その352 メス豚と最後の咆哮
我々対、天空竜(雄)との戦い。
戦いは意外な程、一方的な形で進んでいた。
『いや。考えてみれば別に意外って事もないか』
私は先日、ランツィの町でこの天空竜(雄)とバトっている。
だからつい、その時の記憶に引っ張られていたようだ。
あの日、私は天空竜と一対一で戦った。・・・いや、ランツィの町にも守備隊はいたか。けど、私が到着した時にはほぼほぼ壊滅状態だったし、戦力として数えられるような状況ではなかった。
で、だ。あの時は天空竜の不意打ちから始まったので、こちらの準備は整っていなかった。
なにせクロコパトラ歩兵中隊の隊員達は、武装すらしていなかったのだ。
翻って今回。我々はこうして大モルト軍の協力を取り付け、十分に戦力を整えた上で、数の力を生かす事の出来る場所に相手をおびき寄せて戦っている。
その上で、天空竜、最大の攻撃魔法に対抗するための秘策すらも準備していた。
『殺――――――ッ!』
天空竜が天に向かって吠えた。
その瞬間、天空竜を中心に膨大な魔力が渦を巻く。
だが、今回も不発。
天空竜最大の攻撃魔法、落雷の魔法は発動する事無くキャンセルされた。
「ギエエエエエエエエッ!」
混乱? 苛立ち? 怒り? その全てをゴチャ混ぜにしたような咆哮を天空竜が放つ。
ブヒヒヒ。何が起きているのか理解出来ないようだな。
この原理を分かってもらうためには、先ずは自然界で雷が発生する仕組みから語らなければならない。
雲の中にあるチリや水、氷の粒等が摩擦する事でプラスとマイナスの電荷が――って、前に聞いたからもういらないって?
さよけ。
結論だけを言うと、我々の対天空竜用秘密兵器、落雷バリア(魔法式)が落雷の発生を防いでいるのである。
落雷の魔法には、私も痛い目にあわされたからな。当然、対抗策だって講じているってもんさ。
あの時の痛み。そしてまだらハゲにされた恨み、忘れた訳ではないのだよ。
話を戻すと、あの時は天空竜に不意打ちを食らったせいで、こちらの準備が整っていなかった。
そして、今回と前回とで明らかに異なっている点がもう一つ。
今日の天空竜(雄)は手負いなのである。
どうやらあの日、私との戦いで、天空竜は深手を負ったようだ。
枝分かれして伸びた角は、片方が根元から折れ。円い断面を晒している。
雪のように真っ白だった体には、無数の傷跡が刻まれ、中には化膿している箇所もあるようである。
そして最も目につくのは、その下半身。
後ろ脚は両方、あらぬ方向にねじ曲がり、体の動きに引きずられるまま、ピクリとも動かない。
骨折。それに脚の神経もやられているようだ。
恐らく、城壁が崩れた際、落ちて来た大岩で、腰か背骨が傷付けられたのだろう。
あの時は「逃げられた」と悔しい思いをしたが、バッチリ天空竜にダメージは与えられていたのである。
「天空竜の動きが止まったぞ! 今だ! ロープを投げろ!」
大モルト部隊の指揮官、マルツォの指示で、一斉に投げ縄が投じられた。
「ギャアアアアアッ!」
「やった! かかったぞ!」
そのうちの一本が天空竜の首にスッポリとかかった。
天空竜は首を振って大きく暴れるが、大モルト兵も数名がかりで押さえ込んで離さない。
その間に二つ、三つ。翼や角に輪となったロープが引っかかる。
「いいぞ! そのまま引っ張れ!」
「「「せーの! それ!」」」
兵士達が一斉にロープを引く。天空竜は呆気ない程、簡単に倒れた。
下半身のケガが原因で踏ん張りが利かなかったようである。
「グルアアアッ!」
しかし、天空竜も良いようにやられてばかりではない。
倒れながらも懸命に前脚を振り回し、鋭い爪でロープを切断した。
「怯むな! 馬突槍部隊! かかれ!」
「「「おおーっ!!」」」
横たわった天空竜に、大モルト軍のトンデモ兵器、馬突槍が襲い掛かる。
「ギャアアアアアアア!」
馬突槍は天空竜の背中の翼を貫いた。
後ろ脚が動かない天空竜にとって、空まで飛べなくなるのは致命的である。
『圧倒的ではないか、我が軍は』
いや、あれは大モルト軍で、私の軍じゃないんだけどな。
天空竜は私との戦いの負傷で、歩く事すら出来ない。
最大の武器、範囲攻撃魔法は封じられ、攻撃の手段は物理に限られている。
取り巻きの大鳥竜は、クロカンの隊員達の唱える圧縮の魔法の音に怯え、役に立たない。
そして大モルト部隊は昨日の天空竜(雌)との戦いを乗り越えた事で自信を深め、その力を遺憾なく発揮している。
