その358 ~次なる戦いへの|誘《いざな》い~
今回で第十章は終了となります。
◇◇◇◇◇◇◇◇
早朝。雪に覆われたランツィの町を歩く若者の姿があった。
まだ少年の面影を残した顔に分厚い防寒用のマント。
昼間は人で込み合う大通りを、少年は足早に歩いて行った。
今はもう三月。暦の上ではそろそろ春になろうとしているが、早朝の寒さはまだまだ収まらない。
少年はマントを強く体に巻き付けた。
今朝は特に冷え込みが厳しく感じられる。
学のない彼は放射冷却の原理など知らなかったが、今までの経験で、晴れた夜の翌朝は寒さが厳しい事を知っていた。
ふと空を見上げ、少年はハッと立ち止まった。
抜けるような青空は早朝の美しいグラデーションを描いている。
少年のそばかすの浮いた顔が緊張に強張った。
どうやら、空の美しさに心を奪われた、という訳ではないようだ。
少年は震える手で槍を構える。この町の守備隊員に支給される武器である。
正確には槍ではなく、戟と呼ばれる武器で、槍とは異なり、柄の先端の刀身(穂)の部分がL字になっている。
戟は、槍のように使つ時には真っ直ぐに突き出し、また、上から下に打ち据えれば、直角に曲がった部分で敵を傷付ける事が出来るのである。
少年の視線の先を鷹だろうか? 大きな猛禽類が翼を広げて横切って行った。
彼は空の影が鳥だった事を確認すると、ホッと安堵のため息をこぼした。
小さなため息は白い煙となって風に流されて行った。
「あの怪物は殺された。もうこの町に現れる事はない。それは分かっているんだけど・・・」
少年は戟を下げるとポツリと呟いた。
彼の言うあの怪物とは天空竜。
昨年の年末、ランツィの町は天空竜の雄の個体による襲撃を受けた。
あの日、少年は天空竜が降り立った南門で警備の役目に就いていた。
突然、空から巨大な影が降って来た。そう思った途端、背筋が凍る程の恐ろしい叫び声が辺りに響き渡った。
次いで白い閃光と凄まじい轟音。
後で聞いた話によると、あれは天空竜の使う落雷の魔法だったのだそうだ。
幸い、雷には当たらなかったものの、天空竜の近くにいた仲間達は黒焦げの死体となった。
あの時嗅いだ不快な異臭を――人間の肉と髪が焼ける匂いを――彼は一生忘れる事はないだろう。
それからはどうなったのか良く覚えていない。
どうやら強く頭を打ったらしく、あの時の記憶は曖昧なのだ。
気が付いた時には焼けた家のすぐ横で、半分瓦礫に埋もれた状態で倒れていた。
「けど、俺は運が良かった」
少年は倒れて動けなくなっている所を、知らない青年に助けられた。
貧乏な村人が着るような粗末な服。足は裸足で靴も履いていない。体は細身だが、ガッシリとしていて良く鍛えられているのが分かった。額にはまるで角のような尖ったコブ状の出っ張りが伸びている。
だが最も特徴的なのはその異形な顔立ち。
青年は鼻から下が前に突き出した、まるで犬や猫のような顔をしていたのである。
そんな半人半獣面の人間達が四~五十人程。
天空竜に荒らされた南門の付近を歩き回り、まだ息のある者達を助けていたのであった。
これも後で聞いた話だが、彼らはメラサニ山の奥地に隠れ住む亜人達だという。
たまたまこの町に来ていた所に、今回の騒ぎに遭遇。
救出作業を手伝っていたとの事である。
あの時、怪物の姿が見当たらなかったのは、彼らの使役する魔獣が天空竜を町の外まで連れ出していたためらしい。
彼が助け出された直後、南門付近の城壁が崩れ、更には天空竜が二度目の落雷の魔法を使った。
もし、あの場所に倒れたままでいたら、今頃彼の命は無かっただろう。
少年は彼と同じように助けられた仲間と共に、守備隊の詰め所で治療を受けた。
