その357 ~不信感~
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サンキーニ王国の王都アルタムーラ。
その王城の一室で、ジェルマン・”新家”アレサンドロは、連絡の兵士を怒鳴り付けたい気持ちを堪えていた。
「・・・ご苦労であった。下がれ」
彼は低く抑えた声で、辛うじてそう命じた。
兵士が部屋を出ると、ジェルマンは机に拳を叩きつけた。
「キンサナめ! よくも恥も外聞もなくこんな報告をして来られたものだな! ヤツの頭の中には脳みその代わりに綿でも詰まっているのか?!」
ジェルマンは怒りに駆られて、机の上の物を薙ぎ払った。
アマディ・ロスディオ法王国との国境近くの町、サイラムから早馬の知らせが届いたのは、年が明ける前。
昨年の年末の事である。
報告者は大モルト軍諜報部員”枝”、行商人ホルヘ。
その内容は驚くべきものだった。
「カルミノ・”ハマス”オルエンドロを討ち取っただと?! 本当か?!」
ジェルマンは思わず身を乗り出した。
カルミノはハマスの当主。ハマス軍はジェルマンが大モルトに進軍する際には真っ先に打ち倒さなければならない敵であった。
その敵軍の指揮官が討ち取られたという。一体、いつどこで? どうやって?
「サスサダの町だと? なぜカルミノはそんな所にいたのだ?」
「サグサダは大モルトとサンキーニ王国を繋ぐ街道の途中にある宿場町でございます。我々が掴んだ情報によると、ハマス家当主は、”執権”アレサンドロの主催する新年式に参加するため、自領へと向かっていたとの事でございます」
「なに? なぜ、カルミノはそんな事を? いや、それはいい。カルミノを討ったのは間違いないのだな?!」
「はっ! 間違いのうございます!」
敵の指揮官が死んだとなれば、願っても無いチャンスだ。
ジェルマンは即座に配下の将軍達に集まるように命じた。
軍議の場で、ジェルマンは居並ぶ将軍達に高らかに宣言した。
「カルミノが討ち取られたとの情報が入った! これこそ幸運の神、ラキラが我らに与えたもうた絶好の機会に違いない! 皆の者! この機を逃してはならん! 今こそ軍を上げ、ハマス軍の駐留するアロルド辺境伯領に攻め込むのだ!」
「お待ち下さい、殿!」
逸るジェルマンを止めたのは、ジェルマン軍の重鎮達だった。
「ハマスの当主が討ち取られたなどという話、にわかには信じられません。本当にハマスが死んだかどうか、先ずは疑いを持つべきでしょう」
「左様。我々をおびき寄せるための策略の可能性もあります。もう一度良く確認されてはいかがでしょうか?」
彼らは代々、新家アレサンドロ家に仕える譜代の将軍達。ジェルマンとしても彼らの言葉を無下にする事は出来なかった。
「――分かった。先程、報告を持って来た兵士をこの場に呼んでまいれ」
「ははっ!」
こうして報告の兵から、将軍達にもう一度説明が行われた。
兵の言葉によると、カルミノを討ち取ったのはサンキーニ王国のラリエール男爵。
彼の派遣した一団が、カルミノの宿泊先であるサグサダの町を襲撃、カルミノを討ち取ったとの事だった。
「ラリエール男爵? 聞いた事もない名だな。そもそも、サンキーニ王国の者の言葉が信じられるのか?」
「その通り。それにハマスの当主ともあろう者がそのような輩に討たれるとは到底思えん。その者は誇大妄想の持ち主か、あるいは我らに取り入るために口から出まかせを言っているのではないか?」
「そ奴はサンキーニ王国の者なのだろう? あるいは、我々に対しての意趣返しかもしれんぞ。嘘の情報を流す事で、我々に戦うように仕向け、ハマスとの共倒れを狙っているのやもしれん」
重鎮達の意見は、概ね情報に懐疑的なものだった。
また、タイミングの悪い事に、七将・百勝ステラーノは、軍の訓練中で王都にはいなかった。
もしこの場に彼がいれば、もう少し前向きな意見が聞けたかもしれない。
丸一日の協議の末、重鎮達の出した結論は、「調査のための部隊を派遣する」というものであった。
(下らん! これではただの問題の先送りではないか! コイツらは本気でハマスに勝つつもりがあるのか?!)
