その354 ~二人の天才~
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話はカルミノ・”ハマス”オルエンドロが殺害された前日に遡る。
ここは法王国との国境に近いサイラムの町。
その大通りを一人の男が思案顔で歩いていた。
「にわかには信じ難い話ですが・・・こんな事があり得るんでしょうか?」
男は三十代半ば。人の良さそうな顔に商人風の出で立ちをしている。
彼の名はホルヘ。国をまたいだ行商人――というのは表の顔で、その正体は大モルト軍諜報部隊”枝”。その一員であった。
先程から彼を悩ませているのは、先程知り合いの商人から仕入れたばかりの情報にあった。
ハマスの当主カルミノが、戦地を離れ、領地に戻ろうとしている。
最初、この話を聞いた時、ホルヘは疑いを持った。
新聞もなければTVもない。SNSも存在しないこの世界では、常に流言飛語の類や誤報等が飛び交っている。
それら有象無象の与太話の中から、正しい情報を拾い出すのは大モルト軍諜報部員、ホルヘの能力を持ってしても難しいものがあった。
「とはいえ、もし、本当にハマス当主が領地に戻ろうとしているなら一大事です」
指揮官のカルミノが、この状況で前線を離れる。にわかには信じられない話である。
だが、ハマス軍と敵対しているジェルマン・”新家”アレサンドロにとっては、願ってもないチャンスである。
「調べてみないと何とも言えませんね」
ホルヘは大至急、情報の確認を行った。
しかし情報の裏付けは呆気ない程あっさりと終わった。
「驚いた・・・どうやら本当にカルミノはハマスに戻ろうとしているみたいですね」
あっさり終わったのも当然。情報の出所は他ならぬハマス部隊そのものだった。
原因はこの数日間降り続いた雪。
降り積もる雪に、カルミノ達の行程は厳しいものとなった。
護衛の騎士達は、せめて当主が夜くらいはゆっくり休めるようにと、前もって行く先々の町の代官に歓待の準備を整えておくように通知を出していたのである。
「何らかの罠である可能性は――低いでしょうね。彼らがそんなことをする理由がありません。とにかく、これでハマス軍の指揮官が前線を離れている事が判明しました。さあ、急いでこの情報を伝えないと」
思いもよらない重要情報を入手した事にホルヘは、勢い勇んで宿泊先の宿屋に戻った。
そこには彼の同部屋の相手――設定上は親子という事になっている――の少年、ルベリオがいた。
ショタ坊ことルベリオは、ホルヘの珍しく興奮した様子に、怪訝な表情を浮かべた。
ホルヘはルベリオの案内役、という事になっているが、実際は彼を見張る監視役でもある。
ルベリオもその事実に薄々気付いていたが、それも当然のものと割り切っていた。
ルベリオはホルヘから話を聞くと、「えっ?!」と声を上げた。
「相手の指揮官が僅かな護衛だけで移動しているんですよね? これってチャンスじゃないですか」
「いえいえ。僅かな手勢と言っても、相手は騎馬隊ですからね。どうこうするのは難しいでしょう」
カルミノの護衛は騎馬部隊を中心とした約五百。
仮にどこかで待ち伏せをしたとしても、その快速で逃げ切られてしまうだろう。
「相手が逃げられない程の多人数で取り囲めば話は別ですが、残念ながらあなたはそんな戦力を持ち合わせておりません。気持ちは分かりますが、諦めなさい。必要な数の兵士を集め終わる頃には、カルミノはとっくにハマスに帰り着いていますよ」
ホルヘにバッサリ切られて、ルベリオは不満顔を見せた。
「それよりも、先程は随分と慌てていたようですが?」
「そうだった! ナタリア――ええと、この町の守備隊の隊長の娘に、食事に誘われたんです!」
ナタリアは昼間、町で出会った少女である。明るいオレンジ色の髪の少女で、ルベリオと同い年らしい。
ルベリオはなぜか彼女に気に入られ、家に呼ばれていたのである。
「おお。町の守備隊の隊長の娘ですか。あなたがこの町に遣わされた目的は、町の有力者と繋がりを持つ事ですからね。町に来て早々、早くもそのお仕事に目途が付いたではないですか」
大袈裟に褒め称えるホルヘに、ルベリオは苦笑した。
(これは暗に、余計な事を考えていないで、あなたは自分の仕事をやっていなさい、と言われているのかな?)