その後、ひと月程は自宅のベッドで寝込んでいたが、先月からリハビリを開始し、つい先日、ようやく元の仕事に復帰したのである。
少年が今日の担当場所である町の東門に到着すると、城壁の上から夜勤の隊員が手を振った。
「よお、ロッコ! 城壁の上に登る前に、詰め所の中にマントがあるからもう一枚羽織って来い! 今朝は冷えるぞ!」
「分かってる、兄貴! 家を出る前に母さんに同じ事を言われたから! ちゃんと中に着込んで来たから大丈夫だ!」
少年は――ロッコはそう言うと、軽くマントを広げてみせた。彼はマントの下にコートを着ていた。
城壁の隊員は――ロッコの兄は、白い歯を見せて笑うと、「じゃあ引継ぎをしようか」と城壁の上を歩き始めた。
「むっ」
ロッコが男の声に振り向くと、浅黒い肌の中年の守備隊員が立っていた。
ランツィの町の守備隊長バシッドである。
バシッド隊長はロッコから目を反らすと、足早に詰め所に去って行った。
「ロッコ、どうかしたのか? ――チッ。アイツか」
ロッコの兄は弟が立ち止まったのを見て、辺りを見回すと、バシッド隊長の姿を見つけて露骨に顔をしかめた。
更にバシッド隊長が詰め所のドアを開けると、中から聞こえていた雑談の声がピタリと止まり、中にいた隊員達が舌打ちをしながら外に出て来た。
「よお、ロッコ。交代の時間か」
「体はもう大丈夫か? 今朝は冷えるぜ」
彼らはロッコの姿に気が付くとしかめっ面から一転。笑顔を見せながら声を掛けて来た。
ロッコは同僚の変わり身の早さに小さく苦笑した。
町が天空竜に襲われたあの日、バシッド隊長は隊員達を見捨てて真っ先に逃げ出していた。
その件があって以来、バシッド隊長はすっかり部下からの信頼を失ってしまった。
特にロッコの兄は、弟を助けてくれるように頼んだのに、すげなく彼に断られている。
結果としてロッコは助かったのだが、あれ以来、彼はバシッド隊長を毛嫌いするようになっていた。
ちなみに、バシッド隊長は逃げ込んだ代官屋敷に天空竜が落下した事で負傷しているのだが、それすらも隊員達からは物笑いの種にされていた。
バシッド隊長は、彼を取り立ててくれていた代官のボンティスが死に、また、新たに大モルトから監督官がやって来たことによって、かつての影響力を失ってしまった。
彼は今でもまだ隊長の立場にこそあるものの、部下からの冷たい対応にすっかり卑屈になり、周りの目から隠れるようにしながら毎日針のムシロの上にいるような生活を送っているのだった。
太陽が昇って来ると、肌に日差しの温かさを感じるようになった。
ロッコは城壁の上で、寒さで強張っていた体をほぐした。
ふと背後を振り返ると、ランツィの町はすっかり元の賑やかさを取り戻している。
ここからでは見えないが、南門の崩れた城壁の修理も、急ピッチで進められているという。
「流石は大モルトの監督官様だ。片腕を失くした体であの怪物を二匹も倒した上に、町の代官の仕事も問題無くこなしているなんて。いや、母さんの話だと、今までより商人が品物の値段を誤魔化さないようになったとか。生活がしやすくなったって喜んでたっけ。あの監督官様、見た感じ俺とそんなに歳も変わらないくらいなのにスゴイよな」
大モルトの監督官マルツォ・ステラーノの統治は、概ね町の者達に好意的に受け入れられていた。
流石に天空竜を討伐した直後のような過剰な持ち上げ方はされていないものの、町が概ね今まで通り、何の問題もなく統治されている(※一部、隣のヒッテル王国と特に繋がりが強かった商人は別として)事。そして大モルト兵達が恐れられていたような乱暴を働いていない事もあって、彼は町の支配者としての地位を確固たるものにしていた。
「そういや、メラサニ山の魔獣が監督官様が怪物を倒すのに協力したって話だったな」
メラサニ山の魔獣。
