その350 メス豚と狩りの終わり
私はブヒブヒとお尻を振りながら仲間達の下へと帰って来た。
「・・・おい、クロ子。お前何勝手に一人で飛び出してんだよ」
クロコパトラ歩兵中隊の大男、カルネが不満顔で私を出迎えた。
そんなに怒っちゃイヤン。
『てへぺろ』
「お前な。・・・ハア。まあ、何でお前が飛び出したのか、理由は見てたから知ってるけどよ。で、どうだ? お前が戻って来たって事は、大モルトのヤツらだけで天空竜を倒せそうなのか?」
私は背後を振り返った。
ついさっきまでとは違い、大モルト兵達はすっかり息を吹き返している。
逆に天空竜(雌)は苦戦している。
今は最後の力を振り絞って必死に抵抗しているようだが、それも長くはもたないだろう。
『ああ、うん。これが最後のひと暴れになるんじゃない? 息切れした時が多分、天空竜の最後ね』
「・・・マジか。そうか。まさかあのガキがあそこまでやるヤツだったなんてな」
カルネはそう呟くと、大モルト兵達の後方、元の場所に戻った指揮官のマルツォを見つめた。
クロカンいちの脳筋男でも、この戦いを決定づけたのが、先程のマルツォだったという事が分かっているようだ。
あのカルネが人間をここまで素直に認めるとは思わなかった。
さっきは「頼りにならなさそうなガキ」とか文句を言ってたのにな。
私は少しだけ感慨深くなった。
『お前も成長しているんだな』
「いや、誰目線だよ。おい、止めろ。その生暖かい目はよせ」
カルネはイヤそうに眉間に皺を寄せるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
大モルト部隊の指揮官、隻腕の若武者マルツォは、クロ子と別れた後、元の場所へと戻っていた。
そんなマルツォを、興奮に顔を輝かせた兵士達が出迎える。
(ヤベエ。ちっとばかり調子に乗り過ぎたようだぜ)
マルツォは遠ざかりそうになる意識を、歯を食いしばる事でどうにか繋ぎ止めた。
良く見れば兜の下の顔は青ざめ、額には玉のような汗が浮かんでいる。
兵士達の手前、平静を装っているが、どうしても呼吸が荒くなるのを止められない。
マルツォは、このまま地面に倒れ込みたい欲求をグッと堪えて、胸を張った。
(クソッ。まるで自分の体じゃないみたいだぜ。これじゃトリィとリッタが心配するのも当然か)
さっきまでは、久しぶりの戦いにアドレナリンが出ていたために気付かなかったのだろう。
こうして一度落ち着くと、全身が鉛のように重く感じられた。
あるいは、先程の危なかった場面――天空竜の体に深く槍を突き刺してしまったため、身動きが取れなくなった場面――も、疲労のせいで集中力が落ちた事によるミスだったのかもしれない。
(魔獣には借りを作っちまったな)
あの絶体絶命の状況で、マルツォの命を救ったのは、小さな黒い獣――魔獣だった。
魔獣はマルツォと天空竜の間に飛び込むと、強い光を放った。
その正体はマルツォには分からないが、多分、魔法によるものだったのだろう。
魔獣が強力な魔法を使うというのは、元、五つ刃の”一瞬”マレンギの話や、ランツィの町の守備隊の兵士達の話からも分かっている。
マルツォも実際、魔獣が手も触れずに馬突槍を飛ばし、天空竜の背中の翼を貫いたのを見ている。
(さっきのは一瞬光っただけで、攻撃じゃなかったみてえだが・・・多分、俺を巻き込まねえように配慮したんだろうな)
実際はクロ子は、得意としている攻撃魔法、最も危険な銃弾が、天空竜の体を覆っている風の鎧の魔法によって打ち消されてしまうため、搦め手の魔法を使わざるを得なかったのだが、当然、マルツォはそんな事情を知らない。
彼はあの場にいた自分の存在が、彼女の足かせになったと思ったようだ。
(なんてえ体たらくだ。勢い勇んで戦いに出ておきながら、命を助けられるなんてよ。初めて戦場に出た時だって、こんな無様な事にはならなかったぜ。右腕さえあれば、なんて泣き言は言わねえ。だが、せめてあと少し体が思うように動いてくれれば、こんな醜態は晒さなかったのによ)
マルツォは疲労で震える左手を強く握りしめた。
彼にとっては、先程の戦いは悔しさの残る不本意なものだったのかもしれない。しかし、それはあくまでも百勝ステラーノの孫としての自己診断によるもの。
兵士達の感想は違っていた。
彼らは、自分達の指揮官がたった一人で、しかも左手一本で、自分達が苦戦していた巨大な怪物を相手取った姿に、勇気を与えられていた。