ジェルマンは家臣団の腰の重さに激しい不満を覚えた。
しかし、父親の死で若くして新家アレサンドロ家を継いだジェルマンは、立場が弱い――とまではいかないが、彼ら重鎮達に対して強く出られない所があった。
ジェルマンは釈然としない思いを抱きながらも、軍議の結果を受け入れるしかなかった。
そして数日後、調査のために派遣していた部隊から、彼の下に連絡が届いた。
ハマス軍は占拠していたアロルド辺境伯領を放棄。自領に向けて撤退中との事であった。
「しまった! ハマスのヤツらに先を越されたか! あの時、軍を動かしていれば・・・いや、今はそんな事を言っている場合ではない! それにまだ遅くはないはずだ! 将軍達を集めろ! 出兵だ! 私自ら出陣してハマス軍を蹴散らしてくれる!」
ジェルマンは自ら軍を率いて出陣し、この戦いに決着をつけるつもりでいた。
しかし、彼のこの考えは家臣達から強く反対される。
ジェルマンがこの国を併呑してからまだ日が浅い。政情不安定な状況で、当主本人が王都アルタムーラを離れるのはよろしくない。そう説得されては、彼としても強く主張する事は出来なかった。
ジェルマン自身の出陣は見送られたが、ハマス軍の討伐は行われる事になった。
彼に代わって軍を率いるのはキンサナ将軍。
代々、新家アレサンドロ家に仕える宿老で、新家の重鎮。家臣団の中心人物でもある。
キンサナは昨年、彼が警備を担当していたコラーロ館にハマス軍の侵入を許したという失態を晒してる。
家臣団としては、ここでキンサナに手柄を上げさせ、彼の名誉を回復しておきたかったのである。
このような政治的な思惑によってキンサナ将軍を指揮官とする、ハマス追討軍が編成された。
そして今日、そのキンサナ将軍からの報告が届いた。
それが冒頭にあったジェルマンの怒りへと繋がるのである。
「みすみすハマス軍を逃がすとは! キンサナめ、どこまで俺の前で醜態を晒せば気が済むんだ!」
キンサナ将軍の率いる軍がアロルド辺境伯領に到着した時、ハマス軍は丁度、撤退を終えた所だった。
将軍はタッチの差で間に合わなかったのである。
ここでキンサナ将軍には大きく二つの選択肢があった。このまま行軍を続けてハマスの軍を追うか、それともアロルド辺境伯領最大の町アボリーニに入って、アロルド城を押さえるか。
彼は熟考した上で後者を選んだ。
「雪中行軍で兵士達も消耗している。それに十分な情報も無い状況でむやみに敵を追って、もし、罠でも仕掛けられていたら殿から預けられた兵を損なう事になってしまう。――よし! 我が軍はアロルド辺境伯領を押さえるのを最優先とする! 兵士の疲れを取りつつ、ハマス軍の情報を集めるのだ!」
彼のこの決定に兵士達は大いに喜び、士気は上がった。キンサナ将軍は兵士を労わる気持ちを持つ良将として名声は高まった。
そういった意味では、キンサナ将軍の選択は正しいと言えた。しかし、今回の出兵の目的はジェルマン軍の支配地域を広げる事ではない。ハマス軍を追撃し、回復不可能なダメージを負わせる事にあった。
キンサナ将軍は失敗を避けて無難な選択を選んだ事により、作戦の目的を果たせなかったのである。
これではジェルマンが怒りと失望を覚えたのも仕方がないだろう。
「だから俺は百勝ステラーノに指揮官を任せるつもりだったのだ! それを将軍達め、決定前に下らん横やりを入れおって! 大方、百勝ステラーノら新興勢力の台頭が気に入ないから、その対抗馬としてキンサナに手柄を立てさせようとでも思ったのだろうが、おかげでこのざまだ! 目先の利益に目を奪われてハマス軍をみすみす取り逃がしおって!」
もし、軍を率いていたのが七将・百勝ステラーノならば、間違いなくハマスの軍を追っていただろう。