魔獣は噂で聞いていたような恐ろしい姿ではなく、角の生えた小さな子豚の姿をしているという。
「あの時、俺が見た黒い小さな獣。よく覚えていないけど、あれが魔獣だったのかなあ」
ロッコが半分瓦礫に埋まり、意識が朦朧としていた時、ジッとこちらを見ていたちいさな黒い獣の姿があった。
もし、あの光景が自分の記憶違いでないのなら、あの時、自分は魔獣と怪物の戦いを間近で見ていた事になる。
「ホント惜しい事をしたよなあ。ちゃんと覚えていたら、酒の席で女の子に自慢出来たに違いないのに。いやまあ、あの状況でこうして命が助かっただけでも、めっけもんなんだけどさ。ん? あれは何だ?」
町の外。街道ををこちらに向かって来る一団があった。
人数は今、見えているだけで百人程。馬車は五台。その全てが二頭立ての高級馬車である。
中でも、先頭の一台には彼らの代表が乗っているのだろうか? 四頭立ての特に立派な作りをしていた。
仲間の守備隊員達もあの一団に気が付いたようだ。緊張した面持ちで顔を突き合わせている。
「おい、誰か話を聞いているか?」
「いいや、何も。東から来たという事はヒッテル王国からなんだろうな。おい、誰かバシッドのクズ野郎を呼んで来い。あんなヤツでもまだ俺達の隊長なんだからな」
隊員達の間に笑い声が広がり、張り詰めていた空気が若干緩んだ。
ロッコは「俺が呼んできます!」と言って走り出した。この中では彼が一番下っ端のためだ。
そんなロッコに背後の仲間達の会話が届いた。
「あの馬車の紋章。見た事があるぞ。ヒッテル王国の王家の紋章だ」
「王家の紋章? てことは、あの中には国王からの使者が乗っているのか?」
「違う違う。それなら王家の紋章は旗に、馬車には使者の家紋が描かれていなければならない。王家の紋章を付けた馬車に乗る事が出来るのは王家の者だけ。つまりあれに乗っているのは王家の者という訳だ」
「お、おい、待てよ。あの馬車、五台全部に王家の紋章が付いてるじゃないか。まさか王家がこの国に引っ越しでもして来たとでも言う気なのか?」
「そんなの俺が知るかよ。・・・だが、ただ事ではないのは確かだぜ」
ロッコに聞こえていたのはそこまでだった。彼は急いで城壁を駆け降りると、守備隊の詰め所に駆け込んだのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
サンキーニ王国の隣国、ヒッテル王国。
昨年、サンキーニ王国が大モルト軍と戦っている間、ヒッテル王国では反乱が起きていた。
首謀者の一人は、ロヴァッティ伯爵家長男、ドルド・ロヴァッティ。
顔の左半分を白い漆喰で固めた異形の騎士である。
狂気を孕んだドルドの苛烈な攻撃により、ヒッテル王国の王都は陥落した。
ヒッテル国王とその家族は僅かな護衛に守られ、辛うじて王都を脱出。サンキーニ王国を支配する大モルト軍を頼ったのであった。
ここにサンキーニ王国とヒッテル王国。二か国の全面戦争が始まろうとしていた
緊張の高まる状況の中、クロ子達の運命やいかに。
厄介な天空竜を片付けたと思ったら、次は復讐に燃える狂騎士ドルドがクロ子の前に立ちはだかる。といった所で『第十章 竜殺し編』は終了となります。
次の章は他の小説を切りの良い所まで書き上げ次第、取り掛かる予定なので、気長にお待ち頂ければ幸いです。(その間に私の他の小説を読んで頂ければ嬉しいです)
そしてまだ、ブックマークと評価をされていない方がいらっしゃいましたら、是非、よろしくお願いします。
それと、作品感想もあれば今後の執筆の励みになります。「面白かった」の一言で良いので、こちらもよろしくお願いします。
いつも『私はメス豚に転生しました』を読んで頂きありがとうございます。




