その34 メス豚、力を望む
私は一人で村の外を歩いていた。
一口に村の外と言うが、この亜人の村は山の中の小さな窪地に作られている。
つまり一歩村から出ればそこは山の中だ。
私はそんな獣道しかない山の中をあてもなく歩いていた。
倉庫の火事から十日経った。
あの日、魔法を乱発した私は、二日ほど激しい頭痛のために食事すらとれずにいた。
火事で犠牲になった亜人の少女――ピットの葬儀は翌日に行われたようだ。
村で子供が死ぬのは珍しくないらしく、葬儀は悲しみの中にも事務的であっさりとしたものだったらしい。
ようだ、らしい、と言うのは、私は葬儀の現場にいなかったからだ。その時はまだ私は動ける状態ではなかったのだ。
「クロ子が気にする事じゃない。あの子の自業自得だったんだ」
どうやらあの日ピットは一人でこっそり倉庫に忍び込んで遊んでいたようだ。
その時、間違って倉庫の中の藁か何かに火を付けてしまったらしい。
「倉庫には普段火の気は無いし、焼け跡にもこれといった異常は無かった。多分魔法だな。小さな子供が誤って魔法を暴走させてしまうのは亜人ではよくある事なんだ」
パイセンが言うには、亜人の小さな子供が魔法を誤爆してしまう事故は、時々起こるんだそうだ。
まだ魔力をコントロール出来ない小さな子供は、癇癪を起こしたりパニックになったりして感情が激しく乱れると、魔力を暴走させやすいんだそうだ。
大抵は魔力の暴発で終わるものの、運が悪いと魔法という形で発動する事があるらしい。
ピットの場合はたまたま火の魔法が発動してしまったのだろう。
「多分点火の魔法だと思う。俺も昔覚えたけど、全然使っていない魔法だ」
魔法は非常にコスパが悪い。基本的に手を動かしてやった方が早くて楽だ。
パイセンは中身が現代人ということもあって、一時期真剣に魔法の練習をしていた頃があったそうだが、あまりの効率の悪さに流石に無理だと断念したんだそうだ。
変な事に熱中していると、当時は周囲からだいぶ冷ややかな目で見られていたそうである。
私の場合は前足が蹄で道具も使えないから、嫌でも魔法に頼らざるを得ないんだがな。
「クロ子ちゃん。クロ子ちゃんが気にする事はないのよ?」
パイセンの恋人、モーナが心配そうに私を覗き込んだ。
私は黙って立ち上がった。
「クロ子ちゃん・・・」
「モーナ、そっとしておこう。クロ子、夕方までには帰って来いよ」
私は一度だけ二人に振り返るとそのまま村を後にしたのだった。
私はあてどなく山を歩きながら考えていた。
この世界は命が軽い。
そんな事は最初から分かっていた事だ。
実際に私自身、先日の戦争で何人もの敵兵の命を奪っている。
だから今更、「人の命は地球よりも重い」なんて綺麗ごとを言うつもりはサラサラない。
だが私はショックだったのだ。
何に対して?
ピットが――小さな子供が私の目の前で死んだ事に対して。
その場に居合わせながら、私に彼女を救う力が無かった事に対して。
そして、同じ転生者のパイセンですら、子供が死ぬという感覚に慣らされている事に対して。
けど、パイセンは一人でも不幸な子供を失くそうと、村に農業改革を起こしている。
恋人のモーナの協力もあって、その試みは既にある程度の成果を得ていると言ってもいいだろう。
パイセンは子供の死を乗り越えて前に進んでいるのだ。
だったら私はどうすればいいんだろうか。
私に一体何が出来る?
私の自慢なんてせいぜい魔法くらいだ。
けどその魔法で私はピットを助けられなかった。
私の魔法は無力だったのだ。
私にもっと力があれば。
分厚い倉庫の壁も吹き飛ばせるくらいの魔法の力があれば。
そうすればピットは死なずに済んだのである。
力が欲しい!
命の軽いこの世界で、不可避の死の運命すらねじ伏せられるほどの圧倒的な力が!
