが)
そういった理由もあって、イサロ王子は敗戦国の王子の身でありながらも、大モルト軍の将兵達から敬意を持って扱われているのだった。
その時、開け放たれたドアの外で、護衛の騎士が声を上げた。
「イサロ殿下。ベルナルド・クワッタハッホ並びに、アントニオ・アモーゾが参りました」
副官のマイネイラは、王子が気持ちを切り替えるのを待ってから騎士に答えた。
「――入って良し」
「はっ!」
部屋にやって来たのは二人の青年貴族。
線の細い、いかにも宮廷貴族然とした男はベルナルド・クワッタハッホ。クロ子が内心で”優男君”と呼んでいる伊達男である。
骨太のいかにも武人然とした男はアントニオ・アモーゾ。こちらはクロ子から”ガッチリ君”と呼ばれている。
優男君ことベルナルドと、ガッチリ君ことアントニオは、神妙な顔つきでイサロ王子に深々と頭を下げた。
イサロ王子は手で二人に目の前のイスを指し示した。
「挨拶はいいから座れ。特にベルナルド。お前のそんな風な殊勝な姿を見ていると、背中がムズムズして仕方がない」
「しかしながら殿下――」
「いいから座れと言っているだろう。おい、二人に飲み物を持って来てくれ!」
イサロ王子は二人を促すと、隣室に控えている使用人に指示を出した。
やがてお茶が運ばれてくると、ベルナルドは気取った仕草でカップを持ち上げた。
「う~ん、良い香りですな。思えば最後にこうしてお茶を楽しんだのはいつだったか。――豊穣神ディアラの恵みに心よりの感謝を。後はワインがあれば最高ですが」
「おい、ベルナルド! 図々しいぞ!」
「構わん。少しはいつもの調子を取り戻してくれたようでなによりだ。では早速本題に入ろう。先程カサリーニと話をした」
イサロ王子の言葉に、アントニオのみならずベルナルドまでもが背筋を正した。
「だからそう緊張するなと――。問題無くカサリーニ伯爵家で身代金を立て替えてくれたそうだ。近日中に部下共々、全員解放される事になるだろう。領地に戻る準備をしておく事だ」
ベルナルドとアントニオの顔に安堵の笑みが広がった。
「イサロ殿下。部下と実家を代表して感謝の言葉を述べさせていただきます」
「ありがとうございます、殿下。このご恩は一生涯忘れません。この命に掛けましても、更なる忠義に励ませて頂きます」
「よせ。金を出したのはカサリーニだ」
イサロ王子は手を上げて二人に頭を上げさせた。
カサリーニ伯爵の別名は”目利きの”カサリーニ。イサロ王子が大モルト軍と戦っていた時には、彼の副官を務めていただけではなく、実質的な指揮官だった男である。
ちなみにその貴族然とした瀟洒な容貌から、クロ子からはロマンスグレーのオジサマと呼ばれていた。
現在、大モルト軍との戦いで捕虜になった者達は、身代金と引き換えに逐次解放されていた。
ほとんどの者達は彼らの実家が、そしてルベリオ少年の場合はイサロ王子の母方の実家、マサンティオ伯爵家がその代金を支払っている。
しかし、中にはその代金を支払う余裕の無い貴族家もあった。
それがベルナルドとアントニオの実家、クワッタハッホ男爵家とアモーゾ男爵家であった。
クワッタハッホ男爵家とアモーゾ男爵家は、元々はイサロ王子の兄、第一王子アルマンドの派閥に属していた。
アルマンド王子がクロ子の恨みを買い、グジ村の村長邸で暗殺されたために、慌ててイサロ王子の派閥に乗り換えたのである。
大モルト軍との戦いに当たって、二人はそれぞれ実家から千五百の軍を率いて参戦した。
彼らの実家は痩せた土地しか持たない貧乏領主である。そんな両家にとって千五百人の兵士は自分達が用意出来る限界ギリギリの戦力であった。
彼らが無理をした理由。それは早急に手柄を立て、イサロ王子に信用される必要があったためである。
しかし、結果としてこの決断が災いしてしまった。
敗戦後、彼らのほとんどは大モルト軍の捕虜になってしまったのである。
