その349 メス豚と二つの貸し
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天空竜(雌)対、マルツォ率いる大モルト部隊の戦い。
大モルト部隊は思わぬ苦戦を強いられていた。
その原因は二つ。
一つは天空竜の大きさが彼らの予想を超えていたというもの。
確かに事前に天空竜の情報は十分に得ていた。が、いかに百戦錬磨の大モルト兵といえども、これほど巨大な生物と戦った経験はない。
実際に兵士達の前に現れた巨体は、彼らの想像を上回り、彼らを圧倒した。
そしてもう一つの理由は天空竜の外皮の硬さである。
「クソッ! 槍が刺さらない!」
「諦めるな! 皮膚の薄い場所を狙うんだ!」
天空竜の外皮は硬い上に分厚く、中々有効なダメージを与えられなかった。
決め手を欠いた戦いは予想外に長引き、大モルト部隊は次第に消耗して行った。
「マルツォ様、限界です! これ以上我が軍はもちません!」
部隊の隊長が隻腕の少年――指揮官のマルツォに振り返った。
マルツォは鋭い眼差しでジッと戦いを見つめたままで答えた。
「もたせろ。あと少しだ」
「ですが負傷者も増え、部隊の戦力は半減しています! ここは彼らの――亜人の部隊の力を借りてはいかがでしょうか?!」
隊長は彼らの後方に控える亜人の部隊を指差した。
「確かに彼らの装備はみすぼらしいですが、それでもハマスの部隊を退けたという実績があります。それに向こうにはあの魔獣もおります。魔獣は天空竜の片割れと互角に戦ったと聞いております。魔獣さえ加われば今の戦局を打破する事も可能ではないでしょうか」
「――魔獣か」
魔獣、という単語にマルツォはピクリと反応した。
彼はここで初めて戦いから目を切ると、背後の魔獣を――腹巻を巻いた黒い子豚を見つめた。
「お前の言う事も最もだ。ここまで戦った手応えから見て、俺達と天空竜はほぼ互角。だったらここに魔獣が加わればヤツに止めを刺す事も出来るだろう」
「では!」
「だがダメだ」
パッと喜色を浮かべる隊長に対し、マルツォはキッパリと言い切った。
「ヤツらはヤツらの仕事をやっている。大鳥竜から負傷者を守り、天空竜の魔法を封じるという仕事だ。俺達がこうして天空竜との戦いに集中出来るのは、ヤツらがキッチリ自分達の役目を果たしているからだ。それなのに俺達がヤツらを頼ってどうする。自分達の尻拭いを他人に任せるのか?」
「こんな追い込まれた状況で何を言っているんですか?! 今はメンツを気にしている時じゃありませんよ!」
「・・・何? テメエは俺がメンツにこだわってるってのか?」
マルツォはジロリと隊長を睨み付けた。
しかし隊長は怯む事無く逆にマルツォを睨み返した。
彼はマルツォが七将、百勝ステラーノの孫である事を知っている。また、マルツォがジェルマン・”新家”アレサンドロの配下になって以来、数々の戦いで武勲を上げ続けて来た事も知っている。
しかし、それはあくまでも人伝で聞いた話。噂話でしかなかった。彼自身はマルツォとは何の面識も無く、今回、この部隊に配属されて、初めてマルツォを目にしたのである。
彼には、マルツォは噂に聞くような凄腕の豪傑には思えなかった。
馬車に揺られて長旅をするだけで体調を崩し、使用人に世話を焼かれ、利き腕を失ったせいで前線で槍を振るう事すら出来ない。
マルツォが粋がるのは勝手だ。七将の孫という事もあって、周囲の評価も気になるのだろう。
だが、彼のミスで、自分や部下達が死地に追いやられるのだけは許せない。それだけは認める事が出来ない。
「それ程我が軍だけで戦いたいなら、あなたもご自身で戦ってみてはいかがですか? さっきからずっと後方で指示を出しているだけではないですか」
そんな事が出来るはずはないだろう?