そんな風に考え事に没頭していたせいだろう。私は迂闊にも自分が声を掛けられている事に気が付かなかった。
『姐さん。黒豚の姐さん』
そこにいたのは大きなブチの犬。
てかお前、私の率いていた野犬の群れにいたヤツじゃんか。
いつも若い野犬に群れのルールを教えてくれる、あの教育係の野犬じゃん。
『黒豚の姐さん。お久しぶりでございます』
例の野犬共は私の住所変更に合わせて、この亜人の村の近くに引っ越ししている。
最初は警戒していた亜人達も、今ではすっかり慣れている様子だ。
どうやら野犬が村の周囲を縄張りにする事で、畑を荒らすイタチ等の小動物が駆除されているらしい。
今ではたまに餌付けしている光景を見るようにもなっている。
そのうち村に溶け込んで飼い犬になってしまうのかもしれない。
『ていうか、アンタら喋れたの?!』
そう。私が気になるのはこの一点。
私が群れのリーダーだった時、彼らと会話が通じた記憶が全くないのだ。
『いえ。群れの者は誰も喋れません。喋れるのはアッシだけです』
この野犬が言うには、かつて私が殺した元リーダーだけは喋れたそうだ。
とはいっても元リーダーもあまり口数の多い方では無かったらしい。
そのため彼は他人の話は聞いても、こうして自分から話しかける事はほとんど無かったんだそうだ。
『そんなアンタが何で急に?』
『黒豚の姐さんの呟きが聞こえて来たもので・・・』
どうやら私はさっき自分の考えをブツブツと垂れ流しながら歩いていたらしい。
ええっ?! マジで?!
そういや最初に、「どうせ誰にも聞こえないし」とか思った気がする。
私何を喋ってたっけ? ちょっと止めてよ、乙女の独り言を聞くなんて! お父さん、私いつも部屋に入る時にはノックしてって言ってるよね!
『姐さん?』
混乱する私を不思議そうに覗き込む野犬。
ていうか、さっきから野犬野犬と言ってるけど、名前が無いと流石に呼び辛いな。
『これからアンタの事をマサさんと呼ぶから』
『マササンですか? 分かりました』
野犬改めマサさんは小さく頷いた。
なぜマサさんなのか? 特に意味はない。何となくマサさんっぽいと思ったからだ。
『それでマサさん。私に何か用なの?』
『はい。このマササン、先程の黒豚の姐さんの言葉に思い当たる節がありまして』
自分で自分の事をマサさんと言うマサさんに激しい違和感が・・・ まあいい、とりあえず話を聞こうか。
『姐さんは更なる魔法の力を望んでいるご様子。実は姐さんにやられた先代のボスの話なんですが――』
私の前のリーダー、例の魔法を使っていた犬だが、マサさんの話によると、若い頃は魔法どころか言葉も喋れなかったらしい。
『それがある日突然、魔法を使えるようになったばかりか、片言ながら言葉も喋れるようになっていたんです』
魔法の力は絶大で、彼は群れのリーダーを追い出して自分が新たなリーダーの座に収まった。
それからは連戦連勝。
元々は小規模な群れに過ぎなかった彼らは、それ以降急速に縄張りを広げていったのだった。
なんだろう、どこかで聞いた話だ。てか、まんま私のやった事じゃん、コレ。
『はい。先代のボスが姐さんの魔法にやられて以来、アッシは次の群れのボスは姐さん以外にはあり得ないと考えていました』
どうやらマサさんはこの時の成功例を見て学んでいたらしい。
そこで元リーダーがやられた後は、同じく魔法を使えて更には元リーダーよりも強い魔法を使う私を新たなリーダーに据える事に決めたんだそうだ。
・・・いや、どうりで。豚が野犬の群れのリーダーになるって、何かおかしいと思っていたんだよ。
全てはマサさんの狙い通りだったんだな。この策士め。
『恐れ入ります。それで先代のボスの話なんですが――』
元々、鼻っ柱が強いだけで特に強くも賢くも無かった元リーダー。ある日彼は足を滑らせて地面に開いた大きな裂けめに落ちたんだそうだ。
それから数日が過ぎて、彼はフラリと群れに戻って来た。
その姿は以前の彼とは変わっていた。
『頭に角が生えていたんです。それからです。先代が魔法を使うようになったのは』
・・・何だと?