ルベリオはホルヘの態度をそう受け取ったが、実際、その通りだとも思ったので何も言えなかった。
ここでこの話は終わった。
そのはずであった。
しかしその夜。ルベリオは宿に帰って来るなり、「襲撃計画のめどが立ちましたよ!」とホルヘに告げたのである。
「襲撃ですって?! 私が昼間、無理だと申し上げたでしょうに!」
「ナタリアがコルストさんを説得してくれたんです! あ、コルストさんはナタリアのお父さんで、この町の守備隊の隊長です。コルストさんも最初は反対していたんですが、ナタリアにジェルマン様には町を救って貰った恩があると言われると――」
「ちょ、ちょっと待ってください! 順番に! 落ち着いて最初から説明をお願いします!」
興奮気味にまくし立てるルベリオを、ホルヘは慌てて制止した。
「そ、そうですね。ごめんなさい。ええと、ナタリアの家は町の北にあったんですが、そこってこの町の住宅街だそうで――」
ルベリオの話はこうである。
ナタリアの家に呼ばれて行ったルベリオは、最初は無難に。ナタリアと彼女の母親を相手に当たり障りのない話をしていたそうだ。
彼が元々、小さな村の少年で、イサロ王子にその才能を見出され、今は(名ばかりとはいえ)男爵家の当主になっている、という話をした時には随分と驚かれたが、それはそれ。
話の流れが変わったのは、ナタリアの父親であるコルストが帰って来た時だった。
「やあ、いらっしゃい。君は初めて見る顔だね。ナタリアのボーイフレンドかな? ゆっくり話をしたい所だが家には着替えに戻って来た所でね。これから代官様のお屋敷に行かないといけないんだよ」
「代官のお屋敷ですか? 一体何の用事なのか伺っても構いませんか?」
ルベリオの問いかけにコルストは眉をひそめた。
警戒する父親にナタリアが説明した。
「パパ。ルベリオは騒ぎにならないようにこんな恰好をしているけど、実はサンキーニ王国の男爵様なのよ。代官様よりも偉いんだから」
「うえっ?! だ、男爵様でしたか! 娘のボーイフレンドなどととんだ失礼を!」
「いいえ、そこは失礼でも何でもないわ。だってルベリオは私の運命の人だもん」
「ちょ、ナタリア!」
ふふん、と胸を反らすナタリアに、なぜか慌てるルベリオ。
コルストは怪訝な表情を浮かべながら、先程のルベリオの質問に答えた。小市民的性格と言うか、どうやら長い物には素直に巻かれるタイプらしい。
「ええと、”ハマス”オルエンドロ家のご当主様が、北の街道を通られるとの話がありまして。周辺の町にも警備を強化するよう、指示が出されたのです。その打ち合わせのために代官様に呼ばれておりまして」
やはりその話だったのか。ルベリオは納得すると共に、「イサロ殿下がウチの村に来た時も、道中の町ではこんな騒ぎになっていたのかな?」などと考えていた。
ハマス・オルエンドロ家の当主という言葉に、ナタリアがテーブルの上にガバッっと身を乗り出した。
「ハマスの当主って、ルベリオ達が戦っている相手よね?! 敵の指揮官が近くを通るのね!」
「これ! なんですかナタリア、はしたない!」
ナタリアは母親の言葉を無視。鼻息も荒くルベリオに振り返った。
「ルベリオ! これは手柄を上げるチャンスよ! 私達で敵の指揮官を討ち取りましょう!」
「えっ?!」
「おい! ナタリア! お前は勝手にそんな事を!」
こうなってしまえば、彼らに隠している意味もない。
ルベリオは代官の屋敷を出る前にホルヘに言われた話をした。
「ふうん。じゃあその人にダメだって言われてしまったのね」
「うん。けど、無理に移動中を襲撃する必要はないよね」
「どういう事?」