隊長はそう高を括ってマルツォを挑発した。
マルツォは怒りに顔を真っ赤に染めた? あるいは恐怖に青ざめて震え出した?
どちらも違う。彼は小さくため息をつくと、かたわらに立てかけてあった槍を手に取ったのである。
「はあ。やっぱ俺が出ないとダメか。お目付け役のベルデには、出発前に絶対に自分では戦わないように釘を刺されたんだがな。トリィとリッタもうるせえし、仕方がねえから今回ばかりは後方で大人しく兵に指示だけ出してるつもりでいたんだが・・・おう、テメエ。言い出したのはテメエだかんな。責任もってキッチリ、ベルデ達に伝えとけよ」
「えっ? は?」
マルツォは何度か槍を振るとダッシュ。
目を白黒させている隊長の横を、勢い良く駆け抜けて行ったのであった。
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大モルト部隊対天空竜(雌)。
両雄の戦いは、互いに決め手を欠いた消耗戦の様相を呈していた。
今の所、私の見立てではほぼ互角。
いつどこでどちらに戦局が傾いてもおかしくはない状況にあった。
「なあ、クロ子。見てるばかりじゃなくて俺達も手を貸そうぜ。このままだとアイツら全滅しちまうぞ?」
クロコパトラ歩兵中隊の大男、カルネが再度私に提案して来た。
う~ん。言ってる事は分かるんだけどさあ・・・
確かにカルネの言うように、我々が参加すれば、戦局を決定付ける事が出来るだろう。
ただし、それには大きなリスクが伴う。
それはハイエナ竜こと大鳥竜の存在だ。
大鳥竜は今も諦める事なく我々の上空を旋回している。
我々が天空竜との戦いに参加すれば、ここにいる負傷兵達がヤツらに狙われてしまう。
それと同時に、今も落雷バリアに魔力を流し続けている隊員達も危険に晒す事にもなる。
勝手な判断で持ち場を放り出し、任務も果たせなかったとなれば、仮に勝てたとしても我々の信用は失われるだろう。
とはいえ、天空竜を倒せる絶好のチャンスなのは間違いない。
・・・むぐぐ・・・な、悩ましい。
長引く戦いに、私の心は次第にカルネの提案へと傾いて行きつつあった。
『そうね。勝てば官軍って言うし、天空竜さえ倒せれば――って、何事?!』
その時突然、大モルト兵達が大きな歓声を上げた。
遂に天空竜をやっつけた、という訳ではない。今も暴れているのが見えるからな。
戦いに目を凝らすと、左手一本で槍を持ち、天空竜に果敢に攻め込む一人の兵士の姿があった。
『って、はあっ?! あれってマルツォじゃない! アイツ、何やってんのよ!』
そう。それは隻腕の若武者。七将、百勝ステラーノの孫、マルツォだった。
『いやいやいや、あり得ないから。ケガ人でしょ? 片腕が無いのよね? それに、もし指揮官がやられちゃったらどうすんのよ?』
お前も結構やってるだろうって? まあそうなんだけど。
でもホラ、私は特別っていうか? ぶっちゃけ私が部隊の最高戦力だから。後方で遊ばせてたら勝てる戦いも勝てないっていうか。
そもそも、私とは違って、マルツォは片腕を失っている訳で。これじゃ最初から戦いになる訳が――
「・・・意外と押してんな」
『・・・マジデスカ』
私とカルネは呆気に取られた。
どうやら私はここまで来ても、まだこの世界の達人の力を低く見積もっていたようだ。
マルツォの槍は的確に天空竜の弱点を捉え、翻弄していた。
「オラオラ! ナリがデケエだけで大した事ねえな! テメエらもこんな相手に何手こずってやがる! それでも大モルトの精鋭か?!」
「「「「うおおおおーっ!」」」」
指揮官の大活躍に、兵士達の士気は爆上がりだ。
彼らは最後の力を振り絞って天空竜に攻めかかった。
『いやいや、あり得ないでしょ。何なのアレ。もしあれで両手が揃ってたらどれだけだったのよ。アイツ実は人間じゃないんじゃない?』
私は呆れて呟いた。
ここまでの戦いで天空竜が弱っていた、というのもあるのだろう。ある意味ではケガ人同士の戦いは、マルツォが押せ押せの状態で続いていた。
これって大勢は決した、って事?