財力もコネもない貧乏領主の彼らは、大モルト軍から提示された高額な身代金は用意出来なかった。
他の捕虜達が次々と解放されていく中、クワッタハッホ男爵家とアモーゾ男爵家の将兵達はずっと捕虜のままだった。
ベルナルドとアントニオも部下達に申し訳なく思っていたが、領地の実情を良く知っているだけに実家に催促する事も出来ない。
二人は実家がどうにかして身代金を用意してくれるのを信じながら、ジッとその時を待っていた。
そんな二人の状況を、イサロ王子は最近になってようやく耳にした。
彼はすぐに二人を呼び出すと事情を尋ねた。
「なる程。大モルト軍に支払うだけの金を用意出来ればいいんだな」
勿論、イサロ王子が代わりに払う事は可能だ。しかし、それをしてしまうと「なんであそこの家だけ」「ウチは自分で身代金を支払ったのに」と、他の貴族家からの不満が爆発してしまう。
そうでなくとも、サンキーニ王家は敗戦の責任を問われる立場にあるのだ。
ここで敵を増やすようなまねをする訳にはいかなかった。
イサロ王子はやむを得ず自分の副官の――大モルト軍から派遣された今の副官ではなく、元・副官の――カサリーニ伯爵に頼み込んだ。
「どうだろう? お前の所で二人の身代金を立て替えてやる事は出来ないだろうか?」
「――そうですな。私も両名には戦場で何度も助けられました。あの者達の優れた才能は、今後、間違いなく殿下のお力となるでしょう。分かりました。この私にお任せください」
丁度、王都の貴族街の屋敷を大モルト軍に売ったばかりのカサリーニ伯爵家には、多少の余裕があった。
こうしてカサリーニ伯爵から、クワッタハッホ男爵家とアモーゾ男爵家、両家の捕虜の身代金が支払われる事になったのであった。
イサロ王子が言うように、確かに金を出したのはカサリーニ伯爵家である。
しかし、今回の件でイサロ王子はカサリーニ伯爵に大きな借りを作ってしまった。
今後、カサリーニ伯爵が考えるように、ベルナルドとアントニオがイサロ王子の下で活躍をすれば、二人を助けたカサリーニ伯爵への借りは、より一層大きなものとなるだろう。
二人にはそれが分かっているからこそ、イサロ王子に深く感謝し、頭を下げたのであった。
ベルナルドとアントニオが部屋から下がると、副官のマイネイラはイサロ王子に告げた。
「本日の面会は以上となります」
「そうか。ならばお前も下がっていいぞ」
「あっ! 殿下、お待ちを!」
その時、二人の会話を部屋の外に立つ護衛の騎士が遮った。
「たった今、新たな面会の希望者が参りました」
副官のマイネイラは不快感に眉間に皺を寄せた。
「・・・それは明日に回せないような相手なのか?」
「そ、それはその・・・殿下が優先されるようにと言われていた相手ですので」
「なに?」
イサロ王子が優先的に取り次ぐように命じていた相手は多くはない。
その少数の一人、実の妹のミルティーナ王女は、ルベリオを外に出した事に対してあまりに頻繁に文句を言いに来たため、最近では居留守を使うように命じている。
いや、そうか。
ミルティーナ王女の事を思い出した瞬間、イサロ王子は不意に面会希望者を直感した。
「そうか、ルベリオ! おい! よもや面会希望者とはルベリオ・ラリエール男爵の事ではないのか?!」
勢い込んで尋ねる王子に、護衛の騎士は驚きながら答えた。
「え? あ、はい。左様でございます」
イサロ王子は騎士の返事を聞くや否や、勢い良くイスを蹴って立ち上がった。
「で、殿下、急にどうされたのですか?! 一体何処へ行かれるおつもりなのです?!」
「ルベリオの所だ! ルベリオに会いに行く! おいお前、ルベリオは今どこにいる! 俺をアイツの所に案内しろ!」
「は、はい! それでしたら私が」
イサロ王子は案内を申し出た使用人の後に続いて、城の廊下を行くのだった。
次回「お前は一体何をやっているんだ?」