そしてその気持ちは、消えかけていた彼らの闘志に火を付けたのだ。
「「「「うおおおおーっ!」」」」
兵士達の勢いは、マルツォに深手を負わされた天空竜では、とても抑えきれなかった。
「ギエエエエエエ――――ッ」
天空竜は大きく叫ぶと、ズシーン! 遂にその巨体を大地に横たえたのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
天空竜の姿が兵士達の間に消えると、大きな歓声が沸き上がった。
「・・・おい」
「ああ、まさか・・・」
ケガを負って後方に運び込まれていた兵士達の中でも、まだ歩ける者達が立ち上がると、フラフラと戦場に近付いて行った。
「おい、クロ子」
『分かってる。みんなは念のためにその場に待機。カルネとウンタは私と一緒に来て』
「おうよ。おおい、ウンタ!」
「確認に行くのか? 分かった」
私はクロカンの副官、ウンタと、第一分隊分隊長、大男のカルネを引き連れると、天空竜が倒れた場所へと向かった。
「ちょっくら通してくれよ。はいはい、ゴメンよ」
カルネが兵士達をかき分ける。彼の後ろに続いて現場に到着すると、そこにはグッタリと横たわった天空竜(雌)の姿があった。
灰色の体は血と土で薄汚く汚れて見る影もない。
後ろ脚が弱々しく地面を掻くが、戦うどころか、起き上がる力すら残っていないようだ。
「みんな下がれ! 下がらんか! マルツォ様をお通しするのだ!」
隊長らしき偉そうな男が現れると、兵士達を乱暴に押しのけた。
兵士達は少しムッとしたようだが、それもマルツォがやって来ると一転。憧れのスター選手を前にしたスポーツ少年のように目を輝かせた。
何なのお前ら。今までマルツォがいても、全然、そんな顔してなかったやんけ。
いやまあ、さっきの戦いに感動したってのは分かってるけどさ。
ホント、人間とは現金なものである。
「マルツォ様、止めを」
「おう。斧をよこせ」
てか、さっきから微妙に気になってたんだけど、この隊長さんの態度ってどうなの?
指揮官と隊長というよりも、まるで親分と舎弟って感じなんだけど。
心なしかマルツォもやり辛そうにしてるようにも見えるし。
兵士達が柄の長い大きな斧を持ってくるとマルツォに渡した。
その名も首切り斧。その恐ろしい名の示す通り、捕らえた敵や罪人を処刑する時に使われる物だそうだ。
普通の手斧が刃渡り七~八センチ程の所が、首切り斧は数倍の四十センチ程もある。
その分、斧身(刃の付いた金属の部分)の大きさもばかデカく、重量はかなりの物になるそうだ。鉄の塊だからな。さもありなん。
普通は両手で持ち上げるそれを、マルツォは「ふんっ!」と左腕一本で持ち上げた。
兵士達から「おお~!」と、大きなどよめきが上がる。
そしてキラキラとした憧れの視線が――って、もうええわ。
私はウンタ達に振り返った。
『二人共油断しないで。天空竜は最後に何か仕掛けて来るかもしれないから』
「おう」
「分かっている」
私達が、何があっても対処可能なように、緊張しながら見守る中、首切り斧は振り下ろされた。
ドスン!
重い物を打ち付けたような鈍い音と共に、天空竜はビクリと大きく身もだえし、そして動かなくなった。
兵士が天空竜の死を確認すると、隊長が大きな声で叫んだ。
「我々の勝利だ! 勝鬨を上げよ!」
「「「「おおーっ! うーら! うーら! うーら!」」」」
最後まで戦っていた兵士も、負傷して後方に運ばれていた兵士も、若い兵士も、ベテランの兵士も、全員が喉も裂けよとばかりに雄叫びを上げた。
彼らは拳を高く振り上げ、槍の石突を激しく地面に打ち付けた。
メラサニ山に男達の声が響き渡る。
そんな声に張り合うように、遠くで野犬達の遠吠えが響いた。
多分、あれは私の群れの野犬達だな。
大きな声に犬の本能が刺激されたんだろう。
何とも賑やかな事だ。
騒ぎの中、私は天空竜の死体を見つめた。
流石は次世代の百勝ステラーノ。その首は一刀の下に見事に断ち切られていた。
無造作に振り下ろしただけのように見えても、そこには玄人を唸らせる高い技量が秘められていたのだろう。多分。私はド素人だから分からんけど。
天空竜の体からは今も血が流れ、冷たい大地に赤黒い染みを作っている。
私が警戒していたような最後の抵抗は無かった。
既にそんな力すら残っていなかったのか、あるいは、これ以上生きるのを諦めていたのか。
こうして天空竜(雌)との死闘は幕を下ろしたのであった。
次回「メス豚と手負いの竜」