『はー、スゴ。個人の武勇が戦況をひっくり返す、なんて事もあるんだ。勉強になったわー』
「ちっ。これじゃもう俺達の出番はなさそうだな。折角、人間達に俺達の力を見せつけてやれる、いいチャンスだと思ったのによ」
カルネ、アンタね。てか、やっぱりそんな事を考えていたのか。焦って攻撃の許可を出さなくて良かったわい。
私達の間に緩んだ空気が流れたその時だった。今まで軽快なフットワークを刻んでいたマルツォの動きがピタリと止まった。
私はハッと目を見開いた。
『マズイ! 風の鎧!』
「おい、クロ子?!」
私は咄嗟に身体強化の魔法を唱えるとダッシュ。マルツォの下へと向かった。
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(クソッ! やっちまった!)
マルツォは背中に冷たい汗が噴き出すのを感じていた。
それは明確な死の予感だった。
ここまでは順調だった。戦いの最初から、ずっと天空竜を見て来た彼は、天空竜の動きの癖も見抜いていたし、どこを攻撃されれば嫌がるのかも――相手の弱点も――分かっていた。
マルツォの槍は的確に天空竜の皮膚の薄い箇所を切り裂き、ダメージを蓄積していった。
指揮官の活躍に兵士達も息を吹き返し、天空竜を圧倒した。
だからだろうか。彼はつい、吸い込まれるように天空竜の弱点に――柔らかい喉笛に、槍を突き出してしまったのである。
槍は天空竜の首に深く突き刺さった。そう。片腕の力では引き抜けない程深く。
彼は迂闊にも、両腕が揃っている時の感覚で攻撃をしてしまったのである。
しくじった! と思った時には遅かった。
天空竜の血走った眼が彼を睨み付ける。
武器を手放して逃げる? ダメだ。相手の攻撃の方が早い。
(この野郎! 俺の命が易々と奪えると思うなよ!)
マルツォは一か八か、このまま喉を切り裂こうと、腕に力を込めた。
しかし、ここでも利き腕を失っている事が彼の足を引っ張った。
槍はまるで万力で固定されているかのようにピクリとも動かなかった。
マルツォが万策尽きたかに思われたその時だった。
「ブヒ――ッ!(その場でしゃがめーっ!)」
兵士達の頭を飛び越え、小さな黒い生き物が物凄い勢いで飛び込んで来た。
魔獣ことクロ子だ。
マルツォにはクロ子の言葉は通じない。だが、このタイミングで飛び込んで来たという事は、何かをしようとしているのは間違いない。
彼は己の直感に従い、槍を手放すと素早く地面に伏せた。
「ブヒブヒッ!(食らえ! 猫だまし!)」
その直後、白い光が天空竜の目の前で炸裂した。
クロ子の猫だましの魔法。閃光を発生させる魔法が発動したのである。
「ギャアアアアアアアア!」
「ブヒイイイイイイイイ!(眩しいいいい!)」
正面から閃光を浴びた天空竜と、状況的に目がつぶれなかったクロ子の悲鳴がシンクロする。
マルツォは何が起きたのか正確には理解していなかったが、魔獣が自分を助けるために飛び込んで来た事、そして彼女のおかげで命を取り留めた事だけはハッキリと分かった。
マルツォは地面で悶絶しているクロ子を抱き上げると、急いでその場から逃れた。
「済まねえ、助かった! 恩に着るぜ!」
クロ子は目をしばしばさせながらブヒブヒと鳴いた。
「ブヒブヒブヒ(ホンマやで。今回のは貸しな。あっ、月影の時に治療してやった分もあるから、これで貸し二つだから。いつか必ず返せよ)」
次回「メス豚と狩りの終わり」