そう。最初から天空竜(雄)には勝ち目などなかったのである。
囮のクロカンの隊員達に釣られ、この広場に降りて来たのが運のつき。彼の命運はその時点で決まっていたのだ。
大モルト軍の指揮官、マルツォも、今日は大人しく指揮官に専念しているようである。
時々指示を出すだけで、後方に控えて動こうとはしない。
それ程、大モルト部隊の動きは連携が取れ、昨日の戦いとは打って変わり、危なげがなかった。
上空の大鳥竜を警戒していたクロカンの隊員達がふと声を上げた。
「あっ。とうとう降り始めやがった」
「雪か。どうりで冷えると思ったぜ」
チラホラと舞い始めた雪は、直ぐに辺りを白く覆い始めた。
「雪で地面がぬかるんでいるぞ! 転倒に気を付けろ!」
白く霞む景色の中、天空竜、そして大モルト兵達は、泥だらけになりながら死闘を繰り広げている。
緩んだ足場は、彼らの――中でも特に天空竜の体力を奪って行った。
『殺――――――ッ!』
天空竜は何度目かになる魔法を発動した。
しかし、今回も今までと同様、落雷は発生しなかった。
「ガハッ! ガハッ! ヒイヒイヒイ・・・」
天空竜は咳き込むと、まるで小鳥のような甲高い悲鳴を上げた。
血走った目で懸命に周囲を見回すが、大モルト兵は十重二十重、隙なく取り囲んでいる。
後ろ脚を動かせず、翼まで負傷してしまった天空竜には、ここから逃げる手段などありはしなかった。
「ビエエエエエエエエエ!」
「! 何か仕掛けて来るぞ! 注意しろ!」
窮鼠猫を噛む。
弱り切っていたはずの天空竜が突然、全力で走り出した。
とても前脚だけで走っているとは思えない。あり得ない速度だ。
進行方向の大モルト兵達が慌てて馬突槍を構える。
ズドーン!
「ぐわあああ!」
「ぎゃあああ!」
天空竜は馬突槍の槍衾に真正面から激突。
その勢いで兵士達が吹き飛ばされる。
しかし、天空竜が受けた被害も大きかった。
極太の槍が何本も深々と突き刺さり、大量の出血が泥で汚れた体を赤黒く染めた。
「ビイイイイイイイ!」
それでも天空竜は速度を緩めず、走り続ける。
「おい、クロ子! あれ、ヤバくねえか?!」
『分かってる! 風の鎧!』
私は身体強化の魔法を使うとダッシュ。天空竜の後を追った。
そんな私の視界の片隅に、隻腕の若武者が槍を抱えて走っている姿が映った。
「ちっ! 往生際の悪いヤツだぜ! あのキズで逃げられるとでも思ってやがるのかよ!」
大モルト部隊の指揮官のマルツォだ。
彼の言葉の通り、天空竜が受けたキズはどう見ても致命傷。
じきに体力が尽き、足が止まった時が、ヤツの最後だろう。
そして当然、そんな体力が残っているはずもなく、天空竜は広場から出る事すら出来ずにその足を止めた。
いや、違う。
『そうか。逃げたんじゃない。ここを目指していたのか』
天空竜の目の前にあるのは大きな肉の塊。
頭と翼、そして四肢を切り落とされ、胴体だけになった上に腹も割かれ、内臓を引きずり出された動物の死体。
彼のつがい。天空竜(雌)の成れの果てであった。
『悲ィィィィィィィィ!』
天空竜は長い、長い、驚く程長い咆哮を上げた。
それは魂の叫びだった。
そして天空竜は力尽きると、肉の塊を抱きしめるように倒れた。
そう。天空竜(雄)は我々から逃げようとしていたのではない。
彼は自分の死期を悟り、最後は雌と一緒に死ぬために、残された力を振り絞ってこの場所を目指したのである。
「・・・ヒュー・・・ヒュー」
天空竜の喉からか細い呼吸音が漏れる。
我々が近付いても、ピクリとも反応しない。
どうやら意識すら失っているようだ。
いつの間にか私の横にマルツォが立っていた。
「人食いの怪物にも情はあるって事か。いいだろう。テメエの最後の望み、この俺が叶えてやらあ。おい、誰か斧を持って来い」
「はっ!」
こうしてマルツォと二人、天空竜の横で並んで待つ事しばらく。
天空竜の体の表面に雪がうっすらと降り積もる頃。兵士達が巨大な斧を持ってやって来た。
昨日、天空竜(雌)を仕留めた、あの首切り斧である。
マルツォは無言で斧を振り上げると――
ドスン!
鈍く重い音。そして切り飛ばされた首が地面に落ちるボトリという音。
大モルト部隊の隊長が槍を天に突き上げた。
「我々の勝利だ! 勝鬨を上げよ!」
「「「「おおーっ! うーら! うーら! うーら!」」」」
降りしきる雪の中、天空竜との激しく苦しい戦いは、こうして幕を下ろしたのであった。
次回「青天の霹靂」