退却中の軍程脆いものはない。その上、相手は指揮官を失い、兵士の士気は激しく落ち込んでいる。
兵士は掻き集める事が出来るが、将の才を持つ者は少ない。また、指揮官として一人前になるまで育てるには時間がかかる。
ここは無理をしてでも追撃し、敵将を討ち取るべきだったのだ。
「そうなればハマス・オルエンドロは大きな被害を受け、引いては”執権”アレサンドロの力を大きく削ぐ事になっていた物を・・・」
後悔しても後の祭り。
ジェルマンは千載一遇チャンスを逃してしまった悔しさに臍を噛んだ。
「今まで我慢して使っていたが、キンサナら親父の代から仕えて来た将軍達は、どいつもこいつも器量が小さくて物足りん。いや、新家アレサンドロ家に対する忠誠心の高さだけは評価出来るし、他に軍が任せられる将がいないゆえ、やむを得ずに使っているが、それでも全体的に小粒で頼りにならん」
それはジェルマンが前々から感じていた不満であった。
そしてそれはジェルマンが初めて口にした不信感であった。
この日以来、ジェルマンは重要な件に限り旧来の家臣団に任せないようになっていく。
それは重鎮達の立場の低下、権力の縮小に繋がっていくのだが、全てはこの時に感じた不信感から来たものなのだ。
「それにしても、今回の事も、もし指揮官がキンサナではなく、百勝ステラーノであったなら・・・いや。ステラーノでなくてもいい。例えばイサロでもいい・・・」
この国の王子イサロは、昨年一年で二度のヒッテル王国との戦に勝利し、弱卒の寡兵を以てしてハマス軍の大軍と互角に渡り合っている。
戦乱の大モルトでは、敵味方に関係なく強い者が好まれ、尊敬を集める。
イサロ王子が敗戦国の王子の身でありながら、ジェルマンの部下達から敬意を持って扱われているのも、彼の輝かしい戦歴が強者を好む大モルトの風潮にマッチした事によるものであった。
そしてジェルマン自身も、もし、イサロ王子の立場が王子ではなく、この国の一将軍であったらなら、間違いなく自軍にスカウトしていただろう。
そう言えば・・・
イサロ王子の名前を口に出した事で、ジェルマンはふと思い出した。
「ハマスの当主を討ち取ったというこの国の者。ラリエール男爵という名に何か聞き覚えがあるような気がしていたが、そうだ、思い出した。確かイサロの腹心がそのような名ではなかっただろうか・・・」
イサロ王子の腹心。それは小姓のようにも見える、頼りなさそうな華奢な少年だった。
しかし、イサロ王子は少年を頼りにしている様子だったし、百勝ステラーノの孫、マルツォも妙に彼の事を気に入っている様子だった。
その事もあって、ジェルマンの記憶に残っていたのである。
「イサロを俺の部下にする事は難しい。が、あヤツを――ラリエール男爵を、俺の配下に加える事は出来ないだろうか?」
ラリエール男爵はイサロ王子とマルツォに信頼され、今回はハマスの当主を討ち取るという大手柄を上げている。
旧来の家臣が頼りにならない現在、優秀な人材は喉から手が出る程欲しかった。
「ふむ。カルミノが討ち取られたのは、確かサスサダの町だったか。ならばラリエールもそこにいるという事か? よし。カルミノを討伐した褒美を与えるという名目で王都へと呼び戻そう。全てはその者と会ってからの話だ」
ジェルマンは勘違をいしているようだが、ラリエール男爵ルベリオは、サスサダの町ではなく、サスサダの町の南、アマディ・ロスディオ法王国との国境近くの町サイラムにいるのだが、それはともかく。
こうしてルベリオは、ジェルマンからの招集を受け、再び王都へと舞い戻る事になるのであった。
次の話でこの章が終わります。
次回「次なる戦いへの誘い」