ルベリオはホルヘの話を聞いて、自分が考えていた事を説明した。
移動中が無理なら、宿泊先を襲えばいい。いかに快速を誇る騎馬隊とはいえ、馬の鞍の上で眠る訳ではないのだ。
「卑怯な手段に思えるかもしれないけど、これも勝つためだからね」
「ううん! それ、いいと思う! きっと上手く行くわ!」
ナタリアはハタと手を合わせた。
「その方法で行きましょう! やり方は私に任せて! 私そういうのを考えるのが得意なの!」
それからナタリアは、家の中を歩き回りながら「ああでもない」「こうでもない」とブツブツと呟いた。
どうやら呟きながら歩くのは、彼女が思考する際の癖らしい。
やがて彼女は立ち止まると、「これで行けそうね」と顔を上げた。
それからはあっという間だった。
先ず、彼女は父親を説得。協力を約束させた。
次に顔見知りの子供を捕まえると、彼の所属する半グレ集団のリーダーを呼び出した。
「という訳だから、あなたも作戦に協力して頂戴」
「へえ・・・サンキーニ王国の男爵様ねえ」
顔に大きな傷のあるリーダーは、値踏みをする目でジロジロとルベリオを眺め回した。
「ナタリアのお嬢の親父さんは、町の守備隊の隊長だ。そのお嬢からの依頼とあれば、俺達にイヤと言う事は出来ねえ。けど、そっちのお貴族様? ですか? アンタは俺達に何をくれるんだ?」
「何か・・・ですか」
普通に考えれば、金の事を言っているのだろう。
だが、ルベリオはこの時、過去に自分が交渉したメラサニ山の亜人達の事を思い出していた。
彼ら半グレ集団は棄民。元は法王国から流れて来た者達だという。
亜人達と棄民。どちらもこの国に住む場所がなく、コソコソと隠れながら生きている者達だ。
この世界は未だ発展途上。
弱者の権利が守られるような、熟成した社会には至っていない。
いや、弱者の権利どころか、権利という言葉自体が、まだ生まれていないのである。
あの時、亜人の女王クロコパトラは、亜人をこの国の人間として認めてくれるよう要求して来た。
彼らにとってそれが願い。最高の報酬なのだ。
しかしルベリオはこのサイラムの町の――大モルトの人間ではない。
だから彼ら半グレ達を国民として認めると約束する事は出来ない。
ならば、自分に出来る事は――
「分かりました。でしたら、この作戦が成功した後、あなた達の中で希望する者がいれば、僕が雇い入れましょう」
「は? そりゃあ一体どういう意味だ?」
「ラリエール男爵家で雇うと言ったんです。僕はじきにサンキーニ王国に戻ります。その時、一緒に引っ越す事になりますが、それでも構わないという人だけ受け入れましょう」
半グレのリーダーは、唖然とした。
やがてルベリオの言葉が脳に染み込むと、ハハッと乾いた笑みを浮かべた。
「俺達みたいなモンを男爵家で雇うって? んな約束、お前さんが勝手にしちまっていいのかよ? 親父さんに怒られちまうんじゃねえか?」
「ルベリオは男爵家の当主様よ。彼が誰を雇ったって文句を言う人なんている訳ないわ」
「ええと、僕はルベリオ・ラリエール。ラリエール男爵家の当主です」
リーダーの視線は、ナタリアとルベリオの顔を交互に行き来した。
そして、二人の言葉が冗談でもなければ、自分がからかわれている訳でもないと理解したようだ。
彼は天を仰ぐと、パシリ。大きな音を立てて膝を叩いた。
「いやはや、おまえブッ飛んでるぜ。いいだろう。てか、そんな事を言われちゃあ受けるしかねえじゃねえか。俺の名はハディック。必ずこの仕事を成功させてやるから、今の約束、絶対に忘れるんじゃねえぞ」
リーダーは――ハディックはそう言うと、白い歯を見せてニヤリと笑ったのだった。
次回「生贄の羊」




